長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

豊橋市中央図書館 ふるさと探訪記念行事「城を楽しむ」

2019年02月24日 | 
豊橋市中央図書館で、平成31年2月9日から3月17日まで、平成30年度図書館資料展で大人気企画の「ふるさと探訪 続・ふるさと城めぐり」企画が開催されています。


その記念行事の「城を楽しむ」講演会が2月23日(土)に開催されました。


個人的には昨年度開催の第1回の前回の講演会も参加したかったのですが、仕事で行けず。
今回は念願かなっての参加です。
とにかく自分としては加藤理文氏の話は聞きたいところ。
千田嘉博氏、中井均氏と並ぶビッグネームだけに、ぜひ聞きたいと前々から思っていたのです。

いや、本当に面白かったです。

前々から疑問に思っていた「古宮城は誰が作ったか」問題。
徳川は武田の城を攻めたり接収したりすることで武田の技術を学んでいったため、徳川と武田が激戦を繰り広げたこの地域の城は、どちらの手が多く入っているのかがわかりにくいのです。
そのため、古宮城は武田氏の城として最終形態という見解もあるのですが、小牧長久手の戦いの際に徳川方の大改修を受けたという見解もあり、どちらかわからない。私自身はどっちかなんていうことを判断できるような知識はないので、いろいろな本に書いてある、それぞれの説を紹介するような形でボランティアガイドをしておりました。

で、加藤先生はというと。

『徳川』という見解でした。

おおおおお!
なぜか?

横堀という等高線に沿って掘られる堀に関して、武田は永禄年間から使い始めるそうですが、徳川は武田との戦争が激しくなる天正年間ころから使い始めるそうです。そして、武田の横堀と徳川の横堀を比較すると、武田の方が規模が小さいそうです。
そのため、古宮城の横堀の入り方の規模から言って徳川方と見て良く、改修時期としても小牧長久手の戦いの際に織田信雄が降伏してしまい戦場が尾張から三河へずれる可能性が出た際に徳川方が領国の城を大改修したときだろう、とのこと。
古宮城の西側については城と言うよりも「丸馬出」の巨大版と考えられており、その根拠として西の郭は東の郭に対して並行ではなく垂直に近い形で存在していることが根拠とのことでした。西の方が非常に厳しいつくりをしている事も豊臣を意識した造りと一致する、とのことです。
ちなみに古宮城は堀底が逆台形になっており通路として使っていたことがわかり、東側の曲輪に竪土塁が入っており通路として利用されていた、とのことです。そうなると私が常々疑問に思っていた東側曲輪のあちこちにある閉鎖的な曲輪が何の目的だろう?という疑問も、曲輪を造成するために土塁を築いたのではなく、通路を築くために土塁を築いて結果として閉鎖的な曲輪ができた、と、考えるとすっきりする。

おおおおお。
見事…。
堀のあたりは諏訪原城や新府城などの例をもとに、もう少し詳細な説明がなされていました。
あまりに整然とした説明で今までの疑問が氷解し、ああ、素晴らしい、と、目から鱗どころか目が落ちました。

それ以外にも、浜松城の説明で天守曲輪は織豊大名が東海道に配置された際に作る城に特徴的で、10万石以上の大名は天守を作ることとなっていたとか、山城を見る際には、攻撃側が郭に対して横向きにさせられることを常に意識しよう、とか、小牧山城は信長は石垣を見せようとしており、足利義昭を奉じて上洛することとなり、建物を作ることのできる工人集団を得てからは建物を見せるように意識が変わったため岐阜城は建物を見せている。ただし、現在の城の形態は安土城をその祖とすることから、その以前の城の形態が見られる城として小牧山城と岐阜城を見ると面白い、とか、土塁は45度が限界なものの、河岸段丘とシラス台地の城だけは90度が可能とか、豊田市の旧小原村にある市場場が、築城時期が豊臣大名側が統治した時期でありながら、なぜこんな厳しい防御構造を持った城をだれが何の目的で作ったのがさっぱりわからず、疑問が多すぎてすごく面白いとか、もう、聞いてるだけで「ふおぉぉぉぉぉお!」と感嘆せざるをえない話のオンパレード。

もう、備忘録としてこのブログを書かなければならない!と、思ってしまいました。
興奮状態で、このブログ書いてます。

そして、個人的に加藤先生に設楽城の丸馬出状のものについて、丸馬出とみて良いか、と、お聞きしたところ、
「規模から言って武田のものでしょう。」
とのこと。

うおおおおおおおおおおおお!

武田の丸馬出っぽいなぁと思ってましたが、城の神からそれでよいとの御託宣を頂く。

もう感動。
武田!武田の城の形態が見られるわけですよ!皆さん!
いやー、やっぱりすごいわ。
設楽城に新たな名物が加わりました。

はぁぁぁ。
もう、昨日はあまりのことに興奮しすぎてよく眠れませんでした。

最後に加藤先生とのツーショット写真も撮ってもらいました。笑。
最近、個人的な事情で講演会にあまり行けていなかったのですが、やっぱり行くと最新情報を素人にわかりやすく解説していただけるので面白くて仕方ない。
ああ、はやく事情を片付けて、以前のような講演会巡りをやれるように戻りたい…、と、切に思いました。

古宮城と設楽城。
スゴイ城ですねぇ。やっぱり。

第3回 極寒の山城水鉄砲合戦 in 設楽城 開催されました!

