長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

縁起のいいらしいまち新城3鳳来寺編 ~お願い家康様!~

2013年08月27日 | 縁起のいいまち新城
鳳来寺本堂が愛のパワースポットであることを確認した我々。

その次は、日本最長の政権を樹立した男、徳川家康公を祭る東照宮へ。
なにせこの徳川家康。ゴールドラッシュに沸く日本中の金銀を手中にし、溜め込んだ金銀で城の床が抜け落ちた、と、いう逸話まで残っています。
また、部下の大久保長安は灰吹法という南蛮渡来の精錬術で飛躍的に金の産出量を増やし、徳川幕府の財源を支えています。

そして、新城から少し奥に行った設楽町には武田信玄が発見し、織田信長・徳川家康が採掘した「津具金山」もあったりします。

東照宮と言えば日光東照宮。
極彩色でふんだんに金をあしらった建物として知られています。

また、家康は息子の義直のために名古屋城を築城。その屋根には金箔ではない、本物の金塊で造った鯱を乗せてしまいます。
金鯱は各地にあれど、金箔ではなく金塊といえば名古屋城。

意外とカネの匂いがするんです。
この徳川家康公は!

関ヶ原の戦いという大博打にも勝った訳ですし、宝くじの効能を試すにはもってこいの人ではないか?

ちなみに、徳川家康の出生を祈ったのは、前回の鳳来寺になるわけです。
ここは、慶安元年に徳川幕府三代将軍家光が、日光東照宮で「東照社縁起」を改めて読み、非常に感銘を受けて鳳来寺にあった東照宮を立派に改装し、慶安四年九月十七日に落成したものだそうです。(鳳来山東照宮パンフより)
久能山、日光と並ぶ三大東照宮なのです!

三大将軍家光の親である二代将軍秀忠は、弟の忠長を愛し将軍の座も危うかったのですが、家康が「三代目は家光。」と決めたことで将軍の座が確定したことから、家康を崇敬することは尋常ではなく、家康関連のものをとにかく崇め奉った。その一つがここの東照宮なわけです。

ちなみに、家光は衆道(男性同士の愛)に狂って危うく跡継ぎができなくなりそうだった、と、言われております。
そんな彼でも跡継ぎができたのは、鳳来山東照宮を建造したからではないか。
そう、考えよう。

我々は、東照宮を見たとき「これは効きそうだ。」と思いました。
それは何故か。


1,425段を登ったにもかかわらず、まだ登らされるわけです。
それもかなりの急斜面を。

苦行を重ね功徳を積めば、それだけ御利益も大きい。
そう考えた我々は、また、一歩一歩歩みを進めるのであった。
しかし、その姿は、あきらかに膝が痛い人向け医薬品のCMのよう。

東照宮は寸志を奉納することで、さらに奥で参拝することができます。
我々はパワーが少しでも多く受けられる可能性を求め、奥まで行く。

途中にある石灯籠や銅の灯篭は慶安四年に寄進されたと書かれているものが多く、この東照宮を作ったときに奉納されたことがわかります。
そんな古いものが当たり前のように残っている東照宮。

大体、銅の灯篭ってあまり見ません。
カネの匂いのする男、家康に相応しい。

そして、奥の拝殿前まで回りこみ、我々は祈りを捧げた。


この結果は動画でご覧いただけます。結果やいかに!?



ところで、境内には狛犬が二つあります。
手前には立派な狛犬。
そして、奥には丸い物体。

これは、戦前、日露戦争などに出征する兵士が、家康の武勲にあやかろうと弾丸避けに削って持っていったため、狛犬の形が無くなってしまったことから、新たに作った3代目が手前に鎮座しているのです。

なるほど。
数々のピンチを切り抜けて最終勝利を得た男を祀るだけに、修羅場を乗り切りたい人にはパワーが与えられそうです。
宝くじよりも、人生の切所に効きそうです。

人生で登る階段の回数が決まっているとするならば、我々は既にその1/4を本日で使い果たしてしまうのではないか、と、思うほど既に登った。
しかし、検証作業で絶対に外せない場所があるのです。
その名は『奥の院』
修験道と融合している鳳来寺には奥の院があるのです。

と、いうことは・・・、


階段が更に現れた!

つぎつぎと新手の敵が現れて、一向に終わらない週刊誌連載のヒーロー物のマンガのよう。
これで終わりかと思いきや、「くくく。」と笑う不気味な影。そして『続く』

きっと、作者にしても「もう勘弁」と思いながらも編集者が「続けるんだよ!」と強要して続けさせられている、ということが丸判りのマンガもあります。
『○○先生に励ましのお便りを送ろう!』という言葉の意味がよくわかります。
読者からのお便りは、きっと○○先生にとって、無間地獄に垂らされる一本の蜘蛛の糸のような救いなのでしょう。

ところで、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』といえば、か細い糸に何人もが取り付き、切れてしまうと焦ったカンダタが「この糸は俺のものだ!」と自らのことのみを考えた発言をした瞬間、ぷっつりとカンダタの持ち手のすぐ上から切れてしまい、地獄に逆戻りとなります。

どちらかというとカンダタ同様に叫ぶ派が多いこの面子。
果たして大丈夫なのか。

そんな我々を試すかのように道は続く。

※今までとは様相を一変した階段。ここは東海自然歩道でもあります。

続く!

※木が崩落し橋を破壊しています。

続く!!

※前日の雨で上から水が滴り落ち足場は超悪い。

しかし、功徳を積むため我々は登る。
その先にある現世利益を求めて。

※疲弊しきっているH女史。このままグルコサミンのCMに出られそうです。

そして、奥の院で我々は信じられない光景を目にします。
次回「壊れた奥の院」
お楽しみに。

この中に一人、嘘をついている人がいます。

2013年08月23日 | 落城戦記
この中に一人、妻子に嘘をついて参加している人がいます!


