石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

不正への考え方

2009-10-31 | 社会・出来事
くねくね科学探検日記社会を回すには勇気を持って不正を受け入れないと

前にも紹介したブログだけど、まったくその通りだなと思ったのでここにのっけます。
かいつまんで内容説明すると、役所のバイトをしたら無駄がすごく多いことに気づき、なかでも「自分たちが不正を働いていない証拠を作る仕事」ってのが異様にあるらしい。

で、結論に行っちゃうと

集団が大きくなれば、一定の不正を容認しないと効率が落ちる。歯車も遊びがないと回らない。不正をある量より減らそうとすると、減らすためのコストのほうが、その不正によって生ずる損失より大きくなる。だから、不正は絶対に許せないという本能の言いなりになって、完璧に不正を取り除こうとすると、ものすごい無駄が発生するわけね。逆に言うと、一定量の不正は勇気を持って受け入れないと世の中は回らない。


という主旨。もちろん不正は良くないのだけど「一定量」というのが味噌で、どこまでが一定量かを見定めるのがバランス感覚。現実問題としては難しいのだろうなあ、特に公な機関だと。

そういう意味では議員などになりたがる人が信じられないね。窮屈な人生だろうにね。
あ、PTA会長くらいなら大丈夫ですwいやもちろん不正はしてないけどw


石と花

2009-10-29 | 雑記
先週お墓を作ったお客さんが自家製の菊を持ってきてくれた。
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その菊が満開になったのでせっかくだから載せておこう。

花のことは良くわからないけど、ここまで立派だとさすがに目を見張る、毎朝お店に行くとこのゴージャスな景色が迎えてくれる。趣味で菊を作っているそうだが、これならお金が取れるレベルじゃないかな。

石だらけのお店が彩られてとても鮮やかになった。


第3回深谷ふれあい将棋まつり

2009-10-26 | 将棋
忘れぬうちに書いておこう。昨日(日曜日)はまたまた将棋大会に参戦!
今回は暇そうなせがれも連れて行った。もうちょっと興味持ってもらおうと意図したんだけど1勝4敗の結果は逆効果だったかな?

さて、普段この催しは年1回冬だけなのが、好評につき急遽年2回にしたため広報も間に合わず、ぼくも4日前に知って無理くり参加した。きっと参加者も少ないだろうと思ったら、あまり変わらなかった。けど明らかに前回に比べじいさんが多い。これはチャンスかなと淡い期待。

第1戦は相振り飛車。こちらの3間に四間をぶつけられた。1戦目なので恐る恐るやってたが終盤に差し掛かり突然ひらめいた!角うちで龍飛車の2枚取りをかけられた場面で2枚の飛車をたたき切った上で相手玉の懐に角をぶち込む、これが見事に決まった、なかなかこううまくいかないというぐらいの華麗なさばき!いや~気持ちいいのなんのって。

しかも相手の人前回準優勝してるというからますます期待しちゃうってものだ。
が、しかし今思うとこのうまく行き過ぎた1戦目があとあと悪く影響したようだから、将棋は難しい。

とはいえ2戦目も短手数で勝利、なんかあっけないくらい簡単だった。これも相振り飛車だった。苦手な相振り飛車で2連勝ってすごいぞ、優勝しちゃうぞ!なんて鼻息が荒くなったのだ。

ところが第3戦、完全に気負った、1戦目の華麗なさばきが頭にあったためか序中盤で飛車切りをやってしまった。もちろん駒損しても詰み筋だろうと判断してのことだが、明らかに急ぎすぎた。後はじっくり指されて敗戦。

4戦目。ほんと将棋ってバランスが難しい。今度はちょっと自重しすぎたようで突っ込むところを躊躇してグダグダに。負けたと思ったのに相手の時間切れ負けで救われた。勝ったけどひどかったなあ。

