長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

本日(7月15日)の設楽城の整備活動は開催されます。

2018年07月15日 | 奥三河
本日開催予定の設楽城整備活動は開催します。
8時30分までに設楽城現地へお越しください。

猛暑が予想されるため、暑さ対策の格好をお願いします。案外、長袖、長袖ズボンでドライ素材のものがおススメです。また、軍手、帽子は必須です。
水分についても忘れずにご持参ください。

作業時間は2時間程度を予定しています。
終了後はとうえい温泉で汗を流して行ってください!

皆様のご参加をお待ちしています。



設楽城整備活動は7月15日(日)に延期となります!!

2018年07月07日 | 奥三河
7月8日(日)に予定されていました設楽城整備活動ですが、

雨のため翌週7月15日(日)に延期となりました。

御参加を予定されていた方はお気を付けください。

なお、延期日程について改めてお知らせします。

参加を御希望される方は、

 7月15日(日)午前8時30分

 設楽城駐車場



に集合してください。

 地元の方々と一緒に、楽しく城を整備しながら学びましょう!!

 場所が分かりにくい場合は、

 furumiyajou@gmail.com

 までメールください。

7月8日(日)設楽城整備活動の雨天順延の場合について

2018年07月06日 | 奥三河
7月8日(日)開催予定の設楽城整備活動ですが、ここのところ大雨が続き、現在のところ雨予報となっております。

雨天の場合は翌週に順延となります。


順延は8日(日)の朝7時頃に決定されますので、7月8日(日)7時15分頃に本ブログに開催・順延の状況をお知らせします。
御参加いただける方は、開催状況を必ずご確認ください。
順延の日時は、順延決定時に掲載します。


なお、集合時刻が変更となりました。
朝8時30分集合となりました。
集合場所は設楽城です。

場所は以下の場所です。(グーグルマップだと設楽城跡で検索可能です。)

奥三河山城関係イベント情報(古宮城、設楽城)

2018年06月12日 | 奥三河
続100名城に選ばれた古宮城の整備活動を今年も行います!
また、極寒の山城水鉄砲合戦の舞台となっている設楽城の整備活動日程も併せてお知らせします!

1.設楽城(愛知県北設楽郡東栄町中設楽)
 (1) 整備活動
  2018年7月8日(日)の午前8時30分から、現地で山城の整備活動を行っている「元気城山」の方々と一緒にボランティアで整備活動をしませんか?
  めっちゃ朝早いですけど(笑)8時30分までに現地へお越しください。
  雨天の場合は翌週に順延です。(順延時の連絡方法の記事にリンクしています。)

  ここでの整備活動をしっかりしておくと、真冬の水鉄砲合戦の際に怪我無く楽しめます。
  今回の活動に参加いただいた方は、水鉄砲合戦への参加枠を優先確保いたします!
  ご希望の方は、古宮城とちがい駐車場に限りがあるため、参加希望の方は事前に御連絡いただければと思います。
  事前に御連絡いただける方は、コメント欄にお送りいただければ、私の方で確認できます。詳しいことをお知りになりたい場合などにご利用ください。





 (2) 極寒の山城水鉄砲合戦第3回
  大好評につき、今年も実施します。
  まだ、大まかな時期しか決まっておりませんが、例年は12月に行っておりますが、もっと極寒の時期になる2月開催を検討しています。
  2019年2月です。
  詳しくは、時期が近付きましたらブログで発表します。



2.古宮城(愛知県新城市作手清岳)
 続100名城に選ばれる原動力となった整備活動。
 7年目の今年も実施します!

 2018年10月20日(土)の午後1時半から午後3時まで、今年も整備活動を行います。

 この時間内に好きな時間だけご協力いただける方を募集しています。
 事前連絡は不要です。
 詳細がお知りになりたい方は、コメント欄にコメントください。

皆様の御参加をお待ちしています。

のき山学校で水鉄砲合戦!

