無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
開経偈より
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むじょうじんじんみみょうほう ひゃくせんまんごうなんそうぐう
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無上にして甚だ深く、微妙の法は、百千万劫にも遭い遇うこと難し。
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百劫、千劫、万劫を経たとしても、それでもわたしが遭遇するパーセンテージは極めて極めて少ないのに、いまわたしはそれに、今生の此処で、遭遇させられています。不可思議の不可思議の不可思議です。仏陀のこの法・ダルマはこの上もなく、また深く尊い法・ダルマです。すべての不可能を排して、このわたしに法・ダンマを届けられたのです。
わたしは仏陀の説かれた仏法をこの耳に聞いています。今生はここまでで十分です。耳が聞いたことで、もう十分が過ぎています。わたしはこれで、仏陀の力にあずかって、仏陀になれるのです。やがてやがてやがて仏陀になれることが決定(けつじょう)したのです。
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あとは、泣いて泣いて、ほろほろ泣いているだけでよくなった。ここまで、導かれて導かれて、守られて、到着した。
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我今見聞得受持。がこんけんもんとくじゅうじ。我は今、仏陀の法・ダンマをこの目で見て、この耳で聞いて、受持することを得たり。
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であれば、いつもいつも今日のいのちで完了をしているはずである。
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五月の柿の若葉が雨に濡れている。光っている。