長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

インフルエンザで一家全滅

2017年01月20日 | 日記
新年早々、一家全員がインフルエンザに罹る、という事態に陥りました。

1/15(日)の新城マラソンに一家で参加するため前の週から新しいスニーカーだの服だのを新調。
準備のため毎日走って備えておりました。
1/14(土)は雪が降る寒さ。娘の学校参観日でしたが息子が風邪ひくのを防ぐため、妻だけ学校へ行き、私は息子と坊主めくりなどをして午前中を過ごす。この時点でなぜかぎっくり腰のような腰痛の軽いやつを感じており、走り過ぎたか?とか思っておりました。しかし、夜に入りなんかだるさと寒気を感じる。

風邪薬飲んで寝れば治る、と、信じて寝たのですが、朝起きたら明らかに熱がある感じ。体温を測ると37.4度。
走れば治るか、と、スパルタな考えが一瞬よぎりましたが悪寒がひどくなる一方。どうも、まだまだ熱が上がりそう。
父親を一人残し、妻子はマラソンに行ってしまいました。
寝てれば治る、と、思っていたのですが、一向に治る気配がないどころが、熱が上がる一方。
午後妻子が楽し気に帰宅した時には38.4度。そして夜になって39.1度。

さすがに
「ひょっとして、インフルエンザか?」
との、思いがよぎる。

なにせ、ここ15年くらいインフルエンザになっていない。職場で新型インフルエンザが流行した時も、なぜか自分ひとりだけ罹患せず。20代に毎年のようにインフルエンザになっていたので、もう、免疫ができたのだろう、と、思っていたのです。

しかし、夜になって、妻子も様子が変。
翌朝月曜日。妻子も高熱を出しており、娘が37.4度で、私と妻と息子は38度越え。
ふらふらしながら車を運転し近くの病院へ行き、簡易検査を受けると全員インフルのA型認定。

色々と薬を貰いまして帰宅しました。
今までも時間差で妻と私が風邪をひくことはありましたが、同時は初。
家事が何もできない。

私も38度をずっと超えているのが予想外にダメージを受ける。子供時代は40台の熱が出ても、すぱっと治ったものですが、厄年終えると38度越えがこんなにつらいのか、と、驚く。インフルが高齢者には危ない、というのが初めて体感できました。60過ぎてこんな辛いと命に係わるわ、と、思いながら横たわる。

今回のインフルの辛いところは、関節痛がすごいこと。
ぎっくり腰か、という腰痛で体を動かすことが辛い。寝返りを打つのがつらい。体勢を変えるのもつらいので寝るのも一苦労。熱も続くので1時間半くらいうつらうつらすると起きる、を繰り返す。高熱で頭痛もひどい。頭痛も変な頭痛で、眼精疲労がものすごい状態のような目の奥が疲労しきって発生した頭痛の痛み。実際、目の奥が痛い。
寝れば治るのでは、と、思って火曜日の朝を迎えるが、全く変化なし。むしろ、股関節まで痛くなり、そこへ頸椎ヘルニアの痛みまで襲ってくるようになる。

首が痛い、腰が痛い、目の奥痛い、頭が痛い、熱は38度越えたまま。
日曜日からの発熱で食欲もずっとなく飯もあまり食っておらず、ダメージがすごい。歳取っての高熱の怖さを初めて思い知る。歩くときは背中を丸めてヨロヨロとしか歩けない。まさに老人。

あまりのダメっぷりに、自分でも驚きました。

もっとも、一家全滅中なので、皆、静かに寝ているしかできない。

水曜日になってようやく37度台になり、ようやく起きだす。
妻が相変わらず大変な状況だったので、代わりに私が子供たちに朝食後の薬を出したのですが、ここで事件発生。

私も何度も名前を確認したのですが、娘に間違えて妻の薬を出してしまうミスをしてしまったのです。
娘が「いつもとちがう」と言ってたので、袋の名前を何度も確認して「大丈夫だよ」と飲ませたところ、ふらふら起きてきた妻に言うと「え?」となる。そこで確認すると、さっきあれだけ確認したはずなのに、娘の名前の袋がない。薬の名前を娘が言っていたので覚えており、娘に飲ませた薬が書いてある袋には妻の名前が。

幸い、すぐに薬局に電話で確認したところ「1錠であれば問題ないです。」とのことで、事なきを得ました。
が、自分が呆けたのかと思って、ぞっとしました。

薬のせいなのか、熱が続いたダメージのせいなのかわかりませんが、反応が鈍い。
この日は午前中は平熱に一旦体温が落ちましたが、午後に入って熱が上がり始めて18時には一家で寝ました。

