1
「われわれが輪廻の迷いの生存を繰り返して、それを住処としてきたわけは、仏智を疑ったためである。このたび、次の世に輪廻を断ち、速やかに寂静・無為の極楽浄土に生まれて仏のさとりを開くのは、必ず仏智の信心が因(たね)となって働くからである」
法然上人 「選択集」より
2
わたしには「このたび」が与えられている。
3
このたびこそは、わたしは寂静・無為の極楽浄土に生まれるのである。
4
このたびは、そこで仏のさとりを開くのである。
5
仏智信心がそれを決めたのである。決められたとおりになれるのである。このたび、このたび、である。
6
輪廻の迷いを続けて来たこの身を死んで、このたびは必ず仏の家の極楽浄土に生まれるのである。
7
このたびは、本願念仏のハタラキによって、大きな大きな方向転換をするのである。嬉しいではないか。
8
2025年7月3日。金曜日。静かな山里にいるお爺さんは、この嬉しさの中に居る。庭にはテッポウユリが咲いている。美しいテッポウユリが咲いている。それを美しいとして見ている。
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