桜の木の下には死体が埋まっている、と、言ったのは梶井基次郎。
そんな綺麗な話ではありません。

城を巡る旅「城旅」をやってるコアメンバーで、年に数回遠方へ泊付き城旅を行っています。
今回は肥前遠征。

城旅の前々日、メールが来ました。
何か、と、思い読んでみると、
「・・・我が隊はスーツで向かうかもしれぬ。・・・」(原文どおり)
との文言が。

「スーツ?」

このクソ暑いお盆の真っ只中に名古屋から佐賀へ行くのに、スーツ?
普段、クールビズでほとんど出番のないスーツ?
謎は深まるばかり。

ただ、文面から推測するに、家族を欺き内密に城旅に出かけようとしている様子。
しかし、そんな危険を冒してまで何故参加するのか?いや、そんな危険を冒すほどの旅じゃないだろう。
他の者は、皆そう思った。

とはいえ、それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。
深く詮索しないこととした。

そして当日。
彼は普通の服装で現れた。

『あ、なんだかんだで家族の許しを得たんだな。』
皆、そう思った。

しかし、そうではなかった。
彼は言った。

「実家に寄って着替えてから来た。」
「え?でも、妻にはどうやっていったのだ?出張で2泊3日だと言ったのか?」
「いや、今日は研修で講師をするので準備がいるから早く出るといって出てきた。」
「???今日の夜はどうするんだ?しかも、明日以降はどう言って来たんだ?」
「明日からは元上司の信州にある別荘に誘われて泊まるといってきた。お盆で渋滞が嫌だから真夜中に出立するため職場から皆で行くといってきた。」
「嘘くせぇ。本当に奥さん騙されてるのか。本当はどんな嘘言うのか面白がって聞いてるだけじゃねぇか?」
「いや、うちの妻は信じている。」

我々は、そんな嘘を信じる人がいるのか半信半疑だった。

「そういう嘘って、一つ矛盾点が出ると全部崩壊するよね。」
「大丈夫だ。矛盾を感じるようなタイプではない。」

本当かよ、と、思いながらもまぁ、バレて修羅場になったらそれはそれで面白いよね、ということで、旅立った。
吉野ヶ里遺跡


肥前名護屋城


唐津城、佐賀城


大砲に吹き飛ばされる人


と、2泊3日城三昧を堪能した我々だった。これらの詳細な模様は別の日にご報告します。
旅も終わり、祭りの後の寂しさに浸っているとき、一人だけ緊迫感を漂わせている男がいた。

妻子を欺いて旅に出かけてきた彼だった。

彼は今、肥前ではなく信州にいることになっている。
初日の金曜日は仕事にでかけ、そして、土曜日と日曜日は元上司の信州開田高原にある別荘へ、昔の職場仲間と遊びに行っているのだった。

彼はその妄想旅行の組み立てを行っていたのだった。
iPadを見ながら呟く。
「うーん、名古屋着が22:00だとすると、渋滞してたから・・・って、なんでお盆の最後なのに、ほとんど高速渋滞してないの!」


「今から名古屋まで2時間半。と、いうことは、まだ、開田高原にいるんだよね。」
と、聞くと
「そうだなぁ・・・。中央道ではなく下道19号を使ったことにする。」
と、いいだす。

「そんなん、普通ありえんだろう。大の大人が車に乗って、高速使わんなんてありえんぞ。」
「いや、高速代が勿体無かった、と、いう。うちの妻は浪費を嫌うから、通用する。」
「そんな問題なのか・・・?」
「うむ。うーん、このあたりなかなか観光スポットがない。とりあえず御岳登ったことにする。上司でどうしても好きな人がいて、断れなかったといえば良い。」
「夏だって御岳はさぶいぞ。長袖とか防寒着とか一切持ってないじゃん。いくらなんでもそれは嘘だとバレるぞ。」

「いや、うちの妻は信じる。」
彼は言い切った。

「今日は、ここの蕎麦屋で飯食ったことにしよう。ここはその昔立ち寄って食べ放題だった。だから5枚ざるそば喰ったことにしよう。うちの妻は倹約家だから、食べ放題の蕎麦屋に今度連れて行ってやる、と言えば大喜びするはずだ。」
「5枚っ?!そんなに喰えるか?!」
「・・・、3枚にしとく。」
「3枚じゃ普通に喰えるぞ。」
「よ、4枚・・・。その後、ここの温泉に立ち寄ったことにしよう。ここの温泉はいくらだ・・・。なんと、HPに値段が書いてない!いくらなんだ。600円か400円か?」
「別にいくらだっていいじゃん。適当な金額言っとけば。」
「だめだ、そういうところはうるさいんだ。後で連れてった時、金額が違うと困る!」

我々はあっけに取られた。
嘘にリアリティを求めているのかもしれないが、そんな細かいところを言う必要ないじゃん・・・。
しかも、
「この施設はJAF割が使えるのかな。」
とか調べだす。

どうやら、奥さんはお金に関しては相当シビアなようで、そういったところにディテールを求めることで乗り切ろうとしているらしい。が、他のメンバーはむしろ墓穴を掘るのではないかと思った。
むしろ、彼の嘘話を聞けば聞くほど笑えて仕方がない。

「て、いうか、ワシこれブログに書いても、作り話だと信じてもらえないかもしれない。」
私は言った。

結果的にJAF割が適用されて500円で入浴できるらしい。
それで彼は満足していた。

しばらく新幹線に乗っていると
「そろそろ恵那SAに到着したころだ。一度家に電話を入れる。」
「メールの方が安全じゃないか?アナウンス入ったら終わりだぞ。」
「電話しないとうるさいのだ。今、駅を出たし、しばらく新幹線のアナウンスも入るまい。」
と、彼は言った。

彼の妄想旅行では、残り時間から逆算して、今恵那SAに到着したらしい。
『今恵那SAで・・・。』とか言い出すのだろう。
が、もし電話に「今、新大阪を出て・・・。」などのアナウンスが流れたら全てが終わる。
デッキには席にあぶれた客がたむろっており、話し声だった聞こえよう。
しかし、彼はアナウンスが入らなくなるタイミングを見計らってデッキへ歩いていった。
その彼の後姿を見ながら『アナウンスが入れば面白いのに。』と思ったのは言うまでもない。

そして、多分彼が電話をしているだろうタイミングに、突然車内アナウンスが流れ出した。
「この列車は、今、新大阪を出て・・・。」

マジか!?
この神的なタイミングで流れるか!
我々は思わず手を叩いて笑った。

万事休す。
彼の運命やいかに。

彼は戻ってきた。
「ばれたか?」
と、聞くと、なんと残念なことに、その時確かに電話をかけたのだが、奥さんは出なかった。そして、すぐ折り返しの電話が掛かってきたが、アナウンスが終わるまで出なかった。そして、アナウンスが終わったところで、改めて電話をして、事なきを得たのだった。

