でも、生きているって、どういうことなんだろう? ふっと考えてしまう。おれはほんとうに生きているのかなと思うときがある。頬を抓って確かめたくなるときがある。こんなうすっぺらの生き方をだらだら続けていてもいいのかなと懐疑するときもある。でもそれでいいから、明日が今日になったはずとも思う。
でも、期間が限定されているのは、どうしてなんだろう? それがいいからだよね、きっと。そこにぐっと圧縮されている。点火爆発が起きやすくしてある。忍耐力が乏しいものにも忍耐可能になっている。おいしく甘く濃厚になっている。それを口にすれば栄養豊富で、すぐにも元気になれる仕組みになっている。なるほどなるほど。
それを、十郎はうすっぺらに生きている。ぼんやりぼんやり生きている。こんなふうだから、長々と生きていてもなかなか積み上がらない。一丁「上がり」にならない。仕立て上がらない。画竜点睛したら、龍は、この世という絵の中から飛び出してしまうけど、いつかそうなるはず。
死者たちは、(何かの拍子に)画竜点睛をしたために絵の中から、仮の世から、飛び出せたのだろう。ロケットエンジンが火を噴いて真実界に飛び込んでいったのだろう。
今此処にいて、生きているって、どういうことなんだろう? 一つの完成に向かっている、というふうにも思える。この世の暫定到達点、死に辿り着こうとしている、というふうにも思える。
だったら、死ぬってことが生きたということの証明なのかなあ。
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