長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

一粒千円(!)の『寒熟』イチゴ  ~縁起がいいらしいまち新城 作手編4~

2014年06月07日 | 縁起のいいまち新城
 古宮城近くでふと、。
「そういや、このあたりで一粒千円のイチゴを作ってる人がいたよね。」
ことに気づく。

「一粒千円・・・?」
 一箱千円の間違いではない。
 
一粒が千円

 一粒千円のイチゴなんて現物を見たことがない。
 そんなすごいイチゴを作っている場所ならば、宝くじ当たるんじゃないか。

 と、いう思いを抑え切れなくなった我々は、突撃してみることとした。

 商売で真剣にやってる人に迷惑掛かるから難しいかねぇ、と、思いながらも、知り合いのメンバーがいるので交渉すると、なんとOK!
 ファームトヨヒロの塚本さん。

※快諾ありがとうございます!

 栽培しているイチゴに雑菌が入るといけないので、人数を制限して代表がビニールハウスの中で祈るのであれば良い、とのこと。やはり代表は我々の勝利の女神を投入。我々は入口から撮影。

※めっちゃ真剣に祈っています。

 そして、出荷する一粒千円のイチゴを特別に見せてもらいました!


 おおおお!
 こ、これが千円。これ一粒で千円の『寒熟』イチゴ。


 色、ツヤ、ハリ。全てが私達庶民の知っているイチゴと違う!
 白や緑の部分がなく、全てが赤い。そして、その赤さも普通のイチゴの赤さよりも赤い。
 何より実物を見て驚いたのが、そのツヤとハリ。 
 はちきれんばかりのハリと光沢輝くそのツヤは、まさに『宝石』。

 そして、比較対象物がないので解りにくいですが、大きいのです。
 大きさは上記の動画だとよく確認できます。

 特別な品種とかではなく、イチゴを促成栽培ではなく、ゆっくりと熟させることで、この状態にまで仕上げることが可能になるそうです。と、聞けば「ふ~ん」と思いますが、実際には、温度や水の管理の試行錯誤を繰り返されたそうで、一瞬目を離した隙に熟しすぎてイチゴが傷んでしまうとか。包装にも細心の注意を払わないと圧力が掛かった部分が傷んでしまうので、出荷の際の包装にも相当な熟練の技が要るそうです。
 バレンタインやホワイトデーのようなイベント時の需要が盛り上がるときに、いかにうまく熟成のタイミングを合わせるかが難しいそうで、うまくいかないこともあるとか。

 このような事情から量産ができず、希少なものとならざるを得ず一粒千円となるそうです。
 現物を見ながらのお話を聞けば、納得の価格。

 我々素人にはイチゴが最高の状況とかを見極めることなどさっぱりわかりませんが、塚本さんはさすがプロ。
 まさに『職人』でした。

 正直、宝くじ当たらなくても、一粒千円のイチゴの生産現場を垣間見て、現物を見ることができただけでもよかったわぁ、というのが、我々一同の感想でした。

 なお、見学は一般受付しておらず、アポなし突撃訪問には対応していないのでご注意ください。
 また、一粒千円のイチゴは、お店では銀座千疋屋、名古屋弘法屋、新城市内のカネキンでしか購入できないうえ、入荷したら、ということのようなので、売ってるのを見るのもラッキーなようです。

 宝くじ当て、いざ喰わん!と、いうのが我らの結論。

 ところで、一粒千円レベルではないのですが塚本さんのイチゴを、実は一度食べたことがあります。
 当然自分で買うなんて事はできず、出産祝のお返しに頂いたので、私のような貧乏家庭でも口にすることができたのです。
 5歳の娘と2歳の息子は、常ならばイチゴの甘い部分(とがった先端部分)のみを食べて葉のついている酸味の強くなる方を残すという、お大尽的な食べ方をするのですが、このイチゴだけは猛烈な勢いで全てを完食していました。子どもの舌は確実に普通のイチゴとの違いを感じていたようです。
 私自身も食べましたが、経験したことのない甘さに驚きました。酸味がなくイチゴの甘さと美味さのみが口に広がる。なにかお菓子を食べているような感覚になったのを覚えています。しかも、それが一粒全体均等なのが驚きました。
 正直、
「こんなイチゴ喰ったら、これから別のイチゴ食べれんじゃん!」
 と、一家で大騒ぎしたことを覚えています。

 そんなイチゴの生産現場を見ることができる、ということで、私自身、大興奮していたのです。

 その後、鳥居強右衛門勝商様のお墓があるという甘泉寺へ。
 長篠合戦で有名な鳥居強右衛門は、作手出身。長篠城を脱出して作手へ到着。ここで馬を借りて岡崎の徳川家康のところまで向かったのです。たまに、強右衛門が全行程を走った、と、誤解されている方がいますが違います。

 やはり郷土の英雄である以上、ふんどしつけて百間滝に飛び込んだ我々である以上、敬意を表してお参りせねば、と訪れました。

 作手の幹線道路から少し脇に入るので、静かで落ち着いた雰囲気です。


 石段を登ると、立派な石垣が目に入ります。
 この石垣を見るだけでもこの地域の往時の豊かさがわかります。

 そして、山中の静かな佇まいのお寺に強右衛門様の墓がありました。


 そして祈る。


 この静かな感じにそぐわない欲望をぶつけてきましたが、そんな我々の情念をも鎮める甘泉寺。
 強右衛門ファンのみならず訪れることをお勧めします。

 さて、最終結果です。
 残念ながら、今回はジャンボの当選は古宮城の白鳥神社で祈ったものが300円の当選のみとなりました。
 しかし、スクラッチくじは手づくり村の五平餅、亀山城でそれぞれ5,000円の当選と、過去最高を記録。

 スクラッチ5,000円が連発したことで、旅が大盛り上がりになったのは事実です。
 我々としては、作手はやはり宮城谷昌光氏が言う『縁起のいい土地』という感触を得たことから、再度作手の別のポイントに挑戦する意思を固めております。
 
 さぁ、次はサマージャンボだ!

迷宮 古宮城でまたしても! ~縁起がいいらしいまち新城 作手編3~

2014年05月30日 | 縁起のいいまち新城
 手づくり村亀山城で、それぞれスクラッチくじ5千円当選!
 

 こんなのは初めてだ。
 さすが作手は宮城谷昌光氏が「縁起のよい地」と言っただけのことはある。
 と、我々は改めて思った。

 次に向かう場所は、作手の迷宮『古宮城』。

 さて、この古宮城。
 麓は白鳥神社になっています。

 東海地方における白鳥神社は、作手から恵那のあたりにかけて分布しているらしいです。祭神は日本武尊。豊作祈願的な神社のようです。そしてなにより狛犬が尋常じゃなくかわいいのです!


 犬、そのもの。

 普通、狛犬というと、獅子がモチーフになっていますが、ここの狛犬はまるっきり犬。
 しかも、口を閉じている方は耳を垂れており、犬が人になついている時の表情そっくり。
 無意識に頭を撫でてしまいます。ついでに、宝くじで頭を撫でてみる。


 是非動画でも狛犬の模様を確認↓


 立ち耳の方は、お稲荷さんの狐のようにも見えますが、お稲荷さんはこの神社には合祀されていません。
 青崩峠山方面には山住神社だかがあり、そこは狼を信仰していたと記憶していますが、狛犬の造型だけをみるとそうした山犬信仰と結びつきがあるようにも思えます。
 が、詳しいことはわからない。
 わかっているのは、「ここの狛犬はかわいい。」ということだけ。

 そして、本殿で皆がおのおの購入の宝くじも一緒に奉納する。

※共同購入よりも個人購入が優先されるのが当然となってまいりました。

 そして、祈る。

※例の修羅の群れ的な図

 さぁ、2度有ることは3度あるか?!

 と、思いきや、残念ながらスクラッチ当選は、神社ではなかった。

※苦笑い。

 さて、その後、神社東側の階段を登り、神社の奥へ。
 いよいよ古宮城内へ攻撃を開始です!

※階段的な足場はありますが、結構な急斜面で場所によって滑ることもありますので要注意。

 でました古宮城の見所その1!
 巨大『両袖枡形虎口(りょうそでますがたこぐち)』

 
 城内の一番重要と思われる区域に入るための場所です。
 最も厳重な警戒が必要で、その工夫が見て取れます。 
 写真手前の坂を上り(当時はそこに門があったと思われます。)、奥の土塁がVの字に切れる部分にあった門を突破する必要がありますが、一旦坂を上って中に侵入すると、左右と正面の三方向から攻撃されるという素敵な特典が付いてきます。

※袋の鼠。

 これだけの大きな土の壁に阻まれては、飛行機や大砲などが無い時代、なかなか攻略が難しい。
 人力のみの人工構造物として、これだけのものを造るのは相当大変だったはず。
 そして、これほど良好に保存されている史跡は貴重。

 試しに攻撃してみる。

※逃げるO蔵氏。

 ここには立派な大ヒノキがあります。
 このヒノキは、この城が使われなくなってから生えたものと推定されています。
 やはりここでも当選を祈願。

※木とかに霊的なものを感じるのは、日本古来のアニミズム信仰がDNAに刷り込まれているからか?