2019年02月11日 | 極寒の水鉄砲合戦
狂気の宴「極寒の山城水鉄砲合戦in設楽城」が今年も開催されました。
真冬に水鉄砲合戦をやる、という、全く理解されないコンセプトで始まったこの大会も、はや3回目。



当日の天気予報は最高気温6度、最低気温-3度。雪。

カタギの方であれば、こんな寒い日に大の大人が外で遊ぶなんて狂気の沙汰ですが、我々の思考回路はというと…。
「ヒ―ハー!」
という、北斗の拳のケンシロウに瞬殺される悪役のような頭のイカレタ反応。

 ※イカレ具合を象徴する一枚。

そう。
我々には譲れないものがある。
それは『極寒』の称号。

そもそも、昨年度までのイベント実施後の普通の方の反応は、
「もっと暖かければ参加するのに…。」
という反応です。

我々は

『常識を打ち破れ!』

と言い訳している単なる非常識な人々の集いなので、昨年度までの12月開催では
「ぬるいぜ!こんなのでは俺達を冷やすことなどできん!」
ということで、今年度からはより寒い2月へ日程を動かしたのです。
実際、レインコートを着て山を走り回ると結構暑いのです。
残念ながら、当日は少し暖かくなり、最高気温6度、最低気温0度で、時折すこ~し雨がぽつっと降るか降らないかという程度。戦闘時には雨もなく単なる曇り空となり、雪降りしきる中、水鉄砲に熱中するという「映える(ばえる)」絵面は取れませんでした。

大会開催のノウハウを蓄積しながら試行的に行っている段階のため、現在はクローズドで実施しております。


一応定員を15名としているのですが、参加者が参加者を連れてくるという事態から、なんと今年は28名。
リピート率の高さが、このイベントがいかに嵌る人には嵌るか、というのことを証明しています。
嵌らない人には嵌らないんでしょうけど…。
ただ、このイベントの状況を理解した上で参加いただけるので、試行段階でも温かく見守ってくださる参加者の皆様に支えられてのイベントとなっています。今年度からは保険にも加入して、万が一の怪我にも些少ながら対応する形になっています。

寒さの中、すでに「戦がしてぇんだよ!」(by真田丸での哀川翔)状態の皆さま。ヒートアップしています。
温かく見守っていた皆さんの目つきが変わり、アドレナリン全開状態。
第1戦目から、いきなり激しい戦いが繰り広げられます。


壮絶な水の掛け合い。
みなさん、まだ第1試合ですよ、と、審判の私が声を失うほどの大激戦。
リピーターが多いため、複数回参加のベテラン勢の指示が的確で本来守備側有利のはずが攻城側の勝利となりました。

そのため、いったん濡れた生死判定用ジャケットが乾かない。
なんとか第2試合に行きますが、ここでも大激戦。


女性参加者が多いというのが特徴なのですが、もはや女性に対して手加減を加えるというような状況ではない。

※男女共同参画社会の成立をこの目でしかと見届けた瞬間です。

女性対女性という戦闘シーンがあるのも時代の流れでしょうか。もはや追い詰められた領民が総がかりで抵抗しているかのようです。


最終的には、追い詰められた城主が間道を伝って密かに攻め手側の大将を暗殺しようとして、あわやの状況でしたが敵が殺到し城主討ち死。
きっとこういう戦いもあったのではないか、と、思わんでもなかったです。

ジャケットの乾きが悪く、第2戦を終えた時点で終了予定時間の16時近くに。
車のエアコンを稼働させて乾かすという作戦で、なんとか第3戦に突入。
1試合15分を皆さん最初は「短い!」と、思うのですが、実際の戦闘が始まると「まだ終わらないの!?」とか「まだ後5分もあるの?!」と悲鳴をあげるのが毎回みられる光景です。
予定では4戦ですが3戦で終了しますが良いですか?と、聞くと、結構皆さんくたびれていたのか
「ええ、それで構いません。」
と、いうことになりました。
起伏が激しく足場が悪いところを水を抱えて走り回るので、普段鍛えている人でも相当来ます。

最後の戦いは20分一本勝負。
水は全て使い切り。2試合分の水を使える、という状況です。
籠城側が豊富な水を活かしてけん制の銃弾(放水)を行うため、

攻城側がなかなか近づけません。

※完全に絵面がサバゲ―。

ほぉ、なかなか面白いもんだな、城に豊富な弾薬があればこうして敵を防げるのか、と、一人納得。
なにせ、このイベントは私が実際の城を使って人はどのように動くのかが見たい、という、ただそれだけのためにやっているだけなのだから。。。
しかも、城側は高さの優位性に加えて大筒(バケツ)を効果的に使用。

※これを被弾する(水をかぶる)とシャレにならない。

と、いうことで、最終戦は水が豊富な城側が守り切りました。
やはり寒さと高低差で皆様お疲れのご様子。

※使用前(一番最初の写真)・使用後をぜひ見較べてください。

地元の元気城山の皆さんの整備活動のお陰もあって、今年も無事に戦いを終えることができました。
今年は、終了後懇親会を開催したところ、18名もの方に御参加いただきました。
皆さん、この時だけに集う人々も多いのですが、2回目の顔合わせの人達の間に、既に戦友として絆が芽生え始めていたのが印象的です。
宿泊者も少しお見えでしたが、結構皆さん、泊まればよかった!という声も聞こえてきましたので、ぜひ、来年度は泊りでぶっ通しで飲みたいものです。

今回は戦場カメラマンのF本さんは動画を中心に撮影されていたので、動画編集が終わりましたら動画もアップしたいと思います。
まずは従軍記者による合戦報告でした。

御参集の各武将の皆様、お疲れさまでした。
来年度もよろしくお願いします!