<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

浄土に往くときも還るときも。地球に生まれて来るときも死ぬときも。

2022年08月08日 15時55分30秒 | Weblog

廻向(=回向)には、往相回向と還相回向というふたつの面がある。裏表になっているのだろうか。

(熟知しているのではない。だから憶測でものをいうしかないが)

「回向」は「回し向ける」こと。頂いた仏の功徳を人様に差し向けること。どういう功徳を仏さまから頂くのか。

往生浄土、往生成仏という功徳である。

往相回向は死んで(死なないでもいいが)お浄土に往くときの回向。仏さまから頂いた功徳の回向。みずからに差し向ける歓喜。

還相回向はお浄土から還(かえ)って来るときの回向。同じく仏さまから頂く功徳の、回向。人様の歓喜に変容させるハタラキ。

一方通行ではなくて双方同時通行なのである。仏さまとわたしの間での双方通行。プラス、人様とわたしと仏さまとの間の、三者間の双方通行。この通行が同時に行われる。

つまりは、わたしだけが仏さまから往生浄土、往生成仏の歓喜をいただくのではないのである。生者死者の区別なく、多くの人たちと分かち合って行くのである。

歓喜は閉塞的ではないのである。あくまで開放的なのである。

わたしは成仏してお釈迦様と等しくなるのである。等しく永遠のいのちを生きることになるのである。

仏さまから頂戴する成仏の歓喜を、独り占めすることなく、回りへ回りへ回りへ、生きていようと死んでいようとお構いなく、回向して回向して回向し尽くす。

わたしは仏教の教えに暗い。おばば様からの耳学問に過ぎない。だから、これはわたしのわたしだけの解釈である。

浄土に往生するときとは、わたしが肉体を死んでいくとき。それが往相回向。浄土から還るときとは、わたしがここに生まれて来るときのことである。わたしの形骸は、生まれて死んで生まれて死んでいる。

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