長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

朝の運動時の注意事項

2015年06月25日 | 日記
ダモンデトレイルに出てからというもの、自分が走ることができるようになっていることに気がついて、調子に乗って朝ジョギングなどをするようになりました。

できないと思っていたことができるようになる。

この楽しさは、歳取るとなかなか経験できなくなります。
既に経験していることが多くなるので。
そうなると、今まで自分が苦手で嫌いで、そもそも選択肢として考えることなど無かった分野しか残っていないことになる。

走る、ということが、まさにそれ。

走る、運動、というのが苦手で嫌いで、ランナーを見ては『なんでわざわざあんな苦労をするのかね。』と全く理解度0%で、膝や腰を悪くする狂気の沙汰だと思ってました。
まして、既に厄年になっている自分。
走りなどしようものなら、きっと、その瞬間に心臓麻痺で死ぬに違いない、と、思っておりました。

走らなくても歩けば良い、ウォーキングならば苦しくも無いし体に優しかろう、と、いうことで、ウォーキングはしておりました。
しかし、走り続けることができることに気がつき、試しに朝のゴミ出しのついでに走ってみたら、走れる!

と、なると、俄然面白くなってくる。

ああ、よく走りすぎて膝をやってしまう中高年の記事を見るが、これか。
と、気づく。
面白くなってしまうのだな、と。

で、自分の限界を超えてやってしまい、全てを失う。
そうならないようにする分別がついているのが年の功。
休肝日ならぬ休膝日を作るため、まずは、ゴミの日に、常より早く起きてゴミを出すついでに走ることにしました。
これならば、朝のゴミ出しでわらわらして妻が不機嫌になることもなく、自分も少しの時間で十分満足できる。

そう、ウォーキングとジョギングの最大の違いは『時間』。
1km歩くのに15分弱かかりますが、走ると7分強。同じ距離でも時間が少なくて済むので、朝に向いている。
(初心者ですから、そんなに早くは走れません。)

いきなり走ると心臓麻痺で死ぬような気がするので、ゆるゆる歩いてから走っております。

と、そんな生活が三週間程続きまして、今日は久々に休みを取る。
折角の休み。いつも4km程を走っておりますが、時間に余裕もあるのでもう一周余分に走ろうと思う。

いつものように走っている分には大変快調です。
そして、いつもよりも多い周回に入る。

膝や腰にも違和感がなく、ぜーはーなる訳でもなく、今までの延長線上で走れている。

よしよし。

これならば、余裕。なんなら更にもう一周加えてやろうか、と、思ったときのことです。

腹に異変が。。。

どうにも腹がゆるい気がする。
まぁ、そうは言っても、家に帰るまでは特に問題なさそう。歩きと違い走ってるから時間も短いし、と、思っていると、途中くらいで徐々に高まってくる。

幸い、公園にはあちこちにトイレがあるので、「次のトイレまで」と、粘り続けて最後のトイレを通過。
やはり、家のトイレの方が落ち着ける。家が良い。
このまま家に帰るまで頑張ろうと最後のトイレが遠くなってきたところで、結構な状況になってくる。

公園を抜けると住宅街。

公園ならば茂みに入り『最悪』という選択肢もあるのですが、公園を抜けてしまうと白日の下に晒されてしまう。
まして、いつもよりも遅い時間。
通勤者も増えつつある。

名古屋のど真ん中の朝、これから仕事に向かおうとしているときに、とんでもないものを見てしまえば、下手すればSNSで拡散されてしまい、私の人としての尊厳は失われていくことが十分に想像できる。