2017年07月02日 | 奥三河
本格山城で行う極寒の水鉄砲合戦を設楽城で行って、大盛り上がりだったのは昨年の12月。
こんなクレイジー企画は日本でも初と言って良いのではないかと。(当社調)
しかし、この企画者達には子持ちが多かった。


「この楽しさを子ども達にも体験させたい!」
「地域の歴史を子どもに伝えられるのでは。」
「体験することで歴史にも興味が湧く子が出るのでは。」

と、あれこれ述べる。

たぶん、私をはじめ、
『自分たちだけが楽しむのは気が引ける。』
と、いう後ろめたさを隠していただけの発言ではないかという疑念はありましたが。。。

前回の水鉄砲は、ゴミが入って、ほとんどがこわれてしまいました。
そうなるとドカンと一発ぶっぱなす、昔ながらのタイプの方が効果が高い。

せっかくならば、それを手作りするワークショップと併せて水鉄砲合戦をやってみるのが良いのではないかと思っていたら、ひょんなことから東栄町にある体験交流施設「のき山学校」を運営するNPO法人てほへさんから「うちでやってみませんか?」というお誘いを受ける。

渡りに船とはこのこと。

幸い、Sさんといういろいろな手作りワークショップに長けた助っ人もあり、7月2日に開催しました。
水の飛距離を考えて塩ビパイプで作ることとしたため原価があがる。最初、一つ千円になってしまいました。
それをSさんが大量発注などで必死に原価を抑えたことで、儲けなしのお一人様1,500円で昼食付、作った水鉄砲お土産、水鉄砲合戦付き。
一人1,500円というものの、家族参加となると相当に値段が上がってしまう。
ので、ぎりぎりまで原価をSさんが削り込んでもらいました。

15名募集のところ、結果、27名が応募いただき、折角なので全員に御参加いただきました。


皆、真剣に工具を扱う。




そして、無事に完成して、昼飯前にすでに盛り上がる男児。


昼食は羽釜で炊いた炊き込みご飯とお味噌汁。そして漬物。
おこげが子供に大人気。


そして、いよいよ、午後は合戦タイム。
本当は設楽城というほんとの山城を利用したかったのですが、水の手や資機材の関係で旧小学校を活用した「のき山学校」の裏山で行うことにしました。

丁度高低差があって、城の入り口に似たところがあったので、そこを利用。
まずは、子ども達を優先することを大人に了承を得て行う。
攻め手2に対して守り手1。


しかし、攻め手の頑張りで守備側の大将に見立てた印を濡らされてしまい、第1戦は終了。

次は大人の戦いですが、第1戦の守備側の子供たちが悔しがり過ぎているので、第2戦も参加。


大人も真剣で、ものすごい勢いでの転倒者が発生して大けがしたかとひやりとしましたが、見事な受け身で擦り傷も負わなかったようで一安心。

第3戦は子ども対大人。
子どもはどれだけ濡れても死なないルール。大人は濡らされたら審判に死亡宣告される。
そのため、攻城側の大人は守備側の大将に見立てた印を濡らすしかない。子供は数が多いので絶対有利。

「絶対的に不利ですが、子ども相手ですから、そのあたりを考慮してくださいね。」

と、暗に子供に譲ってやってねと、大人の対応を期待したのですが・・・。

試合開始と同時に、大人達は崖を猛スピードでよじ登って突進。

※画像もすごいスピード感が。

連射が効かない特性を逆手にとって、先発の討ち死覚悟で

「狙うは敵の大将首のみ!」

と、大坂攻めの時の真田幸村のような攻撃で守備側を撃破。

あっけにとられる子供たちと審判員。
『大人気ない』
と、いう言葉を思い出す。

子ども達よ、そんなに世の中甘くない、ということなんでしょう。

もう、さすがに子ども達も親も疲弊の色が。
第4戦は「乱戦」

と、いうことで、15分限定の水かけ祭り。


今まで負けてストレスが溜まっていた子供たちが、親たちに水をかけまくって憂さ晴らし。
丁度熱中症予報も出ていた状況だったので、気持ち良い。
若干泥水になっていたのが気になりましたが。

最後ばかりは私も途中から審判をやめて参戦。
びっしょぬれに。

しかし、濡れると楽しい!

