長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

佐久島へ行ってきました。

2015年12月29日 | 日記
佐久島へ初めて行きました。

※アートの島としても有名。写真はおひるねハウス。

一色さかな広場横の渡船場から船に乗ると
「しぶきがかかるので船内に入ってください。」
と、係の人に言われる。
船内は大混雑。よく島へ行く人達はデッキのまま。私も少々かぶっても仕方ないのでスペースのあるデッキに立っておりました。

大間違い。

ぶわしゃーーーー!と豪快な水しぶきが襲いかかる。
うわ、こんなすっごい奴だったのか!と、思った時には、もう手遅れ。
思い切り海水を被りました。花祭りの湯囃子か、という位に。

※直撃弾が被弾した上司。後ろの色が濃い方が被弾側。

海、舐めてました。
すいません。

佐久島西港についても、服はびたびたのまま。

※こんなに天気が良いのに。三河湾の黒真珠と言われる黒板の建物群。

目的は佐久島年末ライブなるイベントを見学するため。
開始まで時間があったので 少しお散歩。
アートの島としてあちこちに体験型のアート作品があるのですが、最も人気が高いおひるねハウスに行く。聞けば行楽シーズンには行列が出来る程の人気でお昼寝しようにも背後からのプレッシャーで落ち着いて寝られない、と、聞いていました。

到着すると


まさかの誰もいない!
そりゃ確かに年末の朝一番の便で、クソ寒い時期にやってくる人も少ないわな、と、納得するも、行列覚悟で来たので拍子抜け。


これはありがたいとよじ登って寝転がる。


これは落ち着く。
自分は器が小さいので狭い所に来ると安心するのでしょう。
中は意外と暖かくゆったりできました。
が、意外と最上階の3階は高さがあり、登るときは良いですが、降りるときは結構怖いです。
ご注意ください。

そして、近くの古墳へ。


石垣古墳と書いて「しがけこふん」と読むそうです。
円墳でしょうか。そして、土が海風で飛ばされたのでしょうか、石室部分が露出しています。


中を覗くと石で壁が綺麗に作られています。
同行者に
「古墳とかは要注意なんですよね。昔、自分が考古学研究会で発掘してたらスズメバチに襲われたり倒木で頭を打って運ばれたりと、何かあるので結構自分は拝んでから見るんですよ。」
と、いうと、
「え、それ、結構苦手な奴。」
と、怯えられてしまいました。

一応、私も怖いので南無南無言ってから拝見しました。
この辺りの石は剥離しやすく加工しやすそう。ただし、脆さもあるので大きな塊で取り出すことが難しそうです。
海岸の石に筋が入って特徴的です。


自然に入った亀裂のようなものが見えます。
幾何学模様的に規則正しく入っており、なぜこのようになるのか大変不思議。
この原因を教えてくれる人がいたら、もっと楽しめるのですが。

あと、こんな石も。。。


結構グロテスク。ポットホールのようなものでしょうか?あちこちに穴の空いた岩があり、これまた面白い。海岸で石を見ているだけでも十分に楽しめます。海水も大変綺麗で心が洗われます。


さて、本題の年末ライブ。
どうも、ドイツやイタリヤの高名なオペラ歌手とジャズシンガーが日本公演の合間を縫って、お遊び的に開催をするものだそうです。
オペラなどという高尚な趣味は持ち合わせていないので、生で聴くのは初めて。


結構、島外からのお客さんも多かったようで盛況でした。
実際、始まると迫力が違う。


なぜか、パーカッションに忍者がいたりと遊び心も。


やはり声量が違う。
体全体で共鳴させて体が楽器、というのがよくわかります。
1時間程度の演奏会でしたが、拍手喝采で大盛況のうちに幕を閉じました。

さて、その後、帰りの船までに少し時間があるので島を散策。
こんなトトロが出そうな森を抜けると


紫色の海岸が。


きっと写真ではわかりにくいと思うのですが結構紫色なんですよね。
感動。
海岸も大変美しく夕陽が沈む様を見ていると、極楽浄土を昔の人が思ったのもよくわかる。補陀落渡海したくなってしまいます。


