長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

ペトロ岐部

2014年07月31日 | 日本史
「『ぺとろきべ』という人に昔興味を持ちまして・・・。」

と、職場のKさんが言った。

ペトロ木部?
頭の中で即座に変換されたのはこの漢字。正式には
「ペトロ岐部」
でした。

その昔、大分で「ペトロ岐部」というお菓子を見つけ、「誰それ?」と思ったKさん。
調べたら、戦国時代に歩いてローマまで行った、という相当な冒険野郎だったそうで、最期はキリスト教迫害の殉教者となってしまったそうです。

ローマまで歩く。
戦国時代に。

興味を抱いたKさん。
国東半島のあたりに小さな資料館へ改めて行き、墓も見たとか。

Kさん自体が結構ペトロ岐部的な素質を持ってるんじゃないか、と、いう疑念が浮かびましたが、私自身も相当興味を抱きました。そして、Kさんから借りた本を読みましたが、大友宗麟が死去した年に生まれ、キリシタンに対する豊臣秀吉の迫害が始まり、日本から追放されてマカオへ行くも冷たい仕打ち。そこでローマへ向けて司祭になるべく出発するのですが、道中日記を残しておらず、後世の研究者の書が中心となって描かれています。
砂漠を横断してエルサレムにも立ち寄り、ローマで念願の司祭までなるも、日本の迫害されているキリシタンへの義務感からか日本へ舞い戻り潜伏生活。

伊達領まで行くも結局捕まり、最期は江戸で残忍な穴吊りの刑になるも他の信者を励ましてしまうので怒った役人に大変酷い仕打ちを受けて殉教してしまう、というもの。

うむ、最初に思った単なる冒険野郎では無いようです。
相当に壮絶な人です。

最近、戦国のエピソードはあらかた掘り尽くされた中、キリシタン、という分野には、今まであまり興味がなかっただけに、私にとって大変新鮮でした。
そういえば、昔、職場でキリスト教なんですよ、と、いう方がいて、へぇ、と、思ったら、実は先祖は九州で隠れキリシタンの流れなんです、と、のことで、えーーーー!そういう方がいるんだ、そりゃ、いるわな、でも、初めてそういう人にあった、と、驚いたことがあります

その時の衝撃は、新城で「庚申様があるでのん。」と言って定時退社した人がいるのを見たときに「えーーーー!庚申講ってまだあるの?!」という驚きと同レベルです。

ま、要は私がモノを知らんだけ、ということ。
世の中には色々な人がおり、それで成り立ってる、ということです。

しかし、信仰に殉じるというのは、ものすごい。
私など拷問器具見せられた瞬間、
「いや、私、転びますよ。なまんだぶ、なまんだぶ。百回でも二百回でも唱えますが、何か?」
と、言うと思います。いやですもん、穴吊りとか火あぶりとか。

実際、転向の証に南無阿弥陀仏といえ、と、迫った、というシーンには「へぇ」と思わず言ってしまいました。その、追い込み方ってすごいな、と。人間、どこまで残酷になれるんだ、それも心理的に追い詰めるやり方ですもんね。

それでも転ばずに殉教するっていうのは、ある意味信仰しない人にとっては理解できずに不気味であったことでしょう。為政者の立場ではなおさら。一向一揆で酷い目にあった徳川家康にとって、一神教であるキリスト教は警戒すべきものだったのかもしれません。まして植民地戦争をやってるスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスが付いてくるわけですから、物騒極まりない。
キリシタンへの迫害は、配下奉行が行うわけですが、どう考えてもサディスト。
サディストの気があったのが歯止めが利かなくなった、と、いう感じがします。人間的に何か一本線が切れちゃった的な感じです。知れぬ恐ろしさを感じます。

そして、転向せずに殉教する人、しない人、それぞれ、どんな思いで亡くなり、また、その後人生を生きたのか、それに思いを馳せるとかなり興味深い。
自分だったら「転びました。転びました。」と言って、夜だけこっそり信仰すりゃいいじゃん、的な、まさに
『嘘も方弁』
という発想しかないだけに、そこまで一途になれる理由ってなんだろ、と、思うわけです。