歩いていたら多分、無理。
普通ならば走った後に歩いてクールダウンするのですが本日は無理。そのままのペースで走り続ける。

いつしか、汗は冷や汗に変わっている。

括約筋に活躍してもらいながら、必死に走り続ける。
アパートのエレベーターが幸い1階に来ており即乗れるのは幸いだ。

足踏みをして気を紛らわそうとするが、あまり足踏みをしてエレベーターが地震と勘違いして止まってしまったら大変なことになるので程ほどに。

もし、子どもがトイレに入っていたらアウトだな、と、いう思いが頭をよぎるが、そのまま家に突入。幸い、トイレには誰もおらず、無事に終了する。

トイレに入りながら思う。
そうだ、数年前にも朝、ウォーキングをしていたことがあったが、あの時も、突然の便意に襲われて大変だったことが多かった。
ランニングに変えたことで、腸が活発に動く前にいつも帰宅していたから問題がなかったが、今日のように時間が長くなると、腸が起き出してしまうのか、と、気づく。

トイレを出てから体重を計測すると、ここ10年で見たことがない体重を示していた。

朝の運動は、腸と相談する必要がありますね。

新城的生活

2015年06月20日 | 奥三河
腰痛持ちの自分。あちこちの整体に行っては治してもらっていました。
そのうち筋肉をつけることで腰痛が治ってきましたが、やはり体をいじってもらうと調子が違う。
名古屋ではバキバキ言わす系だったんですが、新城に住んでいる際に体をくねくねと動かされるだけで同じように治してくれるので変わった施術の整体を教えてもらう。
豊橋にある「真(しん)」というところ。

※施術される妻。

名古屋に帰ってきたものの忙しくて全く整体に行く機会が無く、ずっと行きたい、行きたい、生きたい、と、思い続けて2年3ヶ月。やっと行きました。
高速代使って名古屋から豊橋まで。
昔は豊橋市役所のちかくでしたが、いまは、岩田団地の近くに場所が移動しました。


今日は施術中は、さほど骨を動かされた感がなかったのですが(以前、本当に体が歪みまくってた時は施術中から体のパーツが移動させられていくのがわかったのです。)、終了後、後ろから捕まえられているかのように重心が後ろに移動している。歩きにくい、歩きにくい。
妻の施術中ソファに座っていると、ようやく違和感が治ってくる。

その後、飯を食った後、温泉好きの子供たちのために本宮山の麓にある本宮の湯へ。
そこで、荷物を持って先行く妻子を追いかけようとしたら体に力が入らず走れない。
不思議な感じで体に力が入らず、昨日まで毎朝ジョギングしてた人間とは思えない体調に。

施術直後の長湯は避けてください、と、言われていたのですが息子に付き合って結果的にいつも通りの時間に。幸い体調が悪化するようなことはありませんでした。

そして、せっかくここまで来たら新城の気になる物件を見てみるか、と、2件くらい家の前を通過してチラ見。

その後、帰ろうと思った時に
「久々に『みん』の餃子を食べてみたくないか。」
と、私が囁く。

みん、は、新城市民に愛されている餃子専門店で持ち帰り餃子もやってます。


もう一つの老舗昌喜と人気を二分しており、野菜多めであっさりとしており、金沢の第七餃子っぽい皮のみんが我が家のお気に入り。

いつも並んでますので、本日も並んで餃子を購入。
家に帰り、本宮の湯で売っていたトウモロコシ共々食す。

うまい。。。

新城に居た頃は、こういう生活を当たり前のようにしていましたが、名古屋では大変な贅沢に感じます。

やっぱり新城生活は最高ですねぇ。

ちなみに、今、整体の結果か、どえらい下半身がだるい。
このだるさが抜けるとシャキーンとするんですけどね。今日は早寝します。
幸せ。

夕立

2015年06月13日 | 日記
職場を定時上がりしての帰宅途中、雷鳴を聞く。
湿度も大変高く、空は曇。

これは夕立でも来るかな?と、思いながらも朝雨が降っていたことから傘を持っていたこともあり、余裕で歩く。

ぽつ、ぽつ、と、降りだす雨に
「夕立に遭遇する時間帯に帰るというのは久々だ。」
と、思っていると、徐々に雨足が強くなってくる。

今日は一日蒸し暑かったし、少々のお湿りがあった方が涼しくなって良いわ、と、傘を差しつつ歩く。
更に雨足が強くなってきたので、どうせ通り雨だし、と、しばし近くのビルに避難する。

