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悪人を先ず救うというのが仏である

2007年03月03日 12時06分58秒 | Weblog
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」歎異抄の悪人正機説である。

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 この世で善をなした人でさえも阿弥陀仏の浄土である極楽へ往生することができる。だったら、悪をなした人がどうして往生できないはずがあろうか。悪をなした者こそがもっとも阿弥陀仏の正機(目当て)である。阿弥陀仏は苦しみ悩む者を救うという願いを建てられた方なのだから。・・・というのである。

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 川に溺れている者を助けるのが先のはずである。この世の地獄の川で溺れているのは悪人である。善人は上手に川を泳ぎ切っている。土手に立って見ているわれわれだって、溺れている人にまず浮き袋を投げるだろう。まして仏である。泳ぎの巧い人を助けるのは仏のする仕事ではない。

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 善人は自力で浄土に往生できる人のことである。悪人は自力ではとても往生はできない。他力つまり仏の力を頼むしかないのである。わたしの力ではどうにもならないと諦めた者に仏の力が宿るのであろう。ああ、よかったと思う。悪人正機が用意されていなかったら、死ぬに死ねないところだった。
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