長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

国郡境目相論 ~ 奥平が武田と徳川を振り回す ~

2015年04月11日 | 日本史
相変わらず織田信長に関して面白い視点を提供してくれる、神田千里氏の『織田信長』(ちくま新書)。


今回面白かったとして紹介するのは「国郡境目相論」。
要は
信長の戦争は、国境紛争の解決をめざした結果として相手方を滅ぼしたのであり、全国制覇を目指して他大名を征圧しようとしたわけではない。
と、いうこと。

この考え方から、毛利氏と武田氏の戦いを国境の境目で発生した相論が全面抗争に発展してしまった、と、説明しています。

・・・従来はともすれば、織田信長の戦争は全国平定と言う信長自身の意図から説明され、周囲の情勢の方が信長を開戦に追込むという構図は想定されて来なかったように思われる。しかし信長だけが宣戦も和睦も意のままという特権的な地位にいたはずはなく、周囲の大名から戦争に追込まれる場合もあり・・・」(124頁)

信長中心史観に嵌ると、全ての信長を取り巻く事象は、「信長は○○した。」と全て信長が能動的に動いたという解釈になってしまう。信長は、そこまで有利な立場じゃないでしょう、と、いうことです。

武田信玄との関係では、

① 東美濃の遠山氏を巡る国境紛争
② 遠江を巡る徳川氏との紛争

が、信玄と信長の対立を引き起こした、というもの。

実は、愛知県史や戦国遺文武田氏編で確認できる、当時の古文書を読んで、私も同じような感想を抱いていたのでした。遠江の領有を巡って、徳川と武田は、仲が最悪になります。しかし、信玄と信長は友好的な雰囲気を保つというねじれ現象が発生していた、と、いえます。

そして奥三河も①や②と同じく武田と徳川の国境地帯のため、同じように山家三方衆が、それぞれの家庭の事情で武田や徳川をバックに抗争を始めてしまい、親分である家康や信玄の出動を招き全面戦争に突入して行った、というものです。

そう。
奥平氏を始めとする山家三方衆は『風になびく葦』のように大国の狭間で揺れ動いた。
と、いう従来の評価ではなく、一寸の虫にも五分の魂。

奥平が徳川、武田を振り回すことだってあるんじゃないの、という私の前からの疑問に答えてくれています。
そうだとすると、信長にしてみれば、徳川や遠山に振り回されて信玄との抗争が始まってしまった、と、いえる。

過大評価は禁物ですが、こうした国境紛争→全面戦争論、というのは案外真実を突いていると思えます。
やっぱりこの本、あなどれません。

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