石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

ウィキペディア

2007-02-28 | 雑記
ネット上の百科事典「ウィキペディア」はご存知の人も多いだろう。ネット上のフリー百科事典で、いまや何かを検索すると大概ウィキペディア上の記事がヒットする。現時点で33万以上の記事があり200を越す言語で展開している。

アメリカのウィキメディア財団とかいうのが運営しているそうで、大成功の秘訣はなんつっても誰でも記事を書けること(ルールを守れば)。
いわば全人類の知識を集約しようというとてつもないプロジェクトという見方もあるだろう。
数年前はしょぼい辞書だったのに、現在ではその幅の広さはとんでもないものになった。

このコラムを書くにあたってよく利用しているが、見始めると終わらなくなる、記事中にある言葉が別記事タイトルになっているとそこへのリンクが張ってあり、そうなってれば人情として飛びたくなる。で、その先の記事でもまたリンクだらけ、そこからまた別記事へジャンプ・・・きりがない。

誹謗中傷や公序良俗に反するものは削除しているようだが、ウィキペディアの面白いところは必ずしも中立な立場での記事ではないこと。かなり思い入れの強い記事もあるし、偏見に満ちたものもある。そんなわけでリアル辞書とは役割を隔てている為それぞれに存在価値があるのだろう。

偏見が強すぎたりする記事もあったり、偏見の強い記事に対して逆説をぶつける人も多いようで、そういう場合「編集中」となってるようだ。
しかし、このフリー百科事典の膨張具合には度を越えたものがあり、今後どう進化していくか楽しみではある。


先崎8段

2007-02-23 | 将棋
うう!ついに本日いわゆる不惑!40歳に到達・・・生まれて40年も経ったのかと思うと、なんとも気が遠くなるような。
将棋道場に行くと老人ばかりなので、ちょっと安心する。こないだめちゃくちゃ強い老人と指してこてんパンにやられて、年齢を聞いて驚いた。
「来年盤寿になるよ」

盤寿というのは将棋界の言葉で、将棋盤が九×九の81マスであることから81歳をそう呼ぶんだそうで。
おじーさんが強いというよりぼくがめちゃくちゃ弱いわけでもあるのだが、実を言うと最近は指すより見るほうが中心になってしまって、テレビ将棋トーナメントは当然毎週録画してるし、ネットで公開されるタイトル戦は見れるときは必ず見ているし。

その延長上にあるかもしれない、ここのところ続けて先崎学8段のエッセイを読んでいる。
先崎学はいわゆる「羽生世代」のひとりで(他に羽生や森内名人・藤井・郷田・丸山・佐藤などこの世代だけ突出しているため特別視されている)、以前はA級にも属した。親しみを込めて元天才などとも呼ばれている。

週刊文春にコラムを連載しているので知らなくはなかったが、暇つぶしにそのコラムの単行本化されたものを読んだらとても面白かった。文章力とかそういうことより「一流棋士たちの舞台裏を赤裸々に明かす」みたいな掟破りを堂々とやっているところかな。

人のことだけでなく、自分のことも飾らずさらけ出す。対局に負けた夜の苦悩、勝った後のご機嫌な逸話、すごく人間臭いエピソードは将棋棋士も将棋以外では我々となんら変わらないのだと親近感を覚えた。

前にも書いた佐藤康光棋聖、そして羽生善治に対し同世代ということもあって強いライバル心を持っているらしくて、彼らの姿も散見できる。
羽生や佐藤とのやり取りはユーモラスである。
負けた日の過ごし方を棋士達で白状し合った際、佐藤は「ワンワン泣きます」と答えたそうだ。あのジェントルマンな佐藤が、意外な話だった。
ネット囲碁にハマり月に200局くらいやってしまった話、呑みすぎて翌日仕事にならなかった話など、話題に事欠かない人だ。

勝つと天にも昇るような気分になり、負けるとこの世の終わりのように過ごす。それだけシビアな世界で生きているわけで、それはそれでたいしたものだ。けれど、この人は天才肌というのか、あまり努力家ではない様で趣味に「パチスロ」なんてあるところからも自堕落感が伝わってくる。まあ、そこが人間臭く魅力的でもあるが。

現在彼はB級2組というクラスに属している、なかなか苦労しているようだ。それとも上昇志向を捨ててもはや諦観に包まれてるのかな。日本将棋連盟もこういう多彩な棋士を存分に生かすことが将棋人気回復に繋がると思うのだけど。
そういえば神吉6段というどう見てもお笑いタレントみたいな棋士も以前はよく見たが、最近どうしたのかな。文字色