「残念・・・。」
我々は心底残念がった。
運の強い奴め。

そして、3人が旅の疲労度を顔に表している中、一人だけ緊張の面持ちで帰宅していく男がいた。
その後の彼がどうなったのか。

それは確認していない。

さて、次からは吉野ヶ里からご報告してまいります。

鳳来寺本堂から愛が見える

2013年08月20日 | 縁起のいいまち新城
パワースポットの効果検証を行うため、宝くじを持って様々な効果がありそうな場所で祈ることを始めた我々。
由緒正しい鳳来寺で、その効果を試すべく、1,425段の石段を歩き始めたマイレボリューション。

石段の途中、霊験あらたかそうな場所が多数あるが、弁財天での反省から「石段を登る苦行をこなすことに御利益がある」と考え、全て下りのときに検証することに。
一心不乱に本堂を目指します。

日頃の不摂生などもあり、メンバー的にはかなり疲弊したおり、一旦休憩とする。

※ほっとする一同。

そのとき、携帯を確認したM田氏は言った。
「やった!サンリオファミリーコンサートの抽選に当たりましたメールが来た!」

※証拠の画像。

一同驚く。
「え、すごいじゃん。」
「子ども喜ぶじゃん。」

そして、
「それって御利益じゃないの?!」
と、誰かが気づく。

そう、そのとおりだ。
我々が購入した宝くじの結果で判断するのが一番わかりやすいが、効果検証中に吉祥が訪れれば効果があったとも考えられる。
こんな濁世の現世利益の即物的な欲にまみれた我々ですら効果があった、と、いえる。意図しないものだったが。。。
が、素晴らしい。

残念なことに動画撮影を回しっ放しにしているわけでは無く、動画が撮影できず・・・。
一応念のために再現VTRを撮ってみましたが、皆のぎこちない感が出てしまい「やらせ感」が出てしまったので動画掲載は見送りました。
無念。

しかし、これで少しやる気をだした我々は、再び鳳来寺の石段に挑むこととした。
この鳳来寺の石段。
階段の傾斜が上に行くほどきつくなる。
幅も狭くなる。
要は大変になる。

「私バレーでもこんなに汗かかんのに、今、めっちゃくちゃ汗がでる。いいことなんだけど。」
H女史が呟く。
「バレーでは出ない効果が出ている。ここがパワースポットだからだ。すごい!」とI女史。
皆、疲労で判断力が鈍りだしたので、とりあえずなんらかを関連付けて寿ぐことで自らも勇気付ける。

が、石段はそんな空騒ぎを受け付けない。

※あまりにご無体な石段に凍る女性陣。


※無慈悲な石段。なんとなく降りてくる方は余裕があるように見えるのは何故か。

我々には夢がある。
宝くじを当てると言う夢が。

我々には欲がある。
宝くじを当てると言う欲が。

夢か欲かよくわかりませんが、幽鬼のごとく石段を登り続け、やっと本堂に到着!


※大正時代頃に火災で焼けて再建されたコンクリ造りの本堂。

まずは、絵馬を奉納することとした。


我々一同の目的を書いた後、
「どうせなら、皆、一つづつ願いを書いたらどうだ。」となり、皆、思い思いに書き込む。

「宝くじが当たりますように。」
「住宅ローンが早く返せますように。」
・・・。

欲にまみれた絵馬が出来上がる頃、鳳来寺の女性は言った。

「これは和尚様が奉納するときに読み上げるんですよ。それはそれは心をこめて。絵馬に描かれていることを全て全て読み上げます。」

「・・・。」

この欲にまみれた絵馬を和尚に読み上げられるのか。
一同固まる。
後の祭り。この諺がこれほど身にしみたことは、かつてない。

まぁ、済んだことは仕方が無い。
いまさら体裁を取り繕うような我らでもあるまいて。
気を取り直し、いよいよ検証開始。

『石段を登ること自体の効能』について探る。

※M田氏の頭上にびっしょりと輝く宝くじ。

スクラッチを削ってみるが、汗のせいで、台紙まで削ってしまう。。。
とりあえず、自治宝くじのほうは、後日の発表に備えて管理することにしました。

※M田氏の汗の結晶を、汚らわしそうに保管するI女史。

では、本堂に祈ったパワーはどうか?
参拝を済ませ、削った結果は・・・。




さてこの本堂。昭和49年に再建されたのですが、前回にも書きましたが良縁・子宝・安産祈願として名高い場所です。
そして、近年、一部で話題になっているものがあります。
これは、本堂前の休憩所から見えるのですが・・・。

わかります?
もうちょっと寄ってみます。


なんと『山の中にハート』が!

最近、木が伸びてきたのですが、春はもっとくっきりでした。
いつ頃できたのか不思議だったので、鳳来寺の方にお聞きすると、8年前には既にあの形は存在してた、とのこと。
地元の方の話では、間伐したらたまたまあの形になったそうで、意図したものでは無いとのこと。

見事に綺麗なハートが見えるんです。
そういえば、新城市の現在の形がハートに見えなくも無い。
恋愛成就・子宝祈願に効果があるという寺だけに、こんな相応しい光景はないのではないか。

では、スクラッチを削ってみて、その効果の程を確認しよう。
金運は別ものだけど、と、誰かがつっこむが、そこは気にしない。

しかし、その結果は見事なものでした。

こうなると俄然やる気が出てくる。
そうだ、ただ拝むのではなく、ひざまずいて哀れみをこうてみれば効果は大きいのではないか。
そう思った我々は試した。



跪拝している怪しげな集団に、気味悪さを感じた参拝者がいたら申し訳ありません。
それは私たちです。
我々に感じた薄気味悪さは、きっと我々の欲望に鬼気迫るものがあったからかもしれません。

この結果は動画で。

そして、自ら購入した宝くじの方が大事と、より仏の近くで祈りを捧げる者も現れる。

※せめて一言我々に声を掛けてからやれよ、と、慌ててシャッターを切った瞬間。
 我々すら不気味に感じてしまった。。。


ちなみに鳳来寺でプロポーズされた、だの、鳳来寺に参詣したら待望の子ができた、だのの話は結構あります。
鳳来寺の恋愛・安産・子宝祈願については、その効能が既に確認されているのかもしれません。
※なお、あくまで個人の感想であり、必ずその効能を保証するものではありません。

どうやら、鳳来寺本堂付近は愛のパワーに満ち溢れている。
我々は確信した。
しかし、宝くじを高額当選させる、という点については、更なる今後の検証が必要のようである。