そして5戦目、相手は小学生。しっかりと定跡たどって指すのだけど、すごい早指しで翻弄されてしまった。それでもうまく追い込んで勝ちが見えたと感じた瞬間、やってしまった。お互い攻めあってこちらの1手勝ちと思ったのに最後に打ち込む攻め駒が足りない!って気付くのが遅すぎた。長い将棋になったが時間にも追われて結局負け。もうはっきりしてるのに悔しさ余って時間ぎりぎりまで投了を告げられなかった。

前回と同じ3勝2敗。なにしろ今回は全体的に丁寧さに欠けたと思う。1戦目の心地よい勝利が微妙にバランスを狂わせたのかな。「好事魔多し」という人生の格言をそのまま現したような1日だった。

と、冷静ぶって書いているが昨日の晩は悔し過ぎてなかなか寝付けなかった。


アガサ・クリスティ『アクロイド殺し』

2009-10-24 | 読書
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推理小説わりと好きなのに今までアガサ・クリスティを読んでこなかった。それには明白な理由がある。若かりし頃唯一読んだ『オリエント急行殺人事件』、今では内容についてまるっきり覚えてないものの読み終えたあとのあの読後感は忘れられない。「面白い」とかじゃない、ただ唖然として「ふざけるな!」と怒りを感じたのだ。こんなのが推理小説かよ!って。ネタばらしになるからトリックは書かないけどね。

それがため読まずに来たのだけど、雑誌で推薦されていたのを見て本作だけは読んでおくかと。
人間って年齢で感性が変わるんだなと、つくづく感じ入った、素直に面白かった。ただし、本作のトリックもあまりにも驚愕もののため賛否両論あるという。ま、確かに掟破りではあるな。

森博嗣氏が「アクロイド殺しを先入観なしで読んだ人は幸福である」と書いたそうだ。確かにうなずける。なので詳細は書きません、ぜひ未読の方は情報を仕入れずに読んでみてください(って上で「掟破り」と書いてしまったが)。

でもぼくが今回面白かったのはトリックよりもむしろ探偵エルキュール・ポアロのキャラだな。若いときに感じたのはなんか冴えないつまらない探偵だなあと。だって物語のヒーローなのにチビ・デブ・ハゲの3拍子そろいそのくせやたらと上品ぶった言い回しだもん。本よりもドラマのポアロの影響かもしれないが。

いや、ポアロの魅力はだからこそ輝くのだと今になって理解できた。上品な口ぶりから辛らつな皮肉を交えた推理、自信過剰気味の自己評価などこんな魅力的なキャラはなかなかいない。

というわけで、しばらくクリスティ漬けになるかも。


ゲシュタルト崩壊

2009-10-22 | 科学
またまた面白かった他所のブログを紹介します。

ゲシュタルト崩壊と戦うブログ
見てもらえばわかるが漢字などをひたすら書き連ねてその崩壊っぷりを楽しむというブログ。

って、ゲシュタルト崩壊を知らない人にはなんのことだかさっぱりか。

ゲシュタルト崩壊=心理学における概念のひとつで、全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt: ドイツ語で形態)から全体性が失われ、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。 ウィキペディアより


で、その中で特に文字のゲシュタルト崩壊というのが

同じ漢字を長時間注視しているとその漢字がバラバラに見えたり、連続で羅列された文字列を読み続けると途中からなんとも形容しがたい、いわゆる「こんがらがった」状態になる現象。


これ、学生時代からありませんでした?漢字の練習で何度も書いていると「なんだこれ?へんなの」と、「記号」と「意味」とが離れちゃうこと。変だなとは思っていたけど、だからといってのめりこむことは無く、つい最近まで忘れていた現象。

錯覚の一種なのだろうけど、思えば人間の脳はなんとも不確かな機能をもって制御しているのだな、と、感慨にふけった。

けれど、ふとひらめいたことがある。
将棋を指してて数ヶ月に一度妙に弱いときがある、序盤は定跡の通り指すのだけど、中盤に差し掛かり攻めの構想を練るあたりで盤面を見ても何も浮かばないときがある、盤面に相手の意図自分の構想ともに見出せないようなもどかしい感じが確かにある!そんなとき10連敗くらいして大きくレートを下げるのだけど。
あれって、もしかしてゲシュタルト崩壊かな、なんて思い至ったのだけど・・・
(単純に弱いだけかw)


