問題です。
戦国時代、太田三楽斎(太田道灌の曾孫に当たります。)が後北条氏の関東制覇に抵抗するため、岩付城と松山城を防衛ラインとしました。が、どうにも連絡が遮断されがち。
あるとき、後北条氏は松山城と外部との連絡の遮断に成功。一気に松山城へ攻め寄せ落城させようとしました。
しかし。
なぜかありえない速さで岩付城から太田軍が救援に来てしまい失敗しました。
ちなみに、後北条氏は松山城から岩付城へ連絡が行かないように、厳重に伝令がでるのを見張っていました。
一体どうして太田三楽斎は後北条氏の松山城攻撃を知ったのでしょうか?
答えは「犬」。
太田三楽斎は、こうなることを予想して、予め岩付城と松山城で50匹ずつ犬を飼っておき、犬を一斉に交換して配置していました。そして、夜陰にまぎれて犬の首に密書をくくりつけて松山城から犬を10匹岩付城に向けて放ったところ、帰巣本能で犬は岩付城へ帰還。
犬まで見張っていなかった後北条氏は、太田三楽斎が攻撃を察知したことに驚いた、というエピソードです。
我々はその松山城へやってきた訳です。
「犬、犬。犬を連れてくるべきだった。」
紀伊守実家のハチ(茶柴)か丹波守実家のユキ(黒柴)を連れて来れば、さぞ画になっただろうに、と、思うものの、さすがに一瞬の為に犬連れで2泊3日は無理。
ましてユキなど放とうものなら、どこかへ放浪してしまう。。。
あまりの技巧に少々食傷気味だった杉山城の次、そしてこの日3城目だけに、有名エピソードでもないと攻略意欲が萎え気味のアラフォー部隊。エピソードがある城だけに戦闘意欲を取り戻しました。
案外この城も、うにゃうにゃしてます。
※現地案内看板
郭が雑然と重なり合って、なおかつ、連絡の土橋と待避所的な広場が馬出的な感じになってるのは、北関東城郭の特徴か?
なんだか草創期の地球の大陸移動を見ている感じがします。
さて、上り口がよくわからずウロウロと歩いていくと結構な坂を発見。
いい加減膝腰に来ており、グルコサミンでも飲まないかんなぁと思ったころに虎口発見。
やる気が復活します。
いきなり本丸へ到達。落城です。
しかし、先の杉山城に比べて手入れがなされておらず、草が生い茂っていました。
曲輪の形状がわかりにくいのが残念。
そりゃ、城廻に最適なのは草木も枯れて虫もでない冬が良いのはわかってますけど、仕事してるとそうも言ってられない。行ける時にしか行くしかないのです。
本丸はさほど大きいとは思えません。
本丸現地案内看板の説明を念のため掲載します。老眼鏡の必要な方はご準備を。
そして二の丸へ向かいます。
土橋の両側は深い堀で、なかなか見ごたえがあります。しかも、横矢が掛かるように雁行してますし。
二の丸から下へ降りる遊歩道としてコンクリの階段がありましたが、草が生い茂り行き止まり状態。
進んでも良いのですが、ハチか蛇に襲われること必定、そうでなくても、マダニだのヒルだのに食いつかれそうで進む気になりません。
草が生い茂って、なんとなく頭の中の地図と一致しないのが残念です。
その後、二の丸から帯状曲輪へ向かう途中に馬出発見!
土橋の連結部が膨れているだけのような感もありますが、馬出機能といわれれば確かにそのとおり。このあたりでは、一見馬出?と、思えるこの機能が多いですね。
帯状曲輪から三の丸へ向かう。この三の丸は比較的手入れされているような感じがしました。
三の丸と帯状曲輪の間、馬出ができている分堀の形状が複雑さを増し、迷路状になっているのは個人的にはかなり好きな造形です。
杉山城で少々食傷気味な我々としては、結構素晴らしい縄張でありながら、通り一遍の感想しか漏らせませんでした。
一旦本丸に戻り、その後、車の止めてある岩室山龍性院方向へ向かう。
結構な下り。
しかも、最後には道?崖?的なところを降る羽目に。
急傾斜で足も滑るしかなり怖い。何より恐ろしいのは蚊の大軍が「飯じゃ、久々の飯じゃ。」と襲い掛かってきたこと。ウナコーワを持参していて良かった・・・。
なかなかに自然地形を活かして作られたこの城。
坂東武者的な荒々しさを感じさせてくれます。
後、やっぱり、犬連れが似合う城かな?