 虎口(城の入口)を抜け、古宮城最大の曲輪(くるわ)に到着。城の最高部になりますので、ここがきっと城の総大将クラスがいた場所では無いかと推定されます。
 そして、その後、古宮城の見所2『城を隔てる大堀切(ほりきり)』を見下ろす。


 元々独立丘陵で一つの丘のを2分割して西と東に城の機能を分けています。
 「一城別郭(いちじょうべっかく)」と呼ばれています。いわば船の隔壁のような感じで片方が落ちても、まだ片方で粘れる、という仕組みです。これだけの土木量を戦国時代にこなした人々の努力とそれを指示した大名の執念に敬意を表し、西の曲輪で宝くじを祈る。近年整備が進み間伐が行われているようです。
 へだまの水で間伐した木にこすりつけたら当選したことがありましたので、やはりここでも同様に。


 気がつくと黙々と削ってる人達がいる。



 酷寒の中、人も来ない城で黙々とスクラッチくじを削る人々。
 真剣すぎて、ちょっと怖い。。。
 しかし、その結果はなんと・・・。↓


 なんと、500円の当選が出る!
 出したのは手づくり村で5千円を出したH川さん!
 ちょっと、すごすぎ。
 喜びの模様が上記の動画で確認できます。

 その後、城の北側に降りて古宮城のありえなさを体験してもらう。どんなに城に興味がない人でも、巨大迷路と化している異常な構造には気がつける威容を誇っています。


 と、言っても我々にとっては、当たるか当たらないか、それが問題なのです。
 そしたら?!

 
 ここで、さらに倍率ドン、さらに倍(byクイズダービー)的に200円を追加したのは、既に5千円と500円を当てているH川さん
 S田さんが持つ勝利の女神の称号を奪い新女王として光臨したと言って良い。



 こんな情景が見られる城。
 本当はもう少しゆっくりと見て回りたかったのですが、なにぶん気温が低い上に木立で陽が遮られている状況。
 早々に退散しました。

 作手の迷宮、古宮城。
 その造りの複雑さと保存状態のよさで、名古屋城、犬山城に次ぐ愛知県内第三位の評価を得た城です。

 つくで手づくり村、亀山城、そして古宮城。
 連続して当選を出してくる場所、驚異の作手
 恐るべし。

 いよいよ次回は最終回。一粒千円のイチゴと鳥居強右衛門が登場でします!

亀山城でさらに ~縁起のいいらしいまち新城 作手編2~

2014年05月27日 | 縁起のいいまち新城
 つくで手づくり村のハート型五平餅の串を利用してスクラッチ削ったら
 いきなり5千円の当選
 一気にテンションがあがる一同。

 最初に盛り上がってそのまま下降、と、いう出オチ的な展開は避けたいところ。

 ちなみにこの撮影日は春が近い冬。
 作手は標高500mに位置しているため、平地に比べると5度低い。
 そのため、この日は春が近いといいながら

 3度。

 寒風吹きすさぶ中ではあるものの、スクラッチ5千円で景気が付いた我々は意気揚々と外に出る。
 そして縁起がいい土地と宮城谷昌光さんもおっしゃる根拠、作手奥平氏の居城「亀山城」へ向かいます。

※手づくり村からすぐ。見えます。

 この城は地元の方々により長年整備されており、何の気なしに訪れた人でも余裕で見学することができます。

※砂利が敷かれて非常に歩きやすくなってる!

 新城市はこうした地域の活動を支援する仕組みが充実しているようです。

※市町村合併後に地域自治区制度を導入したのは日本初らしい。

 奥平氏について書き出すと止まらなくなるので、今回は「けっこう出世した大名=奥平氏」とだけ覚えてもらえば大丈夫です。
 ところで、この亀山城。縁起がいいらしいだけあって、面白い造りをしています。

 上記の写真。砂利が敷かれている道が『く』の字に曲がって、奥の土の壁の間の道へと続いているのがお解かりいただけるかと。
 これこそが城の造りの面白さ、なのです。
 道がまっすぐだと、敵が一直線に進んできて、その勢いのまま城の中に攻め込んしまいます。そのため、道を曲げて敵の勢いを弱めるとともに、城の入口へ殺到する敵を攻撃するための距離を稼ごうとしているのです。また、敵からすると見通しが悪くなると城の中の様子がわかりにくく攻めにくい。
 なぜ籠城戦になると、数万の敵を下手すると数百の兵で撃退できるのかといえば、このように障害物をうまく組み合わせた仕組みを造ることで、ポイントポイントの戦闘場面では守備側の兵が有利な状況を作り出しているためです。こうした築城者の意図を読み解いていく作業こそが城好きの血をアツくさせるのです。

 さらに、この亀山城。城の造りが丸っこくて、これは、武田信玄の武田家の城造りに多い・・・、とかは、今回はまぁ、良いでしょう。そのあたりは、今回の動画の前半20秒程度で解説されていますので、ぜひ。

 我々の今回の目的は城ではなく高額当選。

 高額当選の欲で血をたぎらせながらも、この日はとにかくさぶかった。
 証拠の霜柱。


 手の大きさと比較。


 都市部で生まれ育った私にとっては驚異的な大きさ。
 しかし、地元の他メンバーは「あ、霜柱」と、普通の反応。
 ヒートアイランドが進み、土もあまりない都市部の人間だと、こんな霜柱見る機会がないんで、これだけでテンション相当あがります。

 さて、せっかくなので城の来歴を話そうとしても、寒さと宝くじが気になって誰も聞いてない。

 と、いうことで、まずは城址碑にジャンボをなすりつける。

※なすりつけるは我々の中で当選確率が良い幸運の女神S氏。


 そして、気がつけば削っている。
 すると、4歳の子連れで参加のM田氏。


 200円当選!

※おめでとうございます。

 M田氏の購入枚数は5枚。10枚買えば必ず200円はあたりますが、10枚未満の場合、200円野当選がない場合も多い。200円当選しただけでも運がいいな、さすが縁起がいいと言ってるだけあるな、と、そこそこの盛り上がりをしていたところ、過去のツアーで大量に宝くじを購入しながらも、千円以上の当たりが全く出ておらず、本人も周囲も千円以上の当選を諦めていたO蔵氏が突然叫ぶ。


 
 キターーーーーーー!5千円!

※満面の笑みのO蔵氏。
 
 この「当たったーーーー!」というO蔵氏の力強い声はこちらの動画で是非確認を!↓

縁起がいいらしい開運のまち新城「亀山城」編


 スクラッチで5千円が2回も出た日は過去にはない!
 盛り上がる一堂。
 しかも、ノーマークだったO蔵氏に!

 これで出オチ的展開は避けられた。
 そして、皆の口からは自然発生的に出た言葉は、

 「驚異の作手

 こんなのどかな風景に何かを隠している恐るべき場所、作手。


 我々は、その欲望をますます膨れ上がらせるのであった。

 次回は、作手の迷宮『古宮城』だ!

つくで手づくり村でいきなりの。 ~ 縁起のいいらしいまち新城 作手編1 ~

2014年05月19日 | 縁起のいいまち新城
長篠城編では4万2千円の当選
初の万単位の当選登場に喜びに湧く我々。
新城市のパワー、あなどりがたし。

いいじゃん新城。

新城市政広報番組タイトルと同じ感想を持つと同時に、確かな手ごたえを感じたのだった。
しかし、人間の欲望にはキリがない。良くも悪くも欲が出る。
あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい、とは、ゲーテが言ったとか言わないとか。(言わない。)

億単位の当選を求める我々は、基本に立ち返ることとした。
宮城谷昌光氏の著書『古城の風景』をよく読む。


「『作手は縁起が良い土地である』って、あるじゃん。。。」

旧新城市と旧鳳来町、旧作手村が合併してできたのが、現在の新城市。
よくよく考えても見ると、鳳来寺山、百間滝、長篠城。これらは旧鳳来町に所在しているが、本企画を始めるきっかけとなった『古城の風景』には「作手」と明記されていた。

