石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

納骨ラッシュ

2008-02-27 | 地域・暮らし
なぜか知らないが今月は納骨ラッシュ。
毎週土日に納骨作業が入り、日によっては3箇所同時だったりした。もちろん普段から納骨はしているが、毎週というのはなかった。

納骨はたいてい49日法要にすることが多く、逆算すると昨年末に亡くなった人が多かったということか。もちろん亡くなった翌日に納骨することもあるので一概に判断できないが、今シーズンの寒さは起因しているのかも。

お寺の都合によるがだいたい午前11ごろから法要が始まり、拝みが終わったらお墓へ行き納骨といった運びになる。だからぼくはお墓の納骨室の入り口を開けて親族が骨を持ってくるのをひたすら待つ、といった具合で、この時期は寒さが身にしみる。
最近では必ず詰め将棋の本を持参している。口の開いたお墓の前で詰め将棋を解くというのも変わった風景だろう。まあ人がいないから誰に見られることもないのだが。

ところで日曜の午前11時というのはちょうど「NHK将棋」の放映時間、よって毎週見れないのだけど、いやもちろん録画して夜見てるけど、注目の一戦はじかに見たい。あの放送自体生放送ではないのでまあいいのだけれどね。
いや、今シーズンの決勝戦は生放送でやるらしい、納骨が入らないことを祈るばかりだ。


さよならゴールド免許

2008-02-22 | 雑記
いやぁ~久しぶりに捕まってしまった。一時停止を怠って白バイに捕まった。お客さんを待たせていたので、何事にも「はい」と答えて迅速に済ませるべく心がけた。
本音を言えば、あんなに交通量のないしかも見晴らしのよい交差点で止まるかってんだ!
停止することでガソリンを余計に使うのだから、地球に優しくないだろ!事故がありえなそうな場合は多少柔軟に取り組めないものか?

けれど、考えてみればゴールド免許持っているくらいしばらく捕まってなくて、そんなに細かいことに気を使って運転してるわけじゃないのに今まで捕まらなかったのはラッキーか。
たとえばFクンは携帯への間違い電話を取ってしまったばかりに捕まって点数とられた。そんな人から比べればまあいいかという気になる。

そういえば某県議は埼玉県警の長官だかと携帯で話していて捕まったそうだ。すぐに長官に「捕まっちゃったよ、電話出る?」と言ったら勘弁してくれと言われたそうだ。某県議はそれ以外にも携帯ではしょっちゅう捕まっているそうだ。政治力で何とかなりそうなものだが、素直に減点を受け入れているのだと。

今の時代、議員さんこそごまかしには神経質になるのだろう。そりゃそうだ、そんなことが後でわかったらつまらないことで突っつかれかねない。

原理原則を言うと法律は遵守しなくてはならないと思っている。それはもちろん社会人の端くれとして理解しているものの、最後に本音をもらしたい。
「うるせー世の中だなあ・・・」


ダリル・ホール&ジョン・オーツ

2008-02-20 | 音楽
若いときに聴いた音楽を久しぶりに、というパターンが飛躍的に増えた、これはまぎれなく老化だな
ラジオか何かでちょこっと耳にして改めてしっかり聴きたくなりベストをGET。いやぁ~、20年以上経っても遜色ない、本物は時代を超えるのだなぁ。

ぼくの持論で、「才能ある音楽アーティストはかわいい曲を書ける」というのがある。ビートルズの『オ・ブラディ オ・ブラダ』を例に挙げればわかりやすいかな。子供向けの音楽というのとはちょっと違う、ツェッペリンやヴァン・ヘイレン、プリンスにもある。この「かわいい曲」の定義を問われると困るのだけど、パッと聞いてかわいいなあと思ったらそれがかわいい曲、としか言いようがない。