次回、「お願い、家康様!」
家康公は我々に微笑んでくれるのか?こうご期待。

新城市は縁起がいいらしい、と、宮城谷昌光氏が言ったらしいから検証したった。

2013年08月13日 | 縁起のいいまち新城
~プロローグ~

【古城の風景1 宮城谷昌光】より
『作手はふしぎな村である。のちにぎょう名を天下に馳せる奥平氏と菅沼氏を産んだといえるからである。こういう縁起の吉い地は、踏んでおいたほうがよい。』

作手は合併して、現在新城市となりました。
新城市内には中央構造線が走っており、近年、知る人ぞ知るパワースポットの穴場として知られています。
市外からパワースポットを求めて多くの方が来訪しているようで、住民にも「パワースポットって何?」と知られつつあります。

そんな話をしていたとき、仲間内で『古城の風景』の話になり、
「これって、パワースポットってことなんじゃないか?」
と、いう話となり、
「ならば、その効果を検証してみたらどうか?」
と、いう話になる。

パワースポットをネットで検索してみると、『気』だの『ゼロ磁場』だの様々な説明があるのですが、それを実感できる者はこの中にはいない。。。

どうやって効果測定しろというのか?

困惑した我々を重苦しい空気が覆った。

その時、
「パワースポットと思われるところへ宝くじを買って持っていったらどうか。」
と、誰かの口を借りて神が言った。

これならば、客観的な効果検証が可能な上、我々は実利を得ることができる。
これぞ『一石二鳥』。

欲にまみれた凡人の集いだけに、
「それだ!」
と、即決。

話は決まった。

しかし、我々には気がかなりなことが一つあった。
『高額当選をした場合、揉めるのではないか。』
と。

「あれだけ仲の良かった我々は、一体どこで間違ってしまったのだろう・・・。」
小田和正の「言葉にできない」の調べとともに、誰かが刃物を手にして呟くことになってしまうかもしれない。

欲にまみれた凡人の集いだけに、皆、同じ光景が頭に浮かんだ。

そこで、我々は予めルールを決めた。

『高額当選した場合、新城以外のパワースポットとその威力を比較する旅費として利用する。』

 ・億単位で当選⇒飛行機ファーストクラスで世界のパワースポットを訪れ豪遊する。
 ・千万単位で当選⇒新幹線グリーン車で日本のパワースポットを訪れ豪遊する。
 ・百万単位で当選⇒新幹線指定席で日本のパワースポットを訪れ豪遊する。
 ・十万単位で当選⇒自家用車乗りあわせで日本のパワースポットを慎ましやかに訪れる。
 ・万単位以下で当選⇒次回の原資とする。

ルールを決め終えたとき、誰かが言った。
「すごいじゃん。ファーストクラスだってよ。」
皆、億単位で当選を決めたかのような錯覚に捉われたのだった。

行動に移さねば。。。
こうして我々は、検証作業を始めることにした。

第1章 アタック1,425

我々が、この記念すべき企画の最初に選んだ場所は、
古来より霊験あらたかなことで知られる『煙厳山 鳳来寺』


今から1300年前に利修仙人なる仙人が開山。
仙人の霊力は大変強く、その噂は時の朝廷にも伝わり、時の天皇、文武天皇の病を治したといわれます。
そして、奈良の朝廷に向かう際に、利修仙人は鳳凰に乗って飛んでったとか。

※鳳来寺入口に立つ利修仙人像。どことなく「せんとくん」に似てますよね。それもその筈。作者は一緒。

そんな鳳来寺が大ブレークを果たしたのは戦国時代。
三河の領主松平広忠は、尾張の織田、駿河・遠江の今川などの強豪に挟まれ国の存続すら危うい状態。しかも、なかなか後継に恵まれなず、思いあまって妻の於大とともに子宝祈願のためこの鳳来寺に参篭します。

そして見事男児を授かります。

寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻。
この男児が産まれた時、鳳来寺にあった十二神将のうち、鳳来寺の本尊薬師如来を守護し、寅神でもある真達羅大将の神像が忽然と姿を消し、この男児が薨ずるといつの間にやら戻っていた、と言われています。

誰あろう、その男児の名は、
『徳川家康』

奥さんが怖かったり、食い逃げ未遂を起こしたり、うんこ漏らしたり、できもので死にかけたり、と、色々とありましたが、最後にてんぷら食って死んだ人です。
すごく断片的な情報ばかりでわかりにくいですね。
関ヶ原の戦いで勝って、260年続く江戸幕府を開いた人です。
その男を産んだ寺、それが『鳳来寺』なのです。

そんな訳で、江戸時代は多くの寺領を有し大変に栄えたのですが、江戸幕府を倒した薩長明治政府に目の敵にされてしまい、廃仏毀釈の流れも相まって寺宝は散逸、寺は荒廃、挙句の果てに火災により焼失します。しかし、日本でも有数の広大な山林面積を所有していたことが幸いし、山林景気で復活。
今に至ります。

祈ったら天下人を産んだ。
これをパワースポットと言わずしてなんとする。
実際、恋愛・安産・子宝祈願の寺として有名です。
まずは、ここをターゲットに定め、この企画の無事を祈ろうではないか。

「折角行くのであれば、車で頂上に登っちゃうんじゃなくて、1,425段の石段を上がれば御利益が大きいんじゃない?」
誰かが不用意に発したこの一言が、後に我々をさいなむこととなります。


まずは今回の検証に使用する宝くじを購入する。

この時期、残念ながらジャンボが発売しておらず、やむなくスクラッチを購入。
当選しても最大200万円ですが、これならば、その場で結果が見えるので効率的。
ついでに、7月4日発表の自治宝くじも購入。こちらは当たれば1億円!


売り場の方と話をすると、
「こないだドリームジャンボでうちから1億出たけど、その人、鳳来寺山に登って祈願したと言ってたよ。」

『ななななななんだとぉぉぉぉ!』
我々のやろうとしたことを既に実践し、実際に御利益を得た者がいるだとぅ!
ならば、我々も御利益を得ることができる筈。
そう思ったのでしょう。

皆で出し合ったお金で宝くじを共同購入した後、「自分の分をついでに買っておこう。」と抜け駆けする者が現れ、気が付けば全員自分用も購入していました。

※『修羅の群れ』という言葉を図示するとこうなる、の図。

「どうしよう。高額当選したことがバレると変な寄付依頼が殺到したり、親戚が突然増えるというから。気をつけないかんね。」

鳳来寺へ向かう車中、我々は既に当選後の心配をしていた。
高額当選の。

鳳来寺山麓の無料駐車場に車を止め、歩いて山頂に向かう。
途中、我々の目に飛び込んできたのは弁財天だった。


「弁財天。インドの神様から来てるらしいが、財を司る神だと。」

財と司る神!

