長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

山城を巡るといふこと⑥ ~体力消耗萌え~

2012年01月31日 | 山城を巡るといふこと
 山城跡を攻める場合には、激戦となることがあります。
 きつい斜度に苦しめられ、

 現在は草が生い茂り、

 転落の危険性すら…。


 こうしたハードな行軍時に、苦痛に顔が歪む軍勢の中に、稀に恍惚の表情を浮かべ陶酔しながら歩いている者がいます。けして苦しみのあまりおかしくなったのではなく、体力の消耗を無上の喜びと感じているためで、これが体力消耗萌えの正体です。
 また、突然猛スピードで走り出して、普通の人があえぎながら登っている山道を高速で駆け上がっていく場合もあり、周囲を唖然とさせることも多い。こうした己の体力の限界に挑戦する喜びを持っている場合がありますが、周囲からドン引きされている場合もあります。
 このタイプは城にあまり興味のない場合も多く、城好きと分類してよいかどうか疑問が残るため、今後、さらなる研究が必要です。

 城そのものというよりも、城攻め時における現地の食べ物や温泉に萌えるタイプもいます。城攻め時付随のものに萌える、という点で共通しているため、共通のカテゴリーで語られることも多いようです。

山城を巡るといふこと⑤ ~現説萌え~

2012年01月23日 | 山城を巡るといふこと
 各地で行われる発掘調査などの現地説明会や学者などが講師として登壇する歴史に関する講演会に出向くことを生き甲斐としている、最も学術的なタイプです。


 専門的な知識も豊富で学者顔負けの人も多いのですが、研究時間を取ることができるという条件が必要なので高齢の方が多いのも特徴です。
 講演会や現地説明会には、本来知的欲求を満たすために参加している筈なのですが,説明や講演を聴いているうちに自らの知識を披露したくなり、質疑応答時にひたすら自分の知っていることを蕩々と述べだし、質問なんだか自慢なんだかよくわからない話を延々と始めてしまう傾向にあります。こうした場合、自分が得意満面になればなるほど、周囲の失笑を買っていますので、十分に注意しましょう。
 なお、このタイプが惚けてしまった場合、介護に困惑することが多くなりそうです。自分の配偶者がこのタイプの場合、要注意です。

山城を巡るといふこと④ ~縄張萌え~

2012年01月23日 | 山城を巡るといふこと
 ちょっと知識の深まったシロタビスト(城を巡る人)に多いこのタイプ。



 城は人間の生き死にがかかった知恵の結晶。その工夫の数々である堀や郭の配置プランを読み解いて歩くのが『縄張萌え』です。
 建造物と違い、比較的後世に残りやすい土塁や堀などを見て歩くため、訪問場所が豊富に存在するという僥倖に恵まれています。

 「馬出」や「枡形」といった専門用語を駆使し、いかにもプロっぽいこのタイプは、他人から見るとただの藪や山、地形のへこみにしか見えない場所で「こ、これは!」と叫んで興奮し、同行者の気持ちも存在も置き去りにして遺構へ突っ走っていくため、同行者からも、そして通りがかりの人からも嫌がられる場合が多いです。
 また、普通に城を巡っている人からみると、突然順路外の藪から現れて断崖絶壁を下り堀底へ降りていくという、理解不能な不気味なタイプでもあります。

 こうしたタイプと不幸にして同行することになった場合、その豊富な知識によりただの土地が観光名所に早変わりするというメリットを享受できますが、「面白い。」などとほめてはいけません。うっかり誉め言葉を口に出そうものなら、ひたすら城に関する話を述べだして止まらなくなります。あなたはきっと、その一言を後悔することでしょう。

 このタイプが昂進すると崖をみては「切岸か?」、側溝をみては「ここに堀が・・・。」などと、すべての建造物を城に結びつけて突然笑い出したり、独り言を言ったりする少々危ない状況になります。縄張萌えと知り合いになったら、用法・用量を守って、正しくお付き合いされることをお勧めします。

山城を巡るといふこと③ ~数萌え~

2012年01月18日 | 山城を巡るといふこと
 城を巡る、という中にもさまざまなタイプがいます。
 そんなタイプを私なりに分類してみました。
 本日は第3回目。『数萌え』についてです。

 スタンプラリーのように落城させた城の数を誇るのが数萌えです。(注:『落城させる』とは城の本丸部分までの見学を済ますこと。)

 行った城の多さをひたすら追求し、城と見ればとにかく落城させることに歓びを覚えます。一日に6城落城などという猛者もいます。強靱な体力と精神力が要求され、かなり忙しい旅になるため、1人~3人程度の少人数による旅を好む傾向があります。
 同行者が城好き初心者の場合、あまりにせわしない旅路に辟易し、かえって城嫌いにしてしまう可能性もあります。数萌え型が、つきあい始めたばかりの相手とデートをする際に、うっかり城の旅を実施したばかりに悲しい結末を迎える危険性も指摘されています。

 恋の破談以外にも、目的地に行く途中に「あ、こんな所に城が・・・」ということで、いつまでたっても目的の城にたどり着けない『遭難』を起こしやすい悲劇の類型です。幼少の頃に昆虫採集やポケモンカードの蒐集に力が入っていた方は、まちがいなくこの類型に発展する素質を秘めています。

