石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

読書について

2011-09-30 | 読書
読書について語るときに利用させてもらおうと温めていたブログがある。

活字中毒R。「しかし、本がある。どんなときにも読書というものがある。」09/09/08

ぼくという人間は無駄に悲観的な所があって、そこから自虐を派生してときどきとんでもなくうつ状態になる。っつうか、これ、もはやうつ病そのものじゃないのかな?と思うくらい。

そんな人に一筋の光を照らす、言うなれば心のともしび的ブログ記事。

簡単に内容を説明すると、「人生に絶望するような場面でも本好きならば読書のことを思えば立ち直れる」
あれ?1行で書くと薄っぺらいなw
なんかうまく伝えるのが難しいけど、ぼくはこれを読んでしみじみと、そして心の深い部分で強く光を感じたのだった。

読書好きの人ならかろうじてわかってもらえると思う、ジャンルに限らず「本を読む」というそのこと自体、「何のために」とかではなくそれ自体を目的にする読書、とても平凡な趣味だけどその実とてつもなく大きなポテンシャルを秘めた行い。

そんなわけで、今のところ死ぬほどの絶望には襲わたことはないが、軽い「へこみ」感を抱くたびにこの
「しかし、本がある!」
をじっと噛み締めて乗り切って来ました。

たかがブログ記事なれど、その効力たるや百薬に長ず!というお話でした。

ちなみにこの「活字中毒R」は毎回本を紹介するのだが、この記事の紹介する本の中で別の本を引用しているので、つまり、
<引用の引用の引用>となってとても書きづらくて、ずっと暖めてしまった。


『江』と『大奥』

2011-09-27 | 歴史
今年のNHK大河ドラマは『江~姫たちの戦国』。

信長の妹・市を母とし、日本史上最も有名な三姉妹(浅井三姉妹)の末っ子に生まれた江は、徳川二代将軍・秀忠の正室となり、娘は天皇家に嫁ぎ、息子は第三代将軍となります。
 しかし、そこにたどりつくまでの江の人生は、波乱と苦難の連続でした。二度の落城により父と母を失った江は、時の権力者たちに人生を翻弄され、三度の結婚を重ねます。さらには、姉・淀と敵味方に分かれて天下を争うことに──。
戦国の世の苦しみを知りぬいた江は、天下太平を願い、江戸城に大奥をつくりあげます。それは、以後二百数十年にも及ぶ、平和と繁栄の時代を築く礎となったのです…。「江」公式サイトより



戦国時代の面白さはあらためて言うまでもない、大河ドラマでよく取り上げられるのだけど女性主役のときは見ない。何度かチラ見したが、なぜか女性目線でストーリー作るとつまらんのだよね。あの戦国のドラスティックな躍動感がいささか減退してむりくり人間ドラマにしてるような。

前に書いたかな、本能寺の変のくだりでその最期を遂げんとする信長の前に現れた幻が江!んなわけないだろ!と、ここで強い反感を持つに至った。心が狭いかなw



ところで今回に限りかみさんがビデオに撮って熱心に見ている、そして以前民放ドラマ『大奥』にも熱中していたことから
「この江が大奥作るってことは春日局になるの?」
とか頓珍漢なこと言い出したので、調べてみた。

江はいやしくも徳川2代将軍の正室、春日局は基本的に乳母であるからして、位だけでいえば天と地ほどの差がある。
大河ドラマの方にも春日局がようやく登場し疑問は解けたようだが、なんとなくしっくりこないと言う。

つまり『大奥』では春日局(松下由樹が演じる)が主役でありその敵役として江=のちの崇源院がいる。ドロドロとした女の情念を扱った話だけに、そこでの江は大河ドラマと違って意地悪オバサンとして描かれているのだ。ちなみに高島礼子。