10分くらい待つかねぇ、と、佇んでいると、ふと思い出す。
そういえば、気象庁の高解像度降水ナウキャストなる降水量が刻々と変化する予想が動画で表されるサイトがあったな、と、思い、これで調べればいつくらいに止むかわかる、便利な世の中になったものだ、と、タブレットを開くと。

30分後にこの辺りが真っ赤になってる。
降水量が色で表示され、血の様な黒っぽい赤色が西の方から移動してきて、今後この辺りを通過することを予想している。

今でも結構降っているのに、これからもっと本格的に降ると言うことか!と、焦る。

いやいやいや、それって夕立なんてもんじゃなくて『ゲリラ豪雨』クラスじゃん。
慌てて雨の中を歩き出す。

次第に雨脚は強まり、それこそもの凄い勢いでシャワーを捻ったような大粒の雨が降り注いでくる。
降り注ぐ、というより、空から流れ込んでくる、という感じか。

うえぇぇ、今でもこれってことは、今後の予報でいけば、10分後には地獄のような雨が降ってくる訳じゃないか!と、慌てる。
傘を差しているが怒涛の雨は跳ね返りもすさまじく、ズボンの裾はべったべたに。
靴は中に水が染込む。

これより激しい雨が降ってくるなんて地獄じゃないか、と、途中小走りになりながらも家が見えてくる。

と、雨が小やみに。。。

一旦、これで中休みが入って、次に地獄の大雨が来るのだろう、と、思って空を見上げると青空が見え始めている。


あれ?時間的にはこれからものすごい雨になる、という予報だったはずでは?

と、不審に思いながら家のドアの前に立つ頃には、雨は上がってしまい青空の比率は増えている。
家の中に入ってタブレットで、先ほど見た動画を再読み込みすると、さっきよりも雲のスピードが速くなっており、これから雨は降らず私が歩いていた時間帯こそが真っ赤な状況であったことを示していた。

ああ、タブレットで予報を見なければ、あのまま10分程度待ち続けていたものを、と、思うと共に、ゲリラ豪雨が如何に突発的で予想が難しいか、ということを身をもって知る。

案外、人間の昔の感覚の方が当たるもんですな。

山城攻略型へバージョンアップ中

2015年06月07日 | 日記
ダモンデトレイルに出て気がつく。

※写真は私では無いです。

「おお、ワシ連続で3km弱走れるじゃん。」

根っからの文科系で走るのが大嫌いだった人間。
1kmも走れないと思っていたのですが、最近の錘生活の成果かダモンデトレイル1周3km弱を走りきっていたのです。

そうなると、現在絶賛ダイエット中、餌を与えないでください生活が続いている自分としては、ちょっとは走ってみようかと思うわけです。

174cmの身長の私。
大学時代から25くらいまでは65kgで推移していたのですが、一度夏痩せで62kgになってから、徐々に増え始めた体重は最高80kgに。その頃、寝ている最中に唾液が気道に入り込んで死にそうになる経験を2度程して、流石の死の恐怖から75kgでずっとキープされていました。昨年度は一度やせようと思って72kgまで落としたのですが、その後の壮絶な業務量で一気にストレス食い。

78kgまで行きました。。。

しかし、今年度異動となりまして、今のところなんとか頑張れば定時、という生活になり、ダモンデトレイルに出るからとダイエット兼運動をして1ヶ月半。約4kgのダイエットに成功しまして、現在73kg台。

30代、ずっと高脂血症で新城に居る間を除いて高血圧だった自分としては、厄年になり、そろそろ本気で何とかしないと死ぬな、と、思っていたこともあり、一度、ここで太るレンジを変更したい、と、思い始めたのです。

