それは昨年末のことだった。
恒例の年末三人会の席上、私が聞く。
「前厄、何かあった?」
中学高校と一緒だった同級生で同じ町出身の男3人が、盆と暮れにあつまるのが三人会。
この中で唯一早生まれなのが私。
成長段階では、早生まれは何かと損するが、大人になってからはその分若いので、人生釣り合いが取れる感じがする。
六曜とかは全く信じていないが、厄年だけは信じている私としては、こうした時、同じ学年でありながら先に厄を経験することとなる二人に経験談を聞くことができる。
すると、Aはビールを飲みながら言った。
「なんもなかった。」
何もないのか・・・。やはりただの迷信か、と、思いBの発言を待つ。
すると、Bは言った。
「散々だったよ。体調もイマイチだったし、自動車で高校生ひっかけちゃって。怪我にはならなかったけど、びっくりした。」
やっぱり迷信ではない!
厄年、特に大厄の時は体力の衰えによる大きな変化が出ると聞く。
どうしよう。来年から3年間怯えながら暮らさなければならない。
と、思ったが、待てよ、Aは何も無かったと言う。
Aは未だに独り身を楽しんでいる。ビールを飲んで寝て、という不摂生な独り暮らしを送っている。つい最近まで煙草も吸っていた。きっと健康診断の数値が悪くなっているのでは無いか?
しかし、全くの正常値で、むしろ高血圧の脂質異常症の判定が出ている私の方が分が悪い。
と、いうことは、Aは何もなかった。Bはあった。
この差は何か?
「ところで、厄払いはしたのか?」
と、聞くと、
Aは親が勝手にどこかに頼んだ、
Bは何もしなかった、
と、いうことがわかった。
やはり。
やはりお祓いをしてもらわねばならない。
お祓いを受けることは、翌年の私の最重要課題となった。
明けて今年。
妻の母の実家は神社である。
娘の初宮参りだ、七五三だ、なんだと人生の節目節目でお願いをしている。
そのため、妻から義母に今回もどうすべきかを聞いてもらったところ、
「前厄は別にやる必要ない。」
と、いわれる。
いや、そういわれても困る。
現実に、友人の結果に如実に現れているではないか。
もし何もしなければ、きっと、私は癌になるか、脳梗塞で倒れるか、妻が鬱になるか、子どもが病気になるか、親が要介護になるか、家族の誰かが事故に遭うか、仕事でとんでもないパワハラ上司の下に異動になるか、足にとげが刺さるか、目にゴミがはいるか、魚グリルを洗い忘れて阿鼻叫喚の絵図が台所に現れるか、その組合せか、全部か、それとももっと別の予想もつかない何か凶事に遭ってしまうのでは無いか。
私は心配した。
「それでは困るのです。私はなんかお祓いしてもらいたいんです。」
と、頼むと、毎年神社では厄落としの人達が集まってお祓いを受ける日があるが、日にち指定の行事のため地元民以外は参加が難しい。その代わり、近くの土日でお祓いをすることはやっている、とのことだった。
「そ、それを。」
と、いうことで実現したのが前厄払い。
ちょっと前になりますが、やっていただく。
やはりオーダーメードのお祓いは大変に御利益があるような気がする。
お札をもらい、部屋にはる。
翌日、さっそく仕事の懸案事項が片付く。
やっぱり、病は気から。厄も気から。
気になるなら、やってもらった方が良いとしみじみ思う。
ちなみに神社にあった石を眺める息子。
※どこへ行くにも一緒のくまのぬいぐるみ、まーちゃんと。
この子が42の時も厄年という風習は日本に残っているのだろうか。
皆さんは厄除けされましたか?