石田衣良『1ポンドの悲しみ』

2009-10-20 | 読書
最近読書量がもどってきたかも。
その昔20代のころは常に3~4冊を同時進行してないと気が済まないくらい読んでたのに、インターネットの出現、加えて将棋へののめりこみが大幅に時間を消費するに至った。
まあ、そういう意味ではPCでもブログなど活字を読んでるし、将棋も詰め将棋本などを繰り返し読んでいるから「読む」の内容が変わっただけなのだけれど。

まったく何の知識もなしに石田衣良という人の本を買ってみた。たまにテレビに出ているのは知ってるがどんな本を書いたのかも知らずに気まぐれで買った。
予想外の短編恋愛小説だった。40代になってはじめて読んだ恋愛小説になった。そうだと知ってたら買わなかっただろう、けれど結果的にはちょっとした息抜きというか気分転換になったかな。

10の短編はどれもありがちなストーリーで大どんでん返しも無いし、泣かされることも笑わされることも無いのだけど、ちょっとした心の機微みたいなのを捉まえるのがうまい。文章も知性を持ってシンプルにまとまってて、センスがいい。プロの仕事だなあと思わされた。

ちなみに著者の名前(いしだ いら)変わってるなあと思ったら、本名が石平だって。


女性ドライバー

2009-10-18 | 雑記
先日の話、仕事で車を走らせていたとき。
信号の無い交差点で右折を待っていたが右から来る車が低速なので、問題ないと思って右折したらクラクションを鳴らされて、驚いてその車を見たらすごい形相で「ばーか!」と言われた。実際聞こえないが口の形で判断できた。

一瞬のことでリアクションが取れず、何事も無かったかのようにその場は過ぎていったのだが、結構ショッキングだった。なにしろその相手がぼくより年配の女性だったことが輪をかけて。
ぎりぎりの交差ならともかくどう見ても余裕を持った運転だと思うのだが、それはこちらの判断でしかないか。それにしてもバカはないだろうに。

女性ドライバーには驚かされることが多い。
もう数年前の話だけど、朝5時過ぎにバイパスを走ってたとき。
片道2車線の17号バイパスも夜明け直後の時間には殆ど車がいない。まぶしい朝日に目を細めてのんびり走っていたそのとき、驚くべき光景が飛び込んできたのだった。

2車線のうちのいわゆる追い越し車線を一台の軽自動車が逆走してきたではないか!え?工事規制でかなにかあったか?そんなものは無い。その軽のおばちゃんはなんら迷い無く両手を10時10分の位置でハンドリングしていた。なんか「リスクを恐れない生き様」みたいである意味かっこよかったなw

交通量が少なかったのでたぶん曲がるときに間違えて反対車線に入ってしまったのだろう。車がまばらで見通しもいい道だから事故ることもなさそうだけど、あのおばちゃんの行く末を見続けたい衝動に駆られた。どうなったのかな?


筒井康隆『日本以外全部沈没』

2009-10-15 | 読書
しかしまあベタな題名w
小松左京の『日本沈没』のパロディであることを説明するのが恥ずかしいくらい。

実を言うと高校時代の一時期、筒井康隆にハマったことがある、なけなしの小遣いの範囲ながら文庫をのべつ幕なし買いまくっていた。同時に平井和正や小松左京も読んでたけど、筒井の持つ軽妙なセンスにほだされていたのかな。

誰だったか人気作家がこの話を推薦していたのを見て久しぶりに読んでみたくなった。すでに読んだはずだけど内容を覚えていない、まあこんなタイトルだから容易に想像つくんだけどね。

図書館で筒井康隆全集を借りた、20数年ぶりに読んで、、、驚いた。
というか、ショックだった。
まったくまるっきり面白くない。そりゃどちらかというとナンセンスギャグみたいな分野だから時代と共に古くなって当然なんだけど、それにしてもこんなにも浅かったっけ?