自営業の今後

2007-02-21 | 社会・出来事
昨年末になじみの建材屋さんが店終いした。うちでは長いことそこから材料を入れてたので、びっくりした。(&不便になった)
といっても、いわゆる「倒産」て感じではなく、発展的廃業というのかな、国道沿いの条件の良い土地を持っているから、事業よりもより効率の良い土地利用に踏み切ったようだ。

そして今年度でなじみのガソリンスタンドが店を閉めるそうだ。
やはり同じような理由で先を見て早めに損切りを決断したらしい。たとえ代々引き継いできたお店でも利益率の悪い事業にしがみついているよりは付加価値の高い土地を有効活用するのは、事業主としての一つの選択でありその人の生き方である以上疑問を挟む余地はない。

そのほかにも伝統のある造り酒屋さんや食堂など、最近中小企業や自営業が店終いするのを多く見るのは、世の中の流れとして仕方のないところか。大規模モールが次々に乱立する中、家族経営の小規模事業は絶滅する運命なのかも。
うちだって例外じゃない、まさしく家族経営の小規模事業だから。まあ、続かなくなったら仕方ない、トラックの運ちゃんかな。

埼玉県は比較的に小企業が多く、その中でも深谷市は多いほうだと思う。
これがどんどん統合&吸収&排除されていって、大規模モールやチェーン店やネットショップでことが足りるようになったら、街としてどんな姿になるのだろう?そこに地域コミュニティはあるのだろうか?(まあ、なくなれば自然とできるものかも)

世の中が合理性をとことん追求していくのは咎めようもない。けど、行き過ぎた合理化の先にはちょっとした変化にももろい脆弱な社会構造が出来上がる恐れもあるんじゃないかね。例えば、生命種が多様性を失ったときのように。
具体的にどうなるとか、わかんないけどね。


「ひとり団地の片隅で」

2007-02-15 | テレビ・映画・芸能
NHKスペシャルでは今シリーズでやってる「プラネットアース」も面白いけど、地味な社会問題を取り上げたものも見過ごせないものがある。
こないだ見た「ひとり団地の片隅で」はおととしの再放送だが、いわゆる孤独死をテーマにしたもので、見終わった後心の奥にずしりと重いしこりを感じた。

千葉県松戸の常盤平団地はマンモス団地の草分け的存在で、建設計画が1955年発表というからまだ戦後の復興が始まったかどうかの時期の、日本に高度成長期を予感させるような一大プロジェクトであったろう。

ここで毎週のように孤独死者が発見されるというのだ。大抵は無職で家族も居ないか疎遠か。近所付き合いがないため死後3ヶ月位してからの発見も珍しくない。松戸という大都会のなかで、人がうじゃうじゃいる場所で孤独死というなんとも皮肉な事態が起こっている。それ自体は以前から報道されていたし驚きではなかった。

驚いたのは、孤独死が必ずしも老人でない現実、50代の孤独死が多いということ

番組でこの団地で一人暮らしをしている人の幾つかのケースを見せられるうちに、深刻な気持ちになった。他人事じゃない。
仙人のように世捨て人のように、自ら交流を断ち孤独を望んで死んでいくならいい、ほとんどそうじゃない、順風に生きてきた人がある日突然の事故や病気で体や精神に不自由を持つ、当然仕事に支障をきたしどう対処していいかわからないまま離職、やがて家族が離れていく・・・その結果が高齢になってからの一人暮らしで、さらにその最悪の帰結が孤独死!

あたりまえだけどこれは何も都会だけの問題じゃない、深谷だって起っていてもおかしくない。
常盤平団地ではボランティアで一人暮らしの人をケアする支援センターを作り、日々声がけをしているそうだ。ただ1500人を越える一人暮らしに対応しきれるわけもなく、今もおこっているらしい。

ボランティアの人が孤独な人にコミットを試みると、まるっきり相手にしないシャットアウトするパターンもある。そうでない人を取り上げて番組を作っているのだが、まあどちらにしてもこの根本問題は「生きる」という意志の薄弱さではなかろうか。

そしてつまり生きる為にはまず率先して社会とコミットしていかねばならない、障害があるからといって生きる術がまったくないことはないのだと思う。

ちなみにネットで常盤平団地を調べてみたら自治会のHPが見つかったり、決して暗い場所ではない。それを知識無しでこういう番組だけ見ちゃうと地獄のようなところを想起してしまうのはメディアの弊害か。平和に暮らす住人にとってはいい迷惑だったろう。文字色


