石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

坊さんか神主か

2004-05-30 | 雑記
先般、うちの事務所の向かいにあるマンションの管理会社から古い墓石撤去の依頼があった。そのマンションは昔材木屋があっておそらくそのころから建ててあった石碑が今でも建っていた。見ると「観世音菩薩云々」と彫ってあるので単純に観音様を祭るものだろう。
管理会社の人は誰かの墓だと思っていたようだけど。それで気持ち悪いから撤去してくれとなったのだろう。

その撤去の際に神主が来て30分ほどお祓いしていった。あとで思ったのだけど、相手は観音様なのだからお坊さんが正しいのじゃないのかな?観音様は神主の言うことをちゃんと聞くのだろうか?「かしこもかしこみお願い奉~」てるのだから問題ないか。まあ、宗教観がめちゃくちゃな日本らしい話だ。でも考えてみたら、あるお客さんの家にお墓建立の打ち合わせに行ったら「さんりんぼうの日に来るなんて非常識だろ!」と怒られたこともあるな。お墓の工事開始日も仏壇を納品するのも大安が多いし。

こういった一連の「常識」に疎いぼくは年中恥をかいているわけだが、うざったかったそれらの習慣が最近とても興味深い、日本人としてのアイデンティティが感じられるからだろうか。なんともじじ臭い男です。


対中ODAは必要か

2004-05-23 | 政治経済
昨日は北朝鮮拉致家族帰国の話題でテレビは一色だったわけだが、報道側はいささか過熱しすぎな感もあったような気もした。

北朝鮮への経済支援に絡んで前々から不思議だったことをネットで調べてみた。それは中国へのODA=政府開発援助のこと。今や毎年二桁成長を遂げる中国経済に援助が必要なのか?中国はさらに他の国にODAを実施しているというのだから援助する余裕があるなら援助されるなよ!と言いたくなる。

いろいろある中からODAを説明し様々議論のある対中ODAをより客観的にとらえていると思われる文章を以下に抜粋して掲載する。


 円借款とは、日本政府が「政府開発援助」(ODA)の一環として、途上国に円資金を長期低利で貸し付ける有償資金協力。中国はインドネシア、インドとともに円借款供与の主要対象国となっている。これまで対中円借款の大半は港湾や鉄道などのインフラ整備、石炭、石油開発などに使われてきた。
 対中円借款は、1979年12月に中国の改革開放政策を支援するために始まった。2002年までで貸付累計は約3兆円。償還は90年度から開始されている。当初、円借款は中国の5カ年計画に合わせて複数年度分をまとめめて供与する「一括供与方式」(ラウンド方式)で実施された。第1次(79年度-84年度)は、商品借款を含めて7案件、総額3309億円。第2次(84年度-89年度)は、16案件、総額4700億円。第3次(90年度-95年度)は、42案件、総額8100億円を供与。
 第4次(96年度-2000年度)では、これまでの一括供与方式から最初の3年間についての内容を決め、残りの2年については改めて協議する方式がとられた。前半3年分として40案件、5800億円、後半2年については23案件、3900億円が供与された。
 第4次の終了に合わせ、「より柔軟に政策ニーズを反映させるべき」との考えから、2001年度からは、年度ごとに案件を採択する「単年度方式」に移行することとなった。2001年度分は15案件、総額1613億円。
 こうした対中ODA見直しの議論を踏まえ、2001年10月、「対中国経済協力計画」を公表。従来の経済インフラから、環境や生態系の保全、内陸部の民生向上や社会開発、人材育成などを重視する方針を打ち出した。円借款は、これまでの中国の要請に応じる形から日本の主張を重視したものに変わりつつある。そして、2003年8月には1992年以来となる「ODA大綱」の見直しが閣議決定され、「国益の重視」が盛り込まれた。
 また、長期不況による日本の財政難もあって大幅に減額される傾向にある。2001年度の対中円借款は前年度比24.7%減と過去最大の減額となった。つづく02年度も24.9%減の1212億円となった。理由としては中国経済の高度成長、日本国内の対中援助削減要求の高まりなどを挙げた。
 じっさい、自民党などからは、「中国は日本の援助に感謝しているのか、中国の国民は日本の援助を知っているのか」「軍事増強を行っている国に援助するべきでない」「中国も多額の援助を行っている、援助国に援助するのはおかしい」などという不満があがっている。有人宇宙飛行の実現によって、円借款の削減・廃止の意見は勢いを増すだろう。ただ、円借款は日本の対中外交の大きな武器であり、外務省は継続を主張している。
 一方、「日本の経済協力による中国の発展は日中双方の利益につながっている」というのが中国の主張。また、72年の日中国交正常化に際し対日賠償請求を放棄しており、円借款は「暗黙の賠償」との思いもある。日本は援助カードを対中外交の武器とするのに対して、中国は歴史カードで切り返すという構図が一貫して続いている。
2004年3月末までに決める03年度分は、前年度比約20%減の967億円となり、89年度以来の1000億円割れとなった。これによって、対国別の円借款額も約1200億円のインドがトップになる見込みで、99年度からトップを続けていた中国はインドネシアに次いで第3位となる見込み。
 年々増えている中国の元利償還額(返済額)は、03年度には1054億円となる見込みで、返済額が新規供与額を初めて上回ることになる。