と、言う訳で、無事に第1回の水鉄砲つくりワークショップと水鉄砲合戦は終了しました。
最後に、9月24日に設楽町田峯城で行われる水鉄砲合戦の案内もありました。私も裏方で参加予定です。
詳しくは奥三河総合センター(0536-62-0100 9:00~17:00)へお問い合わせください。

今後は、奥三河歴史と城講座+実際の山城・設楽城での水鉄砲合戦などの企画をやってみたいものです。

そして、大人向け「極寒の水鉄砲合戦」もご期待ください。

5月14日は「作手古城まつり」です。

2017年05月02日 | 奥三河
これからのシーズン新城市ではしんしろ戦国絵巻三部作と銘打って、各地で長篠・設楽原合戦にちなんだ祭りが連続します。

GWの5月5日は長篠城で長篠合戦のぼりまつり。
5月14日は作手古城まつり。
7月2日は設楽原決戦場まつり。

この地域のすごいのは、当たり前のように火縄銃演武が行われること。
とにかく火薬の消費量がハンパないのです。笑。
そして、火縄銃演武が最も間近に見られるのが作手古城まつり、と、いうのが個人的感想。
近年は子どもが泣いてしまうので連れていけませんので確認できてませんので、古城まつりも、ものすごい人出なので、ひょっとすると昔に比べて距離が離れているかもしれません。

さて、この古城まつりで人気なのが城のガイドツアー。


例年、13時から15時までの2時間を作手山城案内人であり、古宮城の整備活動の代表でもあります原田純一さんにより、亀山城と古宮城、そして、その周辺を解説しながら回る、という人気のツアーです。
※ 火縄銃演武と時間が被るので、城ツアーに行く方はすべての演武を見ることができません。

ところが半月ほど前、原田さんから電話がありました。

「実は、痛風が再発してしまい1か月後の古城まつりを歩いて案内できるか不安な状況。もし良かったら代わりに案内してもらえないか。」

とのお話。
既にチラシに案内が刷られており止めることもできない、ということでした。

それは一大事、と、思いつつもできるかな?、と不安に思って尋ねると、「過去にも案内されていたところを見てましたし、大丈夫でしょう。」とのこと。
古宮城に関わることですし、引き受けました。

と、言う訳で、今年は私がピンチヒッターとして、及ばずながら案内させていただくこととなりました。

しかし、引き受けてしまってから気づく。

『古宮城が続100名城に選ばれたばかり。』

こ、これは、全国からの城好きの猛者達が押し寄せる可能性がある!!

そんな人達を前にして私が説明しても恥を掻くばかりではないか!
しかも、案内先は古宮だけではなく亀山城、そして古宮城へ至る途中の史跡案内も含んでいます。

と、電話を切ってしばらくしてから思い至りましたが、それこそ

『後の祭り』

祭りはこれからですが。。。

引き受けてしまったものは仕方がない。
久々に資料を引っ張り出して読み込む作業をGW後半に行う予定です。
場合によっては、現地を下見しなければ。
ああ、資料どうしよう。。。

こうブログを書いていて、かなり緊張してしまいました。
不安を解消しようと思って書いたら、かえって事の重大さを再認識してしまい逆効果になってしまった。
こんな状況にも関わらず、いつも案内している原田さんのすごさを改めて認識する次第です。

なにせ最近、城を見学する人のレベルが上がって専門家並みの人が多いのと、自分が別のテーマで調べ物をしているため城の知識のアップデートが滞っていることが、不安なのです。

一度古宮城をはじめとする作手地区の城を見ておきたい、と、いう皆様で、ご都合のよろしい方。
久々のガイドボランティアでテンパっている私を応援する意味でも、お越しいただけると幸いです。

先着30名だそうです。古城まつりは激込みになりますのでお早めに。

極寒の設楽城水鉄砲合戦

2016年12月11日 | 奥三河
「みんな戦がしてぇんだよ!」
とは、今年の大河ドラマ『真田丸』での後藤又兵衛のセリフ。

城の機能を説明することが多い自分ですが、実際、攻めたらどうなるのか。
後藤又兵衛のセリフには魂を揺さぶられます。

全国各地で城攻め水鉄砲イベントは開催されていますが、ガチの山城、というのはあまり聞かない。
高い土塁や切り立った崖、ガレ場では足が滑り、切り株や木の枝は障害物となり、怪我と隣り合わせの命懸けの障害物競走になるからでしょう。

そんな中、丸馬出と堀切の深さで見事な東栄町にある設楽城は、地元の方達『元気城山』の方達が整備されており、戦をするには丁度良い感じだなぁ、と、思っておりました。

そしたら、『元気城山』の竹内先生から「水鉄砲合戦良いじゃないですか。」と、許可をいただく。
聞けば、昔は子供同士50人vs.50人の100人で戦ごっこをしたもので、城を縦横無尽に駆け回り戦ったそうです。