もちろん家康だって信長だってドラマが違えば英雄になったり悪の権化になったりするから、おかしなことではないけど。

それと、ドラマ『大奥』では春日局が大奥を作ったようなイメージだが大河では上記のように江が作ったとされている。
正解はどちらでもなかった。ウィキペディアによると、作ったのは2代将軍秀忠、あるいはその側近らしい。ただ実際に江は御台所(みだいどころ)と呼ばれ、大奥を取り仕切ったらしいが。

その後3代将軍家光のときは正室と仲が悪くどっかにうっちゃっておいて、大奥を春日局が取り仕切った。ここから『大奥』の物語が生まれたようだ。
どっちにしてもドラマ『大奥』のように春日局と江が激しくぶつかったというのはありえないらしい。そりゃそうだ、身分が違いすぎる。

こうして調べてみると、なかなか面白いものだなあと。
でも大河は見ないけどね。


かゆい

2011-09-24 | 雑記
何年かに一度、昔から体の部分に湿疹が出て、これが痒くてかきむしってカサブタだらけになる、場所は決まってなくて腰辺りだったり足の裏だったり。でも数ヶ月すると綺麗サッパリなくなる。

これもアトピーなのだと以前診断された、ここしばらくはご無沙汰だったのだけれど今夏久々にお目見えして、それでも常にかゆいわけではないからほっといたら、カサブタが広がってきた。

肘の内側あたりなので目立たなくもないし、暇だし、皮膚科に行ってきた。病院なんて数年ぶりだ。


「掻いてたら悪くなるに決まってんだろ!」とのっけからお医者さんに何故かでかい声で説教されたw
しかもどう見てもぼくより若いので

「あぁ?御託並べてないでとっとと薬出せや、ゴルァ!」
なんて小市民のぼくには言えるはずもなく「はい、はい」と飼いならされた家畜の如く従順にご教示賜ってきた。

ま、それはともかく。
診療のあと看護師さんに「お風呂で体洗うときどうしてますか?」と聞かれたので
「スポンジタオルでゴシゴシ洗ってます」と正直に答えたら
「やめたほうがいいです」と。

「じゃあどうやって洗うのですか?」
手で石鹸を泡立てて洗ってください、こするというより撫でる感じで

まじすか?
何かにつけ無知なぼくは驚愕してしまった!それじゃ洗う意味あるのか?

いくらなんでもそんな人いるか?
と思ってツイッターで「これこれこういうわけです、そんなのありですか?」と誰ともなく質問をつぶやくと・・・

すぐに多数の返事が返ってきた、しかもみんな「そのとおりです、手で洗うのがいい」
あるいは「手が不満なら木綿など柔らかいもので、あまりこすらないほうがいい」というような返事が多数。

石鹸自体はそんなにこすらなくても殺菌する力があるのだと。強く擦ることで皮膚を傷つけやすい、保護層までとれてしまう、などなど、これは、、、まいった。完敗だ。

けどね。
今までヤスリのような協力スポンジタオルでゴリゴリと大根を下ろすように洗ってきたぼくにとって、これは悲しいお知らせだ。もうあの爽快感は味わえないということか・・・

仕方ないんだけど、、、何かにつけ、つまらんのう。

追記
そして1週間、手で洗うことに慣れてみると、案外どうってことない。「こういうものだ」と適応してしまうのだね。


『村上ラヂオ2』村上春樹

2011-09-21 | 読書
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『おおきなかぶ、むずかしいアボガド 村上ラヂオ2』というのが正式な名称だが、長いので省略。


村上春樹にとってエッセイとは。
「物語を書くことが本来の仕事」であるが、それが一段落つくと「使わずに終わった知識・記憶・エピソード」を噴出する場としてエッセイがあるのだと、まえがきにある。そしてそれは「ビール会社が作る烏龍茶のようなもの」で、「わりと肩の力を抜いて書ける場」だそうだ。

肩の力が抜けてるのは感じるけど、それでも十分に面白いから困る。まあよくもこれほど様々なジャンル古今東西を問わず知っているものだ。もちろんただ知識だけ羅列しても面白くはない、それを味よく調理する技術はあたりまえだけど尋常じゃない。