「鳳来でさえアレだ。作手に行けば、きっとすごいことに・・・。」

そして。
我々は宮城谷氏の言葉の意味を思い知る。


旧作手村の縁起のいいらしい場所と言えば、ココ。
古城の風景にも出てくる『亀山城』

ここを居城にしていた奥平氏は、結果的に長篠合戦での籠城に成功。当主の息子は織田信長から1字を拝領。かつ、徳川家康から長女を嫁にもらう。そして、なんやかんやで子孫は中津藩10万石の領主となり幕末を迎える。徳川譜代大名で10万石を超える所領を貰った家臣は井伊、本多等、案外少ない。徳川四天王と呼ばれる井伊や本多に比べれば、非常に地味な奥平氏ですけど、案外いい仕事してる一族だったりします。

そんな一族の出身地。
これを開運の地と言わずしてなんと言う。

腹が減っては戦ができぬ。
腹ごしらえのため、城の麓にある道の駅「つくで手作り村」へ。
この手作り村の名物と言えば五平餅。

五平餅とは信州、美濃、奥三河のあたりで食べられる郷土料理です。うるち米を潰して板に楕円形にくっつけて、味噌ダレやしょうゆダレで焼き上げた一品。いろんな地域で味が違います。一本辺りの米の量はご飯茶碗一杯分程度あるので、1本食べれば腹一杯に。手づくり村の五平餅は、特にでかい。女性だと一本食べきれるか、という感じ。
で、手づくり村では、都会の女性が奥三河の山村に住んで魅力を発信する企画「山里80日間チャレンジ」の新城市担当だった加藤夕沙さんとコラボして「ハート型」の五平餅を開発。↓

量も控えめで女性に丁度よいサイズ。おやつ代わりになります。

ただし、作るのと焼くのにコツがいる。普段から販売しているわけではなく、たまに販売しているそうです。
そしてこの日は、たまたま、たまの販売日。
ならば食らわねばならない。

たまの販売日に運よく遭遇したのであれば、この串でスクラッチを削れば、何か良いことあるんじゃないか。
と、考えて早速削る。

※手に五平餅のタレがだらだらに垂れてきても宝くじへの執着が勝るの図。

私はハズレ。

※後1つ「1」が出れば50万なのにっっ!

が、隣で無言で黙々と削ってたH川さんが、


突然笑顔。

※心なしか肌ツヤがよい。

驚きの結果は、臨場感溢れる動画で是非。↓


そう、その手には、

5千円の当選を示すマークが。

いきなりこの日5千円!
あんた、長篠城編の時も5千円当てたよね?!

どよめく一同。声が裏返るH川さん。
なんという強運。
それは、H川さんか、それとも作手なのか。

とにもかくにも、いきなり5千円の当選が飛び出して、大いに一堂、盛り上がる。
しかし、いきなりクライマックスが訪れて、この後、だらだら盛下がり、ってなったらどうすんだっ、という心配もよぎる。

しかし、作手はそんなもんじゃなかった。
さすがに宮城谷氏のお墨付きのまち。

驚異の作手。
そう呼んで差し支えなかろう。

次回、開運の一族、奥平氏の居城の亀山城へ。

初の万単位当選報告!長篠城の威力を思い知る。 ~縁起のいいらしいまち新城 長篠城編4~

2014年02月28日 | 縁起のいいまち新城
長篠城編もいよいよ最終回。
武田勝頼本陣跡、医王寺にやってまいりました。
駐車場すぐ前にある池の中にある弁財天。
「財」と名の付く神様には、やはり祈りを捧げずにはいられない。


そして、削る。


「あれ?」

H川女史が真剣な声をあげる。
先ほどまで疲労の極地にいた人の声とは思えない声だった。
そして、滲み出る笑顔。

※人間の表情は素直だ。

五千円当たった。


どよめく一同。
※この模様は動画でも確認できます。この記事の下の方の動画で是非チェック。

静かに差し出されたスクラッチにはちびまる子ちゃんの絵柄が、5千円の当選を告げていた。
このシリーズ始まって以来、史上最高金額の当選です。
おめでとう!!
やったぜ姉さん!

前々回の千円当選2名の報告に続く3人当選。
長篠城編は、今までのシリーズとちょっと違う。いや、だいぶ違う。

入口の弁財天で5千円。

その本堂に祈ったならば、いかほどの御利益を得られるだろうか。
期待に胸を膨らませ医王寺へ入る。


我々は欲の塊と化して本堂へ向かい、祈りを捧げた。


しかし、スクラッチは当選しなかった。
本尊は薬師如来。病気怪我には強いが宝くじ当選は守備範囲ではない。
と、いうより、本来お寺は清浄を好むからだろう。
欲望剥き出しの我々に、引いてしまったのかもしれない。

次に向かったのは、本堂手前の『片葉の葦』。


葦は通常左右双方向に葉が生えるはずなのに、ここの葦は片側にしか葉が生えていないものが多い。
これは、武田勝頼が長篠の戦いで織田・徳川連合軍との決戦を決意した夜、この葦の精が夢枕に立ち「負けるから止めとけ。」と言ったところ勝頼が怒って葦の精を刀でなぎ払ったため、との伝承が地元には残されています。

折角のご託宣。勝頼も言うこと聞いときゃ良かったのに。。。

ここでも大通寺の盃井のように宝くじを浮かべてようとしたところ、ヤマカガシらしきものが逃げていくのを発見。

浮かべることは断念して、慌てて戻ってきました。

ところでこの医王寺、本堂の裏山はちょっとした遊歩道になっています。
この遊歩道の頂上が、また、素晴らしい城跡なんです!!
年代的に武田軍が構築した城と特定されており、この地方では珍しい武田式築城術がよくわかる城なのです。
見所は本丸に入るのを遮る長大な一本土塁。
城好きの方は是非ご覧ください。
今回、流石に城に登るほどの力は無いとのことだったので、残念ながら断念。

千円が2名。
そして、5千円が出た。
計3名が千円以上の当選を得た。

我々は、その事実に驚くとともに、これが荼枳尼天の御加護であったらどうしよう、という一抹の不安がよぎった。
一時の栄華しか与えぬと言う荼枳尼天。

しかし、5千円の栄華であれば、そんなに反動もないのかもしれない。。。

そう思いなおした我々は、さらなる効果を求め、近くにある天神山に向かう。
医王寺の手前にある神社ですが幟が目に付く。
武田軍の陣地だったようで、今では神社となっております。


「さぁ、行こう!」
と、降りたのは良いが、目の前にはかなりな急斜面の階段が・・・。

本日は大概歩いているので、皆の疲労もピーク。
なのに、また、迫り来る怪談。いや、階段。

例のごとく、膝のCM的画像が得られる。

※ここまで来ると、お約束に近くなってきます。

ようやく到着すると絵馬が奉納されており、結構信仰が厚そう。

※結構繁盛している様に驚く一同。そして、人の願いを読む。

こんな片隅の神社でこれだけの絵馬。
効果があるのかもしれない。。。
この神社、願い事を石に書いて奉納するような演出まである。無住の神社なのですが、結構頑張ってます。そして、早速願いを書き込む一同。


当然、内容は・・・。

※宝くじが当たりますように。

既に様々な人達が書いた石が境内の片隅に積みあがっていました。


ちょっとした、賽の河原気分。
中に「助けてください」とだけ書かれた石が複数あったりして、少々薄気味悪さも覚えます。一体何があったのだろうか。ここの石に書くよりも、もっと別のしかるべき相談機関なりに同じ文言を述べた方が即効性が高いようにも思われるのですが・・・。
さすがに、写真を撮るのは憚られる。

そして参拝。

※深々とお辞儀をするS田氏。一番神が降臨しやすそう。

ここではスクラッチはここで尽きており、オータムジャンボの当選を祈願するのみ。

さて、今回の旅。最期を締めくくるのは郷土の英雄、鳥居強右衛門勝商様。
彼の最期の地へ。

※立派な碑!

