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冬苺の目の明るさ穏やかさ

2007年01月16日 12時01分59秒 | Weblog
@ どこにいてもできる修行す冬苺    釈 応帰

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 山には入ったら、陽の射さないところに冬苺が実っていた。赤土の断崖に蔓が延びて葉の間に点々と実をつけている。小さい実だ。摘んで舌にのせる。すっぱい。

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 このところ仏教でいう「修行」のことが頭にひっかかっている。それで、ふと、冬苺はこんなとこころを修行の場にえらんでいたのか、と思った。場を選ばなければ修行ができない、ということはない。どこにいてもそこが修行をする場である。

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 修行とは、仏道の実践である。わたしの栄達のことではない。わたしの幸福追求のことではない。総則は、衆生無辺誓願度である。衆生の救済、自覚覚他である。実践の具体的は、六波羅蜜である。

1,布施(ふせ)    さしあげること。いただいたものに感謝を覚えること。
2,持戒(じかい)   するべきことをしてするべきでないことをしないこと。
3,忍辱(にんにく)  恨まないこと憎まないこと。受けて立つこと。
4,精進(しょうじん) 努力を惜しまないこと。投げ出さないでいること。
5,禅定(ぜんじょう) こころのコントロールをすること。穏やかでいること。
6,智恵(ちえ)    仏の教えを信じて明るいこと。暗い目をしないこと。

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 山中の冬苺は、では、どんな実践をしているのであろう。他をうらやまず、褒められもせず、穏やかで明るくしている。そういう修行の真っ最中のような気がした。
コメント (1)
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