一度しっかりと隠れキリシタンツアーでもやってみたいものだ、と、思いました。

九州と東北か。

遠いな。。。

小市民山下 その1 『熱帯夜にて』

2014年07月26日 | 小市民山下
最近、本業多忙でネタが枯れ気味。
そこで、大学時代のサークルの落書き帳に、サークル同期を主人公に仕立て上げて勝手に話をでっち上げて連載していた話を投入してみます。暇つぶしにどうぞ。

~~~ 小市民山下 その1 『熱帯夜にて』 ~~~

夏ともなると寝苦しい夜が続く。

山下はエアコンが苦手だ。若干冷え症気味の山下にとってエアコンは敵だ。ましてや、寝ている時にエアコンをつけっぱなしにするなど、とんでもないことだ。

正直、死んでしまうかもしれない。
網戸にして夜気を部屋に取り入れ涼をとる。そして氷水を片手に本を読む。
これが山下にとって一番の納涼方法だ。

そして、眠気を誘う難解な本を読む。
今日はハイデガーを読んでいる。
この本はあまりの難解さに読み始めるとすぐ寝てしまうため、何度読んでも先に進まない。

しかし、それで良い。進んでもらっては困るのだ。
なぜなら、それは睡眠薬だからだ。

今日も少し読んだところで眠気が訪れた。

『暑いながらも何とか今日も寝られそうだ。』

と、山下が夢うつつの状態で漠然と思った時、その音は聞こえた。

『~~ん。ぷ~~ぅ~~ん。』

山下の背中に緊張が走った。
網戸を見やると少し開いていた。

本を読んでいる間に、部屋の光に誘われていつの間にやら蚊が入り込んだらしい。
蚊の羽音は、やたらと耳につく性質で、無視して寝ようとしてもどうしても気になる。このままでは気になって眠ることができない。

深く眠り込んだ時に現れてくれれば、いくらでも血を吸わせてやったものを!!

熱帯夜にやっと訪れた眠気。
しかし、眠気を中断させ続けるその羽音に山下は戦うことを決意した。 

部屋の明かりをつけ、羽音のする方に目を凝らす。
一瞬見つけたものの、見失う。
見つけたと思うと、それは飛蚊症だったりする。

やっと視界に蚊を捉えた。
素早く山下は手を伸ばし、両の手を思いきり叩きつけた。

ジンジンと痛む手を見てみると、そこに蚊は居なかった。

逃げられた。
その後も断続的に羽音を立てる蚊に悩まされ、あっちで手を叩き、こっちで手を叩きしていても、一向に蚊は捕まらない。

『手は痛い。あなたはいない。』
どうでもよいフレーズが頭の中でリフレインする。

「蚊の動きは素早く、動体視力が追いつかない。では、どうしたらよいものか。」
山下はひとりごちた。

電気を消し、布団の中で横になる。神経を研ぎ澄まし、蚊の羽音に耳を凝らす。
山下は部屋と同化した。

今、部屋には完全に人の気配が消えた。

『~~~ん。ぷぅ~~。』

来た!
しかし、ここで慌ててはいけない。蚊が止まるのを待つのだ。

山下は肉を切らせて骨を断つ作戦に出たのだった。
全神経を集中させ、皮膚に対するわずかな蚊の動きを捉え、蚊が血を吸い始めたその刹那、蚊を亡き者にしよう、という捨て身の作戦だった。

蚊はやってきた。
羽音はかなりの大きさに聞こえる。
そして止まった。

一瞬の間を置いた後、山下は思いきり、蚊が止まったと思われる場所を叩いた。

ものすごい音が部屋に響いた。
と、同時に、音がよく聞こえなくなった。

止まった場所は耳の近くであったため、耳をも叩いてしまったのだった。

「なんということだ・・・。」

山下は悲しんだ。こんな事で中耳炎になってしまったら、一体他人に何と説明すればよいのだ。

しばらくの間、全く右耳が聞こえない。常ならば回復してくる時間を経過しても、まだ、よく聞こえない。
耳が回復するのを待っていると、なんとか正常な状態に戻ってきた。
