友人が永年経営していたコンビニを閉めた。別段業況が苦しかったわけではない、むしろ好調だったという。詳細は知らないが本部と意見が合わなかったらしい。たとえ生きる糧を失うとも信念を曲げず閉店を決意した彼の潔さには敬意を評したい。
ちょっと興味が沸いてネットで「コンビに経営」というワードで調べた、いろいろ出てきた、「コンビニの経営だけはやめろ!」的な否定的意見が多い。本部と加盟店の関係は資本家と奴隷の関係だとあった。ある友達が「コンビニってのは一種のねずみ講だよ」と言ってたな。まあ当たらずとも遠からずなのか。
が、しかし消費者にとってコンビニエンスはいまや生活に欠かせないものにまで成長したことは否定できない。喫茶や宅配や銀行機能まで身につけて今後もどんどん進化していくのだろう。下手すりゃお墓もコンビニで買えるようになるのかも。
「もちは餅屋」だとか「地域に根ざしたお店」だとか言いながら一方でつい便利で利用しちゃうんだよね。
つまり資本主義経済を突き詰めた先には「便利」というキーワードが重要な社会がある。「高い」「安い」じゃない、どれだけ手軽か合理的かということに高価値を認められる(例外もあるけど)。これはなにかとても危うい印象を持ってしまう。この文明が脆弱性を露呈するとしたら、皮肉にも合理性を極めたが故の「便利さ」が発火点になるのじゃないかと。
わかりやすく例を示すなら、停電が長く続けば現代社会は簡単に壊滅するだろう。便利さを手に入れることによって失う代価は実は数値化できない大きさなのかもしれない。
ちょっと興味が沸いてネットで「コンビに経営」というワードで調べた、いろいろ出てきた、「コンビニの経営だけはやめろ!」的な否定的意見が多い。本部と加盟店の関係は資本家と奴隷の関係だとあった。ある友達が「コンビニってのは一種のねずみ講だよ」と言ってたな。まあ当たらずとも遠からずなのか。
が、しかし消費者にとってコンビニエンスはいまや生活に欠かせないものにまで成長したことは否定できない。喫茶や宅配や銀行機能まで身につけて今後もどんどん進化していくのだろう。下手すりゃお墓もコンビニで買えるようになるのかも。
「もちは餅屋」だとか「地域に根ざしたお店」だとか言いながら一方でつい便利で利用しちゃうんだよね。
つまり資本主義経済を突き詰めた先には「便利」というキーワードが重要な社会がある。「高い」「安い」じゃない、どれだけ手軽か合理的かということに高価値を認められる(例外もあるけど)。これはなにかとても危うい印象を持ってしまう。この文明が脆弱性を露呈するとしたら、皮肉にも合理性を極めたが故の「便利さ」が発火点になるのじゃないかと。
わかりやすく例を示すなら、停電が長く続けば現代社会は簡単に壊滅するだろう。便利さを手に入れることによって失う代価は実は数値化できない大きさなのかもしれない。