<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

死なぬ時には死なぬが宜しく候。

2021年09月15日 14時18分19秒 | Weblog

死ぬときには死ぬが宜しく候。

 

良寛禅師にこういう述懐があったなあ、たしか。

 

死なない努力を放棄せよということでもないらしい。

 

そうなるときには、ジタバタしないで、それに身を任せていて宜しいということか。

 

ジタバタもいいと、僕なんかは、思うけどなあ。

 

すべては仏陀のおはからいということか。

 

仏陀が計らっているのであれば、我が計らいは無用ということか。

 

仏陀は、わたしをいい方へいい方へと導いている、はずである。

 

間違った方向へは誘導していないはず。

 

だからこれは、そうだと信じているしかないのだ。

 

信じていれば信(まか)せられるはず。

 

右へも左へもどちらへでも仏陀の手の平の中。迷うことがない。生きてよし、死んでよしが大往生の相(すがた)なのだ。

 

「仏陀よ、仏陀のお好きなようになさいませ」は自己の努力の放棄ではない。これは大安心の冥利なのだ。

 

 

死ぬときは死ぬが宜しく候。・・・などとはしかし決断できぬなあ、このお爺さんは。

 

死なぬときには死なぬが宜しく候。生まれたときからずっと仏陀の大船に乗っているじゃないか。さぶろうよ、ジタバタするな。

 

常に現在が最高最上最良。常に過去と未来も最高であって最上であって最良なのである。

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