などと見とれていると
「うわっ!」
と、悲鳴が。

みると同行していたN君が水たまりに足を突っ込んでしまった。

※結構凹んでいる。

原因は綺麗すぎる水。
水たまりがわからないのです。

そして歴史好きがこじれ気味な自分としては見逃せないものが!
筒島に弁財天があるのですが、お宮の隣に兜岩なる岩がある。


説明書きを読むと
「武田軍勢が追っ手を迎え撃つためこの島に立てこもった際、信玄公が脱いだ兜を置いたと言われる。」
とのこと。

よく見るとこの弁財天にまつわる逸話が。


武田家の家臣なるものが弁財天を拝んだ際に玉眼が綺麗なのでくりぬこうとしたら地震が起きて家臣も病気で苦しんだ、とか。

なぜ佐久島に武田家にまつわる伝承があるのか。
当然、信玄が佐久島に来ることなどありえないはず。しかし、伝承があるということは、なんらか伝承を生み出す背景があったはず。別の話が信玄になったにしても、一体、信玄の勢力の影響など受けえないはずの佐久島に、なぜこのような伝承が生まれたのか。
大変に疑問です。この話、もう少し突っ込んで考えると、結構面白いのではないかと思います。


ちなみにこの弁財天。
入り口が枡形虎口形状で、まるで城。


この島には神君伊賀越えで家康が逃げてきた際に寺に立ち寄り家康を匿ったことから褒められた、という伝承もあるようです。この伝承は満光寺の鶏の話と同じ背景で生まれたのではないかと睨んでいます。

島の歴史をもっと掘り下げたい!と、痛切に思う。

と、まぁ、最後の最後は、やはり城だの歴史だのに落ち着いてしまう訳ですが、ゆったりとした時間が流れる佐久島は、都会の喧騒に疲れた身には大変安らぐ場所です。

アート作品や音楽、そして歴史。
訪れた人の好みに応じ対応してくれる島のように感じました。

小学館 少年少女日本の歴史の宣伝がツボに来る。

2015年12月27日 | 日本史
妻の実家で新聞読んでたら吹き出した。
小学館のまんが日本の歴史のシリーズの宣伝で。


見慣れた画。
そして、記憶のあるシーン。
おお、一番興味をひきそうな場面を抜き出してサンプルとして載せているのか、と、思って、よくよく読んでみると。。。




何の話しとんじゃ、羽柴秀吉と黒田官兵衛。
そして、徳川家康、大人買いの指示を本多佐渡に出したし。

ちなみに、この2つのシーンは続きページではありません。
最初は本能寺の変の通知を受け取った秀吉が動揺するも黒田官兵衛が天下取りを勧めるという、あの場面のページ。
そして、2つ目の家康と本多佐渡の話は、小牧長久手の戦いが起こる前に織田信雄から支援要請が来て秀吉との対決を決断する場面のページです。

両方ともに自分が読んだ時代ですから、既に30年近く前の内容ですが変わってないようです。
懐かしいし、元ネタを知っているので個人的には爆笑してしまった訳です。

ちなみに2つ目の写真で家康が回想している場面。
初めて気がついたのですが、逃げる家康の後ろで奮闘している本多忠勝の後ろ姿がある。


確かこのシーンは三方ヶ原の戦いで負けて逃げ帰る家康を思い出している時だったかと思います。

まだまだ続いているのが嬉しい限り。昔は全20巻だったのですが全23巻なので近現代史が増えたのかなと。以前、吉野ケ里遺跡でこの1巻の新装版を読んだ時、フグ中毒で死んでしまう一家の話がなくなっていたので、同行していた団にょと2人で大騒ぎになったことがあります。(こんなことで大騒ぎする2人を冷静に見ていたのは紀伊と佐渡)

きっと、新発見などがあって改定されている話もあるのかもしれませんが、小学校時代に読んだ漫画というのはいつになっても正確に思い出せるものです。自分が歴史好きになり、そして城好きをこじらせることになった出発点は、この小学館のシリーズに間違いありません。

自分の子供たちが小学三年生位になったら読ませよう、と、虎視眈々と狙っています。
そして、子供を日本史好きにして自分が行きたい場所へ思うまま行こうと企んでいる、悪い父ちゃんなのです。