神は一瞬で我々のハートを鷲掴みにした。
これは、効果を試さないといけないでしょう。いけないでしょうよ。

修羅の群れは一斉に弁財天に群がり祈りを捧げる。
そして、いよいよスクラッチを削り、皆が息を潜め見守る中、初の結果が現れた。


この模様は動画で!



「鳳来寺の階段も登らずに霊験を得るなど、虫がよすぎるんじゃないか?」
この一言は妙に説得力があった。

そうだ。
栄光は苦難の末にある。
楽して儲かる話にろくなモノは無い。
我々は大いなる心得違いに気がついた。

さて、気を取り直した我々一行は、鳳来寺本堂を目指して進む。
そう。まだ、石段まですら行っていないのであった。
アスファルトで舗装され、少しだけ傾斜が付いた平坦な道を進んでいるだけなのに、既に眉間に皺が寄っている者がいた。
「あかん。私、もうエライは。」(エライ、は、「疲れた」「しんどい」の方言)

これから1,425段の石段を登る。
しかし、既に音をあげそうな者が。

『大丈夫なのか?、本当に登れるのか?』

という疑念が、真夏の入道雲のように湧き上がった。

途中、若山牧水の碑を見つける。

※なんとなく同じポーズを取ったら、想定外に似ていたの図。

この若山牧水。
鳳来寺の仏法僧の声を聞くために訪れ、鳳来寺紀行なるエッセイを書く。このエッセイがヒットし、鳳来寺の参詣客が激増したとか。
ちなみに、若山牧水は酒の飲みすぎで、死去した際、残暑の時期にも関らず遺体が腐敗しなかったといわれています。
生きながらアルコール漬けに。。。ちなみに、この鳳来寺にいるときも、妻に酒代をくれ、と、ねだっていたりします。

そんな小ネタで体力を図りつつ、ようよう参道入口に到着。
この石段。運動不足には結構きついが登ることは可能、という絶妙な設定。

我々はここで、『石段を苦労して登ること自体に御利益があるのでは無いか』と考えた。
そこで、0.1t近い体重を誇り、明らかに石段向きでないM田氏が、もっとも石段踏破の御利益を得るはずと考え、彼の帽子の中に宝くじをありがたく押し頂き登ることとした。

※タオルを頭に載せ、

※帽子をかぶる。

※こんな感じ。

鎌倉時代に源頼朝が整備したと言う石段。


石段を登りパワースポットの効果を得ることはできるのか?
いよいよ石段を登り鳳来寺本堂へ!
そこで我々は驚きの光景を見る。

次回『鳳来寺本堂から愛が見える』
お楽しみに。

お白石持ち

2013年08月11日 | 日記
義母の家が三重で神社をやっている関係で、伊勢神宮式年遷宮行事の一つ「お白石持ち」に参加してきました。

伊勢神宮の本殿地内に敷く石を御奉献する行事。石の入った樽を運び、最後は白布に石を包み、それを持って置いて来る、という行事です。なにせ、魂が入れば天皇陛下も入れない、という神域に魂が入る前ということで、我々のような一般人(かつ仏教徒)ですら入ることができる、という貴重な行事です。ありがとう神仏混交。

今回を逃せば20年後。
ありがたい話なので行って参りました。

5年位前にも「御木曳き」という行事に参加しています。
これは神宮社殿に利用する木を同じように曳いて御奉納する行事です。
御木曳きは外宮。お白石持ちは内宮。

期せずして、両宮への奉献に参加することができました。

前回の御木曳きのときは、我々の組は高齢者が多く、えらい時間がかかった記憶があります。当時はまだ、娘息子はおらず、夫婦で参加。
今回は、前回よりも暑い時期。まして38度を越えることが予想されるだけに、熱中症の心配がありました。

今回のお白石持ちは朝一番の組で8時スタート。
朝4時おきで5時に集合。すでに気温は29度。
このままいけば、どうなることやら、と、心配になる。

御木曳きのときと同じ白装束に身を包み、前回と違うのは白い帽子が支給されたこと。
直射日光による熱射病を防ぐためと思われます。
その上から日の丸鉢巻を巻く!

※恒例の目伏せ付き。

「まるで宗教だな。」
って、宗教そのものです。

と、いう会話は以前の御木曳きの時。

前回の御木曳きのときは、奉曳車のすぐ前で、スピーカーからガンガンと「エンヤー、エンヤー」と流れてきて耳が痛かったですが、今回は先頭。

逆に奉曳車が全く見えず・・・。


実際に曳いていたのは、コレです。

※写真撮っておいてよかった・・・。

さて、綱が前まで届きました。
まるで濡れた消防のホースのようで、重いため一度おろすとあげるのが大変なためか「持ってくれ持ってくれ、降ろすな、降ろすな。」と指示が。

※皆で持てば軽い。一人じゃとても持てないでしょうが。

さて、色々と説明がありまして、長くなる。
結構年配(65以上?)の方が多くて、暑くなって熱射病が怖いのと、綱持って立ってるのが辛いので「早くしてくれ。」という声がさざなみのように広がる。

多分、私の見渡す限り、自分は若い方から数えたほうが早いと思われます。

いよいよスタート。
予定より10分くらい早く始まりました。

『軽っ!』
というのが最初の感想。

前回の御木曳きの時は、なかなか前に進まない、という感じだったんですが、今回は「あれ、誰か勝手に引っぱってる?」という感じ。軽い。車の近くと遠くの違いなのか、それとも、石と木の重さの違いなのか。
願いが叶うときは石が軽くなる、とかいう昔話を思いだしながら、自分に都合の良いように解釈をする。

沿道の人もお茶などで供応してくれます。
途中、休憩時に伊勢音頭などの披露もある。

※御木曳きのときにも見ました。地元のボランティアの方のようです。

で、40分くらいも歩いたでしょうか。
もう、ゴール。

※ゴール地点で縄を巻き取ってます。この最初の頃に歪むと巻取りが大変なんでしょうね。新城市勤労青少年ホーム軽運動場のカーペットを思い出しました。(めちゃくちゃ内輪ネタですいません。)