パパさん会 スキー

2007-02-11 | 地域・暮らし
また今年もパパさん会スキーで尾瀬戸倉へ行ってきました。同じスキー場、同じ宿でかれこれ4年。そして参加者も大抵10家族前後、約30人。「継続は力なり」と言うけど、何か力になっているのかな。

しかし、報道で知ってはいたけど今年は驚くほど雪が少なかった、なんて思ってたら2日目は大吹雪!ゴーグルや帽子をつけないストロングスタイルで臨むぼくにはつらいコンディションだった。
けれど、つくづく感じたのは着実に我が子が育っている、ついに付き添ってなくても勝手に滑るくらいに成長したので、終わり間際に子供を放っておいて念願の全コース制覇(もちろん転びながら)。ちなみに戸倉スキー場ってファミリーゲレンデなのですごい狭くてコースが少ないのに、4度目で始めて行くコースがあったからね。ほとんど幼児相手に超緩斜面で過ごしてたから。

ところで、子供の成長=父親の衰えなのだなあと身にしみたのは、急斜面でのだらしなさ・・・バランスを崩して転ぶよりも、自重(80kg)に耐え切れなくなって「もういいや」みたいに踏ん張るのを諦めてゴロンだからね。ああ、情けなや、ルームランナーでも買うかな。

我が家の場合はこれ以外には行かなくなったのでスキーは年1回、となると当然スキーセットを所有する意味合いが少ない。そういった事情から毎度毎度レンタルスキー。昔と違ってレンタルも物が良いし、運ぶ手間はないし、初期投資がないし、メンテもない。ぼくとしてはもうこれしか考えられない。
けれど、他の家族を見るとわりとみんな所有してるんだよね。正直不思議なんだけど、こういうところがぼくの「甲斐性なし」って部分なのか。そんでもって「甲斐性なし」と呼ばれても一向気にならないところが真性の「甲斐性なし」なのか。


瑣末な疑問

2007-02-09 | テレビ・映画・芸能
先日NHKスペシャルを見てたらシンプルな疑問を抱いた。
ホッキョクグマの生態を追っていろいろと見せてもらったのだけれど、いま彼らは地球温暖化の煽りを受けて絶滅が危惧されてるらしい。
え?暖かくなるのなら生物にとっては暮らしやすくなるんではないのか?と思ったら、気温の上昇で海面に氷の張る時期がとても短くなたためアザラシなどを狩る機会が極端に減ったそうだ。

でも、アザラシが獲れなくても暖かくなればいろいろな動物が集まりやすくなんないのかね。ホッキョクグマは泳ぎが得意らしいから、泳いで暮らしやすいところ探したっていいんだしね。
そもそも北極熊といっても南極で生きられることが確認されてるらしいし、分岐分類学的にヒグマと非常に近い間柄で、互いに交配して生殖能力のある子孫を残せるそうだというのだからどうにかなりそうなものだけど?そうもいかないのかな。

ちなみにアザラシ1頭で半年以上生き延びられるというし、食性は完全な雑食で昆布や貝なども食べる。温暖化が進んでもホッキョクグマにとってそんなに悪くない世の中なんじゃないか?
それとも彼らには彼らの事情があるのか。
ペンギンは違うよ、そりゃ。極寒の地に住み着くのは天敵がいないor生存競争が激しくないってことだろうから、ペンギンみたいなヨワッチイ奴らにとっては仕方のない選択。でも白熊クンはそうじゃないでしょ、どう見たって強いじゃないか?どこに行ってもやってけるでしょ?

まあ、ホッキョクグマは別にいいんだけど、この手の情報番組って、どうも跡に若干ながら疑問を残す傾向があって、小さな疑問なんだけどそーゆーのに限ってネットで見てもわからないような瑣末なことなんだよね。そういった小さなものを忘れずに、地味に孤独に追求していける人が博士とかになるのかも。


大相撲八百長疑惑

2007-02-06 | 社会・出来事
週刊現代に端を発した「大相撲八百長疑惑」、5年ごとくらい?どうも定期的に騒いでるような気がする。
何でも横綱朝青龍を‘黒い横綱’と呼び、先場所の取り組みでは9度注射相撲(八百長)が仕組まれたとか。横綱はじめ大関もその他ほとんどの相撲関係者が全面否定、名指しされた多くの力士が相撲協会から事情聴取を受け週刊現代に対し告訴も辞さないと、対決ムードが盛り上がってるそうだ。