ちなみに、このシリーズを読んで歴史の流れが頭に入ったおかげで、日本史は私の安定した得点源となり、一度だけですが高校時代の全国模試で日本史の偏差値が80を超えたこともあります。
お子さんが歴史を苦手としている方は、家康公も仰る通り大人買いを。笑。

師走

2015年12月20日 | 日記
気がつけば年末。
昨日、今日と冬らしい寒さですけど数日前までは気持ち悪い程の暖かさで、全く年末らしさがない。
そうでなくても年末年始の雰囲気が自分が子供の時分に比べて減っているというのに。
しかし、今週土日は少し年末らしかったのです。

それは年賀状を作ったから。
今年は七五三の家族写真を撮ったので、あれこれ悩む必要がなく楽でした。
写真に写る胡散臭い自分の笑顔を見ると、やはりプロというものは上手いなぁ、と、感心してしまいます。

そして、さらに年末らしさを醸し出したのが本の処分。
引っ越して間も無く3年を経過するのですが、本が増えています。そのため、今までクローゼットの中にしまいこんであったダンボールを開けて死蔵していた本の選別を。なんとか小さなダンボール2つ分の本を売り払うことに決めました。これもどうしようと悩むと捨てられなくなりますし、まして、中身を少しでも読もうものなら絶対に捨てられない。

その後、子供の遊び相手を。
どえらい寒さでしたが、だからこそ冬らしさを感じて、これまた年末を意識させてくれます。

子供達は、クリスマスと冬休みとお年玉が控えているので、しっかりと年末年始を意識できてるようですけどね。

伊那、木曾谷と塩の道

2015年12月15日 | 奥三河
Amazonで勧められたので買った本。


信玄の行軍ルートがわかるかや、と、思って買ってみたのですが、ちょっと意図していた内容とは違ってました。街道の日本史という吉川弘文館のシリーズですが、主要な街道にまつわる歴史がおさらいしてある本、という感じで、もう少し道の成り立ちや経路が詳しく書いてあるものを期待してましたので、その点では違ってました。

また、もう少し奥三河にも言及があるかな、と、思ったのですが、完全に信州中部と南部が中心で、これまた見込み違い。
この辺りは実際に手にとって読んでから購入できないAmazon的な見込み違いです。
が、それはそれとして、意図しない面白い話に出会える、ということが魅力でもあります。

一番「へぇ」だったのが

新城塩

塩の道、という看板を奥三河から信州に向かう道ではよく見ます。
塩が取れない内陸部への運送路として発達した経緯からついた名前ですが、足助でも新城でもよく聞く。一体、どういうルートで運ばれていたのかは正確には知りませんでした。

太平洋側から入ってくる塩を「南塩」と呼んでいたそうですが、この本によると2つルートがあったそうです。
矢作川ルートは大浜(碧南市)から川で岡崎に運ばれ、さらに足助へ陸送されたそうです。そこで各地からの塩が混ぜ合わされて品質が統一された「足助塩」となって馬で運びやすい大きさに詰め替えられ、武節から根羽を経て飯田へ運ばれたルートが1つ。
もう1つが豊川から舟で新城へ運び、新城の塩問屋から津具から根羽を経て飯田へ向かう「新城塩」。
新城や足助では岩塩も出ないですし海沿いでもないので塩は取れませんがブレンドされて品質を整えた場所の地名がついて運ばれていた、というのは大変面白い話。

そして、足助と新城からの塩が根羽で合流してから飯田へ、と、いうくだりで「なに?」となる。
武田信玄は野田城の戦いの後、鳳来寺から設楽町へ行き、根羽を通過して横畑というところで死んだ、と、言われています。
武田勝頼は長篠の戦いの後、田峰城に入城できず武節城で一服してから飯田に帰っています。
このルートは塩の道と一致してくる。と、いうことは、三河からの道はここが主要道として使われていたのか、ということを改めて確認できました。

さらに「中馬」の意味。
宿駅ごとに荷物を積み替えて運ぶ官製の輸送路だと宿駅ごとに手数料を取られて高額になっていたそうですが、荷物を発送地から届け先まで同じ馬で運んでいく、という中馬と呼ばれる仕組みが登場。手数料が安く済むので安価だったため主要な仕組みとなるそうですが、宿場と利権が対立して結構な騒動になったそうです。
そして、中馬があまりにも利用されており現状追認の形で認められたとか。ただし、認められた地域以外では中馬ができなかったそうです。そういう意味では中馬制度が利用できた街道は限られているので「中馬街道」という名称に意味がある、ということもこの本で知りました。
中馬が発達したのは、信州は山が急峻で川が運送路として使いにくいから、ということもあったようです。

