廻向(=回向)には、往相回向と還相回向というふたつの面がある。裏表になっているのだろうか。
(熟知しているのではない。だから憶測でものをいうしかないが)
「回向」は「回し向ける」こと。頂いた仏の功徳を人様に差し向けること。どういう功徳を仏さまから頂くのか。
往生浄土、往生成仏という功徳である。
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往相回向は死んで(死なないでもいいが)お浄土に往くときの回向。仏さまから頂いた功徳の回向。みずからに差し向ける歓喜。
還相回向はお浄土から還(かえ)って来るときの回向。同じく仏さまから頂く功徳の、回向。人様の歓喜に変容させるハタラキ。
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一方通行ではなくて双方同時通行なのである。仏さまとわたしの間での双方通行。プラス、人様とわたしと仏さまとの間の、三者間の双方通行。この通行が同時に行われる。
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つまりは、わたしだけが仏さまから往生浄土、往生成仏の歓喜をいただくのではないのである。生者死者の区別なく、多くの人たちと分かち合って行くのである。
歓喜は閉塞的ではないのである。あくまで開放的なのである。
わたしは成仏してお釈迦様と等しくなるのである。等しく永遠のいのちを生きることになるのである。
仏さまから頂戴する成仏の歓喜を、独り占めすることなく、回りへ回りへ回りへ、生きていようと死んでいようとお構いなく、回向して回向して回向し尽くす。
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わたしは仏教の教えに暗い。おばば様からの耳学問に過ぎない。だから、これはわたしのわたしだけの解釈である。
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浄土に往生するときとは、わたしが肉体を死んでいくとき。それが往相回向。浄土から還るときとは、わたしがここに生まれて来るときのことである。わたしの形骸は、生まれて死んで生まれて死んでいる。
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