木曜日にはようやく平熱スタート。人間らしい生活を始めますが、体力が落ちているのを実感する。そして、この日は咳がすごい。どうも、菌の排出が続いており、咳で菌をまき散らしている状況だとか。外出禁止が続いているので家にいるだけですので他人にはうつらないですが。
なんとか一日を過ごしましたが、18時に突然だるさが襲ってきて寝ないとダメな状態に。

そして本日金曜日。
ようやく、通常と同じ様なペースで過ごすことができました。
明日はようやく外出解禁日です。

ほんと、こんなに恐ろしい状況になるとは夢にも思わず。
体力だけでなく判断力さえも奪われてしまった状況に、背筋が寒くなりました。これから老化が進む一方だけに、毎年予防接種を受けるべきかと思ったり。

皆様もインフルエンザにはご用心ください。

引越しテトリス

2016年03月27日 | 日記
このところブログの更新が滞っておりました。

長篠周辺へ帰るため引越しの準備が大変なのです。
引越しの日程は4月初旬なので、4月頭の土日が名古屋最終土日。今週、ある程度準備しておかないと今度の土日が地獄になる。
そのため、この土日は気合入れてダンボールの箱詰め作業を行っておりました。

箱詰め作業は、テトリスをひたすら続けるようなもの。

※画像出典:ウィキペディア

あまり使わない箱に丁度良い隙間があるから、とよく使うものを入れてしまうと引っ越した後に「あれはどこ?」ということになりかねない。しかし隙間が多いと中の物が動いて壊れやすくなる。しかし詰めすぎると衝撃が加わると壊れる。
この適度な隙間が必要、という話は戦国時代の兜の話とも被ります。

足軽などは借り物や拾い物で甲冑を間に合わせることも多かったようで、大きさがあわずにぴったりとした兜を被っていた人に火縄銃の玉が命中。兜に穴が空くことも無かったのですが、衝撃で死亡してしまい、やはり兜は適度な隙間がないとだめだ、みたいな話を武功雑記だったか何かで読みました。

と、まぁ、ひたすら適度な隙間を作りつつのダンボールを有効活用しながらの箱詰め作業をやると作業そのものよりも案外と頭を使っているようで、ぐったりしてしまいます。
何度目かの引越しと言うことで、プラケースに入っている物はそのまま運んでくれるため入れ替えの手間がかからない、という勉強もしており、今回はよっぽど箱詰め作業が少ない方と言えども油断は禁物。

なんとかこの土日に頑張ったので、今度の土日に終えることができそうです。
まだしばらく引越し予定日まで日にちがあるため、あまり沢山つめてしまうと現在の生活が成り立たなくなる。

このあたりの匙加減は毎回苦しめられますが、今回思ったのが、何度も引越しを繰り返したせいか、意外と物が、すぐ使うもの、しばらく使わないものに分けられていた、ということ。また、たんすに衣料が入っている状態で引っ越せるそうなので、これまた楽。

とにかく、引越しと言うものは手間がかかります。
今回、偶然引っ越しが決まる前から妻が断捨離で物を捨てていたのも幸いでした。

しばらく落ち着かない生活が続きますが、これも奥三河に引っ越すためと思えば。笑。

断捨離を妻がしたら埋もれていた本が出てきた

2016年03月05日 | 日記
断捨離に妻が目覚めた、という話を1月に書きました。
昨年12月位から、どんどん物が捨てられるとともに、収納方法を同じアパートのミニマリストと収納名人にチェックされて、かなり家がスッキリしました。

部屋が1つ増えた、という感じ。

私の本もかなり処分しました。ついでに新しく収納を買ってきて死蔵本を閲覧可能に。
古本屋で見つけてとりあえず買っておいた、という本などは今まで読まれもせずに死蔵されておりました。

そこで、さすがに読んだことがない本を読もう、と、引っ張り出して読んでおります。
現在読んでいるのが「宗長日記」。

連歌師の宗長という人が書いた紀行文。

戦国時代初期の武将の動向が書かれていることで有名です。
読んでみると、なかなか面白い。

あちこちの大名家の内情などが書かれていたり、城の様子だとか、なんでこんなことを細かく記載しているのか、と、考えると情報をあちこちに提供する役割があったからだろう、ということが想像されます。