好機到来。

当初は地元の子供が合戦体験を通じて、地元の歴史を知るきっかけに、などと思っておりましたが、

愛知県の山間地で尾張部の人は中々来ない東栄町。
『普通の人』には城として認識されない建築物もない山城。
そして、日程は都合上12月上旬。
東栄町の12月は下手すれば昼でも0度前後の極寒の季節。
そんな時に水鉄砲。

『狂気の沙汰』

と、いう言葉しか当てはまらない。
初雪が降るかも、という予報があったので子供はさすがに風邪をひいてしまい親が困る、ということで断念。

しかし、大人ならば自己責任の範囲でやれないものか。
と、いうことで、常々こうした企画に興味を示していた私の周りの「城好きがこじれそう」な素質を持った方々に声をかけてみました。

夏ならともかく真冬の水鉄砲合戦。
こんなクレイジーな企画に人は集まるのか。。。

私の心配は見事に裏切られ、
むしろ『極寒』というフレーズにシンパシーを覚える、イカれた方達から多数の参加表明を頂きました。
しかも、東栄町には一度も来たことがない、という小牧市や名古屋市の方、三重県より愛知県の西側あま市から単身駆けつけてくださる方。

みんな城好きがこじれそうだなぁ、と。

当日は、暖かな日で、気温は10℃程度。
日が当たっている場所では、動けば汗ばむような感じ。
しかし、城は風が抜け木々が日を遮るため、結構冷える。
集まった人間は16名。

戦場は、設楽城が誇る丸馬出を中心に、攻め手と守り手に分かれ、攻め手が2倍の兵力となるようにし、審判を置く。
バケツは攻め手と守り手に10リッターのものを2つずつ。
途中の堀切に色が異なる2つのバケツを2つ置き、奪えるようにしました。取ってもよし、相手に取られる前にこぼすもよし。



ジャケットの色が変わる部分が大半変わったら死亡宣告。
全員討ち死にした方が負け。
または、城にいる大将を表すジャケットを濡らすと濡らした方が勝ち。
時間は15分。

まずは、地元の竹内先生による現地案内による城解説。




その後、4回戦を行いました。

※ここまでくるとサバゲ―な映像


※大筒のような効果を発揮した竹水鉄砲的なやつによる攻撃。

当日は風が強く、水が流れるので狙いがむつかしい。
当初は皆慎重でしたが、




徐々に活発化し、まずはそれぞれ作戦会議。


そして激戦。












討ち死も続出。







※忠魂碑の前が討ち死した方の集合場所

と、まぁ、途中ジャケットが乾くインターバルの休息時間を設けながら、大の大人が4回戦行い、
城を縦横無尽に駆け巡りました。

絵面みると、すごい迫力…。
(写真は戦場カメラマン役を買って出ていただいた「のんほいタウン」編集長藤本氏提供)

皆さん、大変楽しんでいただけたようです。

色々と改善点も見えてきました。
次回、もう少し温かい時期の子供向けイベントとするため、オペレーションを改善して、必ず開催したいと思います。

でも、準備する大人もやれるようにしたいな…。
大騒ぎする父母を見て、子供もあきれるくらいにしたいものです。

伊那、木曾谷と塩の道

2015年12月15日 | 奥三河
Amazonで勧められたので買った本。


信玄の行軍ルートがわかるかや、と、思って買ってみたのですが、ちょっと意図していた内容とは違ってました。街道の日本史という吉川弘文館のシリーズですが、主要な街道にまつわる歴史がおさらいしてある本、という感じで、もう少し道の成り立ちや経路が詳しく書いてあるものを期待してましたので、その点では違ってました。

また、もう少し奥三河にも言及があるかな、と、思ったのですが、完全に信州中部と南部が中心で、これまた見込み違い。
この辺りは実際に手にとって読んでから購入できないAmazon的な見込み違いです。
が、それはそれとして、意図しない面白い話に出会える、ということが魅力でもあります。

一番「へぇ」だったのが

新城塩

塩の道、という看板を奥三河から信州に向かう道ではよく見ます。
塩が取れない内陸部への運送路として発達した経緯からついた名前ですが、足助でも新城でもよく聞く。一体、どういうルートで運ばれていたのかは正確には知りませんでした。