『え?もう?』
と、いうのが最後の感想。

前回の御木曳きの時は、炎天下の中『エンヤー、エンヤー』と掛け声は響くものの、全然進まず掛け声をかけている人が「もっと引っぱってください!」と言っていた位。1時間半は引っぱったと思います。引っぱると言うか、結局立ち続けになるのでくたびれる。
今回は疲労が少ない。

先頭を歩いていたので、早かったのでしょう。

御木曳きと違い、お白石持ちはここから更に行事があります。

それは、まだ魂の入っていない新本殿に石を奉納しに行く、というもの。

これがすごいのが、御神体を移し終えると、この場所には天皇陛下ですら入れなくなるのです。
まだ、魂が入る前の作業工程としてならば、人夫として入ることが可能、ということ。

御垣内参拝でも近寄れない場所に入れる、というのは、お白石持ち行事の大きな特徴です。
石を運び終えると、そのまま宇治橋を渡り内宮へ。


そして、石を包む綺麗な白布を頂き、そして、石をいただきます。

※若者には大きめの石をくれます。笑。

石を持ちつつ、いよいよ新本殿へ。

※写真撮影の限界。ここからは携帯も電源を切ります。

なんだかよくわからないまま、石を持って中へ進みます。
隣に現在の本殿があるのですが、茅葺屋根の痩せ具合を見ると、20年の間にこんなに変わるのか、と、驚きです。新社殿の萱は堂々と膨らみ、綺麗に刈りそろえられていました。
そして、なにより、総檜造の社殿は黄金色に輝いています。

実際にみると、その威容は相当な迫力を持って迫り来て、静かに主の到着を待っていました。

『マンガ日本の歴史で見た、卑弥呼とかが住んでる建物そっくり。』などと思う。

ところが、一体、どこへ石を置けば良いのかわからない。このまま更に奥があるのかどうかわからず、まごついていると、
「ここ、ここが本殿。」
と、誰かが言い出し、
「おお、ここで石を置かねば外でてまう。」
と、皆がめいめい置く。

やはり、一番本殿に近いところに置きたくなるのが人情。
そのままで出てしまい、戻った人もいるそうです。

「欲が深すぎると、そうなる。」
と、誰かが本殿敷地を出た後つぶやいて、一同爆笑。

それもきっと良い思い出になるのでしょう。
今までのお白石持ちでも、きっと同じような人がいたんじゃないかと思います。笑。

ちなみに、このお白石持ちは、どうやら今回から本当の神領民以外に開放されたとか。

妻の従兄の禰宜さんと話していましたが、20年ごとに建て替えるのは、若返るという意味もあり、国家の若返りも祈念しているそうです。そして、20年ごとに建て替えることで、連綿と古代より同じ形式のものを受け継ぎ、残し続ける、という発想だそうです。
石造りの建物が残り続け、木造のわが国の建物は残らない、と、常々残念に思っていたのですが、木造建築は、人の手を介在することで、常に新しい形で継承し続けることができる、という発想があったことに、大変な驚きを覚えました。

要は、人手と維持費がかかるのですが、同じ形式で残せば永代残る、という発想ですね。

だからこそ、前例踏襲ということが大変重視されるそうです。そして、その発想が役所には残っているのではないか、というのは禰宜さんの見解。納得。

人手と維持費がかかる、ということは、日本に余裕がないとできない。
そういえば、戦国時代は式年遷宮ができてなかった、という話を思い出す。
実際、wikiで調べると1462年の次は1563年。100年も間が空いています。

今回の式年遷宮が550億という巨費がかかりながらも、挙行できたのは、まだ日本に体力がある、ということなのでしょうか。

「昔は国家神道だったので、国が面倒を見てくれたのですが、今は民間で調達をしないといけない。」
とのこと。

伊勢神宮が注目を浴びることで、皆が興味を持ち、それこそ「ええじゃないか」的に人が参加して継続してければ言うことは無いです。20年後の平成45年の式年遷宮がどうなるのか、気になるところです。

さて、伊勢神宮が注目を浴びるきっかけを作った「おかげ横丁」を作った赤福へ。

お茶と3つで280円位だったかと。
アンコがこれでもか、と、乗っかっています。餅が柔らかく食べやすいのが作りたての特権かと。

折角来たのだから、と、さらに「へんば餅」の店へ行く。
ここで馬を返して、ここからは歩いて伊勢に参拝しに行く場所にあったから「へんば(返馬)餅」と言うそうです。そして、地元以外ではあまり知られていないのですが、ここの餅のうまさは絶品。きづけば10個くらい、あっという間です。

で、へんば屋まで足をのばし、20個土産に購入して、2個をその場で食べる自分用に。

相変わらずうまい。140円でお茶はセルフで飲めます。
ちょっと内宮から離れてますけど、お勧めです。

そして、止まらなくなり、豚捨へ。

ミンチカツとコロッケを購入して貪り食う。
朝早く、そんなに喰わなかったので腹が減ってたのです。

そして、大量に食った後、バスに戻ると、11:30出発と聞いているのに9:45で既にほとんど揃っている。
どうやら、出発時刻が早まったようです。高齢者が多いので早めに終わりたかったようです。
皆さん、荷物が重いので荷物を置きにバスに戻った際に時間変更の連絡を受けたのですが、私のように荷物を持って移動した人間は時間変更をきいていなかった。そのため、責任者が一人残り、1名を待ちうけ、他の人はバスで次の会場へ移動しました。。。

外宮へ行き参拝をしたかったのですが、ここも時間を短縮されてしまい、せんぐう館を見るので時間を使い果たす。

なかなか良かったです。

こまかい仕事をしているさまを見ることができます。
BSの番組を見ているよう。

外宮の回りにも最近おかげ横丁的なものができた、と、聞いていたので、本当は見たかったのですが、その時間がない。まぁ、次回のお楽しみということで。

その後、昼飯を食べる場所が神社の近くで確保できなかったことから、なんと、伊勢安土桃山文化村で昼食を食べることに。


その昔、「伊勢戦国時代村」と名乗っていたあれです。
ニャンまげなるゆるキャラ的なものがいて、「来て、ちょんまげ~」のCMで有名なあそこです。
まさか、こんな形でいくことになるとは・・・。
これも、お伊勢さまのお導きかもしれない。