ホール&オーツも結構ある、『KISS ON MY KIST』なんてかわいい曲の代表だ。『RICH GIRL』もそうだな。
ところでホール&オーツに関しては長らく疑問を持っている、ずばりジョン・オーツの存在意義。曲作りに参加していなさそうだしコーラスもしていない。PVでは後ろでギター持って跳ね回っているがギターの音は特段聞こえないし、ぶっちゃけ何の役にも立っていないのではないか。

チャゲあすのチャゲとかワム!のアンドリューがよく引き合いに出されるけど、チャゲはハイトーンボイスという武器を持ってるし、WHAM!は元来アイドルユニットとして出発したのだからいささか状況が違う。
強いて言えば「内山田宏とクールファイブ」の内山田宏のほうが存在は近いだろう。まあ、ダリル・ホールに聞けば「いや、彼は欠くことのできない存在なのさ」とかなんとかって言うんだろうけどね。必要な無駄ってことで落ち着くのかな。

同様にサザン・オールスターズの桑田以外のメンバーも不必要だと思う。桑田の七光でソロで実績作っているようだが、コアなファンにしか意味はないだろう。


国会中継2

2008-02-19 | 政治経済
ちょっと前にテレビで見た国会の野次を批評したけれど、その後ラジオでの国会中継を聞いて、また違う感想を抱いた。

なぜだかわからないがラジオの中継だと野次がすごくよく聞こえるのだ。テレビだと「わあわあ」とノイズにしか聞こえないのに、集音方法が根本的に違うらしい。
その野次をよくよく聴いていると、単なる邪魔な雑音でもない、というか演説者にとっては邪魔なノイズだろうが、そのなかでも漫才の突っ込みのようにタイミングのよい絶妙なものもあるのに気づいた。

もう覚えてないから具体的に示せないのが残念だが、軽トラを運転中に聴いていてたびたび笑わされた。
権威ある国会で中傷合戦など大人気ないと思っていたが、これがなくなってしまうときっと寂しいかもしれない、なんて思ったわけ。

欧米の議会ではまじめな話の合間に軽妙なジョークが混ざることも多いとか。もしかしてそれくらいの遊び心を入れたほうが議会運営が円滑になるかも。不謹慎であろうともつまらなくて寝てしまうよりよっぽどいいだろう。


教育的配慮にあらず

2008-02-18 | 教育
家が「くもん教室」なのでこどもが苦手なぼくでも接する機会は必然増える。来年度PTA会長やりそうなのに苦手といってしまってよいのか?まあ仕方ない、本当のことだから。

もちろんぼくはくもんには関わってないのでカミさんを通してのほうが多いけど、それでも大人と同じくこどももいろんな個性があって驚いたり呆れたり感心したりなかなか楽しませてくれる。
くもん教室の方針として「靴をそろえる」というのがあって従わない子もいるけど概ねみなそろえている。したがってぼくもそろえるようになった、大人が規範を示せなくてはというわけで。

びっくりさせられることもあった。
ある日家でくつろいでいたら「どっか~ん」と大きな破壊音がした。何かと思って外に出たら年少のくもんの生徒が建物の壁に向かって石をぶつけているではないか。石屋なので石は売るほどある。家を壊されちゃたまらないので即効出て行って「ゴラァ~!」って怒鳴っても無視、よく見ると何か泣き叫んでいる。
どうやら喧嘩でもして悔しさあまっての行動らしい。頭にきたのでひっぱたいてやった。軽く説教をぶつけて家に帰した。

あとで、あの子やめちゃうかな、あるいは親が怒鳴り込んでくるかなとちょっとどきどきした。
ことわっておくが、ぼくの行動には教育的配慮なんて微塵もない。単に怒りに任せただけ。けれど、それでいいのじゃないかと思っている。

「教育」でなく「怒り」の場合、あるいは勘違いから怒ってしまうケースもありうる。それでもそれはそれでいいんだと思っている。もし万が一こちらに非があれば当然その子に頭を下げる。たとえ謝られてもその子の心に傷を負わせるかもしれない、トラウマになるかもしれない。
そうであってもそこから学ぶことはあるだろう。大人のそして世間の不完全さ理不尽さ、etc

人生はつらく悲しいのだ。優しい大人ばかり見てたらあとで痛い目にあう。
しかし、どんなに言葉を重ねてもぼくが言い訳しているように聞こえるのはこれ如何に?