その安心感と、蚊の心労と暑さの疲労から、あっという間に山下は眠りに落ちた。


次の日、布団を見ると押し潰された蚊の死骸と血糊がついていた。どうやら寝返りで潰したらしい。
一体あの努力は何だったのだろうか。悪い夢でも見ていたような気がする。

今、山下の足には、蚊に刺された跡がある。
それは勲章だ。

しかし、山下は思った。
今日の夜は、クーラーをつけよう、と。

(了)

細川忠興 ~ 忠興・細川のつかえない話 ~

2014年07月22日 | 戦国逸話
最近歴史系の話がないので久々に在庫を漁ってみる。
ありました。

細川藤孝の息子、細川忠興の話で、名将言行録に載っている話です。

※画像出典:ウィキペディア

 すべらない話、というのはありますが、つかえない話、というのも世の中にはあるようです。
 知れば『へぇ』くらい言うかもしれませんが、知ってどうなるものでもない。
 そんな話です。

〇戦死者は下帯なし

 医者の伊藤三白が細川忠興に聞きました。
「戦で深手を負った人や討ち死にした人は、みんな下帯(ふんどし)が無いのです。大坂夏の陣の時も、安藤正次が討死にしたので死骸を家来が回収したら褌がない。さっき討ち死にしたばかりなのに、と不思議がってました。たとえ、戦死者から着物を剥ぎ取るにしても、甲冑とか刀ならわかるんですが、褌をかっぱらう意味がわからんのです。」
 すると、忠興は
「なるほど、褌が無くなってしまうのは本当です。私の考えだと、人間は血の気で保たれていると思います。血が体の中にある時は、褌も結ばれているのでしょうが、死ぬとすぐに肉が落ちてしまうものです。特に、戦死者は、血も沢山出るので病死した人と違い、すぐに身がやせ細ってしまい、結んであっても褌が緩んでしまい落ちるのです。なので、戦慣れしている人は、褌の結び目と前の方に紐を付けて肩にかけ、あるいは、前の垂れている端に紐を付けて首にかけ、もっこ褌と言って使っています。これは、死んだ後に抜け落ちないようにしている用心です。」
と言ったとさ。

 ふーむ。確かに、挿絵や文献などを読んでいると首まで褌を伸ばしている絵を見ます。そういう理由だったのですね。「中にも戦死の者は、血も多く出る間、病死せし者とは違ひ、忽ちに身も細り」と、いうのは実際に経験している人の意見らしく、迫力があります。

 要は出血多量で死ぬ場合はパンツ脱げちゃう可能性ある、ということ。
 しかし、不思議なのが、別に鎧の下は褌一丁じゃないと思うのですよ。袴とかはいてると思うのですが、袴だと広いので裾から落ちてしまうのですかね?うーん。
 そして、戦場で首までの褌をしている人達って言うのは、他人の最期をみて用心しているのですけど、自分の死後が見苦しくないように、と、いう思いでやってるわけですよね。それもすごい。
 
 さらにこの話、鎧や刀はかっぱらわれる、と、書いてあります。と、いうことは、やっぱり落武者狩と言うか戦場での追いはぎ的行為が頻繁にあったことがわかります。

 最近、ふんどし女子なんていうのもいるそうですから、褌ネタはありかもしれませんが、
「いやね、出血多量で死ぬとパンツ脱げるかも。」
とか飲み会で突然言い出せば、通報間違いなし。

 まぁ、なかなかつかえない話だと思います。
 こういう話がつかえない世の中の方が平和で安全と言うことなんですけどね。

軍師官兵衛

2014年07月14日 | 日記
今朝、アクセスカウンターを見て目を疑う。
訪問者が1,116IP、閲覧数が1,444PVになっている。

最近では、訪問者は200~300の間でありがたいことだ、と、思っていたのですが、桁が違うので
「え、炎上?!」
と、驚きましたが、別に書き込みが荒れている訳ではないので安心。