もう、とにかく道の看板から突っ込みどころ満載。
「安土桃山文化村」
なのに、花魁の絵が。

花魁は江戸文化じゃないのか・・・。
そして、忍者関係のものがめちゃくちゃ多い。
安土桃山文化って忍者と花魁でまとめていいのか、いや、よくないだろう、と、思うが、まぁ、そんな指摘をしてもしかたないし。しかし、来場者は「おお、これが安土桃山文化か」と思われると「いや、違うだろ。」と言ってあげたくもなる。

中にはかなり係りの人がいます。
広いため、客が目立たず、係りの人がめだってました。これだけの人件費を賄い、かつ、広大な敷地の維持をするには、あの入場料はやむを得んな、と、思ってしまう。

中では、ちょくちょく有料施設がありまして、特に気になったのがコレ。


あ、安土城じゃないですか!?
しかも、結構頑張って復元したようです。

が、伊勢に安土。
たぶん、これがあるから安土桃山文化村、という名前にしたのでしょう。が、中はほとんど忍者アトラクションと花魁。このミスマッチさが、いにしえの栄華を誇り多数の建物がありながらも、あまり使われていない感じになっている現在の状況とあいまって、物悲しさを醸し出していました。

※出演者が2名なんでしょうか・・・。

ちなみに、安土城の入場料は

『500両!』

1両10万で換算しても、5億円!

ちなみに、園内で通用する通貨の単位だったので、現在の日本円に換算すると500円のようです。
よかった。なら、まだ500文くらいの方が現実味がある気がします。

そして、黄金の像があるので、ひょっとして秀吉か?!と、駆け寄る。


なぜか、天神様・・・。
菅原道真公でした。

なぜ、なぜ?

天神様は平安時代だよね?ここって安土桃山文化村なんだよね?と、我が目を疑いました。
しかも、なぜ黄金?

きっと、この施設を計画したとき、計画した人は楽しかったんだろうなぁ、と、しみじみ思いました。
『維持し続けることの難しさ』を感じ、式年遷宮のことを思い出しました。

安土桃山文化村。
このカオスな世界、私は嫌いじゃない。
頑張って欲しい、そう願わずにはいられませんでした。


※頑張れにゃんまげ公。

そして、前回の御木曳き同様、へんば餅明和町店に立ち寄る。


前回は、それこそ取り付け騒ぎのように、万札を握り締めたじさま達が「こっちに10個入り10箱くれ!」「こっちは15箱!」と大騒ぎになり、店の人が「まだありますから!」と一括していましたが、一向に騒ぎが収まる気配がない。

そんな昭和の金融恐慌みたいな映像が頭に焼き付いていたのですが、今回は足が痛くて御木曳きのとき歩けなかったのに、猛スピードで店に向かったような老人もおらず、皆、節度ある行動で並んで買っていました。

少々残念でしたが・・・。

私も追加で20個。計40個も購入しましたが、家に変えると妻の姉一家も来ており、あっという間になくなる。

恐るべしへんば餅。

お白石持ちも次は20年後。
20年後も健康で参加できることを願っております。

出会い ~縁とは不思議なもの~

2013年08月08日 | 日記
エアコンが一つしかありません。
とりつけられるようなものが1箇所しかなかったため、諦めて一つだけつけておりました。

が、暑い。

死ぬほど暑がりの自分としてはクーラー無しで寝るなんて信じられない、という性質。
なので寝室につけたのですが、夜は子どもが寝るためクーラーを弱めざるを得ない。

すると、こうしてパソコンの更新作業などをしていると暑い。

労働安全衛生法違反だろう、というくらい暑い我が社の部屋(一度お越しいただければ、信じられない環境に驚かれると思います。もともと冷房が効いてないのですが、特にキツイのが定時で冷房が消された直後にまだ西日が差し込んでるとき!残業は灼熱地獄です。生きながら地獄に落とされる我が身。よほど悪行を積んだのでしょうか。)に比べれば涼しいのですが、じっとしていればいいのですが、ちょっと動くと汗ばむ感じ。28度くらいなんでしょう。

どうやら住んでいろいろと聞いていると、こんな部屋でももう一つつけられないことはないらしい。
倉庫で眠っているエアコンが一つあるので、それを付けてもらいたいなぁ、と、思い、引越し屋に引っ越してからしばらくして連絡したら業者を差し向けてくれた、という話を聞いて、うちの引越し屋に連絡したら、いい返事を貰う。で、提携業者からの連絡を待っていたのですが・・・。

1ヶ月経過してしまいました。

まぁ、そりゃこんな忙しい時期と思われる時期に頼んでも、どこもなかなか来てはくれんだろうねぇ、と、諦めました。

昨日、妻が子どもを連れて近所の商店街のお祭りに行ってきたのですが、街の電気屋さんがやっていたのを見つけて、ふと見ていたら、子どもをあやしていたそこの娘さんに声を掛けられて頼んだそうです。

そしたら、もう今日見積もりに来てくれました。

引越し時に取り付けてくれた値段とほぼ同一でつけられる、とのこと。
しかも、早いほうがいいだろう、と、来週の月曜日になりました。

いや、正直諦めていただけに、何とまぁ、運のいいこと。
これも、妻がたまたま見て、声を掛けられたという縁。
不思議なものです。

縁と言えば、趣味でやっている歴史でも、いろいろとお会いする方がみえます。
ブログとかやっていなければ会えなかった方や古宮城の整備をしていなければ会わなかった方もいます。

縁と言うのは不思議なものですねぇ。

瓶に酒が半分。

2013年08月05日 | 日記
瓶に酒が半分。

「まだ半分もある。」
と、考えるのか、
「もう半分しかない。」
と、考えるのか。


残業で遅くなりまして、携帯がなる。
「豪雨情報。21:50から40mm」と書いてある。

自分の業務の進捗具合を見ると、丁度職場を出て帰宅する時刻かな、と、いう感じ。

『なんだよ、土曜日も仕事だし、今年度は残業続きだし、今日も残業した挙句、ダダぶりの中を歩くのは叶わんな。』
と、少々腹立たしく思いながら、なんとか早く仕事を終わらせようと思う。
が、次々と「あ、忘れてた。」というものが思い浮かんで、なかなか帰宅できない。