長篠城の対岸に鳥居強右衛門の磔死地跡(たくしちあと)があります。
よく誤解されているのですが、叫んだ場所で磔にされたと思っている方が多いようです。
稀に、磔台の上で叫んだ、とか。
流石に、磔台の上で「おのおの方、徳川殿の援軍は参らん。降伏されよ。」と叫んでも、城方からすれば「ありゃ、脅されて嘘言ってんだろう。」と思われるかと。
伝承として、叫んだ場所と磔にされた場所は別とされています。

本丸から対岸でよく見える場所です。
現在は木々が生い茂り、よく見通せないのですが木が無ければ丸見えです。

見事な死に敵すら感動し、敵がその姿を自分の旗印にしたほどの最期。
そんな最期の地であれば、きっと、パワーもMAXではないか。

我々は、強右衛門への鎮魂と、そして、我々の欲望祈願を兼ねて祈りを捧げた。

※後ろから。

※横から。まるで畑中葉子の歌のよう。(爆)

我々の真剣さと必死さは、果たして天に届いたのであろうか。

百間滝で現代の強右衛門と化したI泉氏より、その日の夜に報告があった。

「本日、参加された皆さん、お疲れ様でした!
またもや、あの後サークルKへ寄り、アトム5枚‼
1000円キターーーー‼
(≧∇≦)」(原文そのまま転載)


おお!5枚で千円。と、いうことは損はしていない。
千円の当選者が3名に増えたのだった。
これで、今回は、既に、千円の当選者3名、そして5千円の当選者が1名と言う結果。

ここまでの様子は是非動画で確認を!↓


これだけでも、従来とは一味違う結果で、めでたし、めでたし、となるのだが、今回はそれだけでは終わらなかったのだった。

後日、オータムジャンボの当選日。

共同購入の宝くじは、残念ながら300円のものしか当選をしなかった。
が、これまた、I泉氏より個人購入分の報告が。

「有難う御座います!
サンキューキタァーーー‼
長篠城編の時に買った18枚から出ましたよぉ~‼(≧∇≦)」
(原文そのまま転載)


なんとぉ!
とうとう、万単位の当選が出ました!

共同購入分ではありませんが、オータムジャンボで設定された「サンキュー賞39,000円」の当選者が現れました!

しかも、そのくじは300円のくじとも番号が被っており、更にその他に3,000円の当選もあったのです!

※証拠の明細書。

実に42,300円。

3回目にして、とうとう万単位当選が現れました!
返す返すも、共同購入分でないことが残念です・・・。

ただ、若干、荼枳尼天の御加護だとすると複雑な気分もある、というコメントもありました。
しかし、4万円強の栄華であれば、さほど影響もないことでしょう。

長篠城近辺は相当に効果があることが判明しました!

そして、結果を見る限り、百間滝で褌+鳥居強右衛門に効果が高いように見受けられます。
時間のある方はお試しあれ。
きっと、今の年末ジャンボの時期であれば、寒行がプラスされるので、より高い効果が見込まれることでしょう。(心臓麻痺等にお気をつけを。ご自身の責任の範囲内でどうぞ。)

長篠城編は素晴らしい成果とともに終了しました。
3回目ともなると、結構効果がでますね。

そういう、書いてるあんたは?
と、いわれそうですが、私もこの後、スクラッチ5枚買ったら、1,200円が当たりました。


実に当選者が5名。
すごすぎる長篠城。
これからここに絞ってもよさそうなくらいの力があるようです。

しかし、われわれはこれでは満足していない。
まだ見ぬ億を求めて。。。

(長篠城編 完)

大通寺城藪稲荷 ~縁起がいいらしいまち新城 長篠城編3~

2014年02月21日 | 縁起のいいまち新城
長歩きで疲労気味だった我々。
今回も当選は期待できないのか、と、心に暗雲が漂い始めた一堂。
しかし、長篠城本丸土手にある旧城藪稲荷でスクラッチくじ千円当選者2名の出現したことにより、やる気が一気に吹き返したのだった。
先ほどまで歩くことに嫌気が差して重い足取りだった一堂。今や軽やかなステップを踏みながら駐車場へ向かい、次なる場所、現在の城藪稲荷が移築されている大通寺へ車で移動する。

『現金なものだ。』
とは、よく言ったもの。

大通寺へ向かう車中、誰も口には出さないが、思いは同じ。
『旧の城藪稲荷でこれだけの御利益を得た。と、いうことは、現在祀られている場所で祈ろうものなら・・・。』
同床異夢、という言葉がぴったりくる我々は、大通寺に到着した。


現在の城藪稲荷がある大通寺は、国道151号線を挟んで丁度対角線上にあります。
ここは、長篠合戦のときに、名将馬場美濃守信春(信房)が陣取った場所としても知られます。
馬場美濃守のお墓の話については、長篠城編第1回を参照のこと。

この寺から長篠城を見ると、現在は木々に邪魔され見通しが悪くなっていますが、木が無ければ城内丸見えなのが実感頂けると思います。そして、城からとてつもなく近い場所であることもおわかりいただけるかと。
ここまで攻め込まれていれば、長篠城籠城軍は相当にプレッシャーを感じたはずです。

歩き疲れて疲労感が漂う中、長篠城旧城藪稲荷の結果によって気力は十分に回復した一同。
目だけ異様にギラギラとさせ、尋常じゃないくらいの期待を胸に、現在の城薮稲荷へ向かう。
ありったけのよこしまな思いをたぎらせ稲荷社へ突進。

「ちょっとまて。手水で清めるのが先だ。」
その言葉に我に返り、手を洗い身を清める。


必死すぎるほど必死に祈る一同。
思いあまって、自らの財布をお稲荷様に捧げるものまで。

※お狐様に財布を咥えさせるとは!

さて、ここまで必死に祈った。
結果は?!動画で確認できます。↓


我々が長篠籠城軍に対する武田軍並みのプレッシャーを城薮稲荷にかけてしまい、おとら狐がドンビキしたのか。
はたまた、過去から霊力が宿っている地の方が強いのか。

残念ながら現在の城薮稲荷では、旧城薮稲荷のような結果を得ることはできなかった。。。
無念。
しかし、
「荼枳尼天というのは、反動が大きいのだろう?ならば、これはこれでよかったのでは・・・。」
と、いう声が一部にあったのも事実。

期待の城薮稲荷はこれで終わりましたが、この大通寺には必見ポイントがあります。
それは、稲荷の奥にある大通寺の盃井跡。


ここは一体どういう場所なのか。

簡単に申し上げますと、長篠合戦の際、武田勝頼が設楽原で織田・徳川連合軍と決戦すると決めてしまったため、「これで武田家も終わりだ。」と、武田家の重臣達はここに集まって水杯を交わした、と、言われている場所です。

もう少し状況を細かく説明しましょう。

長篠城を包囲していた武田軍。武田の侵攻を想定して鉄砲やら兵糧やらを十分に貯め込み、壁やらも直して準備万端の城となっていたためがなかなか落城させられない。手間取っていたところ、長篠城の援軍として織田・徳川連合軍がやってきてしまいます。
ところが、織田・徳川連合軍は、長篠城を包囲している武田軍を逆包囲するかと思いきや、なぜか設楽原で進軍を停止して、陣地を作り始めます。

通常、攻城戦を行っているとき、城方の援軍(長篠合戦の場合、織田・徳川軍)が到着して攻城軍(武田軍)がサンドイッチ状態になると、城(長篠城)からと援軍(織田・徳川軍)の双方から攻撃を受けることになってしまい著しく攻城軍(武田軍)は不利になります。

しかし長篠城の場合、城の近くは川だの山だのに囲まれており大軍を展開させにくい。
数で勝る織田・徳川連合軍であっても城近くにおびきよせれば、合戦の場所は狭くなり、ぶつかり合う同士の兵数で武田軍が劣ることはありません。そうなれば、兵隊同士の強さがモノを言いますが、昔から尾張は弱兵で有名な地域。そして武田は戦国でも随一と言っていいほど強兵で有名。尾張兵3に対して甲州兵1で良い、とも言われていました。

こうした状況を踏まえ、信玄以来の古参の重臣達は、設楽原までわざわざ出向かずとも長篠で待機し長篠城を落とせばよいと主張します。仮に織田・徳川の連合軍がやってきても戦場が限定されるので十分に勝てる。それに、この頃の信長は本願寺一向一揆など各地で強敵と戦っており、そんなに長く滞在できるとも思えない。
ならば設楽原の敵は放置して眼前の敵に専念することが良いと判断したようです。

ところが、武田勝頼は設楽原へ向かうことを主張します。
織田方が様々に謀略の手を打っており、織田方の佐久間が寝返ることを申し出る策略に引っかかっただの、信玄から代替わりしたものの勝頼の子どもの信勝が正式な武田の当主であり、勝頼はあくまでその名代としての役割しか与えられなかったため、織田・徳川連合軍を叩くことで自分の地位をゆるぎないものにしようとしただの、馬防柵を築き始めたのを見て武田軍を怖がっていると分析しただの、信玄以来の重臣達と対立する勝頼の寵臣にそそのかされただの、色々と言われていわれていますが、こればっかりは勝頼に直接聞かないとわかりません。

理由はともかく、勝頼は設楽原へ向かおうとして重臣達と意見が対立します。
そして勝頼は自分の意見を押し通すため、武田家重来の家宝、『御旗(みはた)』、『楯無(たてなし)』に決戦を誓います。
御旗は古くから伝わる日の丸の旗、楯無は古くから伝わる楯が要らないほど丈夫といわれる鎧です。
この二つに武田家当主が自分の考える施策を宣誓した場合、家臣団は判定に不服があっても従う、という武田家のしきたりがあったそうです。

御旗・楯無に誓われてしまっては、どうしようもない。
負けを覚悟した重臣達は、ここで別れの水杯を交わして戦いに向かった、と、いう逸話が地元に残されています。

このしきたりから解るのは、武田家の意思決定の際、家臣団と主君の意見は同等に近い、ということです。
織田信長のように主君の一声で部下達が転がり出るように走ってくる家であれば、信長が言えば家臣団は有無を言わさず従うことになりますが、武田家の場合、御旗・楯無に誓わなければ、家臣団は主君の言うことを聞かない、状況にあります。
それだけ、武田家の場合は織田家に比べて専制君主化されていないといえます。

もっとも、当時の武士が勝算もなく決戦場に向かうとは考えにくく、水杯の話は後世の創作だ、という意見もあります。
真相は薮の中ですが、伝承として残っていることだけは確かです。

だいぶ話が逸れました。
どうも、歴史の話になると長くなります。

さて、我々はこの無念の泉に宝くじを浮かべ、沈むか浮かぶかで占ってみました。


浮かびました!