この人のエッセイは学生時代からずいぶん読んできた、それは単に知識ではなく世界観、大げさに言えば哲学をぼくに携えてくれた。そして文章の書き方も強く影響を受けた、と書くのが恥ずかしいくらい下手な文章しか書けないが、こうしてブログを続けている一因として村上春樹の存在は無視できない。


若かったときはともかく、読者であるこちらも中年と呼ばれる域になると
「村上さん、それは違うだろ~」と時々異を唱える箇所も正直あるが、それも含めて、むしろそういうのも面白くて読み続ける作家なのかも。

内容に全く触れないのはネタバレを気にして、ではなく、このブログのネタとして二次活用しようという姑息な猿知恵w
ネタ切れ時にちょこちょこと小出しにご提供します。
1話3ページくらいなので、何かの合間にちょこっと、という読み方ができる。お忙しい方にお薦めの一冊です。

あ、でも良くも悪くも村上ワールドへの耐性がないと退屈かもしれない。外国人作家の話やジャズプレイヤーの話が多いので。
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Gの福音

2011-09-18 | 雑記
久々に「やつ」が我が家に来訪した。



決まっていつも夜中すぎに来る。
相変わらず流線型で漆黒のボディとどこか神経質そうな挙動。


娘がやつの来訪を告げたのは、やはり夜中12時過ぎだった。
何年か前にホウ酸団子で一族もろとも殲滅したはずなのに、なんてタフガイなのだろう。

娘の部屋の、よりにもよって壁に貼られた相田みつをの色紙の上に静かに佇んでいる、煌々と照明に照らされた部屋でもやつは逃げる素振りも見せない。そのふてぶてしさ。。。


息子は虫嫌いなので、我が家ではヤツの対処はぼくひとりにしかできない、なんかこの事のために自分がこの家にいるような気がしてくる。

10分ほどの捕物劇を経て、哀れ、潰されてティッシュにくるまれてその最期を遂げた(さすがにぼくも素手では触れないw)。

しかしどんだけやっつけてもめげない、ぶれない!ちょっと感心してしまった。その意気や良し、敵ながら天晴。
久しぶりにバルサンでも焚こうかなあ。




けどね、この時ばかりは娘が大いに自分を頼ってくれるのを肌で感じられる、それは悪いことじゃない。むしろほんのりとうれしかったりしてwということは・・・無理に殲滅しなくともよかったりして?


という意味で題名を「Gの福音」としたんだけど、どことなく『ゴルゴ13』の副題みたいでかっこよくない?


最近の将棋

2011-09-15 | 将棋
以前と比べると指してないかな。
7年くらい前、始めたときは1日10局とか普通にやってたもんなあ。今は3局指すとげっそりしてしまう。


読書が増えると将棋が減り、将棋が増えると読書が減る、という二律背反の関係性。
というか、なんとも単純なぼくの生活・・・

きっと他人から見たら面白くもなんともない人生でしょうよ、ああ、そうでしょう。どうぞお笑いくださいなと。



ところで、ここ最近は四季創菜 膳のマスターから紹介された正智深谷高校将棋部の顧問の先生に指導してもらってる。月に数度のペース。まあ指導と言っても膳で呑んでる先生のところ行って「1局どうですか?」ってな具合で、そんなかしこまったものではない。

無論強いのだけど、時々緩めてくれたりして、さすが指導者だと感心した。

で、この先生に誘われて最近熊谷のこども将棋教室やヤマダ電機本庄の教室に顔を出している。
将棋に関してはネットで育ったぼくの場合、意外と初歩的なことも知らなくて勉強になる。

そんでもって、たまに先生に促されて子どもと駒落ち将棋を指す。今まであまり触れてこなかったけど、これも意外に面白い!