そして、21:45頃、なんとか本日は帰宅しても大丈夫そうな感じとなる。
「うわー、最悪のタイミングだなぁ。」
と、呟くが、ふと、気づく。

ヤフーの天気予報メールの登録をしているから届くのですが、これが居住地新城市のまま。
なので、あの情報は新城市の情報だったのです。

職場を出ると先ほどまで降っていた雨がやんでいる。
「おお。なんとラッキーな。」
と思いながら歩く。

幸い、傘を使うことも無く無事帰宅できました。

で、風呂に入っていると、『ザー』という音が。
突然大雨が降りだしました。

しかも、風呂でて飯食ってパソコン開いていたら、雷がバンバン落ちてるわ、ザンザン雨の音してるわで、もう大変。

「ああ、濡れずに得した。」
と、思いました。
残業なんぞしたくは無いのですが、なぜか雨のお陰で気分がよい。

ま、気分が良ければ全てよし、ということで。

ジョギングと城

2013年08月03日 | 日記
最近、夜がめっきり涼しくなりましたね。日中は暑いですが。
今日、町内会の清掃をしていたときに妻子が青森に帰省している方に話を聞いたら「青森は最高気温が26度」とのこと。

ええええ、羨ましい、と、思ったのですが、どうやら「やませ」的な感じになっているらしい。
「やませ」
まみではない、地理の授業に出てくる「やませ」。

冷害で農作物に被害など出なければ良いのですが・・・。

さて、うちも妻子が実家に帰省していました。
残念ながら今日戻ってきてしまいましたが・・・。

よっしゃ、久々の独身じゃあ!
と、思いきや、めっちゃくちゃ本業が忙しくて、ほとんど仕事一色で塗りつぶされてしまいました。

が、少しはウォーキングする時間が取れたときもありました。
そして、本日も午前中に。

汗かきながら無心で歩く。いいもんです。
無心といいながらも、歩いている最中は、ほんと、どうでもいいことを考えながら歩いてるんですよね。
あまりにもどうでもいいので、次の瞬間忘れるレベルのことを。

私の散歩コースは名城公園です。
最近のジョギングブームで、めちゃくちゃ一杯人が走ってます。
名古屋城周回よりも名城公園のランニングコースの方が人気があるような気がします。

そういえば、フェイスブックを見ておりますと、大学時代の後輩が現在皇居ランナーになっている模様。
かなり嵌っている様子が見て取れます。

「そういや、城の周りってランニングコースになってる例が多いよな。」
と、頭をよぎる。

『そうか、やっぱりみんな城が好きか。』

と、思ってみたが、いや、違うだろ、と、心の中でひとりツッこむ。

なんでかなぁ、と、思ってネットで検索してみると、答えは簡単でした。
「信号が無い。」

なるほど!
山田君!座布団一枚!

と、思わず膝を叩いてしまいました。

ウォーキングの自分ですが、確かになんで自分がランニングコースへ行くかと言うと、邪魔なく自分のペースで歩けるから。非常に納得しました。

まぁ、みんな鯱とか見たかったんじゃないんだ、と、少々残念に思いましたが。

ちなみに名古屋城周辺は一部狭いところがあり走りにくいのですが、名城公園は1周が1,300mくらいですがコースが整備されています。だから人気なのでしょう。

ウォーキングしていると途中に池が出てきます。
名城公園って元々湿地で池とかがあった場所なんですよね。

『この池は人工的に作ったのか、元々あったのを利用したのか。』

人工的に造った臭い感じもありますが、一体どっちなんだろう?

歩いている最中は、ほんと、どうでもいいことを考えながら歩いてるんですよね。
あまりにもどうでもいいので、次の瞬間忘れるレベルのことを。


日本の馬は、実際戦国時代使えたのか?

2013年08月01日 | 戦国逸話
昨日は、戦国一のサディスト福島正則をご紹介しました。


※目つきがもう・・・。

さて、この正則、馬について一家言あるようです。

昔から日本の馬は小さく、耐久性が低く、西洋のような騎馬隊編成ができなかった、と、言われています。
だから長篠合戦のとき、武田の騎馬隊なんか無い、という主張に繋がる訳です。

よく雑誌の特集なんかですと「日本の馬はポニーみたいな大きさ。そんなのに跨って役に立つ訳がない。」位の勢いで論調しているものまであります。

が、実際、当時の馬に近いだろうといわれる木曽馬などを見てみると、それなりに立派。


当時の日本人は小さいわけですから、西洋人の体格とサラブレッド、日本人の体格と木曽馬、と、考えた場合、そう、めちゃくちゃ駄目な馬、と、決め付けるのもいかがなものか、と、思っていたのです。

特に馬について調べるつもりも無かったのですが、名将言行禄で福島正則を読んでいたら、正則がこんなことを言ってました。

○馬・鑓
 正則が言うには、
「馬上で鑓で人を突くときは、図らずも落馬することがある。馬の力で突くのがよろしい。また、馬は小さいほうが良い。甲冑着て大馬には乗りにくいからだ。また、鑓を短くしてはいかん。広い場所、足入、舟戦などでは、ちょっとでも長いほうが良いんだ。」
とのことだった。

鑓で人を突くと、人でつこうとする勢いが止められ、その勢いが自分に跳ね返る、ということなんでしょう。
騎馬武者の突入に対しては、槍の密集体型(槍衾)を作り、長柄の槍を揃えて低い姿勢で待ち構えると、槍に刺さった馬が、梃子の原理のような感じで反動で吹っ飛ぶ、という記事を読んだことがあります。
それと一緒で、鑓で無理に突くとその勢いが跳ね返り落馬する⇒自分の首が・・・。
と、いうことなのでしょう。
日本の古武術等が相手の力の反作用を利用することが多いのは、こうした接近戦から編み出されたものが多いのかもしれませんね。

そして、いちばん驚いたのが、
「馬は小さいほうが良い。」
とか言っていることです。

その理由は、大きい馬には甲冑着て乗りにくいから。
在来種が小さいから、というより、小さい馬を好む武将もいたんだ、ということに驚かされます。
しかも、これだと、馬に乗って戦っていることもわかります。
よく、実際の戦闘は馬から降りていた、という話を聞きますが、そうでもない場合があるようです。

確かに、大きい馬だとなかなか御しづらい、しかも、甲冑着てるし、と言う感じのようです。
大きければ戦いに有利、と、根拠も無く思い込んでいたのですが、ちょっと目から鱗の話を提供してくれた福島正則でした。

ただ、逆に言うと、
「小さいほうが良い」と言ったということは、普通は「大きいほうが良い」と思われていたともいえます。

そうなると、前回の話で、後ろ向きに乗った馬は小さかった、ということなんでしょうかね?