しかし、結果は残念なことに・・・。。
負けを覚悟した場所で当選を期待しちゃいかんな、と、後で気がつきました。

※すごすごと戻る一同。

さて、狐の稲荷社で取らぬ狸の皮算用を行った我々。すごすごと戻りながら、武田勝頼が長篠城包囲中に本陣を置いた医王寺へ向かいます。

そして、そこで我々は過去最高額の当選を見ることになります。
次回医王寺。お見逃し無く!

旧城藪稲荷の奇跡 ~縁起がいいらしいまち新城 長篠城編2~

2014年02月15日 | 縁起のいいまち新城
武田軍に囲まれ落城寸前となった長篠城を救うため、武田の包囲網を突破し織田信長、徳川家康へ救援を求める使者となった鳥居強右衛門勝商。無事に報告を終え、織田・徳川連合軍が援軍に向かうことを武田軍につかまり、武田勝頼から取引を持ちかけられます。
「援軍は来ないと言え。そうすれば、城内の士気は下がり落城する。褒美も沢山やる。」
強右衛門は取引に応じ、武田兵に連れられて城近くまで来ますが、叫んだ内容は驚くべき内容でした。
「城内の方々。まもなく援軍は来る!それまで持ちこたえられよ!」
どよめく長篠城。慌てる武田軍。
鳥居強右衛門は武田軍に磔にされて殺されますが、奮起した城内は籠城を継続。援軍が来るまで長篠城に武田軍を釘付けにし、長篠の戦いにより武田軍は殲滅され無事に長篠城は解放されます。

この郷土の英雄鳥居強右衛門が叫んだと言われる場所、実は特定されています。
長篠城の本丸入口に立てられている長篠城址保存館から眺めることができる、この場所。

※画面中央木の先端部分の道あたりです。

長篠城址記念感は城の中枢である本丸の入口にあたるといわれています。
こんな近くまで攻め込まれていたのか!?
と、いうのが正直な感想です。
それくらい逼迫していたからこそ、強右衛門を使者として派遣し徳川家康に援軍要請をする必要があったわけです。
このもう少し詳しい経緯は、こちら

ちなみに、もっとマニアックに詳しく述べると、鳥居強右衛門は城の中に入る前に既に狼煙をあげ援軍来る、という情報を城内に伝えていたようです。しかし、より確実の状況を伝えるために城の中に入ろうと様子を窺っているところを狼煙が上がったことで警戒を強めていた武田軍に怪しまれて捕まった、と言われています。

既に情報を伝えたならばなんで城の中に入ろうとしたのか。ただのうっかり強右衛門じゃねぇか。

と、思った、あなた。
それは違います。

この戦いの前に高天神城が同じような状況となります。同じように使者が派遣されて援軍来るの狼煙を上げるのですが、結果的に援軍は来ませんでした。こうした話が伝わっており「強右衛門の狼煙は上がったけど、高天神と一緒じゃね?」と、疑っている可能性があると思った強右衛門は、どうしても直接伝えたかったから入城を試みた、と、言われています。ちなみに、強右衛門のほかにもう一人、鈴木金七、という人も使者として派遣されていますが、こちらは狼煙を上げたあと、城には入らず家に帰り、そのまま農民になった、と、言われています。

後世に名を残して死ぬか、勤めは果たして寿命を全うするか。
不惑となった私としては、どちらが正しいとも思えず、むしろ金七に親近感を覚えますけどね。

話が逸れました。

さて、強右衛門が叫んだ場所まで来た我々は、ある思いに捉われた。

強右衛門様並の気合で叫べば、当たるのではないか。


と。
では、誰かが叫ばねばならぬ。

満場一致で鳳来寺山のときに裂帛の気合で「当たれ!」と叫び、見事、『自らの』宝くじの方を当選させたS田氏で決まり。

S田氏は祈りを捧げた後、おもむろに叫んだ。

「当たれ!」


声は十分に長篠城の本丸にまで響きました。
鳥居強右衛門もかくやの叫び。
さすがです。


※叫んだ後、恥ずかしさが込みあげてきた様子のS女史。

あれだけ立派な声ならば当たるのではないか。
S田氏が個人的に購入した方が・・・。

さて、強右衛門様といえば、長篠城入口にある看板。


この看板の強右衛門様は、強右衛門の最期に感動した敵方(武田方)の落合左平次という侍が強右衛門に承諾を得て自分の旗指物にしていた絵。
その絵を忠実に看板にしたところ、
「強右衛門様のギャランドゥーがすごすぎて、公序良俗的にいかがなものか。」
と、いう意見により、少し控えめになった、という噂を聞いたことがある。

実際、3年前に見た際には、上から塗った部分が見えた記憶があったため、改めて見に行ったのですが・・・。風雨に晒され続けたためか、よくわからない。無念。

その後、長篠城の本丸に移動。
500の兵で1万5千の兵を防いだ舞台です。
武田に備え鉄砲の装備や兵糧が充実しており、城の修理も終えて要塞化していたようです。
また、城近くは山が多く平地が少ないため大軍が展開できない地形。
織田・徳川方では武田勢が設楽原に出てきてくれて助かった、長篠城の付近で待ち構えられたら軍勢が展開できずに大軍のメリットが活かせないところだった、と、述懐する話なども残っています。
長篠城籠城軍から武田勢を見れば、同じことが言えるでしょう。

城将奥平貞昌は当時21歳。
城兵をよく統率して防いだと言えます。
実際、織田信長から「信」の字を貰い、徳川家康から長女を嫁に貰うなど、かなりの褒美を貰っていることからも、奥平が果たした役割の大きさが窺えます。
長篠を取られてしまえば、徳川家は領土が寸断されてしまいます。徳川の領土防衛が不安定になれば、織田は領土の東側が不安定になってしまい、領土拡張戦争に専念できません。
長篠とは、このように重要な場所だったのです。

奥平氏は、給料が安く抑えられている譜代大名としては異例の10万石という大きな領地を貰い、なんだかんだで明治時代まで生き残ります。

こんな開運の城であれば、きっと効果が高いはず。

我々は祈りを捧げずにはいられなかった。

※宝くじを崇め奉る一同。

夕暮れの長篠城。
熱心に祈りを捧げる集団。

異様な光景かもしれない。
が、しかし、長篠城という奇跡の地が、我々をそうせざるを得ない心境にさせたといえる。

さて、その後、旧城藪稲荷へ向かう。
長篠城本丸には立派な土塁が残っています。
この土塁の上に昔、おとら狐という狐を祭る城藪稲荷という稲荷がありました。

※跡、です。

おとら狐は城を守る狐と言われている割には、寂しくなるといたずらしたりするようです。
この稲荷が朽ちてきたので、近くの大通寺に改めてお祭りし直した時期と、市内の宝くじ売り場で億単位の当選を連発するようになった時期が一緒だ、という情報を我々は掴んでいた。

おとら狐は、結構霊力が強いので、危険な気もする。
しかし、一時の栄華も見ずに死ぬのか、一時とはいえ栄華を見てから死ぬのか。
その選択を迫られた場合、一時の栄華でも良い、わんぱくでもいいたくましく育って欲しい。(by30年近く前のハムの宣伝)
我々はそう思い、城藪稲荷様への参詣を行うこととした。

土塁上のこの場所は、既に場所を移され魂は入っていない。
が、こうした場所は、長年祈りを捧げ続けられてきたことから、案外と力が残っている可能性は高い。
我々はそう考え、まず、ここを訪れた。


祈りを捧げ、そしてスクラッチを削る。
様々な欲望が渦巻く中、結果は出た。
そして、驚きの結果が!