たまに、このHP、こういうことが発生するので、いつもの何か突発事案が起きたのだな、と、いうことはわかりました。私のブログ一番人気は「森蘭丸 ~信長との愛の軌跡~」です。
なぜか、ありがたいことにこの頁が森蘭丸で検索すると上位に上がってくるのです。

で、今回も森蘭丸が1位の記事になっていたので、この記事が読んでもらえている、ということはわかりました。

では、なぜ?

今まで、なぜ謎の爆発が起きるのか分からなかったのですが、本日、職場でコレコレのことがありまして、と、私がブログをやっていることを知っている人に話したところ、

「ああ、昨日は大河で本能寺やってましたよ。森蘭丸も出てました。」

とのこと。
それで、蘭丸を検索をした人が多かったのではないか、と、いう話でした。

ちなみに、職場の人が言うには、大河での森蘭丸は告げ口をするような感じの役割で、少々嫌な奴っぽく描かれていたとか。明智光秀の叛意を見抜いて信長に警告した、という逸話も残っているだけに、そうした役割を与えられたのだと思います。しかし、森蘭丸好きの人達が、そんな彼では無い!と、思って確かめたくなって検索したのでは、と、いうのが、職場の人の推測です。

そうなると、皆さんが御覧になった記事は、若干、偏った見方をしている記事になりますが・・・。(汗)

そういや、最近、軍師官兵衛は人気回復傾向にある、と、新聞記事で読みました。
私自身は、子どもを寝かしつける時間帯にやっているため、一緒に寝てしまい大河ドラマを見る習慣がなくなってしまいましたが、今回の謎の爆発が、職場の人の推測どおりだとすると、軍師官兵衛の人気ってすごいんだなぁ、と、思った次第です。

始めて、謎の爆発の原因が推測できただけに、ちょっと面白かったのでご報告。
違うかもしれませんけどね。

夏毛

2014年07月13日 | 日記
髪がうっとうしい!

と、叫びたくなる季節が来ました。
髪が細いので伸びると湿気を含んで言うことを聞かなくなる上に、もともと天パーが入っているので、髪が夕方にはごわんごわんになります。

で、昔から夏が近づくと、犬猫の換毛期よろしく、伸ばしていた毛をばっさりやるのが恒例となっています。
本日ばっさりやってもらってきたのですが、もう、涼しい!

帽子被ると「坊主?」と、思われるほど後ろと横は刈り上げてもらいます。昨日までは延び放題だっただけに、放熱具合がすごい。

そして、何が良いって洗髪。
昨日まではシャンプーがワンプッシュだけでは、いまひとつ汚れが取れないような感じがあったのですが、ワンプッシュの半分くらいで本当にさっぱりと汚れが落ちる!感動です。

この夏の頭の期間、襟足のあたりの髪が短く、チョリチョリしているので、手触りを楽しむことができるのです。
短い毛の犬を撫でているような感じ。

今日は座って息子を抱っこしていたら、特に教えたり、今まで息子の前で手触りを楽しんでいる様子を見せたつもりはなかったのですが、突然、息子が手を伸ばしてチョリチョリと私の頭の手触りを楽しみだしました。

本能なんですかね?

鳥取城の「かつ江さん」

2014年07月09日 | 日本史
最近、ネタの仕込的な動きもしていなければ、奥三河の歴史資料読み込みもサボっており、ブログネタがないなぁ、弱ったなぁ、と、思いながらネットの記事をみていたら、とんでもないものが!!!

<鳥取城>飢餓キャラ「かつ江さん」 市民の批判で公開中止
(7/9 毎日新聞)
鳥取城跡のマスコットキャラクター「かつ江(渇え)さん」が、その見た目や名前から波紋を広げている。羽柴(豊臣)秀吉による鳥取城の兵糧攻め「鳥取の渇え殺し」(1581年)に巻き込まれた民衆をイメージし、右手にカエルを持つ女性のイラストで、7日午後に市のホームページ(HP)で公開を始めると9日朝までに6万3000件以上のアクセスがあった。市民から「不快だ」などと批判の声も寄せられ、市教委は同日公開を中止した。