大崎善生『将棋の子』

2008-02-16 | 読書
syouginoko

大崎善生という作家を知っている人は少ないだろう、彼は日本将棋連盟に所属し将棋世界という雑誌の編集長を務めていた。なかなか一般にわかりづらい将棋界の裏表に精通している。

プロ将棋棋士になるためには奨励会という組織で厳しい競争を勝ち抜かなければならない。まだ少年のうちからその過酷な競争世界に飛び込んだ者たちの生き様を追いかけたドキュメンタリーが本書だ。

無論ぼくは奨励会の厳しさは想像するしか出来ないが、それでも我々にとって遊びの範疇であるボードゲームの勝ち負けが人生を左右するなんて恐ろしすぎる、いわば命がけの戦場だろうなと想像することは難しくない。
奨励会は26歳までに四段にならないと自動的に退会させられる。四段からがいわゆるプロ棋士で、そこからは給与ももらえるのだが、三段までは何の保証もない。四段になるのは三段リーグで勝ち抜いた二人だけ。6級で入会してから最短でも4年くらいかかる(のかな?)。

この本の時代の奨励会は特に過酷であった。その主たる原因は「羽生世代」、前にも書いたが、羽生・森内・佐藤康・郷田・藤井・丸山などなぜか同世代に超一流棋士が集まっておりこの一群が奨励会を席巻した時代であったわけだ。

それまで優秀だったエリートたちが羽生世代の台頭で突然に端に押しやられて出世を阻まれてしまった。そうしてプロになれずに退会していった者たちにスポットを当てその後の人生を追いかけて本書は進む。

このように書いてしまうとなんとも暗い話だなあと思われがちだけど、まあそりゃ陽気な話になりようがないか、確かに全体に薄暗く切ない雰囲気に満ち満ちている。でもそれゆえにリアリティを感じる。本来人生というのは薄暗く悲しく切ない部分が多分にあるし、それと戦うことがすなわち「生きる」ということなのだ。

翻って考えれば、我々のような平凡な人生にだって実は勝負している部分があるのだと思う。将棋ほどくっきりと勝ち負けがわからないかもしれないしなにしろ地味でわかりづらいかもしれないが、生きていれば誰しも大なり小なり多かれ少なかれ勝負をしているのだと、そう思った。さらにいえば勝負に勝つことがイコール幸せかどうかはわからない。幸せなんて十人十色で決まった形がないのだから。

まあそれはさておき、10代前半から真剣勝負の世界で日々身を削って戦う少年達に深く心を打たれた。


プロ棋士と対局!

2008-02-11 | 将棋
日曜日、明戸公民館で「第1回深谷将棋まつり」が開催された。普段日曜日は仕事だけどこの日の為に予定を調整し家族に諸々代わりを頼んでなんとか参加できた。
明戸

いまどき将棋まつりたって、さびしい状況だろうなと期待せずに行ったら100人以上の参加者だった。もちろん年齢層は以上に高いし女っ気はない。

上柴の将棋道場で顔見知りの人も何人か来てた、これは相当レベル高いなと思い、Cクラスで参加した。5局の対局でクラス優勝を決めるシステム、初戦こそ勝ったもののそこから連敗し最後を勝って結果は2勝3敗。ちなみに2戦目であたった人が優勝した。