できるだけ短くしたかったんだけど要所を残すとこんな長くなってしまった!面倒な人は読まなくてもよいです、まあ要約するといままで4兆近いお金を長期で貸していて償還も始まっている、やっぱり中国に貸すこと自体が問題視されていて年々減額されている、無くならないのは戦争責任という歴史的背景があると。
ぼくが考えるようなことはすでに政治家や識者は考えて主張してるんだね。まあそれでも改善のスピードは決して速くは無い、そんなところかな。

国際外交ともなるときっとぼくらの想像を超えた文化や歴史や諸々のパワーバランスを加味した判断があるのだろう。でもお金貸してんのに威張られてるのはどう考えてもしゃくにさわるね。なんか文句言ってきたときに「じゃあ金出さないよ!」とか言えないのかな?

少なくてもひとんちの教科書にけち付けるのはやめろ!と、言えるものなら言ってみたい。


武士道

2004-05-19 | 歴史
昨日の講演会は「武士道」をテーマとして、官僚や社長へのリーダーシップ育成を主業とし『いまなぜ武士道か』などの著作を持つ岬隆一郎氏を講師に迎えての白熱した2時間余り。

武士道精神には以前から興味があったので大変楽しい講演会だった。武士道を研究しているというだけあって講師もなかなか男らしいはっきりした人で、内容的に格別突飛な話はなかったが「逃げない・負けない・あきらめないの原則を守れ」、「高き身分の者に伴う義務」など、日本の文化としてこのような高軌な習慣・思想が人民に根付いてきたのだと思うと日本人であることの誇りをあらためて感じられた。

また、この岬先生というのがなかなか砕けた人物で、講演会後の懇親会の席で若い者を周りに座らせて一度名前を聞くともう「しんむらぁ~、おまえちょっと言ってみろ」とかって超フランク、武士道だけでなく歴史・現代社会・教育・政治など様々なジャンルについて散々話し込んでいた。すべて終わったのは午前2時だ。講演料無しで膝を突き合わせてお話を聞けるのだからありがたく思わなくちゃね。

普段の官僚や社長相手の研修ではもっと徹底的にきつく怒鳴ってやり込める形式らしい、今回は一般市民対称なので穏便な講演を心がけてくれたそうだ。作家であり歴史学者であるこの人はさすがにそこら辺のオヤジとは違う、学識高く弁論上手で人間的にも懐が深い、良い人と出会えたなと思う。

ぼくはもともと卑怯な人間なので武士道なんて語る資格も無いけど、人間として日本人として踏まえておくべきものだとは言える。


無断転用コラム『添乗員の面白日記』

2004-05-16 | 雑記
面白いコラムを見つけたので、ことわりもなく転載します

H16.5.10
愛のカレンダー
今年、自宅のトイレの入り口に”愛とはなんぞや”のカレンダーが便座にそわると正面に掲げてある。
内容は毎月変わり良く覚えてはいないがいつも内容が似通っていてる「愛は愛する人のためにささげ自己犠牲があってもやむを得ず」みたいな内容ばかり!

世界の哲学者がそんな事を書いているのだから真実かもしれないが自分は違う見解を持っている。
愛とは「自分が生きる糧」である!!←チョットはずかいいかな~

親の愛!子の愛!異性への愛!郷土愛!愛の対象はさまざまでその都度感情は違う。
自分が愛と呼ぶ判断基準は自分が死ねる事!究極の自己犠牲に感じるが愛する対象が無ければ「生きていたってしょうがない」と思える事!これって自己犠牲とは違うと思っているんです。

子供が死んじゃうのなら自分が変わりに!