ワイドショーでテリー伊藤が「力士のやる気の無さがそういう疑惑を生む」と、無気力相撲を非難していたが、横の黒金ヒロシが「いや、違う、毎度毎度本気でやってたら力士だって人間だ壊れてしまう、適度に抜いてもらってもいいんだ。なにより相撲はスポーツじゃない、日本古来の文化だからスポーツの論理を持ち込む自体間違いだ」とバッサリ。大いに賛成だ。
そもそも横綱というものは神としてあがめられたありがたい存在だ、単なる競技上の順位ではない。つまり、神に対して八百長疑惑をもつというのは根本的に間違っている、本質を理解していない、と思う。

まあ、ボクシングやプロレスに対して八百長だなんだと言う意見も多いが(プロレスはかなり堂々と八百長だったが)、要するに無粋なこと言うなと言いたいだけ。


40男!魂の叫び

2007-02-02 | 社会・出来事
ついに、、、40歳になる。ついに来たかって感じ。
20歳になるときなんて学生だったからもあるが、なんら感じることも無かった。今思うとあのころって感受性がゼロに近かったように思える。30歳になるときは「30って社会的に大人じゃん?こんなんでいいのかな?」みたいな、戸惑いがあった。40っつーのはもう戸惑いはしない、諦めるしかない、何もかも受け入れるしかない、というような諦観に心が満たされる。

てなわけで、哀愁漂わせても仕方ないので40ならではの叫びをブログで発して行こうと思う。

*柳沢厚労相、「産む機械」発現に与党内にも辞任論
 これがここんとこ話題になっているが、感覚としていまいちわからない。いや、公人として不適切な発現なのはわかる、でもだからって辞任なの?ワイドショーで「日ごろ思っていることが口に出たんでしょう」とか「擁護論もあるが特定の知人に対して言われてごらん許せるか?」とか、おおむね辞任に賛成する意見が幅を利かせているが、ちょっと待ってよww

日ごろから女性を産む機械なんて思ってるほうが不自然だし、ぼくにはそれほど悪意は感じられない。特定な知人というのも論理のすり替え。喧嘩してるなら別だが特定な個人にそんなこと言わないだろどう考えても。ちょっと口が滑ったからって鬼の首を取ったように大騒ぎするマスメディアの体質にこそ激しく違和感を感じる。大臣としてちゃんと仕事すればいいじゃん。って考えるぼくがズレてる?

*禁煙サイト、愛煙サイト
 こないだいろんなブログを見て回ったら「タバコ」ってジャンルがあってその人気サイトに嫌煙サイトと愛煙サイトが並んでいた。人気ランキング上位を占めるだけあって文章が巧みで説得力がある、嫌煙サイトだけずっと読んでたら禁煙したくなってくるから不思議だ。ちなみにぼくは喫煙者ではあるが、禁煙に対してもそれなりの理解はあるつもりだしパートタイム禁煙はよくする。

で、嫌煙サイトで世界各国からの如何にタバコが体に悪いか的な情報を紹介するのだが、愛煙サイトでの反論も同時に読んでいくうちに気になったことがある。嫌煙サイトに対してだ。タバコが嫌いな人がタバコを絶対悪として扱うのは理にかなっているがなんというか、タバコ根絶運動に不自然なくらい情熱的に見えるのだ。つまり「こういう風に体に悪いという説を唱える学者もいる」という事実を「こういう風に体に悪いというのが学者の総意だ」みたいに操作している、ように感じた。そこまでして撲滅したい熱意ってどこからくるのか?って話。嫌煙活動に金を払うスポンサーでもいるのかなとそんなふうに疑ってしまう。

*腰パンのなにがかっこいいのか?
 これは別段世間を騒がせてることじゃないが、腰パン=ズボンをずりおろして履く最近の若者のファッションに対して以前から憎悪を感じてたもので。これは個々の感覚的なものだから、理屈も何も無いのだけれど、脚を長く見せようとするんじゃなくその逆!オジサンには信じられない。あんな履きかたしてたらいざ一大事ってときに走れるのか?
最初に始めたのは誰なんだ?他の国でもやっているのか?諸々疑問がある中で、先日アメリカのドラマを見てたら出てた!ヒップホップ系の装いで見事に腰パンやってた。

仮に今ぼくが10代だったら腰パンをすんなり受け入れられるものなのだろうか?やっぱり嫌ってると思うんだけど、まあなんとも言えないか。
ところでなぜ腰パンについてマスコミで取り上げないのだろうか?やはり世間はファッションのひとつとして無条件に受け入れてるということか?え?もしかしてこんなことを考えてる自体ぼくがおかしいのか?「規格外」はぼくのほうなのかも・・・常日頃、常識とか一般的感性とかにはきわめて自信が無いので。

それでもあえて吠える、偏見でものを言う。腰パンは激しく嫌いだ!
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