太平洋側から入ってくる塩を「南塩」と呼んでいたそうですが、この本によると2つルートがあったそうです。
矢作川ルートは大浜(碧南市)から川で岡崎に運ばれ、さらに足助へ陸送されたそうです。そこで各地からの塩が混ぜ合わされて品質が統一された「足助塩」となって馬で運びやすい大きさに詰め替えられ、武節から根羽を経て飯田へ運ばれたルートが1つ。
もう1つが豊川から舟で新城へ運び、新城の塩問屋から津具から根羽を経て飯田へ向かう「新城塩」。
新城や足助では岩塩も出ないですし海沿いでもないので塩は取れませんがブレンドされて品質を整えた場所の地名がついて運ばれていた、というのは大変面白い話。

そして、足助と新城からの塩が根羽で合流してから飯田へ、と、いうくだりで「なに?」となる。
武田信玄は野田城の戦いの後、鳳来寺から設楽町へ行き、根羽を通過して横畑というところで死んだ、と、言われています。
武田勝頼は長篠の戦いの後、田峰城に入城できず武節城で一服してから飯田に帰っています。
このルートは塩の道と一致してくる。と、いうことは、三河からの道はここが主要道として使われていたのか、ということを改めて確認できました。

さらに「中馬」の意味。
宿駅ごとに荷物を積み替えて運ぶ官製の輸送路だと宿駅ごとに手数料を取られて高額になっていたそうですが、荷物を発送地から届け先まで同じ馬で運んでいく、という中馬と呼ばれる仕組みが登場。手数料が安く済むので安価だったため主要な仕組みとなるそうですが、宿場と利権が対立して結構な騒動になったそうです。
そして、中馬があまりにも利用されており現状追認の形で認められたとか。ただし、認められた地域以外では中馬ができなかったそうです。そういう意味では中馬制度が利用できた街道は限られているので「中馬街道」という名称に意味がある、ということもこの本で知りました。
中馬が発達したのは、信州は山が急峻で川が運送路として使いにくいから、ということもあったようです。

あと国学の流行。
幕末に国学が流行しますが、知識として知ってますが理由は知りませんでした。
尊王攘夷の勤王思想に影響されたからかね、と、思ってたのですが、黒船来航などで従来の幕藩体制が動揺し、郷土防衛を行う村のリーダー層にとって同族的団結の強い村を運営するには、先祖祭祀の重要性を訴える国学が使いやすかったから、と、いう解説もなされており、なるほど、と、納得。

他にも尊王攘夷の志士を世話した女性松尾多勢子の話とか、スキーの時によく行った風呂片倉館のいわれとか、結構今まで聞き流していたり、深く考えずに利用していたものについても詳しい解説があって面白かったです。

個人的には、信州と三河は根羽経由が主要ルート、ということが確認できたのが大きな収穫です。

三方原の戦いの理由。今後の検討のための備忘録として。

2015年11月30日 | 奥三河
昨日子供を寝かしつけて一緒に寝たものの目が覚めたら夜11時。(寝たのは夜8時半)。。。

もう一度寝ようとするも目が冴えてしまい寝られないので、暇つぶしに何かを考えようと思う。
その際、ふと三方原の戦いで武田信玄の目的はなんだったのか、と、思う。

この内容については様々に学者の方々が考えられており、今更自分が考えたところで誰か既に思いついている可能性もありますが、でも、こういうことをアレコレ考えるのが好きなので、布団の中でぬくぬくしながら、考えてみた。


※家康公。

よく信玄は上洛を目指しつつも、途中で無念の死を迎えた、と、言われていました。
これに対して三河や遠州を制圧する目的で上洛までは考えていない、というものや、東濃を制圧するのが本線で三河や遠州は陽動作戦だ、という説が近年有力です。

そこで自分が着目したのが「東濃」。
前々から東濃遠山氏の動向が奥三河に影響を与えていたという発想から気になっていたのですが、東濃は本来親武田側として活動しながら当主の病死により織田方が主導権を奪い、それを武田側が奪い返した、というのが最近の考え方。

確かに、信玄は上杉対策として越中の扇動を前から行っており、そのためには東濃を確保⇨飛騨への影響力確保⇨越中へ影響力を行使、という図式が成立しています。

三方原の頃は親武田だった遠山氏の主導権を織田方が奪い、それを秋山虎繁が入城し、織田信長叔母と虎繁が婚姻することで動揺を抑えた時期。
東濃の動揺を抑えるには奥三河を抑え、奥三河を抑えるには遠州北部を抑えることで、安定が図れます。