自分の場合はしょうがなしに死ねたり出来るのでささやかではないんですね~
でも実際に郷土以外の誰のために死ぬ事は無いと思っている。だって愛する人がいっぱいいるのだから誰か一人の為に死んじゃうと他の愛する人が困っちゃうと予想が出来るから!(都合がいいのではないですよ)でも郷土が滅びるなど!(主に戦争かな?)の場合には「愛する人たち!」が対象になるから自分はやはり死ねる!(しょうがなしですよ)
愛せる相手や物が見つからないという事は生きる意味も逆になくなるのではと考えちゃうんです。
だから率先してではないけど「愛したいと思う」だってそんな巡り合わせは人生にそんなにない。

だから過激な愛が地球のあちらこちらで渦巻いている中でほのぼのとした愛が語れる日々を幸せと思う。



こういうことを照れも無くイノセントに書き込めるところがやつの長所だな、ほかにもいろいろ面白いコラムがあります、もっと見たい方はトップページの右側にあるリンク欄の「深谷観光バス」のバナーをクリックしてください、当サイトの影響が色濃いトップページです、その中に「添乗員の面白日記」というコーナーがあるはずです飽きてなければ。


やっぱりNHK

2004-05-15 | テレビ・映画・芸能
ここのところお笑い系の番組が急増したがいろいろある中でNHKの『爆笑オンエアバトル』が一番面白いと思う。それは常に質の高い新鮮な出演者を用意し、余計なコーナーを造らない、また民放のは過剰な字幕がうるさいときがあるがNHKはいたってシンプル、などが理由。日テレの『エンタの神様』で毎週「はなわ」が出ているが、すでに芸として終わっていることに本人も局も気づいていないのだろうか。まあ、お笑いほど賞味期限の短い芸も特殊だな。そんななかでは「いつもここから」とか息の長いタレントはたいしたものだ。

次に、『NHKアーガイブス』、これは過去のNHKの番組のなかで歴史的意義のあるものを解説付で再放送するのだが、こないだはKISS(米国のロックグループ)の日本公演を放映してくれた。70年代の日本の音楽シーンでKISSがどれだけ鮮烈な影響を与えたか。ど派手なコスチュームを纏い火薬を多量に使う、血を吐き火を吹く。ショウビジネスとしての音楽=ライブをそれまでに概念を打ち破るようなステージングで見せ付けたその公演は後の日本のミュージシャンをよりアグレッシブに育てたことがわかるものだった。さらに言えばその見栄えとは裏腹に音楽性はきわめてシンプルなロックンロールでその楽曲の質の高さが数十年にわたる活動を可能にしている理由だろう。
屁理屈はともかく、暦年のファンであるぼくはテレビの前で興奮状態に陥った。やっぱりロックンロールは無条件に最高だ。

そしてご存知『NHKスペシャル』、今日は「地球大進化~46億年人類の旅」。最新の研究結果を反映させた非常に興味深い内容だった。何でも6億年前に全球凍結という赤道周辺も含めた地球全部がマイナス50度くらいになった時期があったらしいという。6億年前というとまだ微生物しかいない時代で、その凍結によって多くの生物が死滅したわけだが、我々の先祖はしぶとく生き残ったから今があるわけだ。

そしてその全球凍結が様々な条件を引き起こし大気中の酸素が現在のパーセンテージまで増加しバクテリアはエネルギー効率のよい酸素をふんだんに利用して体を大型化していった、また海から陸への上陸への契機にもなっていく。全球凍結がなかったら今でも我々はバクテリアのままだったかもしれない。地球による生物への重い苦難が逆により大きく発展させていくということか。


几帳面の国

2004-05-09 | 社会・出来事
今、年金問題が盛り上がっているようだ。年金の様々な矛盾・無理を正そうとするのは当然だろう。その改正案もおかしいという論調でメディアではバッシングの対象になっている。

そして今週あたりは政治家の年金未納問題が大きく取り上げられている。福田官房長官が未納の責任をとるとして辞任、民主党の菅代表が報道番組で言い訳行脚をしている。

ひとつひとつの細かい問題は論じられないけど、ちょっと違和感を覚えるのは、ほんの数ヶ月年金未納であったら役を辞さなければならないというのは行き過ぎではないか?ということ。

年金に限らないけど、悪意を持ってやったのならともかく、うっかりミスでしてしまった小さなケアレスミス発生のたびに役職を下ろされるのなら後に残るのは単なる几帳面神経質の優等生的議員だけじゃないのか?
道っ端で立ちしょんしたら辞任、女性と揉めたら辞任、ゴミの分別を間違えたら辞任、と、どんどんエスカレートして行った先にどんな議員が役職に残るのだ?