 かつ江さんは、鳥取市教委の公募に市内の男性が応募し次点の優秀賞に選ばれた作品。7日からHPで画像を公開して2次利用も認めたところ、アクセスが急増。一方で「行政が飢餓をちゃかしている」「同じ名前の人もいて不快だ」などの声も。市教委は「飢餓を揶揄(やゆ)しているわけではなく、兵糧攻めを考える上でふさわしいと思い採用した」と説明。今後、イラストはそのままで名前だけを変え公開し直すという。

 また市教委はかつ江さんの名前付きのイラストを使い、鳥取城跡を紹介したパンフレットを既に3000部作製しているが、「このままでは配布できないので対応を考える」としている。

とのこと。

と、鳥取城で『かつえ』と聞けば、瞬間的に

「三木の干殺し(ひごろし)、鳥取の飢え(かつえ)殺し」

と、一人悦に入る豊臣秀吉を連想するのが、歴史好きでは。

これは、兵数が少なく兵力補充も思うに任せない信長配下の羽柴秀吉が、効率よく領土を拡張するために、兵糧攻めを多用しており、後年、その戦術を自画自賛して「三木の・・・」を言ったとされています。
鳥取城の飢餓は凄惨を極め、死んだばかりの人を奪い合って食べた、特に美味しいのか脳みそが奪い合いであった、と、いう話が合った記憶があります。そして、城主の吉川経家は鳥取城の人達に招かれて毛利家から城主として派遣されたのですが、鳥取城の惨状を見て切腹して城兵の助命を嘆願した悲劇の名将として有名です。
しかも、更なる悲劇として、助かったはずの城兵たちは羽柴側の振る舞いを食べて、一気に食べすぎて死んでしまう人が続出したそうです。

と、まぁ、結構ぞっとする話だけに、『かつ江さん』というフレーズを見た瞬間に固まったわけです。

「え~~、まじかぁ?!まぁ、そりゃ中止になるわな。」と納得。

兵糧攻めを考える上でふさわしい、と、いうのもわからんではないのですが、行政のキャラとなると微妙なところを突いてきますね。

でね、この画がですね、すごいんですよ。

貼ったろうと思って画像を保管したんですが、鳥取市の公式ウェブサイトを見たら、こんな記事が。

鳥取市公式ウェブサイト

籠城戦マスコットキャラクターの一時公開中止について

平成26年7月7日に本ホームページで公開された

「籠城戦マスコットキャラクター」

について、選定の趣旨は広くご理解いただき、多くの方にご利用いただいているところですが、利用規約等の再確認のため、一旦公開を中止させていただきます。

当面、名称・画像も含め、利用・二次利用等の自粛をお願いいたします。


うーむ。では、画像掲載は自粛せざるをえんな。無念。

ぜひ、毎日新聞の記事をご覧ください。

「そりゃ、あかん奴や。」

と、なること必定。

不思議なのが、このキャラ「次点」なんですよね。
なんでそれを公式キャラにしちゃったんですかね。
多分、選ばれた人も、

「え・・・。」

と、なったんじゃないかと思います。
ま、鳥取城の戦いの経緯が一気に全国レベルになったのかもしれません。炎上商法?

長篠も強右衛門をもっと押せばいいのに。
「磔絶叫!!強右衛門祭!」
とか。

それも、
「そりゃ、あかん奴や」
と、言われる可能性が高いが。。。

最近、号泣県議があちこちでネタにされてますけど、あれに比べりゃ「かつ江」さんには、まだ、歴史の一面を伝えよう、という思想があるだけ、まともだと思います。

でもさすがに、三木城が「干(ほし)」さんというゆるキャラ作って、鳥取城の「かつ江」さんとコンビ組んで、

「いやー、ほんと、最近腹へって困りますわ。」

とか、やりだしたら、

「それだけはいかん!」