そんなこんなで、実はうちのくもん教室でも「親子将棋教室」を開催していただく運びとなった。
10/15(土)PM1:00~ 登録費500円 
教えるのがうまい先生だから、将棋を覚えたい幼児・小学生・中学生に是非!



さて、先生の所属する正智深谷高校、今度の土曜日(17日)は文化祭で、将棋部としては毎年恒例のプロ棋士を招いての指導将棋会を開く。

今年は金井恒太5段
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お暇な方は是非寄ってみてください。将棋知らなくてもプロの凄さは体感できると思います。

ちなみにその日は本庄第一も文化祭で、役目柄ぼくは朝からそちらへ行かなくてはならないけど、すきを見て脱出しようと企んでいる・・・


ジョン・ボーナム

2011-09-13 | 音楽
ハードロックをこよなく愛すぼくも、年齢のせいかジャズやクラシックへの傾斜が強くなったように感じる。
事務所で何かしながら聴くのなら、当たり障りの無いなめらかで静かな音楽が心地いい。



だからといってハードロックを卒業したわけじゃない。
ときどきヴァン・ヘイレンやレッド・ツェッペリンをかけると少年ヨシローが蘇る。少年の頃のようにそこからビリビリとしびれるような感覚を受け取れなくなってるけど。それでも聞き飽きることはない。



たとえば読書しながら聞く場合だと、これはモーツァルトなんかがちょうどいい塩梅になる。ハードロックだと集中を妨げられるから。ロックというのは何かしらの刺激をもたらすことを目的とした音楽なのだと思う。

なかでもレッド・ツェッペリンはものすごく刺激的だ、かなり古いグループなのに。たとえ面白い本を読んでいてもいつのまにやら頭の中が音楽に占領される、こうなると同じページを何度も読んだりすることになる。



ぼくは一応ギターを引くので必然的にギターの音に神経が行く、大抵。
ところがツェッペリンの場合は一番にドラムの音に集中させられる、これがよくわからない。
いや、ギターもボーカルもベースも、それぞれ名手でありそれぞれに聴く価値は高いし、事実何十年も聴いてきて血肉のように覚えこんでいる。ただ、ドラムは聞こうという姿勢を持たなくてもいつのまに脳の中に割り込んでくるような・・・

ツェッペリンのドラム担当、ジョン・ボーナムは未だに支持者の多い伝説のドラマーだが、何がそんなに惹きつけるのか?

ドラムのことは門外漢で語るほど知識はないが、他のハードロックに比べやけに音色が高いことは感じる。ハードロックのドラムといえば重低音がかっこいいという常識を覆していることが逆に惹かれるのか。その音程の高さは「ドラム」というより「たいこ」と言う表現がマッチする。

あと普通のリズムをつなげる合間に独自のアクセントを入れるいわゆる「オカズ」が入るのは他ドラマーも同じだけど、これが独特なのかなぁ?

通常のリズム内でのつなげ方が独特なのかな、それとも極めて当たり前のドラミングのなかのテンポが分かるか分からないかくらいに微妙にずらしたりしてるのかな、いわゆる「1/fゆらぎ」とか言われるものなのか・・・

近年ポップ音楽のドラムはPCでプログラミングされて造られているものが多い、つまりドラマーはいらない。でも彼のドラムはPCでは無理だと思う。たとえそっくりに作り込んでも「似て非なるもの」になっちゃうと思うんだけど。



と、ツェッペリンを聴きながら徒然なるままによしなし事をそこはかとなく書き綴るのでした。


花の街ふかや映画祭2011

2011-09-10 | テレビ・映画・芸能
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深谷の「町おこし」として、映画というアイテムはもはや無視できないレベルに成長したと思う。
このチラシにあるとおり(クリックで拡大)、深谷でロケを行った作品、そして深谷出身の入江悠監督の作品などを上映する。



深谷でロケということはつまり、エキストラに深谷市民が出演してるということ。
注意深く見ると、そこかしこに知った顔が写っているかもwスクリーンの中で知己が真顔で演技してると、これが結構笑える。