宇利城を攻めた松平清康が詰った叔父の松平信定も出てきます。
織田家の武将と仲良く一緒に連歌をしている描写があるのに、清康系統の松平家には立ち寄っていなさげ。細かく調べて考えるのは現在後回しになっておりますので、また、自分の調べた範囲のことは別に書く予定です。

また、熊野詣とかお坊さんの日本史とかさらっと読んだ、あるいは途中で挫折した本なども並行で読んでいるので一冊の感想を書こうにも時間がかかって仕方ありません。
好きで読んでいるので別に良いのですが。

たまには本を読み返す必要もあるのだな、と、思いつつも読めるように整理しておくことが必要だなと思う。しかし、何より、そもそも家が借家で狭いから、こういう事態に陥るわけで、一軒家を買ってれば本棚に蔵書を並べて背表紙眺めながらニヤニヤ笑ってコーヒーを啜る、ということもできる訳です。

眺めてるだけで読んでない、ということになりそうですが。。。

もっとも家が広くなろうとも物を増やすと無駄が増えるので、やっぱり整理は続けていく必要はあるのでしょう。

家から歩いて5分位のところに図書館があれば楽なんですけどねぇ。

インフルエンザ

2016年01月26日 | 日記
先週土曜日に寒波が到来し雪が少し舞ったのでスキーウエアを着せて外で子供を遊ばせる。
日曜日に子供の調子が悪くなり発熱。特に娘は高熱で39度近い。
月曜日に両方とも熱が下がらないので医者に行った結果、娘はインフルエンザだとと判明!
通学停止となる。息子はインフルではありませんでした。
熱が高いのとタミフルを処方されたので娘はぼんやりしていました。タミフルを処方するので、お子さんから目を離さないで、と、妻は薬局で言われたそうです。
異常行動で有名なタミフル。本当にそうやって注意されるんですね。
ちなみに娘はB型だったそうです。

本日、娘は少し熱が下がって起きたりしていましたが、やはり夕方になると38度台に上がってしまう。
B型は上がったり下がったりしてぐずぐず熱が下がらないのが特徴、と、医者に言われたとおり。A型に比べて長引くそうです。
息子にそろそろ感染するのではないか、と、思っていたのですが、本日は平熱。

インフルエンザになると家族全員罹患、ということも覚悟したのですが、不思議と私と妻は今のところ大丈夫です。

よくよく考えてみると、結婚した当初、40度近い高熱を出してよく寝込んでいたのですが、今思うとインフルなのでは、と、思うようなものも多かった。ただ、当時は検査キットとかも無かったせいか風邪として処理され、高熱でうんうん唸って治していたような気がします。

体力のある30代前半にやたら高熱出して寝込み、死にそうな声で唸っていたのをみて妻が「この人死ぬんじゃないのか。」と、思ったと同時に「なんて弱い人だ。」と思ったそうです。

ところが、最近はそういう事態に陥ることが少ない。

今の職場で同期に
「歳取ると抗体ができるのか、あまりインフルかからなくなるよね。」
と、言われましたが、そのとおりなんじゃないかと思っています。

と、今日このブログ載せた翌日、高熱出してフーフー言ってるかもしれませんが。。。

断捨離に妻が目覚めた。

2016年01月15日 | 日記
同じアパートに暮らす奥さんの影響を受けた妻。
断捨離を宣言。
ものすごい勢いで物を捨てています。

うちのゴミ捨て場に「ええ、なんでこんな立派なものがたくさん?」と思うくらい色々なものが粗大ゴミとして捨てられていたのが10月頃だったか。
正直「うちが欲しいがや。」と思うレベルのものばかり。しかし、その時は雨が続いていたため、自分が見たときにはかなり濡れた状態だったためゴミとして処分されるのを見送るだけでした。
そして、奥様同士のお茶会で粗大ゴミが議題として上がった際に、物を捨て始めたら止まらなくなった、という4児のお母さんの話を妻が聞いたとか。

しばらくして
「うちもやる!」
と、妻が宣言。

12月から、ちまちまと妻が物を捨て始め、床が見えなかった部屋の床が見え始める。
そうこうしているうちに、自分の荷物に対しても
「なんとかならんのか。」
と、突きつけられる。

そして、泣く泣くこれらを処分。


その昔、職場の机の上にずらっと並べて仕事のストレスをこれを見て慰めていた缶コーヒー達。
しかし、妻に
「使ってないでしょ!」
と、言われるとそのとおり。現在の職場には持って行っていません。押し入れの中で3年間眠っていたモノノフ達です。