戦国時代、太田三楽斎(太田道灌の曾孫に当たります。)が後北条氏の関東制覇に抵抗するため、岩付城と松山城を防衛ラインとしました。が、どうにも連絡が遮断されがち。
あるとき、後北条氏は松山城と外部との連絡の遮断に成功。一気に松山城へ攻め寄せ落城させようとしました。
しかし。
なぜかありえない速さで岩付城から太田軍が救援に来てしまい失敗しました。
ちなみに、後北条氏は松山城から岩付城へ連絡が行かないように、厳重に伝令がでるのを見張っていました。
一体どうして太田三楽斎は後北条氏の松山城攻撃を知ったのでしょうか?
答えは「犬」。
太田三楽斎は、こうなることを予想して、予め岩付城と松山城で50匹ずつ犬を飼っておき、犬を一斉に交換して配置していました。そして、夜陰にまぎれて犬の首に密書をくくりつけて松山城から犬を10匹岩付城に向けて放ったところ、帰巣本能で犬は岩付城へ帰還。
犬まで見張っていなかった後北条氏は、太田三楽斎が攻撃を察知したことに驚いた、というエピソードです。
我々はその松山城へやってきた訳です。
「犬、犬。犬を連れてくるべきだった。」
紀伊守実家のハチ(茶柴)か丹波守実家のユキ(黒柴)を連れて来れば、さぞ画になっただろうに、と、思うものの、さすがに一瞬の為に犬連れで2泊3日は無理。
ましてユキなど放とうものなら、どこかへ放浪してしまう。。。
あまりの技巧に少々食傷気味だった杉山城の次、そしてこの日3城目だけに、有名エピソードでもないと攻略意欲が萎え気味のアラフォー部隊。エピソードがある城だけに戦闘意欲を取り戻しました。
案外この城も、うにゃうにゃしてます。
※現地案内看板
郭が雑然と重なり合って、なおかつ、連絡の土橋と待避所的な広場が馬出的な感じになってるのは、北関東城郭の特徴か?
なんだか草創期の地球の大陸移動を見ている感じがします。
さて、上り口がよくわからずウロウロと歩いていくと結構な坂を発見。
いい加減膝腰に来ており、グルコサミンでも飲まないかんなぁと思ったころに虎口発見。
やる気が復活します。
いきなり本丸へ到達。落城です。
しかし、先の杉山城に比べて手入れがなされておらず、草が生い茂っていました。
曲輪の形状がわかりにくいのが残念。
そりゃ、城廻に最適なのは草木も枯れて虫もでない冬が良いのはわかってますけど、仕事してるとそうも言ってられない。行ける時にしか行くしかないのです。
本丸はさほど大きいとは思えません。
本丸現地案内看板の説明を念のため掲載します。老眼鏡の必要な方はご準備を。
そして二の丸へ向かいます。
土橋の両側は深い堀で、なかなか見ごたえがあります。しかも、横矢が掛かるように雁行してますし。
二の丸から下へ降りる遊歩道としてコンクリの階段がありましたが、草が生い茂り行き止まり状態。
進んでも良いのですが、ハチか蛇に襲われること必定、そうでなくても、マダニだのヒルだのに食いつかれそうで進む気になりません。
草が生い茂って、なんとなく頭の中の地図と一致しないのが残念です。
その後、二の丸から帯状曲輪へ向かう途中に馬出発見!
土橋の連結部が膨れているだけのような感もありますが、馬出機能といわれれば確かにそのとおり。このあたりでは、一見馬出?と、思えるこの機能が多いですね。
帯状曲輪から三の丸へ向かう。この三の丸は比較的手入れされているような感じがしました。
三の丸と帯状曲輪の間、馬出ができている分堀の形状が複雑さを増し、迷路状になっているのは個人的にはかなり好きな造形です。
杉山城で少々食傷気味な我々としては、結構素晴らしい縄張でありながら、通り一遍の感想しか漏らせませんでした。
一旦本丸に戻り、その後、車の止めてある岩室山龍性院方向へ向かう。
結構な下り。
しかも、最後には道?崖?的なところを降る羽目に。
急傾斜で足も滑るしかなり怖い。何より恐ろしいのは蚊の大軍が「飯じゃ、久々の飯じゃ。」と襲い掛かってきたこと。ウナコーワを持参していて良かった・・・。
なかなかに自然地形を活かして作られたこの城。
坂東武者的な荒々しさを感じさせてくれます。
後、やっぱり、犬連れが似合う城かな?