 なんとなく悲劇的な感のある数萌えですが、様々な城を見ることで眼力が養われ、優秀な城ヲタになる可能性も秘めています。
 なお、恋人がこのタイプの場合、異性に対して『数萌え』を発揮する場合があるため、充分な注意が必要です。

城を巡るといふこと② ~逸話萌え~

2012年01月17日 | 山城を巡るといふこと
 城を巡る、という中にもさまざまなタイプがいます。
 そんなタイプを私なりに分類してみました。
 本日は第2回目。『逸話萌え』についてです。
 
 様々な逸話の現場に出向き、現場検証を行う、それが逸話萌えです。それは、その地にまつわるネタを求めて移動するジプシーのよう。

 歴史が好きになるということは、歴史上の逸話(エピソード)にどれだけ共感できるか、が、大きく影響しています。逸話に共感するあまり現場へ出向いて確認せずにはいられない。それが逸話萌えの本質です。

 ここで長篠合戦が行われて織田の天下への道が確定したのか、あるいは、関ヶ原で天下の帰趨が決定したのか、はたまた、諏訪大社で明智光秀が織田信長に蹴り倒されたのか、そして浜松城で家康は食い逃げした上にうんこ漏らしながら入城したのか・・・。
 こうした数々の歴史の現場に出向いては、いにしえに思いをはせる訳です。
 そして、こんな写真をとってしまうわけです。

※織田信長に蹴り倒される明智光秀の再現図
諏訪大社神宮寺にて甲斐武田討伐の論功行賞中。
光秀:「ようやく武田も滅び、お屋形様の天下じゃ。我らもよう働いた甲斐があったというものじゃ。のう、ご一同。」
信長「何!だれが働いたじゃと?!お前が何の働きをしたというのじゃ!」
光秀「はっ・・・!いや、出過ぎた事を、申し訳ご・・・!」
信長「やかましい、この金柑頭め!こざかしいわ!」
信長、光秀を蹴り倒す。目をそらす重臣達。
この扱いが本能寺の原因の一つとも言われている。
注)本当に蹴ってはおりません。演技が上手すぎるのです。ただし、よい子は真似しない。

 逸話萌えは、お笑いで言えばツッコミタイプに分類されると思います。
 逸話という”ボケ”に対して自分なりのツッコミを入れに行れていることと同じなのです。歴史は相方ともいうべきものとなり、もはや単なる趣味の域を超えていくことになります。

 この類型は、城以外にも合戦場などでも興奮することも多く、ありとあらゆる場所で興奮できるという、ある意味危ない特徴も併せ持っています。また、他人にとってはどうでもいいような細かいエピソードを渉猟することになり、典型的な「オタク」に発展することでしょう。もっとも、城好きになった時点でオタクの仲間入りをしたようなものですが・・・。

 この類型にとって最大の注意点は、「エピソード現場は大概殺害現場である。」ということ。軽はずみな気持ちで行ったばかりに、ナビが狂ったり、カメラが壊れたり、喫茶店で一人分余分に水とおしぼりが出されたりする羽目になるかもしれません。御注意ください。

城を巡るといふこと① ~天守萌え~

2012年01月16日 | 山城を巡るといふこと
 城を巡る、という中にもさまざまなタイプがいます。
 そんなタイプを私なりに分類してみました。
 まずは最もポピュラーなタイプ『天守萌え』です。



 このタイプは城好きの基本型。典型的な城好きといえます。
 一般に「城=天守」と広く認知されていることもあり、城を愛する人々は、まずここから入っていくことでしょう。しかしながら、天守にはさまざまな意匠・工夫が凝らされており、嵌ってしまうとなかなかに奥が深く、まるで城を攻めている兵士のように困惑することでしょう。そして抜け出せない永遠の迷宮となっていることに気が付き、その時、我々は呆然とするのです。
 
 石垣、石落とし、狭間、瓦、壁面、破風、望楼型、層塔型・・・。

 このように、単に天守を見ることが好きという初期型の天守萌えから、いにしえ人の考え方を理解し、共感するという重症型天守萌えに進行することもある、実は奥が深い類型なのです。

 なお、先に述べた一般に広く流布されている「城=天守」という概念が「城好き=天守萌え」しかいない、と城に理解の無い人から誤解される弊害も産んでいます。実は城の何に萌えるかは様々な類型があるため、上記のような固定観念が、多様に存在している城好きを理解する上で大きな障害となっている面も否定できません。この誤解を解く為には、「城は天守だけではない」という事を一般に認識して貰う啓発が、今後ますます重要になることでしょう。

 人々を畏怖させ、また、憧憬の対象となった権力の象徴「天守」。

 天守は多くの城好きにとって、永遠の恋人として存在し続けることでしょう。そういう意味では、どんな城好きでも多かれ少なかれ「天守萌え」なのです。

 なお、亜種として「天守燃え萌え」があり、落城するシーンを思い描いて興奮するという、背徳の喜びに打ち震える人もいますが、文化財保護のためくれぐれも思い描くだけにしてください。