縁起かいいらしい開運のまち新城 長篠城編2



「え?!」

「こっちも・・・?!」


なんと、当たれと叫んだS田さん、そして、鳳来寺で0.1tの巨漢を運び上げたM田氏の両名に千円の当選が出た!
にこやかに笑みを浮かべる両名。


※当選者を眺めながら、自分のハズレを再確認するI泉強右衛門氏は画面一番右。

この結果には、正直、我々は驚いた。
スクラッチくじは10枚買うと200円は必ず当たる。
しかし、今回は、5枚とか7枚とか、皆、端数の購入をしていたため、そもそも当選が出にくい状況だったのです。
そんな状況下、200円ではなく1,000円、しかも同時に2名。
こんな事態は今まで無い。確率から考えても相当な結果。

今まで、さんざんスクラッチ削ってきた我々だけに、この事態に驚きを禁じえなかった。


※画面右側2名は笑顔。それを羨ましそうに見つめる左3名。(撮影者の私も羨ましい組)

『これはすごい・・・。』

我々全員の心の中では、同じフレーズが響いていたに違いない。
そして、今後宝くじが発売されるたびに、密かにここで祈るメンバーをあなたは目撃するだろう。

さて、歩きつかれて疲労が溜まり始めていた我々が、俄然やる気を取り戻す。
そして、さらに上回る結果が!

目が離せない次回をお楽しみに。

長篠中央露頭 ~縁起のいいらしいまち新城 長篠城編1~

2014年02月08日 | 縁起のいいまち新城
なぜか億単位の当選がない。

「何故だ。」
我々は悩んだ。

鳳来寺山。


百間滝。


パワースポットだの、御利益ありそうな場所だの、を巡れば、きっと高額当選できるだろう、そう考えた我々は、恥も外聞も忘れ、様々な場所で心から祈りを捧げた。

結果は、いつもとちがう手ごたえを感じた。

・祈願中にサンリオファミリーコンサートの当選通知が来た。
・通常よりの当選確率よりも高めでスクラッチくじの千円が当選した。
・コンビにでくじをひいたら1等が当たった。
・祈願翌日のパチンコで大勝ちした。
・難度高めの仕事を無事にクリアした。
等々。

これはこれで確かにすごい。
しかし、我々は当初の
「宝くじ当たるといいね。」
から
「宝くじどうしても高額当選当てたい。」
になり
「はよ高額当選しろ。なぜ当たらん。」
になっていた。

そして、いつしか共同購入分よりも各人が自分の分として購入する宝くじの方が高額になっていった。
そして、皆で出資した宝くじよりも、自分で購入した宝くじの方を熱心に祈っている。

※証拠写真サンプル。

人の弱さ、を、まさに今、ブログを読んでいるあなたは目撃しているのだ。

我々の弱さを哀れんでくれ。
僕達はまだ億単位の当選番号を見ていない。

何かの歌詞のように、ちょっとかっこ良く言ってみた。
が、所詮、修羅の群れ。
実は既に高額当選を果たしているが、それを口にすると今まであったことがない親戚が増えることを懸念して、口外していない者がいるかもしれない。

そんな疑いの目でこっそりとお互いを見ているようになっていた。
今のところ、常日頃の言動を見る限り、そのような演技をしている者はなさそうであり、そう信じるしか、我々の切れそうな結び目をかろうじて繋ぐものはない。

修羅道に落ちた我々は戦い続けるしかない。

そんな我々が今回目指すのは、郷土が誇る『長篠城』。

※鳶ヶ巣砦から望む。画面中央の森が長篠城。

戦いの場として、これほどふさわしい場所があろうか。

なぜ長篠城が今回選ばれたのか。
きっかけは、あるメンバーの報告だった。

「新城市内で宝くじの高額当選を連発する売り場は、長篠城付近の『何か』を移転した時期と一致するらしい。」
「『何か』って何だ!」

我々は色めき立つより殺気立った。
太陽にほえろの聞き込みのシーンさながら、我々は人を訪ね歩き情報を収集した。
そして、それは判明した。

長篠城に祀られている稲荷様だという。

「それは『おとら狐』のことだな。」
「おとらきつね?」

地元でもなかなか知られていない『おとら狐』の伝承。
説明しよう。

お虎狐は、長篠城のお稲荷様のお使いとして住んでいました。
ある日、城中で何やら評定の最中でした。お虎狐は立ち聞きしていましたが、思わず身をのり出しましたので、切りつけられて左足に大けがをして、それ以来足をひきずるようになりました。
また、合戦がひどくなったとき、流れ弾にあたって片目になりました。
やがて戦いが終わると、お城は新城へ引っ越していしまいましたので、お虎狐はさびしくてたまりません。近くの家や畑でいたずらをして人々を困らせました。
お虎狐にとりつかれると、その人は長篠合戦の話をするということです。
(出典:「新城文化財案内」 新城市教育委員会)

なんだか、かわいそうな狐さんです。
この本では可愛らしく話がかいてありますが、結構霊力が強いという話を別の本で読んだことがあります。(残念ながら出典が探せない。)

どうもお稲荷さんというのは,城の守り神として祀られることが多いようです。
そこから派生した話なのかもしれませんが、今となっては、狐が先か稲荷が先かわからない。

おとら狐を祀る『城藪稲荷』は、長篠城の土塁上にあったのですが、古く荒れてきたので近くの大通寺に新しい稲荷を造って移転したという。その時期と市内の売り場で高額当選が出始めた時期が一致している、という一部の噂があるらしい。

「これは・・・。すぐにお参りに行かねば。」

皆が一斉に色めきだつ中、私には一つ気がかりな点があった。

お稲荷様って荼枳尼天(だきにてん)と同一視されるのではなかったか。
荼枳尼天。

※出典:ウィキペディア

荼枳尼天は、一代限りの栄華を与えるがその末路はよろしくない、という。
『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』という話の中で、

平清盛が狩りをしていて追い詰められた狐が突然話し掛けて来ます。
「私を助けて、おまつりしてくれるなら、お前を出世させてやろう。」
その時、清盛はあまり裕福ではなく、
「荼枳尼天は一時の栄華を与えると言うが、まぁ、このままくすぶっているよりも、一時でも夢を見た方が良い。」
と、考えて狐を助けます。
すると清盛は、あっというまに出世して栄華を極めますが、さいごには源氏の叛乱により一族は滅んでしまいます。

その他、建武の親政で鎌倉幕府を倒して天皇親政を実現したものの、すぐに足利尊氏に叛乱を起こされて、結果的に天皇家が南北朝に分かれて争うことになったきっかけを作った後醍醐天皇も、その護持僧である文観が荼枳尼天を祀っていたと言われます。
ちなみに、この文観は相当強烈なエピソードを持ってます。
本筋から外れる上に、お子様にはとても読ませられない内容なので書きませんが、興味のある方は「文観 立川流(もんかん たちかわりゅう)」で検索。
立川談志の立川流(たてかわりゅう)とは全く別物ですので要注意。

ひょっとすると、近年の一発屋と呼ばれる方々も稲荷にお祈りしたのかもしれない。

荼枳尼天の威力はかように強烈、と、私の頭に刷り込まれていたため、
『そんなものに祈願をしてしまったら、大変なことになりはしまいか。』
と、懸念した訳です。
そして、私は事前に皆に警告を発した。

「今回は本当に大当たりしてしまう可能性がある。が、その結果は怖いことになるやも・・・。」

当日。
私が集合場所に行くと、皆は大はしゃぎしていた。

「うらにわさんが言うには、今回は当たるかもしれんて!!」
『え・・・。』

人間、見たいものしか見ない、という。
私の警告は、自らが見たい部分しか顧みられていなかったようです。

それもまたよし。修羅の群れだし。
私は納得した。

さて、城藪稲荷があった長篠城といえば、
落ちなかった城
として、有名。


なにせ、500の兵で当時天下最強といわれた武田兵1万5千の攻撃に持ちこたえたのです。
そして、長篠城救援にやってきた織田・徳川連合軍と設楽原で武田軍は決戦に及び大敗。
この時点で、織田信長は天下統一の覇者として決定的になったと言われています。

長篠合戦後、奥三河に対する武田氏の脅威が去り長篠城の重要性が薄れて廃城となった際、長篠城の廃材を近隣の城が争って欲しがったとの話があります。
当時、建物の資材は貴重で使い回されるのが普通でした。
なので、廃城になれば使える物は転用されるのが普通なのですが、特に長篠城は『落ちなかった城』としてあまりにも有名だったため、希望者が殺到した、という訳です。

この城を守りぬいた奥平貞昌は、織田信長から「信」の字を貰い信昌と改名した上に、徳川家康の長女を嫁にし、大坂城代や京都所司代も勤め、江戸幕府では枢要の地位を占めつつ、結果的に10万石もの所領を得ます。徳川家臣の譜代大名は給料を安く抑えられており、多くても2万石、とかが多い中の10万石は異例。

>落ちない上に出世する城。

この城で受験祈願するとすごいのではないか。
うちの子ども達が受験年齢に達したら連れて行こうか、と、真剣に考えております。

こんな城と荼枳尼天。

これだけの材料が揃っていれば、皆が浮かれるのも無理は無い。
そして、今回、いつもとは違う結果をご報告することになります。

舞い踊る一堂。
そして気になる結果は。
驚愕の事実は、ジャンボ宝くじの結果発表後!
最後まで目が離せない長篠城編。いよいよスタートです!
(やっとかい!)

