石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

セカンドライフ

2007-09-30 | 地域・暮らし
「セカンドライフ」と言っても定年後の第2の人生ではない、リンデンラボ(Linden Lab) 社が運営するバーチャル世界のことで、ネット上の仮想空間、広義に捉えればゲーム。

何だゲームかとバカにできない。日本を始め世界各国で爆発的に流行っているらしい。
この仮想世界で1人格としてバーチャル人生を楽しむんだって。イベントを開催したり参加したり土地を買って家を建てたり、仲間を作ったり何か作ったり、そしてお金儲けしたり。制作物の著作権や所有権が認められてるのも大きな特徴、この仮想世界での通貨は現実通貨と換金できるそうで、すでに1億円相当の資産所有者が誕生しているとか。また非課税であることから資金洗浄の温床と化しているとか。1万ドル相当の詐欺事件も起きたとか。

アバターと呼ばれるこの世界での風貌は自由に設定でき、なかには動物の顔だったり宇宙人みたいだったりお好みの姿になれる。有料で結婚もできるんだそうで。それどころか性行為もできるしストーカー行為でも痴漢でも、現実のようにできる。

ちょっと、なんていうかここまで読んで気持ち悪くなってきた。恐ろしい世の中になった。映画『マトリックス』にあと少しというところまで来ているのじゃないか。

ぼく自身セカンドライフのことはテレビやネットで知ったが、周りの人間でこのことを話しているのを聞いたことがない。もしかしてやっている人間は他人にわざわざ教えたりしないかもしれない、そういう人間がはまりそうなしつらえだ。

実際は冒頭で書いたとおり爆発的に普及し始めていて、外に出ずにこの仮想世界だけ1日中やってる人もいるらしい。確かにこれを検索したときに「セカンドライフで儲ける」みたいな広告が出てきた、ニートの生きる術となるかもしれない。

長時間停電したらどうするんだろう?


運動会で走る

2007-09-28 | 地域・暮らし
先週は中学校と小学校、中1日で運動会。そして両方でリレーに参加してしまった。

昨年までもどちらかで走っていたが木曜と土曜に連続で100m走るのはちょっと不安があった。けれど、たとえ遅くても転がっても本気で走ろうと思っていた。

理由がある。昨今の「なにマジになってんの?」的な本気であることがかっこ悪いみたいな風潮がいやだ。いや、ぼく自身がその風潮にどっぷりとハマって生きてきてしまったのだが、次代を担う子供たちに「本気でやることのすばらしさ」を伝えていくのは我々大人の役目だろうと、そんな風に考えるようになった、それがたとえバカにされようとも。

運動に限らず部活だって勉強だって仕事だって恋愛だって、全部ひっくるめて人生だって、いい加減にこなしたらつまらなくなるんだ、本気で取り組めばたとえ結果が出なくても何かしら残るものがあるんじゃないか、と。

中学校では部活対抗リレー、先頭ランナー。こりゃ悲惨な結果になりそうだと思いながら走った。けれど思ったより体が軽い、ん?例年半ばあたりで足がもつれそうになるはずなのに快調だ。そして3位で次走者にバトンタッチ!おお!なんか違うぞ。もしかしてブートキャンプの効果か?

小学校ではアンカー、張りきって望んだものの前走者がビリで入ってきた。よおし、せめてひとつくらい順位上げるぞと走ったら、なんと前を行くのは校長!コーナーで膨らんでインから抜けそうだったが、齢60の校長をインから抜いたら非難されそうな気がして一瞬ためらってしまった。結局アウトに回り込んで走る、最後ゴールラインを同時に踏んで終了。

終わってから会う人会う人に「校長といい勝負じゃ相当遅いぞ」とバカにされてしまった。ま、実際速くは無いからいいんだけどね。

ところで未だにブートキャンプやってるのって結構珍しかったりしないのかな?たとえ珍獣と言われても来年の運動会まで続けたくなった。


靖国へ

2007-09-24 | 歴史
先週、商工会議所の研修で靖国神社へ行って来た。ここ数年は毎年行っている。なんら代わり映えしないから暇だろうと詰め将棋の本を持って行ったが、行ったら行ったで結構面白いのだよね。本を読む暇は無かった。

面白いなんて言ったら不謹慎かもしれないが、あそこには日常に存在しない摩訶不思議な空気がある。「日本絶対正義」みたいな主張をためらいなく吐き出すのって、どこのテレビでも雑誌でも無いと思う(マニアックなのは別)。
ぼくは思想的に右よりだけど、靖国の原理主義的な究極国家主義の前ではまるっきりかすんでしまう。

