霜の日の大根白し 加害者の我に被害者意識深しや 薬王華蔵
上の句と下の句に相関性はない。互いに独立し合っている。そういう歌もあっていいのではないか。
此処では上の句は叙景。下の句は叙情。己の心理描写になっている。
加害者意識と被害者意識が交錯している。捻れている。相互移管している。加害者の立場に居る自分であっても、被害者に徹していた方が正義者を装える。そういう利点がある。都合のいい話だけど、無意識でそうしている。自己撞着だ。被害者が被害者の立場に我慢がならなくて途端に加害者になるということも、実は多いのではないか。意識というのは絡まり合っているのではないか。見ようによってどうにでも変化するのではないか。己を都合のいい位置に己を据えて逃げ延びる自分が居る。社会が悪い、世の中が悪いなんて不平を鳴らすのはしょっちゅうのことだ。
霜の日の大根は白い。いよいよ白い。白くて冷たい。此は不変だ。大根に潔さが見えた朝の歌。
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