いつものように共同購入分の宝くじを購入する。

※当たりますように。

そして、争うように始まる個人分の購入。

※毎度毎度の修羅の群れ。三度目ともなると、もう風物詩です。

当たる可能性が高そうなところは巡れるだけ巡ろう、
と、我々が最初に向かった先は、
「中央構造線長篠露頭帯」

※こんたく長篠の向かい側にある看板。

さて、このシリーズでやたらと出てくる「中央構造線」。
日本を作ってる地層が大きく二つあって、その境目、と、言ったら意訳しすぎか。
で、この中央構造線が剥き出しになっている、露出している部分が「露頭帯」といわれるもので、なかなか無いものだそうです。

ちなみに長野の分杭峠にせよ、新城の百間滝にせよ、結局は中央構造線上にあることがそのパワーの源だという。そのため、中央構造線が露出している場所である「露頭帯」は、相当なパワーが出ていると言う話を聞いたことが、今回の訪問のきっかけだった。

これは祈らずにはいられない。

それに、長篠城を拝むにしても、まず大地の気を取り込んでからお参りしたほうがよかろう。
大地の気って、何やわからんけど。

足元の悪い道を抜けると、そこには足場が組んである。


積載400kg、大人6名まで、との記載が見える。我々は思わずM田氏を見た。
M田氏は0.1t。3桁クラブの会員です。
大人6名までという表記を信じても良いものか。一瞬迷う。しかし、女性陣が平均値を下げたためか、崩落はしませんでした。

で、実際の露頭帯はというと。


こんな感じ。

写真下が灰色っぽく、上が黄土色っぽいのがお解かりいただけますでしょうか。
領家帯だのなんだの帯だのとそれぞれ、名前がついているそうです。
正直、どっちがどっちだかよくわからない。とにかく、日本列島を構成する二つの地層がぶつかり合っている様が直視できる貴重な場所。ぐにゃりと曲がった地層を見ると相当な力が加わっている様が見て取れます。

と、なれば、
「その相当な力をオイラに分けてくれ!」
ドラゴンボールの孫悟空のように叫ぶ。
孫正義のようになりたいのだ。
孫つながり。

そして、恒例のなすりつけタイムが始まる。

※われもわれも。

※ハッスルハッスル~。踊り子さんにはお手を触れないようにお願いします。

そして気になる結果は!


やはり、褌じゃないから駄目なのかな?、という結果でした。

が、なにぶん珍しい場所だけに、長篠城へお越しの際は忘れずにお立ち寄りを。
ちなみに、注意深い方はお気づきかと。
中央露頭帯の看板は「馬場美濃守の墓」の案内表示とセットになっています。
(確認し忘れた方は、今すぐスクロールで確認を!)

実は、私、このお墓の位置を不思議に思っておりました。
馬場美濃守信房(信春)といえば武田四天王の筆頭にも位置する名将中の名将。
この方、長篠合戦で負けて討死してしまいますが、討死したと言われる場所は、もっと北側の出沢(すざわ)のあたりです。新城総合公園へ向かう途中に石碑があり、その石碑を更に北に行くと「馬場美濃守殿戦地」というものがあります。落ち行く武田勝頼を見届けて、静かに敵に頸を渡した最期の場所がそこだと言われています。(花の木公園の近く。)

その場所からここは結構遠い。
はて?何故こんな場所に墓が?と、不思議に思っていたのです。

すると、「奥三河の伝承 熊谷丘山遺稿集録」なる本とめぐり合いまして、この中に「二箇所になった馬場美濃守信房公の墓所」という話がありました。
明治時代に馬場美濃の子孫が訪れた際、地元の人があまり確認をせずに長篠城の馬場だった場所にあった墓に案内してしまった誤解の場所がある、という話があります。で、この墓の主についても出典を明らかにして述べています。
詳しくはこちら
位置関係からして熊谷丘山説の方が正しいと思われますので、今回の宝くじ祈願はパスしました。

さて、その後、郷土の英雄鳥居強右衛門勝商が長篠合戦で叫んだと言われる場所へ。
強右衛門様、かなり城の中核本丸近くまで連れてこられています。
よくこんなところまで攻め込まれて耐えたな長篠城!
すごいぞ!
どの程度近いかは動画で確認!↓

縁起がいいらしい新城ー長篠城編1ー


さて、いよいよ城にやってきた我々。
果たしてどのような結果が待ち受けているのか!?
次回は意外な結果が!

乞う、ご期待!

へだまの水 ~縁起のいいらしいまち新城 百間滝編5~

2013年11月09日 | 縁起のいいまち新城
百間滝での戦いは終わった。

まさか現代に鳥居強右衛門が蘇るとは思わなかった。
歴史すら超越してしまう場所。
それこそパワースポットと呼べるのかもしれない。

さて、その後、「へだまの水」なる存在を教えてもらう。

へだまの水。


現地案内看板にはへだまの水の説明がありました。
「先代の古老たちは、へだまの水についてつぎのように書き残しています。『稲木(大野)の米を喰って、へだまの水を呑めば人生は最高である』・・・。」

まるで西洋の格言として、ゲーテとかが言いそうです。

「稲木(大野)の米を喰って、へだまの水を呑めば人生は最高である」(ゲーテ)

まぁ、ゲーテは残念ながらパン食だと思いますので、そんなこと言わないと思います。
とにかく、うまい水らしい。

皆さん「へだま」と聞いて、頭の中で「屁」を連想されたのでは。
私もそうでした。

そして、それは昔の人もそうだったようで、へだまの由来として現地案内看板は饒舌に語ります。
「山から湧き出る水のさまが、風呂の中でおならをしたさまに似ているか。また、イヌガヤの木のことを方言でヘダマと呼ぶことからか、・・・。」
と言っています。
諸説あるようですが、水中で屁をするさまに似ているから、というのも有力説の一つだそうです。

へぇ。

座布団を一枚持っていかれました。

水を飲んでみる。
この日の気温は相当高かったのですが、水はかなり冷たく、うまい。
さすが人生を最高にするだけのことはある。
この模様は動画でもしっかり確認できます!

縁起がいいらしい新城 百間滝5



こんなご機嫌な水ならば何らかの力を持っているのではないか。
そう考えた我々は、百間滝の時と同じようにへだまの水をペットボトルに詰め、ラベル代わりに宝くじを貼り付けてみました。


ところで、この付近は最近間伐されたばかり。
間伐とは人工林などで木の生育を促すため、適度に間引いてやる行為です。これを行わないと痩せた木になり、木の下にも日が当たらず下草が生えずに土砂が流出し災害を引き起こす可能性もあります。

木は適度に手を加えてやら無いと駄目なんだそうです。
私のような都会で育った人間からすると「木が一杯でいいですね。」とか見当違いの感想を述べてしまいますが、「いや、あれは不健全な状況ですよ。」と教えられないと、間伐をする意味すらわからない訳です。

戦国時代などは、木材は貴重な燃料源であり、家の材料でもあり、戦の武器を作る際の材料にもなる。いわば、現代の石油のようなもの。当時は山に木が一杯の状況ではなく、放置すれば禿山になってしまうため、各戦国大名は森林資源の管理に気を配っていました。

現在、山林は維持経費が掛かるため人の手が入らず、森が荒廃してしまうという状況も多く見られます。

そんな中、ここは間伐を行い適切な管理をしている。
後の世代に素敵な木を残せる訳です。

と、ここで我々は気づく。
「そんな良い事をした場所ならば、効果があるのでは!」

早速、会長は間伐をした木に宝くじをなすりつけた。

※木の成長点になすりつける。宝くじよ大きく伸びよ、と。

すると、なすりつけた宝くじが300円の当たりくじでした。
やっぱり間伐には良い効果があるのかもしれない・・・。

気がつけば、我々はアニミズム、太古の世代の人間と同じように、自然そのものに霊性を感じずにはいられなかった。こんな人間の本性を呼び覚ます新城市。
その奥の深さに我々は慄く(おののく)ばかりであった。

『パワースポット』
ウィキペディアには『All Aboutでは、パワースポットやスピリチュアルスポットなどと呼ばれるようにもなった場所も、本来は信仰の場であって自然崇拝が行われていた場であったところが多い、とされている」とか「荒俣宏は、昔から大地の力を得ようとする試みはあった、と指摘している。』とあります。

wikiが万能の根拠と言うわけじゃないですが、こと、パワースポットの説明に関しては「え?」という内容。要は科学的な根拠など何もないことがよくわかる。

しかし、皆が「ここってすごいらしい。」と念を込め続けることで、気がつけばすごい場所とその場所が勘違いし始めるかもしれない。

科学的根拠が無いからといって無碍に否定する必要は無い。
なぜなら、病は気から、と、言うではないか。
幸運か不運か、は、気の持ちようと言っても良い。

百間滝。
気が出てるかどうかを我々は確認できないが、森林浴ですがすがしいことは確か。
行って損は無いと思います。

ところで、滝行を行ったI氏の後日談。
スクラッチくじ200円で千円当選。
サークルKの一番くじでA賞当選。

年季の入ったポーズで祈ったM田氏。
5枚購入した宝くじで3,600円の当選。

普段よりは当選確率が上がっている人もいました。

が、私の場合、職場の補佐に頼まれて購入した3,000円分で3,300円の補佐当選。
私は9,000円で900円。。。
自分の運が流れていってしまったのか?!

