長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

薄濃(はくだみ)

2012年04月02日 | 戦国逸話

娘がお茶を飲むときを楽しくしようと、半年くらい前に妻が買ってきた水筒です。
中にお茶を入れるときや洗うときはこのように。

この水筒を洗うたびに、私の中に「はくだみ」という言葉が浮かんで仕方ありません。
薄濃(はくだみ)とは「漆でかため金などで彩色したもの」だそうです。そして、薄濃は織田信長にまつわる有名なエピソードがあるのです。

○世にも珍しい酒のさかな
 天正二年(1574年)一月一日、京都および隣国の諸将は岐阜へご挨拶に参上した。それぞれ招かれて三献のご酒宴があった。これらの方々が退出されたあとで、信長公直属のお馬回り衆だけになったところで、いまだ見聞きしたこともない珍奇なおさかなが出され、またご酒宴となった。それは去年北国で討取られた、
一、朝倉左京大夫義景の首
一、浅井下野守(久政)の首
一、浅井備前守(長政)の首
以上三つの首を薄濃にして、折敷の上に置き、酒のさかなとして出されて、また、ご酒宴となったのである。それぞれ謡などをして遊ばされ、まことにめでたく、世の中は思いのままであり、信長公はいたくお喜びであった。
(以上『原本現代訳 信長公記』原著太田牛一 訳榊山潤 ニュートンプレス)

なかなか強烈な話なので、うっかりかわいらしい写真につられて見てしまった方には「なんちゅう話を!」と怒られる方もいるかも。すいません。
頭蓋骨全体なのか、頭蓋骨の頭頂部の皿状の部分のみなのか、金箔でそれに酒を注いで回し呑みしたとか諸説がありますが、この文書のみを読みますと、薄濃を見ながら呑んだだけ、という感じです。それも馬回り衆という身近な、気の許せる者だけで集まって呑んだようです。
これを織田信長の狂気と評する方もいれば、そういう時代だった、むしろ盛り上がった、という評する人もいます。原著者の太田牛一は織田信長の馬回り衆だった人で、この記事はあまり否定的な書き方をしているようには見えません。現在の我々から見ると、ちょっと引く、という内容ではあります。

まぁ、ようは娘の水筒を洗うにつけ、薄濃ってこんな感じじゃなかったか、とか、想像してしまう自分は一体何なんだ、と、自問自答している訳です。で、ひょっとしたら、世の中のお父さんで私と同じような思いを抱いている人がいるのではないかと思いまして、世に問うてみた、というのが本日のテーマです。ただそれだけです。

薄濃を酒の肴にした話を、酒の肴にするのが歴史好きなんでしょうな。

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