信玄の過去の戦歴に小田原城攻めがあります。
この時、小田原の北条氏を本気で落城させる気は無かったはずで、小田原城を包囲して信玄の威力を見せつけて北条氏を威嚇すれば目的達成で撤退しています。

と、いうことは、三方原の時も同じではなかったか、と、寝床で思う。
いくらなんでも浜松城に籠る家康を本気で攻略できるとは信玄も思ってなかったと思います。

たまたま、あの時は家康が飛び出してきて三方原の戦いが起きわかりにくいのですが、信玄は家康を脅かして東濃や奥三河、遠州北部の領主層を武田側としてしっかり固める作戦の一環として、浜松城の威嚇行為を行っただけかと。実際、信玄は家康が数年前から上杉氏と結んで信玄を攻撃するような姿勢を見せていたことに、相当怒りを溜めていた様子が、当時の文書から指摘されています。

そう考えると、武田氏と常に対立を続けている野田城の菅沼氏を攻めた理由も、自分に逆らう者への見せしめであり、体調不良でお茶を濁すためでもなんでもなく、元々本来の目的だった、と、考えることができます。
信玄が上洛すると考えるから野田城の攻撃がなぜ?と、わからなくなってしまう訳です。

家康は信玄の意図を汲んで自分に従う領主層をつなぎとめるために浜松城から飛び出さざるをえなんだ、と。信玄はまさか出てくることはないだろうけど、もし、出てきたらラッキー位で出てこなければ野田城の菅沼をいたぶって、家康を辱めれば、東濃、奥三河、遠州北部を制圧する目的は十分に達成できたことになります。

ところが、途中で死にそうに体調が悪くなったのは、信玄の想定外だったのではないかと。
ただ、駿河侵攻により家中が動揺している中で勝頼への円滑な家督継承を考えた場合に、武田家の出口を西に確保しておくというつもりだったのではないかと。

と、勝手なことを寝床の中で考えていたら、目が冴えてしまい、かえって眠れなくなってしまいました。
さらにこの妄想は長篠の合戦にも続くのですが、長くなったので次回へ。

こういう、まったく根拠も学者の検討状況も考えず好き勝手に書くのは楽しいものです。

ビブリオバトル参戦

2015年07月18日 | 奥三河
新城の農家レストラン「はちどり」でビブリオバトルが開催される、という連絡がフェイスブックで告知され、招待通知が来る。

ビブリオ?

最初に頭に浮かんだことは、クリオネみたいな生物。

※画像出典;Wikipedia

腸内細菌みたいな名前だな、と、思いながらも、昔、剛力彩芽主演のビブリオなんたら堂とかいうドラマがあったので本関係のものなんだろう、という想像はつく。

で、読んでみると、どうやら書評バトルのようなものらしい。

これは。。。

出てみたい。

と、思う。

ジャンルに偏りはあると思うが比較的本好きだと思う方ですし、こうした文科系のお遊びイベントって中々ないので、これは面白いという興味が非常に湧いてくる。
まして、投票者でなく、発表者も募集していたので、これに参加できるとなれば中々無いチャンス、と、思うと、常なら妻に遠慮してこうしたイベントのお誘いをスルーしている身ですが、今回ばかりは妻に

「これ、出たいのですが。」

と、結構な有無を言わさぬモードで話を進める。
この後、高い代償を払うことになっても。

いよいよ開催が明日というか本日に迫ってまいりました。
発表者にエントリーしたものの、では、どうやってやるのかも全くわからず、とりあえず一昨日くらいにやり方のホームページを見てある程度の組み立て方を知る。
そして、会社帰りに歩きながら自分なりの組み立てを行う。

私、歩いていると知らぬ間に考えていることを口に出してしまうことがあるので、ブツブツ言いながら歩くヤバイ人になりながらも、ある程度の組み立ては完成。
後は、時間内に収めるだけ。

ストップウォッチを見ながら家で独り言を言ってみると、若干時間がオーバーする。

あまり早口でもわかってもらえない。
もう少し削る必要があるな、などと、考えて、少し組み立てをいじってみる。

などと、やっているとこんな時間。
果たしてどうなることやら。
無事にできるのだろうか。

何にせよ初参加、初挑戦。

楽しんでまいります。