国会議員といえど人間であり間違いは起こすだろう、我々が望む政治家というのはうっかりミスを起こさない人なのか?否、多少アバウトであっても広く深い視野を持って国家の将来を熟考しいざというとき勇猛果敢に決断し、異国に対し毅然とした態度をとり、また国民に優しいだけでなく時に厳しく指導し先導してくれる、そんな人だと思う。

明治維新の英雄たちが現在の政治に参加していたらきっとあっという間にスキャンダル等で辞任だろう。

で、ぼくの結論としては、未納が発覚してもその後ちゃんと払ったのならいいだろもう、それよりしっかり仕事やってもらいたい、ということ。

最後に何度もここで書いているが、いちばんくだらないのはテレビや雑誌の姿勢。もっとレベルの高い志をもてないのか。メディアは視聴者の見たいものを模索してるのだからくだらないことを放映してもそれは視聴者の鏡なのかもしれない。でも願わくば祖国の未来を見据え国民をよりよい方向に導くようなそんな志を持ってもらいたい。


翻訳サイト

2004-05-08 | 雑記
お店を開店したらやっぱそれなりに時間取られるものでコラムが途切れがちになってきた!新聞チラシも入れてそこにホムペのアドレス載せといたからアクセス増えるのかと思ったらどうってことないね。ホムペ用のメールに頻繁に来る便りはいかがわしい業者のセールストークばっかり!

たまに英語でくるのがあって、試しに翻訳サイトで訳してみたところ意味がまったく分からない、なぜならモロ直訳だから。ちょっと興味を持っていろいろな翻訳サイトを検索し各所で「LET IT BE」を訳してみた。どこでも結果は「それをあります」、これでは役に立たない。もっとも「あるがままになさい」とかって本当の意味を訳せるのなら翻訳業者は不必要なのだけど、それにしてもちょっとふがいないね。

せっかくだからひとつ今日来たダイレクトメールの翻訳を紹介しよう。
「統合触覚型の食物を殻竿で打つネモフィラ属論理的基礎草地、危険にさらす、冬眠する、消化のよいperidinium bedsit汚水だめ噴出、varietys根強い欲望」
なんなんだ?

ところでQUEENの曲で「DEATH ON TWO LEGS」というのがあって、もちろん翻訳サイトだと「二本の足の上の死」とか無意味な訳になるけど、本来は奥の深い慣用句なのじゃないかなあと以前から気になっている。正しい訳を知ってる人いませんか?


ネアンデルタール人は問いかける

2004-05-02 | 歴史
ネアンデルタール人とはクロマニヨン人の前、アウストラロピテクスの後くらいの知識しか持っていなかった。ともかく直立歩行するサルなんだろうと思っていたら、正確にはアウストラロピテクスまでが「猿人」といってサルと人間の間の霊長類でネアンデルタール人から「旧人」といって古いけど人間の仲間として認知されているそうだ。北京原人やジャワ原人はアウストラロ~の仲間でもっと言うとそれらの中でも細かい種の分類があり発掘によって今も系統図が変化しているのだ。

ところで以前の認識ではネアンデルタール人はほとんどサルに近い生活を送っていたとされてたが、昨今の発掘作業によりどうも言語によるコミュニケーション手段を持っていたかもしれないと発表された。驚いたことは、ネアンデルタール人は30万年も昔にすでに死者を弔うという今のお墓の始まりのようなことをしていたらしい。しかも埋葬したところへ花を手向けていた後が発見された!3万年じゃないんだよ、30万年だよ!なんともスケールの大きい話ではないか。花を手向けるというのはほとんど現代人の感覚と違わないだろう。
なんかお墓業者としては万感の思いに浸れる話だ。

やがてネアンデルタール人はクロマニヨン人によって駆逐されていくわけだが、その過程では混血も生まれたろうし文化的引継ぎもあっただろう。まあ駆逐したっていうか自然淘汰的にいなくなったというべきか。そんなことを繰り返した結果我々ホミノイドのヒト化=いわゆる人類は1種しか生き残っていない、同じ霊長類でも大昔に枝分かれしたサルたちはバラエティに富んだ種類を残している。いったいどっちが繁栄しているといえるのかな?