と、止めますが。

ipad mini retina SIMフリーモデル 買ったった。

2014年07月05日 | 日記
ipad mini SIMフリーモデルを買いました。


事の発端は通信費の削減。

ソフトバンクを利用していますが、自分の両親はau、姉一家はドコモ、と、いう三国志状態。(蜀はうち。)
親から電話がかかってきて出られずかけ直すと通話料は自分負担。しかも、長い。。。
職場への電話とかも考えると結構かかる。電話を持ちながらも着信専用扱いで、人付き合いが悪い人になってました。

しかも、ガラケーなので出先ではネット環境がないに等しい。wifiに加入してからは、キンドルを持ち歩くこともできるようになりましたが、家のネット用なので、あまり頻繁に持ち出せない。出張時などでは調べものが出来ずに困ることも。それに、wifiの範囲って狭いので、田舎に行くと使えない。作手の古宮城へ行く時には使えないのです。

スマホ?

と、いうのも考えていましたがそもそも通信量高いし、キンドル使って思ったのは画面が小さいとみづらい。画面が小さいと使いにくそう。それに、諸先輩方との飲み会では「スマホが辛くて・・・。」という話題が出ることもしばしば。きっとこれから老眼が進むであろうことも十分に予想されるので、スマホもいまひとつ気が進まない。

そんな中、通信量高すぎ批判が強くなったせいか、最近スマ放題とかいう電話が月額定額制で使い放題+パケ代段階別定額制のプランが出る。

いいじゃん。

今まで電話を無理に控えていた部分もあるので、定額制ならばむしろ電話したほうが得するわけなので人付き合いも改善されるだろう。ま、人付き合いの悪さは性格的なものですが。しかし、スマ放題にしたところで今のガラケーからは値段が上がることは間違いない。

ところが、ガラケーにも定額制を設けてくれていることを発見!しかも、スマホだと月2,700円なのに、ガラケーだとつき2,200円で使い放題に。おお、ガラケーの方が得!
早速申し込んだんですが、その時、ガラケーのパケット使い放題3,500円月額を迷ってとりあえず申し込む。スマホからのメール受信で意外とパケ代使うんですよね。が、ガラケーのWEBとか使いづらいし、と、考えたところ、ふと格安通信業者のSIMカードの広告が目に入る。

待てよ、SIMフリーのタブレットと携帯の二台持ちにすれば、全て定額で使い放題では?
しかも、激安で。

と、思って、携帯使い放題が7/11からなのでキャンセル聞くかソフトバンクに聞いたら『できます』とのこと。しかも、『3G携帯をお使いの皆様は通信費を安く、という方が多いので、いっそ、携帯のWEB契約を外されては?』とアドバイスも。今まで謎の料金を払っていたのですが、要は携帯のアドレス(****@c.vodafone.ne.jp)とWEBを使うための登録料が月額3百円くらいあったのですが、携帯番号同士のショートメールは2,200円に含まれるので携帯アドレスをあまり使っていなければ辞めたほうがお得ですよ、とのこと。

「や、辞めます!」

と、即答。
(業務連絡:私の携帯アドレスをご存知の方、7月2日から使えなくなってますので携帯番号のSMSかパソコンアドレスをご利用ください。)

そして、いよいよSIMフリータブレットの検討に入る。
キンドルを使って思ったのですが、やはりアプリとかサービスがiphoneやipadが優先されているので、使いづらい、と、思うことが多かったのです。しかもキンドルにSIMフリーは無い。ネクサス7かねぇ、と、思いながら検討していると、

「7月1日からipadがSIMフリーになってる!」

と、ネットで騒ぎが。
なんというタイミング。