冒頭で紹介した人気作家が「文章を学んだ」みたいなこと言ってたが、さっぱりわからない、ぼくに作家としてのセンスが無いのは承知だけど、この中から何を学ぶのか見当がつかない。

『日本以外全部沈没』というネーミングセンスは認める、当時ぼくも『日本沈没』には恐れおののいたから、著者のやり返してやろう的な茶目っ気を感じる。だからこそもっと考えてしっかり作り上げても良かったのじゃないかと不満を抱く。それとも浅い作品に甘んじることで小松左京に気を使ったか?
いやいや、たとえ浅くてもどこか心に響くエッセンスをほんのちょっとだけでも入れて欲しいじゃないか。

20数年後の今だから言えることだろうけどね。ともかく100年経ったら絶対残ってない作品だなあ。
しかし、昔好きだったものごとを否定批判するのは後味が悪い。


丸山ワクチン

2009-10-12 | 社会・出来事
丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか?(Birth of Blues)

将棋の戦法に「丸山ワクチン」というのがあって、一時期「ゴキゲン中飛車対策」として脚光を浴びた。それは丸山九段という人がやったからその名からつけられたしゃれのようなものだが、実際の丸山ワクチンはガンの特効薬としての評判を得ているのに未だに医薬品として承認されていない。

承認されていないけれど、煩雑な手続きを経れば使用可能であるため今でも使用して一命を取り留めた人もいるし支持者も多いという。それでも40年以上経ても認可の目処はたっていない。そんな変なことってありなのか?

上にリンクしたブログにも書いてあるが、学閥とか利権構造とかもっとシンプルに嫉妬とか、そういった古くからある弊害の為に日の目を見ない薬ということは以前から耳にしていたけど、んなこといっても40年以上も不正義がまかり通るはずもないのじゃないか?人気はあるけどやはりなにか専門的な部分で問題あるのじゃないか?なんて漠然と思っていた。

いや、認識を改めなきゃならないかも。と、上のリンク文章読んで感じた。
医学会というのは我々の常識とはかけ離れた世界であり下手すると堂々と巨悪が君臨しうる特別なところなのかもしれない。だとすると、こんなひどい話はない、本当に効果のある薬を認可せず権威に守られた薬を認可する。国民は効き目のない薬に莫大なお金を費やしているのかもしれないのだ。

うーん、それにしても万が一そんなザマだったとして世論として盛り上がらないのはなぜ?たまに週刊誌などで特集を見るけど尻すぼみな印象しかない。


電波少年的懸賞生活2009

2009-10-10 | テレビ・映画・芸能
bnr_kensyou_212x104.gif電波少年的懸賞生活2009
元々テレビの電波少年でやってた企画をネット上で復活させた。「懸賞だけで生きていけるか」というのが元祖版のテーマだったが、今回は3日間限定&ネットで生中継。以前と違いネットで応募して当たりはずれが即座にわかるのだから、そんな無茶も可能なのか。

挑戦者は小島よしお、コカコーラのジョージアがスポンサーでジョージア製品のシールで商品を当てることがテーマになっている。ときたまちょこちょこ見てみる、6畳一間のセットにでかい自販機があり大抵暇なタレントが応援に来ていてどうってことない内輪話をしている。今日12時までやるそうだが、内容の面白さはともかく、いよいよエンターテイメントも新たな局面を迎えたかなと思った。

これがうまくいくようになると本当にテレビは要らなくなるということかな。
それとは別に連想した、これはまさに映画の『トゥルーマンショー』じゃないか?!と。

『トゥルーマンショー』は一人の男を生まれてからずっと仮想世界的な場所に押し込めといて、人生に起こりうる出来事を様々用意してどう反応するか映像で追いかけるというきわめて悪趣味な内容なのだけど、今回のは小島よしおは公開されてることを自覚してるから基本が違うけど、どこかしら通ずる要素満載。何しろリアルタイム中継により編集作業一切なし、本物のガチンコ企画。

ただ、うまくいかなかった場合、猛烈に悲惨だ。引きこもりが引きこもり芸人を眺めるだけの救いようのない企画ってこともあるのか。