あと国学の流行。
幕末に国学が流行しますが、知識として知ってますが理由は知りませんでした。
尊王攘夷の勤王思想に影響されたからかね、と、思ってたのですが、黒船来航などで従来の幕藩体制が動揺し、郷土防衛を行う村のリーダー層にとって同族的団結の強い村を運営するには、先祖祭祀の重要性を訴える国学が使いやすかったから、と、いう解説もなされており、なるほど、と、納得。

他にも尊王攘夷の志士を世話した女性松尾多勢子の話とか、スキーの時によく行った風呂片倉館のいわれとか、結構今まで聞き流していたり、深く考えずに利用していたものについても詳しい解説があって面白かったです。

個人的には、信州と三河は根羽経由が主要ルート、ということが確認できたのが大きな収穫です。

真田丸の謎 戦国時代を「城」で読み解く

2015年12月08日 | 
なんだか意図せず前回と似たタイトルにになってしまいましたが、今回は本のタイトルです。


お城博士奈良大学学長千田先生の本。
別に私は千田先生と全く面識はありませんが、勝手に崇拝しています。

来年の大河ドラマが真田丸だとかで、現在本屋では真田関係の本が乱立気味。
すでに読んだことのある内容の焼き直しが多そうだな、と、いう中で異彩を放っていたこの本。
つい先日、新聞記事で千田氏が「真田丸はただの丸馬出ではなく、大規模な城だ!」みたいなことを言ってる記事を見ていたので「これか!」とアマゾンに薦められた際にポチッとしてしまいました。

いや、期待に違わぬ面白さ。
アマゾンの書評欄には「第4章がいただけない。真田以外の城のことに60頁もさいて、そんなことは関係ないのだ。」的なことが書いてあったのを見た際に、逆に私は「これは読まねば!」と思ってしまったのです。

真田好きには熱狂的な人達がいるので、関係ない部分を読みたくない人もいるでしょうが、真田丸の形状を考える際に、真田の城の歴史や他の城との比較をしなければ理解できるわけがない。だからこれは面白いはず、と、逆に書評から私は判断したわけです。

あ、ここまで読んでくださった方で

『真田丸』って何?

と、いう方も多いかも。

豊臣秀頼を滅ぼそうとする徳川家康は、まず大坂冬の陣で全国の大名に動員をかけ、秀吉が築いた大坂城を囲みます。このとき、豊臣方は豊富な資金にモノを言わせて関ヶ原の戦いで負けて牢人中の全国の有名武将をスカウトします。その最有力武将が俗に言う「真田幸村」。現在、正確には「真田信繁」という名前だったとかで、この本では信繁で統一されています。

この真田信繁が、大坂城防衛のために弱点とされる南側に「真田丸」と言われる防御施設を作り、そこに3千の兵で籠って徳川の1万以上の軍勢を思う存分に引きつけて撃破し大いに武名を上げたのです。

で、この真田丸は城の門を守るために門の前に橋頭堡を築いて防御を強固にするものと考えられてきたのですが、そこはお城博士。色々と調べる中で従来考えられていた単純な「馬出」機能ではなく、それこそ敵前にぶら下がった孤立した城、という結論を導き出しています。

そして、なぜ信繁はそのような城を作ることができたのか、ということを、真田や武田が作ってきた城の形状から推理しているのです。

しかも、武田氏が築いた境目の城の代表例として
「武田氏領国の「境目の城」というと、遠江国金谷、現在の静岡県島田市にあった諏訪原城や、同じく遠江国土方、現在の静岡県掛川市にあった高天神城、そして三河国の作手清岳、現在の愛知県新城市にあった古宮城などが代表的です。いずれも武田氏が徳川氏攻略のために築いたものです。」(169頁)
とある。

古宮城!!!!