そこで、やむなく写真だけは撮影してみました。
そして、今朝、彼らは収集車によって運ばれていきました。

兵どもが夢のあと。

それにしても人が変わったように捨て魔と化した妻。
そのうち自分も捨てられるんじゃないかと思っています。

真田丸

2016年01月10日 | 日記
NHKの大河ドラマ「真田丸」。
久々に大河ドラマ第1話を途中で投げ出さずに最後まで見ることができました。
たぶん、ひっさびさに1年通して観ることになると思います。

最初に、時代考証を黒田基樹氏・平山優氏。軍事考証に西股総生氏。
この布陣を見て「おお。これならば変なドラマにはならないのでは。」と期待したら、案の定、城仲間の紀伊守よりメールで同様の感想を述べたメールが来る。

映像に信長の野望のものを利用というのは事前のネット記事で知ってましたが、領土の状況を説明する映像で信長の野望っぽい映像が出てきて大学時代のかなりな時間を信長の野望に費やした自分としては馴染みやすい。

三谷幸喜の脚本には実は不安が。
「やっぱり猫が好き」、「振り返れば奴がいる」、「警部補古畑任三郎」等、自分の好きなドラマは大抵三谷脚本なのですが、以前の大河ドラマ「新撰組!!」は第1話の途中で挫折しました。自分にとって幕末がヒットしない、という理由もありますが。
それだけに今回の真田丸は心配でしたが、今回は良かった。
近年の三谷ドラマは、三谷が入れる小ネタが表に出すぎて鼻に付くことも多かったですが、今回は控え目で本筋を邪魔することが無かった。

第1話に武田勝頼が滅亡する直前からだったのも良い。よく幼少期を描くことが多く、第1話が若干我慢を強いられるパターンを覚悟してましたが、いきなり盛り上がる話からスタートできたので見やすい。

天地人以来、ご無沙汰ですっかり大河を視聴する習慣がなくなってましたが、久々に見続けようか、という感じ。
最近、イケメン揃えることが多いですが、なんか面白みにかけます。
伊達政宗とか武田信玄の頃の大河ドラマのようにゴリゴリの、画面も薄暗くておどろおどろしい感じで育っただけに、近年の綺麗な美しい大河ドラマを見ても「これでは朝ドラだな。」と感じてました。また、歴史物でも歴史的によくわかってない部分を近年の道徳観で作り話をするのも気に入らない。戦国時代に「平和が一番で皆そう思ってた。」的な描かれ方すると「な、訳ねぇだろ。」と突っ込みたくなる。

このままの感じで行って欲しいですし、また、真田信繁は話に事欠かない人なので、そんなに心配する必要ないかもしれません。
また、久々に上田城に行きたくなりました。

謹賀新年

2016年01月02日 | 日記
昨日投稿しようと思いきや、子供の寝かしつけとともに早々に寝てしまいました。
後厄ですので無理せず。

さて、本年初の活動は「ラジオ」。
「電波城好きがこじれ気味新春SP」です!

午後2時頃からFM豊橋に出演予定です。
申年メンバーでお送りする正月特番に呼んでいただきました。
2015年の新春特番に続く新年ラジオの2回目です。

と、いうわけで、昼頃から電車で名古屋から豊橋へ移動予定です。
この時期は高速が渋滞しているので。。。
新東名さえ開通していれば車で行けるものを。

こちらからアプリをダウンロードすれば日本全国どこでも聴けます。


鳥取城からでもクリアな音声なのは確認済み。
本日午後2時くらいから登場します。

今年もよろしくお願いします。

佐久島へ行ってきました。

2015年12月29日 | 日記
佐久島へ初めて行きました。

※アートの島としても有名。写真はおひるねハウス。

一色さかな広場横の渡船場から船に乗ると
「しぶきがかかるので船内に入ってください。」
と、係の人に言われる。
船内は大混雑。よく島へ行く人達はデッキのまま。私も少々かぶっても仕方ないのでスペースのあるデッキに立っておりました。

大間違い。

ぶわしゃーーーー!と豪快な水しぶきが襲いかかる。
うわ、こんなすっごい奴だったのか!と、思った時には、もう手遅れ。
思い切り海水を被りました。花祭りの湯囃子か、という位に。