高いので暫くネットを睨んで変な汗をかいていましたが、やっぱりキンドル、ネクサス発売後の動きから今後の動向を考えるとipadの優位はゆらがんだろう。それに、結局ケチると「やっぱりあれにしとけば」ということで最終的に一番高い奴買うことが多かったので、今回はすっぱりとipadにしました。まぁ、キンドルはまだ家で使えますし、安かったので元は十分に取った。キンドルで本も出したし。


※キンドルとの比較。ipadの方が軽くて画面が大きい。

私の場合、通勤時間がほとんどないので、家のwifiを使えば良い、と、思うと、格安SIMは最安の月額970円程度。
これでLTE対応。

と、なると、月3,200円で電話もネットも使い放題、と、いう生活に!
わぁ、これから子どもに金がかかる家としてはありがたいわぁ!
ようやく今日ipadの使い方に慣れてきました。wifi利用が多いのですが、試しにLTEを使ってみるとかなり早いですね。ちなみにocn使ってますが、ipad mini Retinaは対応できてます。

風呂場で信長

2014年07月01日 | 日記
このところ、蚊が大量に発生して寝苦しさ倍増。

あちこち刺されまくり。何が腹立つって一昨日に右足、昨日に左足の裏をそれぞれ刺される。寝てる間に足の裏を刺されたようですが、痒いんですよね。掻いても足の皮は厚いので隔靴掻痒的な感じで「いーーーーっ!」ってなる。

今、もし、生類憐みの令など出されても守れない。
しかし、蚊を退治しようとして薬剤を散布しても、試供品の奴は威力が弱くて効かない。見つけても敵もさるもの、逃げられる。

そして、次々と蚊に喰われる事態が発生していたのがここ数日。

くそっと思いながら風呂に入ると足が突然痒くなる。
風呂入る直前に喰われたかやぁ、と、思いながら頭を洗って、ふと顔を上げると何やら蚊らしき物体がこちらに向かってくる。

『え・・・?』

と、思って反射的に手を伸ばすが間に合わない。
なにせ視力0.01。
風呂場でも眼鏡を嵌めなければいけない人間。頭洗うときは流石に眼鏡を外しているので泡だらけの頭で慌てて眼鏡を嵌める。

風呂場で蚊にやられるとは!
と、日常生活の憩いの場で襲われたことに怒り心頭。
壁を探し回ったがいない。そして天井を見上げるといた!

風呂の壁は白く敵を発見しやすい。
この野郎と、慎重にはたくと意外とあっさりと叩き殺せる。

わははは。
この数日苦しめられた蚊の一族をとりあえず殺戮してくれたわ、と、思ってふと壁を見ると蚊。

『え・・・?』

と、再び驚く。
まだ居やがったのか、ここであったが百年目。風呂場の中では逃げ場も少ない。
でやっ、と壁を叩くと壁に潰れている。
どうやら風呂場の湿気で体が重いのか、敵の動きが鈍く簡単に叩き潰せる。

が、まだ壁にいる!
えいっとやって3匹。

この数日の恨みを一気に晴らしてくれたわ!っと思って、ふと振り返るとまだ壁に蚊。
まじかや、と、思ってさらに一発。

計4匹を一挙に屠る。
ふははははは。動きの鈍くなる風呂場に入り込んだ貴様らの負けじゃあ、と、ほくそ笑むと、ふと、長篠の戦いの時の信長公も、きっとこんな感じだったのでは、と、思う。

ちょいちょいと盟友の徳川の領国を侵略する武田軍に対して、関西系や北陸系の敵に囲まれながら「ああ、畜生」と思っていたであろう信長。連吾川沿いのだらだらとした低湿地に誘い込み、柵で動きが取りにくくなった武田軍を火縄銃で倒して「やっとこの数年の恨みを晴らしてくれたわ!」と、思ったことでしょう。

なぜか風呂場で信長公の気持ちを知る。

その後、脱衣場でも1匹発見して退治。
計5匹。

蚊、居すぎだろう、我が家。
子どもはあまり刺されて居ないようで良かった。

追伸
 この原稿書き終わった後に、さらに1匹。どんだけ居るんじゃ。