ま、私は宝くじの運を今回は貯めただけと思えば、運が良かったのかもしれない。

通常の当選確率からすると、少々高い気もするのは気のせい?

今回で百間滝編は終わりです。
次回はいよいよ屈指のスポット「長篠城編」になります。

こうご期待!

現代に蘇る鳥居強右衛門 ~縁起のいいらしいまち新城 百間滝編4~

2013年10月26日 | 縁起のいいまち新城
前回、無事に百間滝滝行を終えた我々。
そのまま滝行は終了するはずだった。
その時、我々は対岸の崖上方に何かがあることに気がついた。

岩のくぼみを祠に見立てたかのように何かが置かれている・・・。

いかにも曰くありげなそれは、我々の興味を曳いた。

「ひょっとして、さっきのワンカップの蓋みたいに、気が出ている部分を示しているのではないか?」
と、誰かが呟く。

滝壺に近い方が大きな力があるのではないか。
我々は、舌切り雀が用意したつづらで、何の迷いも無く大きい方を選ぶであろう。
そんな我々にとって『滝壺に近い方』ということは、大いに興味をそそるものであった。

皆目を凝らし、カメラのズーム機能を駆使して確認しようとする。
が、遠くて何かわからない。
この、わからないという状態は、かえって我々の意欲というか欲を刺激した。

率先してふんどしとなり滝壺で修養を行ったI泉氏は、それが何なのかを確かめ、そして、あわよくば最もパワーを得ようと、険しい岩を登り始めた。

※角度によっては全裸にも見える。

このとき我々以外人がいなかったのは幸いだった。
他人がいれば、新城市の防犯メールで不審者情報として流されたことであろう。

しかし、かなりの斜度でそそり立つ崖は、その険しさで人を寄せ付けない。
いにしえの修験者達も険しさに挑み、克服することで力を得ようとしていた。
その険しさはI泉氏の挑戦意欲をより強固なものとするのみであった。

岩にしがみつき、その手で栄光を掴み取らんとする姿は、我々にある光景を思い出させた。

鳥居強右衛門勝商(とりいすねえもんかつあき)。

※画像出典:wiki

郷土の英雄鳥居強右衛門。
長篠合戦で長篠城を救った漢(おとこ)。

天下最強を謳われた1万5千の武田軍に対し、長篠城に籠城する徳川方の奥平貞昌は500。
父信玄の死去とともに自らを裏切り徳川方に走った奥平家。その憎き奥平が、自分が家督を継いだ直後に奪われた城、長篠城に籠城している。武田勝頼は怒りに燃え、落城させるべく猛攻撃を掛け、長篠城の大半を落として、なおかつ兵糧を奪います。
このままでは長篠城は落城する。
この危機を徳川家康につたえ、援軍を確実に送ってもらわなければならない。
そのため、徳川家康への使者を募りますが、使者として城を離れているときに落城してしまえば、逃げたと思われてしまうこともあって、誰も行きたがらない。そんな時、主君が困っている様を見て志願したのが鳥居強右衛門。
夜中に密かに豊川を泳いで脱出。岡崎まで向かい徳川家康に情報を伝えることに成功します。そして、織田信長とともに徳川家康が援軍を率いてやってくることを長篠城に伝えようと城に入ろうとしたところを怪しまれ、武田軍に捕まってしまいます。

「『援軍は来ない。』と言え。そうすれば城の士気は落ちて落城させられる。お前にも褒美をたくさんやるがどうだ?このまま殺されるよりも楽しい人生が待っていると思うが。」

捕まった鳥居強右衛門は、武田勝頼から取引を持ちかけられます。
強右衛門はしばらく考えた後、取引に応じます。

そして城の近くまで引き出された強右衛門。城に向かって叫びます。
「皆もの、徳川殿は織田信長の兵とともにまもなく到着する!それまで城を堅固に保つのだ!」
沸き立つ城内。
慌てたのは武田軍。強右衛門が全てを言い終わる前に彼をぼこぼこにしてひきずって行きます。

その後、彼は城の対岸で磔にされてしまいます。
しかし、磔にされた彼を見て感動した武田方の落合左平次は息も絶え絶えの鳥居強右衛門に言います。「貴公の忠義には感動した。今の姿をワシの旗指物としても良いか?」
強右衛門は了承します。
その旗指物がこの絵なのです。


その後、武田軍は織田・徳川連合軍に設楽原で決戦を挑むも、馬防柵と大量の鉄砲によって壊滅させられます。
そして、長篠城を守り抜いた奥平貞昌は、徳川家康の長女を嫁にもらい、織田信長から「信」の一字を貰い奥平信昌となり、幕府の要職を歴任し、子孫は家康の血を引くことから優遇されます。

奥平家の栄光の礎となった鳥居強右衛門は、未だに郷土の英雄として語り継がれているのです。
どれだけ褌からギャランドゥーがはみ出していようとも・・・。

必死に崖を登るI泉氏を見た我々は、いにしえの鳥居強右衛門もかくや、と、連想させずにはいられなかった。
そして、強右衛門のような最期にならないように、とにかく無事に帰還してくれ、と願う。

現場に到着し確認をした彼は、そのまま降り始めた。


ところが、この降り、加藤清正の石垣のように逆バンクだったため、降るのに難渋してしまいます。
ハラハラと我々が見守る中、なんとか降りるルートを見つけ無事に降りたときには、皆安堵のため息。
ほんと、良い子は真似しないでくださいっ!


ところで、例のモノは一体、何だったのか。

「金髪の水着のお姉ちゃんが印刷してあるクリアファイルだった。」
とのこと。

・・・。
あれだけの苦労の結果はそれか・・・。
これは一体何を暗示しているのか。

これだけにことをやったのだ。きっと何か良いことがあるのではないか!
それとも、全ては徒労に帰す、ということなのか・・・。

I泉氏の努力を賭けて、スクラッチを削る!


が、特に奇跡は起こらず・・・。

そして我らとしては、サマージャンボの当選を祈るのみ。


パワースポットが集中するという中央構造線城にある滝。
きっと石にも力が宿っているのでは無いか。
そう考えた我々は石にはさんで祈りを捧げた。
そして、滝の水を汲んだペットボトルにもラベル代わりに貼り付けて、その力を得ようと考えたのであった。



その後、滝の上流にあるポットホールへ差し掛かる。


ポットホールとは何か。

説明しよう。

河底や河岸の表面が硬い場合、表面に割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による浸蝕のためにくぼみとなる。このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴に拡大する。その後川底が侵食の影響で下がり、甌穴(おうけつ)のできた場所は水面より高くなる。その結果、甌穴が地表に見られるようになる。

と、ウィキペディアが言ってました。

要は、川底に石が入り込んで水流でぐるぐると回っているうちに川底を削り、その後石がどっかへいってしまい穴が開いた部分、ってことです。
なかなか珍しいものだそうで、天然記念物になってるものもあったりするそうです。

そんな珍しいものなら御利益があるのでは?!

いにしえに、森羅万象全てに霊性を感じ、敬い奉ったアニミズム信仰のように、我々はなんらかの珍しいものがあれば、全てに御利益を感じずにはいられなくなっていた。

ポットホールに宝くじを浮かべてみる。


すると沈まない!

これは、これこそはきっと何かがあるのではないか。
我々は期待を胸にこの場を去った。

結果は・・・。
また来るから。
当たるまで来るから。

いよいよ次回、百間滝最終回!
「へだまの水」
堂々の完結へ!