社殿に隣接する博物館内で流すビデオでは日露戦争での日本軍の大活躍を軍艦マーチに載せて勇壮に語る、これがまた痛快で良い。大東亜戦争においてはニュージーランドやマダガスカル島まで戦線を広げていたなんて知らなかった。

誤解されると困るが、ぼくは争いごとは嫌いだ。戦争なんて絶対体験したくない。されども、先祖を悪く言うのはいやだ。正しいとまでは言い切らないが、我々の元である先祖を鬼畜の如く表現するのは人として正しくないと思う。先祖を悪く言うということは天に向かって唾を吐くのと同じだ、自分に落ちてくるのだ。


浜松へ

2007-09-18 | 地域・暮らし
祖母の年忌法要がダブルであるため(父方&母方)、家族で浜松へ行ってきた。
久しぶりに集合した一族24人!親類との付き合いとか面倒だなあと思っていたけど集まってみるとわりかし楽しかったし、血縁者の関係って普段交流が無くても理屈を越えた一体感みたいなものがおぼろげにもあるんだなと、なんだかしみじみ思った。

そしてこのめんどくさい集いを企画実行した横浜の親父は70にもなって偉いなとも思った、この人間関係が希薄になった時代にこそ意味のある行いだ。

浜松は地域合併を経てついに政令指定都市になったそうだ。ぼくは親戚がたくさんいる町なので以前からよく訪れていたが、確かにここへ来て一気に洗練されて都市化した気がする。一時は思いっきり田舎のひなびた街だった。

大好きな中田島砂丘へ子供たちを連れてってあげたかったが、あいにくの猛暑のため断念、代わりに楽器博物館と蜆塚(しじみづか)遺跡へ行った。

楽器博物館はYAMAHAや河合楽器の本拠である浜松ならではの風変わりな博物館、ぼくにとってはありがたい施設だ。
蜆塚遺跡は日本では珍しく太古の化石・遺跡類が保存状態よく残された場所で、ナウマン象の骨格標本は圧倒されるド迫力。ここの地に野生の象が歩いていたのかと思うと心が躍る。

さらに浜松は食べ物がうまい!野菜も果物も味が濃い気がする。からっとした気候も関係してるのかな。

深谷への帰途の350kmの道中はなかなかしんどかった。翌日が商工会青年部の研修というのも気分が滅入る一因だった。


安倍首相・・・

2007-09-13 | 政治経済
安倍総理の突然の辞意、たまげた。
敵前逃亡とか逆境への免疫が無いとかお坊ちゃまの末路とか、散々に言われているが反論の余地はまったく無い。そして今日入院してしまったが同情の声は聞こえない、仕方ないだろう。

ちょっと前に『働き盛りの欝(うつ)』という特集があったが、安倍晋三も典型的現代人に分類されるかもしれない。一国の首相ともなれば憎らしいほどタフでなくてはだめなのだろう。

「背が高くてスマートというだけのタレント人気」という厳しい論調での批評も読んだ。ここぞとばかりの総攻撃に、へそまがりのぼくとしては擁護したくもなってくる。
確かにタレント的な人気はあったろう、けれど言動一つ一つにはそれなりの優れた手腕を感じるものもあった。それに国を愛する気持ちを前面に出した主張主義は強く共感を覚えた。
大体今までの首相を振り返ってみてもアメリカや中国のご機嫌取りみたいな人が多かった気がする。それに比べれば・・・って比較論をかましても無意味か。

また所信表明の翌日の辞意というタイミングの悪さが言われているが、今まで無かったから「前代未聞の大悪手」と非難するのは意味がわからない。ダメだと感じて傷口が広がらないうちに出来るだけ早くやめるのは世間受けを気にしない冷静な判断だとも思う。

そう、良くも悪くも世間受けを気にしなさ過ぎる首相ではあった。ぼくはその部分を買っていたが、世渡り上手が結果的に評価が高くなるのがこの国なのだ。彼にムネオの胆力=図太さがあったらすばらしいリーダーだったかもしれない。って前にもムネオを引き合いに出した気がするが。結局政治に限らず世の中を渡っていくにはムネオチックであることが求められているのかも。


怨霊は在る(ちょっと長いよ)

2007-09-10 | 雑記
もう10年以上前の話だから事項だと思って書く。
うちに来たお客さんで変な話を始めた人がいた。
なんでもこのところ親族一同に不幸が頻発しており、親類の誰かの呪いが原因だと言う。その不幸一つ一つを説明したあと
「ついに私の体にも兆候が来たんです!」
と言っておもむろに手のひらを差し出した。