※直撃弾が被弾した上司。後ろの色が濃い方が被弾側。

海、舐めてました。
すいません。

佐久島西港についても、服はびたびたのまま。

※こんなに天気が良いのに。三河湾の黒真珠と言われる黒板の建物群。

目的は佐久島年末ライブなるイベントを見学するため。
開始まで時間があったので 少しお散歩。
アートの島としてあちこちに体験型のアート作品があるのですが、最も人気が高いおひるねハウスに行く。聞けば行楽シーズンには行列が出来る程の人気でお昼寝しようにも背後からのプレッシャーで落ち着いて寝られない、と、聞いていました。

到着すると


まさかの誰もいない!
そりゃ確かに年末の朝一番の便で、クソ寒い時期にやってくる人も少ないわな、と、納得するも、行列覚悟で来たので拍子抜け。


これはありがたいとよじ登って寝転がる。


これは落ち着く。
自分は器が小さいので狭い所に来ると安心するのでしょう。
中は意外と暖かくゆったりできました。
が、意外と最上階の3階は高さがあり、登るときは良いですが、降りるときは結構怖いです。
ご注意ください。

そして、近くの古墳へ。


石垣古墳と書いて「しがけこふん」と読むそうです。
円墳でしょうか。そして、土が海風で飛ばされたのでしょうか、石室部分が露出しています。


中を覗くと石で壁が綺麗に作られています。
同行者に
「古墳とかは要注意なんですよね。昔、自分が考古学研究会で発掘してたらスズメバチに襲われたり倒木で頭を打って運ばれたりと、何かあるので結構自分は拝んでから見るんですよ。」
と、いうと、
「え、それ、結構苦手な奴。」
と、怯えられてしまいました。

一応、私も怖いので南無南無言ってから拝見しました。
この辺りの石は剥離しやすく加工しやすそう。ただし、脆さもあるので大きな塊で取り出すことが難しそうです。
海岸の石に筋が入って特徴的です。


自然に入った亀裂のようなものが見えます。
幾何学模様的に規則正しく入っており、なぜこのようになるのか大変不思議。
この原因を教えてくれる人がいたら、もっと楽しめるのですが。

あと、こんな石も。。。


結構グロテスク。ポットホールのようなものでしょうか?あちこちに穴の空いた岩があり、これまた面白い。海岸で石を見ているだけでも十分に楽しめます。海水も大変綺麗で心が洗われます。


さて、本題の年末ライブ。
どうも、ドイツやイタリヤの高名なオペラ歌手とジャズシンガーが日本公演の合間を縫って、お遊び的に開催をするものだそうです。
オペラなどという高尚な趣味は持ち合わせていないので、生で聴くのは初めて。


結構、島外からのお客さんも多かったようで盛況でした。
実際、始まると迫力が違う。


なぜか、パーカッションに忍者がいたりと遊び心も。


やはり声量が違う。
体全体で共鳴させて体が楽器、というのがよくわかります。
1時間程度の演奏会でしたが、拍手喝采で大盛況のうちに幕を閉じました。

さて、その後、帰りの船までに少し時間があるので島を散策。
こんなトトロが出そうな森を抜けると


紫色の海岸が。


きっと写真ではわかりにくいと思うのですが結構紫色なんですよね。
感動。
海岸も大変美しく夕陽が沈む様を見ていると、極楽浄土を昔の人が思ったのもよくわかる。補陀落渡海したくなってしまいます。


などと見とれていると
「うわっ!」
と、悲鳴が。

みると同行していたN君が水たまりに足を突っ込んでしまった。

※結構凹んでいる。

原因は綺麗すぎる水。
水たまりがわからないのです。

そして歴史好きがこじれ気味な自分としては見逃せないものが!
筒島に弁財天があるのですが、お宮の隣に兜岩なる岩がある。


説明書きを読むと
「武田軍勢が追っ手を迎え撃つためこの島に立てこもった際、信玄公が脱いだ兜を置いたと言われる。」
とのこと。

よく見るとこの弁財天にまつわる逸話が。


武田家の家臣なるものが弁財天を拝んだ際に玉眼が綺麗なのでくりぬこうとしたら地震が起きて家臣も病気で苦しんだ、とか。

なぜ佐久島に武田家にまつわる伝承があるのか。
当然、信玄が佐久島に来ることなどありえないはず。しかし、伝承があるということは、なんらか伝承を生み出す背景があったはず。別の話が信玄になったにしても、一体、信玄の勢力の影響など受けえないはずの佐久島に、なぜこのような伝承が生まれたのか。
大変に疑問です。この話、もう少し突っ込んで考えると、結構面白いのではないかと思います。