従来は72~78kgで増えたり減ったりしてましたが、68~72kgで増えたり減ったりする生活にしたい、と、いうことなのです。

しかし、歩いてダイエットするにも、いくら錘を巻いても限度がある。
普通に社会人をしていると運動時間の確保が難しい。
走れば単位時間当たりの運動量は増やせるので効率があがる。

そこで、この勢いを維持して72kg、-5kgを目指すこととしました。

いやまぁ、なかなか走ると言うのも面白いもんですね。
何より、これで城めぐりの効率化が図られると言うもの。

近世城郭であれば、最悪駆け足で走り回れば全てを見て回ることができますし、中世の山城ならば山道を登っても城を見る体力が温存されていることになる。
現在、山城攻略型へ自分をバージョンアップ中です。

全ては城のため。

足の痺れ

2015年06月03日 | 戦国逸話
正座。


仕事などでイスがなく、座って話し込むことがあります。
自分はこれが苦手。
正座ならば足が痺れる。足を崩して胡坐をかくにも体が固いので、すぐ背中が凝って痛くなる。背筋を伸ばすと「ボキっ」という音がするとしばらく痛みは消えるのですが、やはりまた痛くなる。
正座は慣れだとも聞きますが、座って生活していた昔の人と言うのは体が柔らかく、正座も慣れていたのだろう、と、漠然と思っていたのですが・・・。

こないだ神保町の古書店街で入手した「武将感状記」なる本を読んでいたら、昔の人も足は痺れるということがわかりました。

〇戸田越後、久しく座して足痺れる(189ページ)

 時代が経って、今は陪臣(家来の家来)の勢いはおとなしくなった。
 豊臣秀吉が醍醐の花見を行った際、諸大名が参集した。
 諸大名の刀持ちは玄関の上に座っていたが、係員は刀持ちを玄関から降りるように指示をした。
 前田利家の刀持だった戸田越後は、そのとき20歳くらいだったが、結構座っていたので足が痺れてすぐに立てなかった。
 それを見た係員は「誰だ言うことを聞かない奴は。降りないとぶっ叩くぞ!」と言った。
 戸田は激怒して「侍には上下は無い。このような恥辱を受ける理由は無い。身を裂かれ頭を砕かれても此処は立ち去らん!降ろすと言うなら刀で勝負するぞ。」と、刀の柄に手を掛けて怒気を含んだ目で覚悟を決めた感じだった。
 係員達は降ろさねばと騒いだので、利家が「何事だ」と走ってきたところ、秀吉も刀を持って出てきた。
 利家は戸田を見て叱って立ち去らせた。
 秀吉は「あれは誰だ?」と利家に聞くと「私の家来です。どうも足が痺れて立てなかっただけのようです。」と申し上げると、秀吉は部屋に戻って、「戸田は素晴らしい侍だ。役に立つ者だろうから寵愛してやれ。」と言って、特にお咎めは無かった。

 なんだ、昔の人も足が痺れて立てなかったのか。
 しかし、足が痺れることで命を掛けた大騒動になってしまう、というのが戦国時代の大変なところです。
 平和な時代に産まれてよかったと思う。

 自分は、昔、崩すわけにはいかない会合があって足の感覚が無くなってしまったものの、やむなく正座していたことがあります。
 そして、痺れまくった状態で、足の感覚が無いまま歩いて退出したことがあります。
 感覚が無いので転びそうで危なかったです。

 が、上には上がいるもので、私の上司で法事の際に足が痺れてしまい、焼香だかで歩いた際に感覚がないために変な転び方をして両足を捻挫した人がいます。
 
 両足捻挫って・・・。

 たかが足の痺れと思っていましたが、危険なものだなと改めて認識すると共に、両足捻挫ってなかなかやろうと思ってもできない技だな、と、妙な関心をしつつ、場面を想像して爆笑した覚えがあります。

 そう考えると、昔も今も足の痺れは、結構重大な結果を引き起こすようです。
 御用心。