長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

日記で読む日本中世史

2012年03月05日 | 日本史
この本、なかなかのスグレモノです。


歴史関連の新書などを読んでいると、よく中世の日記を出典として挙げています。
『蔭凉軒日録』だ『看聞日記』だ『宗長日記』だ『言継卿記』だ『お湯殿の上日記』だ…。そんな日記の中から主だった日記の成り立ちやその背景、書き手情報、有名どころや論点整理をダイジェスト版で平安末期から桃山時代までの16本を紹介しているのがこの作品です。

今は大河ドラマが平清盛ですが、山本耕史が演じる「悪左府」藤原頼長の記した『台記』なんてのも集録されています。頼長は藤原摂関家氏長者にもなるなど公家社会の頂点に立った男ですが、最期は頭に矢が刺さって一晩中苦しみ、関係が及ぶことを恐れた親、忠実(ただざね。国村隼が演じています。)にも見捨てられて死ぬというすさまじい最期を遂げることとなります。そんな彼の日記には、学問に造詣に深い彼らしさとともに、あちこちに男色の記述がでてくるとか…。
「今夜、義賢を臥内に入れる。無礼に及ぶも景味あり。(不快の後、初めてこの事あり)。」

そ、そんな赤裸々な。。。

本書によると「頼長にとって男色は、主従関係の一環であり、新たな時代における人間関係を象徴する行為の一つだったのではないだろうか。もっとも、彼が男色に溺れる面があったのも事実である。…」だそうです。

近年、様々な愛の形があるため、このブログをどのような方が見ているのか解らず、これ以上のコメントはできませんが、まぁ、歴史上の人物の思わぬ裏側などにも触れることができるのが、こうした日記の面白さなのかもしれません。

まぁ、そんなセンセーショナルな部分はこの本の本の些細な一部であり、むしろ大部分は、時代背景や歴史上有名な事実を当事者による記録ではこんな感じで書いてある、という記載となっています。
足利将軍足利義教をくじ引きで選んだ満済(まんさい)による選出手順の激白が書かれている『満済准后日記』、くじで選ばれた義教が恐怖政治を行うようになって「万人恐怖ス」と書いた『看聞日記』著者伏見宮貞成の屈折した思い、勘合貿易の裏側を描いた『蔭凉軒日録』など、どれも、一度じっくりと本物を読んでみたい、と、思わせるものばかりです。
意外に面白かったのが甘露寺親永。『親永卿記』の作者で、実務官僚系の家柄の藤原氏の人ですが、仕事の能力を評価されて位階こそ正二位と高いながらも、官職はずっと断り続けて前の権中納言どまり。最後に頼むから、と、いうことでようやく大納言にしぶしぶついた、という。
理由は「今は乱(応仁文明の乱)の最中で出かけるのも徒歩で見苦しい状況だ。高官になるのも無益なことだ。そのうえ拝賀(天皇等に任官を報謝する儀礼)もできない。公事(朝廷の行事)も行われないので、どんな役目をはたせばよいのか。なる甲斐がない。」のだそうです。実際に天皇から「私の昇進については、後花園院が御在世の時に何度も任官するようにとの仰せがあったが、思うところを陳べて辞退した。このことはみんなが知っている。しまいには、いつでも任じよう。下に超越されているのは、あくまでも本人の意思によるものだ、という勅書をいただいた。」そうです。
大納言就任も本人は権中納言に戻ればいいと思っていのですが、周りが大納言になってください、と言い、息子も親父が大納言になってくれなければ、甘露寺家ももうおしまいだ、と、言ったのでやっと、決心したそうです。

隠遁願望があったわけでなく、仕事はちゃんとこなしており、天皇や院からも頼りにされていたそうです。ただ、時代が乱れていて、ちゃんと仕事ができる状況に無いから、職についてもしょうがない、と、生真面目に考えていたようです。

なかなかに面白い堅物です。
一本筋が通っています。

甘露寺親永という名前は聞いたことがありませんでしたが、こんな面白い人だとは知りませんでした。(本人は別にウケを狙ったわけではなさそうですが。)

この本の腰巻に『ようこそ、中世の日記の豊饒な世界へ』とあります。
まさに豊饒な世界への扉ともいえる本だと思います。お勧めです。
ちなみに1冊3,200円+税。
結構します。ただ、あちこちの図書館に収蔵されているのをみましたので、一度図書館で借りて読んでみるのも宜しいのではないでしょうか。

しかし、まあ、日本人と言うのは昔から筆まめなんですね。
ブログだって現代の日記な訳ですから。

千年後に『ブログで読む日本平成史』とかいう本が出ているかもしれません。


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