皆さん!古宮城ですよ!古宮城。ちゃんと出てますよ!
そして、境目の城の作り方から武田氏領国の脆弱性を考えるあたりは、さすが千田嘉博、と、唸ってしまいます。
もっとも、現在の諏訪原城、古宮城の遺構は徳川氏による改造が加えられている部分も考えられますけど。その辺りは話がややこしくなるのか、この本では触れられていません。

さらに、三方原の戦いで信玄が上洛を目指していたという説について
「信玄は、かつて小田原城を囲んで攻め立てた時のように、適当に織田領を荒らしまわって、略奪をし、打撃を与えた上で頃合いを見計らって帰国することを考えていたのではないでしょうか。しかし、織田や徳川の勢力圏を攻撃するには大義名分が必要なので、上洛するとして将軍や天皇を推戴するというスローガンを掲げたのだと思います。」(172頁)

おお!
偶然にもこの本を購入する前のブログで私も適当な思いつきで、三方原の信玄の行動について上洛目的ではなく、小田原城攻めと同じく浜松城を攻めたのでは、という記事を書いています。こちら

なんか、「お前、この本を読んでたのでは?」と、言われてしまうくらいタイミングがあってますが、逆にこの本を読んでいたら恥ずかしくて書けない記事。

千田氏は城から単に軍事的な観点で考えるだけでなく、大名権力のあり方や社会などについて考えることを提唱しており、本書もその視点から書かれています。

真田のことを純粋に知りたい、来年の大河ドラマの予習がしたい、という人は、もっと、別のムック系の本を読まれることをお勧めしますが、城の魅力や様々な事例を簡単に読むには最適な本だと思います。

個人的には最新の城に関する動向なども知ることができて、大変楽しめる本でした。
オススメです。




amazonの謎

2015年12月05日 | 日記
深夜にネット、なおかつamazonなどを見てしまうので本を買ってしまいました。
ここのところだらだらと出費が続いていたので倹約として本を買うのを我慢していたのですが、つい。
届くのが楽しみだ。わーい。

私が買う本と言えば当然歴史、それも戦国時代に関する本が多くなります。
吉川弘文館とか岩田書院、ミネルヴァ書房系です。

で、謎なんですけど、アマゾンは新刊本と中古本の値段が同時に閲覧できるのですが、中古本の価格が新刊本より高いものがあります。
例えば。

「戦国の日本語:五百年前の読む・書く・話す」(河出ブックス)
新刊 1,728円
中古 1,439円+送料257円~2,640円+送料257円

「戦国大名の兵糧事情」(吉川弘文館)
新刊 1,836円
中古 3,209円~4,499円

「戦国大名の正体 -家中粛清と権威志向」(中公新書)
新刊 886円
中古 856円~2,610円

などなど。

欠品などにより入手困難でどうしても欲しいからか?と、いうことが考えられるのですが、上記の本は別に欠品状況になく即発送可能な状況です。
特に、最後の新書など新書で2,610円って、誰が何の目的で定価の3倍近い金額を払うのだろうか?と、不思議でなりません。
兵糧事情もなぜか中古は軒並み倍以上から。
特にコレクター出品という謎の制度では4,499円が付いています。新品があるのに何故?
著者のサイン本?とか思うのですが、学者さんのサイン本にそんなに価値が出るとも思えないですし・・・。

ほんと、これ、前々から疑問に思ってたのですけど、何ででしょうねぇ?
と、ここまで書いて気づく。
きっと既に誰かがネットで質問しているのでは無いかと。

で、検索してみると、
「書籍の版にこだわりがある。」
  初版本マニアとかいますからね。なるほど。
「アマゾンの在庫状況」
  これは私も思いつきました。結局欠品補充されてもそのまま中古の出品が続いている、ということですね。

と、いうものの他に、
「詐欺まがい」
というものが。
どうも、中古が安いと思い込んでいる人達で新刊の値段をよく確認せずにうっかり買ってしまう人達向け、とのこと。
出品者の値付けは自由だから、ということも書いてありました。売れたらラッキーくらいの話で。

ふーん。
まぁ、
「君、ここの棚の商品を全部くれたまえ。」と言う人とか、
百円札を燃やして靴を探す明かりにする人とか(歴史の教科書でおなじみの。)
もいるでしょうから、成立するのでしょうかね。