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永遠を生きる仏とわたし

2016年01月06日 19時00分57秒 | Weblog

彼の仏の光明は十方の国を照らすに障礙なし是の故に号して阿弥陀と為す。サーリプッタよ、彼の仏の寿命及び其の(国の)人民(の寿命)は無量にして無辺にして阿僧祇劫なり。故に阿弥陀と名づく    「仏説阿弥陀経」より

お釈迦様がサーリプッタ尊者をはじめとした多くの聴衆に阿弥陀経を説いておられます。どうしてこの仏のことを阿弥陀仏と呼ぶのか。それを語っておられます。

さぶろうもこの聴衆の一人です。ですから、「サーリプッタ尊者よ」と呼びかけられることはすなわち「さぶろうよ」と呼びかけられていることになります。サーリプッタ尊者は聞き手の代表格ですが、その実はお釈迦様は一人一人に向かって語りかけておられます。

第一に、十方の国々を照らしている仏の光明が十方に隈無く行き渡って遮られるということがない。この光明がこれほどに無量だから、無量光の仏=阿弥陀仏と呼ばれていると説き聞かしておられます。光明の威力が計り知ることができないのです。何処までも何処までも貫いています。エンドレスなのです。尽きるということがないのです。

第二に仏の寿命とこの国々の人々の寿命が縦にも横にも延びて貫かれていて、とても計り知れないのです。切れ目がありません。何処までも続いています。永遠の命になっています。1阿僧祇は10の140乗だからアンカウンタブルです。劫も無数という単位です。だから無量寿の仏=阿弥陀仏と呼ばれています、と説き明かしておられます。

阿弥陀仏だけではありません。阿弥陀仏の国=浄土にいる人々も阿弥陀仏と同じ待遇を受けています。光明も寿命もそっくり仏さまといっしょです。

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