ちなみにこの弁財天。
入り口が枡形虎口形状で、まるで城。


この島には神君伊賀越えで家康が逃げてきた際に寺に立ち寄り家康を匿ったことから褒められた、という伝承もあるようです。この伝承は満光寺の鶏の話と同じ背景で生まれたのではないかと睨んでいます。

島の歴史をもっと掘り下げたい!と、痛切に思う。

と、まぁ、最後の最後は、やはり城だの歴史だのに落ち着いてしまう訳ですが、ゆったりとした時間が流れる佐久島は、都会の喧騒に疲れた身には大変安らぐ場所です。

アート作品や音楽、そして歴史。
訪れた人の好みに応じ対応してくれる島のように感じました。

師走

2015年12月20日 | 日記
気がつけば年末。
昨日、今日と冬らしい寒さですけど数日前までは気持ち悪い程の暖かさで、全く年末らしさがない。
そうでなくても年末年始の雰囲気が自分が子供の時分に比べて減っているというのに。
しかし、今週土日は少し年末らしかったのです。

それは年賀状を作ったから。
今年は七五三の家族写真を撮ったので、あれこれ悩む必要がなく楽でした。
写真に写る胡散臭い自分の笑顔を見ると、やはりプロというものは上手いなぁ、と、感心してしまいます。

そして、さらに年末らしさを醸し出したのが本の処分。
引っ越して間も無く3年を経過するのですが、本が増えています。そのため、今までクローゼットの中にしまいこんであったダンボールを開けて死蔵していた本の選別を。なんとか小さなダンボール2つ分の本を売り払うことに決めました。これもどうしようと悩むと捨てられなくなりますし、まして、中身を少しでも読もうものなら絶対に捨てられない。

その後、子供の遊び相手を。
どえらい寒さでしたが、だからこそ冬らしさを感じて、これまた年末を意識させてくれます。

子供達は、クリスマスと冬休みとお年玉が控えているので、しっかりと年末年始を意識できてるようですけどね。

amazonの謎

2015年12月05日 | 日記
深夜にネット、なおかつamazonなどを見てしまうので本を買ってしまいました。
ここのところだらだらと出費が続いていたので倹約として本を買うのを我慢していたのですが、つい。
届くのが楽しみだ。わーい。

私が買う本と言えば当然歴史、それも戦国時代に関する本が多くなります。
吉川弘文館とか岩田書院、ミネルヴァ書房系です。

で、謎なんですけど、アマゾンは新刊本と中古本の値段が同時に閲覧できるのですが、中古本の価格が新刊本より高いものがあります。
例えば。

「戦国の日本語:五百年前の読む・書く・話す」(河出ブックス)
新刊 1,728円
中古 1,439円+送料257円~2,640円+送料257円

「戦国大名の兵糧事情」(吉川弘文館)
新刊 1,836円
中古 3,209円~4,499円

「戦国大名の正体 -家中粛清と権威志向」(中公新書)
新刊 886円
中古 856円~2,610円

などなど。

欠品などにより入手困難でどうしても欲しいからか?と、いうことが考えられるのですが、上記の本は別に欠品状況になく即発送可能な状況です。
特に、最後の新書など新書で2,610円って、誰が何の目的で定価の3倍近い金額を払うのだろうか?と、不思議でなりません。
兵糧事情もなぜか中古は軒並み倍以上から。
特にコレクター出品という謎の制度では4,499円が付いています。新品があるのに何故?
著者のサイン本?とか思うのですが、学者さんのサイン本にそんなに価値が出るとも思えないですし・・・。

ほんと、これ、前々から疑問に思ってたのですけど、何ででしょうねぇ?
と、ここまで書いて気づく。
きっと既に誰かがネットで質問しているのでは無いかと。

で、検索してみると、
「書籍の版にこだわりがある。」
  初版本マニアとかいますからね。なるほど。
「アマゾンの在庫状況」
  これは私も思いつきました。結局欠品補充されてもそのまま中古の出品が続いている、ということですね。

と、いうものの他に、
「詐欺まがい」
というものが。
どうも、中古が安いと思い込んでいる人達で新刊の値段をよく確認せずにうっかり買ってしまう人達向け、とのこと。
出品者の値付けは自由だから、ということも書いてありました。売れたらラッキーくらいの話で。

ふーん。
まぁ、
「君、ここの棚の商品を全部くれたまえ。」と言う人とか、
百円札を燃やして靴を探す明かりにする人とか(歴史の教科書でおなじみの。)
もいるでしょうから、成立するのでしょうかね。