なんて、回りくどい前振りを経て、実は『サイタマノラッパー2』に恥ずかしながらぼくが出演しています、エキストラだけどわりとわかりやすい場面で明らかに「ヨシロ!」と判別できるくらい。
まあ、「蹴るん」さんはもっとわかりやすく写ってるけど。主役の親類だしw



そしてこの映画祭の前、9月11日~17日まではブログ記事で紹介した有川浩の『阪急電車』が上映されます。
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これも見逃せないかも。

全国展開の大手映画館とは違い、小ささを存分に生かしたまさに市民による市民のための映画館。
応援したい。
酒蔵の映画館 深谷シネマ


『雨の日も、晴れ男』水野敬也

2011-09-08 | 読書
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こないだブログを紹介した水野敬也の本。
『夢をかなえるゾウ』がとても面白かったので、いささか期待が大きすぎたかな。



それにしても遅読なぼくでさえ1時間くらいで読み終えるというのは、う~ん・・・正直ちょっとね、物足りない感は否めないな。
度々書いている通りこの著者のセンスにはすごいものがある、「構想力」とでも言うのかな?そこは揺るがない。そこかしこで笑わせてもらったし。


ただ、こうして小説という形態をとるなら文章もそれなりにしてほしいかな。
と、上から目線で語りたくなるようなキャラなんだな、水野さんってw


否定ばかりしているようだが、この作品が伝えたい事はすごく伝わってくる、すごくストレートな物語だから。

あ、もしかしてそこが問題か?いわば「伝わりすぎ」ってことかな。もうちょっとひねった展開でも楽しめるんじゃないかと。

けど、『夢ゾウ』もそうだけど、基本は自己啓発みたいな目的本だから、方向性としては正しいのか。



1時間で読み終わる本は忘れるのも早い気がする。残念だけど。


気になったこと

2011-09-05 | 雑記
先日、知人から聞いた話。

こないだ家族にご不幸があって、当然葬儀屋さんに世話になった。その葬儀屋さんの女性スタッフに
「祭壇のある部屋で寝てると故人が出てくるような感覚に襲われた」という体験を告げたところ

「もし夢で故人が出てきても話しかけちゃだめです。49日前まではさまよう霊体だから成仏しなくなっちゃう」

みたいなことを言われたと。

これを聞いて当初ちょっと違和感を感じた。時間が経つにつれ軽い怒りを抱くまでになった。



もちろんぼくが幽霊関係を全否定していることも関係しているかもしれないけどね。

ただ、百歩譲って幽霊をアリと仮定してもだよ、自分の肉親が夢に出ても「話しをするな」というのはちょっとひどいと思った。しかも葬儀業者がそれを言うというのは影響力的に反則技じゃないだろうか?

こういうのって、たとえ幽霊を信じてない人間でも潜在意識下で「しばり」になっちゃうことがあると思う。
と言ってるぼく自身が結構知らず知らず意識してたりするんだけど。



よく霊媒師みたいなのが「先祖供養を怠ったために家庭に不幸が起きる」だとか「あなたのご病気は亡くなった親族の霊が関係してます」とか、よく言うけど、冷静に考えると変だと思うのだ。

いや、先祖供養の励行という観点からはわかるんだけど、
もし自分が霊になったとして、供養が怠慢だからって自分の子や孫に不幸をもたらすか?手塩を賭けて育てた子供を「交通事故で半身不随」になるように仕向けたりするか?



ぼくは断言したい。
先祖や近しい人の霊は、守ってくれることはあっても不幸にしたりしないって。
(ってか、そもそも霊なんて存在しないんだけどねw)

と、いくら訴えても変わらないんだろうな。
案外とここは根深いものがある、なにしろ太古の時代から日本人にある「怨霊信仰」のなれの果てだからね。

「怨霊信仰」については長くなるのでまたの機会に。