3戦目と4戦目は序盤で大ゴマをゲットするなど、大優勢でありながら逆転を許してしまった、しかも3戦目は中学生!もう、一日悔しかった。

当大会ではプロの棋士が特別参加するのが目玉で、それを楽しみに参加した。誰かなと思ったら松尾歩7段!B級2組ながら07年度勝率0.737(今日現在)と5位につけている。もっとも旬な棋士だ。ayumu01

表彰式が終わってからまだ時間があるというので記念でお手合わせをお願いした。手合いは4枚落ち、つまり飛車・角・香車2枚を落として対局。結構いい線いったかなと思ったが負けた。局後「この場面で詰みがありましたよ」と教えてもらった、ああ、ほんとだここでこうしてりゃ勝てたのかあ、、、と、まあそうやって自信をつけさせてくれるのがプロの指導対局で、ぎりぎりの戦局にうまく持っていく技なのだね。

常に周りに人がいてゆっくり話せなかったのが心残り。NHK杯のこととかプロの世界の話をゆっくり聞いてみたかった。しかし現役プロと対局できた、うれしい。
松尾7段



おっさんの顔だらけ

2008-02-06 | 政治経済
去年から目に付いていたが、次期選挙候補者のPR=いわゆる選挙ポスターがむちゃくちゃ貼ってあるのはみな気にならないのだろうか?現職と前議員の顔のポスター。いつ行われるかも決まってない衆院選のためによくもまあ何万枚だか知らないがあんなにたくさん作ったものだなと、感心してしまう。

一本の幹線道路の右左関係なく距離も関係なく、景観なんぞまったく意に介せずベタベタと貼ってある。同じ家の壁に両候補が仲良く並べて貼ってあるのもあった。なぜか農村部のほうが目立つ気がする。現職のほうが種類が多いみたいだが前議員のほうが量的にリードしているかな。

今までの選挙対策とは明らかに違うこのポスターめちゃ貼り作戦は、浮動票をターゲットにしているのか。選挙無関心層は着実に存在感を増しているし、その日の気分で誰に投じるかわからない有権者に対しては小難しい政策論議よりもビジュアルに訴えるほうが効率がよいのかもしれない。両候補がビジュアル的に優れているかは別にして。

政治・社会に関心を持ってない人が義務的に投票をする場合に「そういえばこの人の顔と名前見たことあるなあ」ぐらいのことで決めるのかもしれない。
なので現状の選挙システムでは致し方ないのかもしれないが、町じゅうおっさんの顔だらけってのはいかがなものか?

もっと突っ込むと、ビジュアル重視という傾向が進むと汚いおっさんは受かりにくくなったりするのか?政治家がイケメンばかりになるのか?


出演拒否の謎

2008-02-02 | 音楽
またまたNHKで『SONGS』って歌番組で世良公則を見た。「あんたのバラード」も「銃爪」も全然色褪せない名曲だ。今でもかっこいい。ちなみに野村よっちゃんが後ろでギター弾いていた。

見てるうちに「ザ・ベストテン」を思い出した。小学校から中学あたりは毎週かじりついて見てたなと。ツイスト、ゴダイゴ、ピンクレディ、キャンディーズ、ジュリーやヒデキも元気だったよなあ。
そんで、歌番組華やかなりしあのころでも確か「出演拒否」してる人たちがいた。
吉田拓郎、井上用水、中島みゆき、オフコース、矢沢栄吉、松山千春・・・

出演拒否だか多忙により欠席だか正確には忘れたが、上に挙げた以外にもたくさんいて久米宏がよく頭下げてたのを覚えている。不思議なのは今になってほとんどみんなテレビ出てること。そんじゃいったいあの頃の拒否はなんだったのかと。

まあ山下達郎や浜田省吾は今でも出てないからわかるが、あの頃の歌番組を拒否し今のバラエティやCM・ドラマに出演するというのは説得力がなくないか?
何がいやで出演しなかったのか一人一人聞いてみたい気がする。

それとも今と違ってなんらかのイデオロギーに関わるような理由が存在したのかな?詳しい人教えてください。