?一見これといって変わったところがない普通の手のひら。
「よく見てください、真ん中あたり、女性の顔があるでしょ!」

ええ?どー見ても何もない、無理やりしわを輪郭に見立てて・・・それでも顔には見えない。もちろん呪いを動機にお墓を建てようがなんら差し障りはない、うちにとっては大事なお客さんだから
「はぁ~なるほど不思議なことがあるんですね」くらいで調子を合わせておいた。無事仕事もさせてもらった。

当時20代のぼくは変わった人だと思ったけど顧客情報だから今まで人に言わず心の中で寝かせてきた。今は違う見識を持っている。その人が信じている以上手のひらに顔があったのだ。信ずれば怨霊も在るということだ。

井澤元彦の『逆説の日本史』で日本古来から「怨霊信仰」が根強く伝承されてきたことを記してある。象徴的なのが出雲大社、これは大国主命を祭ってあり、国譲りの神と言われる大国主(オオクニヌシ)が実は大和朝廷と戦争し負けて殺されたことの論拠であるという。菅原道真を祭る太宰府天満宮のほうがわかりやすい。権力闘争で冤罪を着せられ大宰府に流された道真の怨霊を勝ち残った権力者がどれほど恐れたか。

そう、日本では父なる神を崇め奉るのではなく、怨霊という負のパワー的存在を鎮めるために莫大な資金を投入し諸々のまつりごとを行い豪華な建造物を立てた。そして現代日本人のDNAにも怨霊信仰の記憶が埋め込まれている。

怨霊信仰を「非現実的なばかげたこと」と否定しても意味がない。論点は違うところにある。科学的見地で怨霊が存在したかではない、信じている人間にはそれはリアルな現実なのだ。

長くなったが、話を元に戻すとそういうわけでぼくは件の客を否定しない。ただ、その個人の価値観を押し付けられるようだとはなはだ迷惑ではあるが。


じゃ、ぼくにビジョンはあるのか

2007-09-05 | 地域・暮らし
もう10年以上前だが、とあるセミナーで「経営者適正テスト」みたいなのをやらされた。4択問題が50問くらいあって、結果が何点以上だとAとかBとかランク付けされるやつだ。

経営者のなりたてのぼくの結果は芳しいものではなかった。
そんとき思った。
「ふ~ん、じゃ、不適正な者の経営がどんな結果を生むのか世に問うのは大いに意義の高いことだろうな」と。

このセミナーの狙いは「テストの結果を真摯に受け止め自戒しなさい」ってことだろうけど、ぼくは強く反感を抱いた。
世の中には様々な業種があり多様な経営形態があるのだから50問の質問で分類できるはずが無いじゃないか。

いや100歩譲ってぼくに経営センスが無いとしよう、だとしても余計なお世話だっつーの!ぼく自身が選んだ道をぼく自身が歩いているのだ、結果どうなろうと自分の責任を全うする覚悟を持っていればそこに何の余念を挟む余地があろうか。

もっと言えば、会社をでかくしたり売り上げを倍増していくことだけが目指す道かって話だ。家族経営ながらもしっかりと地元に根を張り着実に信用を築き上げていくのだって生き方だ。金回りは悪いけど楽しい会社だってあるんだよと言いたいね。

しかし、いくら言葉を重ねても負け惜しみっぽさから脱却できないのはどういうわけだろう?


マスコミにビジョンはあるのか

2007-09-02 | 社会・出来事
最近ワイドショーや雑誌でしきりに民主党の横峰パパや女性議員の乱交を非難する話題が多い。両社に共通するのは不倫、横峰のほうはそれにプラス賭けゴルフ。

「自民の組閣にしろ民主の候補者選びにしろトップは潔白を確かめるようじゃないとだめ」というコメント。そうは言ってもそんなこと現実不可能じゃないの?人間は多かれ少なかれ叩けばほこりの出るものでしょ。

民主党をかばう気はさらさら無い。だけど、マスコミに問いかけたくなる。こんな糾弾してて本当にいいの?
だって賭けゴルフなんて暗黙の了解ながら誰でも普通にやってるんだしね。そのうち政治家や公職者はパチンコやっただけで非難される世の中になるんじゃないかと。(っつーか、パチンコ自体の矛盾が問題になる日が来るかも)

不倫だっていい大人が了解してやることなんだから他人がとやかく言っても仕方ないでしょ。公職者はダメ?それを徹底したときに人間味が無い薄っぺらな政治家ばかりになってしまわないのか?薄っぺらな人間に任せた社会って、よくなるの?

かつてこのコラムでも紹介したが、愛人問題を問われた三木武吉の返答「女7人くらい制御できないで国政など預かれるか!」(愛人が7人いた)というのを思い出した。
世知辛い世の中に対し昔のおおらかさを懐かしく思う人は多いと思う。