石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

辻井伸行

2012-02-29 | 音楽
tujii.jpeg
何年か前全盲の日本人ピアニストが有名なコンクールで優勝した話題は耳にしていたし、そのころ彼の姿もテレビでよく見ていた。だからといって格段興味はそそられなかったが、ついこないだテレビで特集した番組を見てこれは凄い!と、認識を新たにした。

これはちょっとCD買おうかなと。でもその前にyoutube見てみようということで、ここ数日見まくっている。

テレビ番組だと大抵曲の一部しかやらないので、初めから終わりまでしっかり聞きたかった。
まず、『ラ・カンパネラ』、おおお、やはりすごい、ときに力強く、ときに繊細!これは買いだろう。

しかし、ショパンを何曲か聞いてると若干違和感を持った。クラシックを微かにかじった程度のぼくの耳の判断を信頼するのもどうかと思うが。これに似た感覚はずいぶん前、ブーニンを初めて聞いた時にも抱いた。

ブーニンはすごくうまいのだけど、曲の美しさがイマイチ伝わらなかったのだ。テクニックが曲にダイナミズムを与えることは確かだが、あまりにスピーディに処理すると情感みたいなものが消されるのかな。

ただ、よく考えてみると自分の中の「基本の音」みたいなのがあってそれの影響がでかいのだろう。ぼくの場合ヴィラデミール・アシュケナージの弾くショパンが基本中の基本で、知らず知らずそれと比較して判断しているらしい。

そしてyoutubeのサイトには下にコメントが付けられるが、そこに「感動しました」とか様々な意見があって、なかにはおもいっきりぶつかり合ってる人達もいる。
ある人曰く「盲目なのにこれほどすごいは!」
それに対して「音楽を純粋に判断するのに目が見えるか見えないかは関係ない、それを言っている時点であなたの意見は偏向している」

そうかそりゃそうだ。
CDを聴くぶんにはプレイヤーが健常だろうがどんな障害を持っていようが関係がない、スティービー・ワンダーは単純にその音楽が素晴らしい。

テレビ番組から辻井くんに興味を持ったぼくの動機というのは極めて不純なのかな?

ところで、辻井くんは生まれた時から目が見えない、ということは全て耳コピなわけだ。ということは音符も休符も、我々が使う記号を知らないわけで、つまり彼独特の脳内記号があるのかな。楽譜を見ずに長い曲を何局も弾きこなすのだから、その点だけでも称賛に値する。

ま、上記意見のように純粋に音楽を聞くぶんにはそれも余計な情報なのだろうが。

P.S.しかしこのジャケット(上記掲載)、無茶苦茶かっこいいね、これだけ見てもジャケ買いしそうになるな。


『フェルマーの最終定理』サイモン・シン

2012-02-26 | 読書
frm
何度か記事として書いてきた<フェルマー予想>だが、もっと突っ込んだ書籍をがっちり読んでみたくなった。
ことわっておくが、ぼくは数学が一番苦手で高校の時文系コースを選んで以来できるだけ避けてきた。それがなぜかいい年になってワクワクさせるのだから不思議だ。

さて、知らない人のためにお浚いしよう。

n≧3のとき、
n+n=n
を満たす、自然数 X、Y、Zは存在しない



今日の数論の中では素人でもわかりやすい部類だろう。
n = 2 の場合、<X=3,Y=4,Z=5>これはつまりピタゴラスの定理ということになる。

17世紀のフランスの法律家ピエール・ド・フェルマーにとっては、数学は趣味の一つといっていいだろう、けれど侮れないのはこれ以前にも様々な実績を残していて偉大な数学科や物理学者に多大な影響を与えていること。で、この「最終定理」を大々的に発表したのではなく、自分の書籍の片隅に書き残していた。以下のように。

この命題について、真に驚くべき証明方法を私は発見した。だが、それを書くには、この余白は狭すぎる。


正解を示さないままに他界した。嫌味なやつだ。これ以外にもいくつかの難問「定理」を残し、その魅力から数世紀にわたり数多の数学者が解いてきた。そして解かれぬまま最後に残ったこの定理を「フェルマーの最終定理」と呼んだわけ。

先に示したように、ぼくは必ずしも数学に明るくは無いので、1ページずつ舐めるように読み進む有様でそこそこ時間がかかった。つまり時間がかかっても飽きない本であるとも言えよう。著者のサイモン・シンは今までにも『ビックバン宇宙論』や『暗号解読』を読んでその文体には信頼を持っている。
難しい話を極力わかりやすく、ときにエキサイティングにときにしんみりと、名人芸と言える。

この世紀の難問を征服した現代の天才アンドリュー・ワイルズが本著の主役ではあるが、「最終定理」をよりわかりやすく示すためにピタゴラスから話を始める。正直紀元前のピタゴラスのあたりが一番理解しやすく、時代を下るに連れ難解になっていく。
ワイルズが解答に至る際に「谷山・志村予想」ってのが重要な鍵となる、「楕円方程式」と「モジュラー形式」の関連性についての予想、ってぼくもちゃんと理解したわけじゃない、難しすぎるって。それよりこんな所に突然日本人が出てきたのもうれしかったってのが凡人の素直な感想。

ワイルズはそれまで7年の歳月をかけて研究し1993年に「フェルマーの最終定理」に対する証明を発表する、当時世界的な盛り上がりを見せたそうだ。ちっとも知らなかった。ワイルズは一夜にして世界的数学者&有名人になった。
そしてそれが本当に正しいかどうかを優秀な数学者が吟味する、これが時間がかかる。やがて「矛盾が一箇所」発見され、それに対して有効な返答をしなくてはならないが、なかなか解決できない、徐々にマスコミが騒ぎ出し「誤証明か?」って推測記事が出だす。ここらへんがスリリングで読み応えがあった。

できるだけ短くまとめようと思ったのに気がつけば長々と意味難解な文章。知らず知らずつい熱が入ってしまう。それだけ面白い本だと、そういうことですw


将棋の啓蒙シリーズ

2012-02-22 | 将棋
で、最近将棋のほうはというと・・・ちょっと飽きたかなと思えばまたやりたくなる、付かず離れずの関係を維持している。
下記の如く、環境を将棋と接しやすいように変えちゃったからね。ネット将棋は負けが込んであまりやってないのも事実だが。

自宅でのくもん将棋教室
syogi007.jpg
一応毎月行われている。いつも10人弱、それも小学校低学年、どことなく保育所替わりに預けられてる感もあるが。

そして大人の将棋クラブ=膳将棋会(居酒屋膳で月一夜開催)
honma009.jpg
本間先生と指しているのは山本くん。始めた頃はぼくと先生二人だけだったのが、その後4人に増えました。
というか昨夜4人でやってみてとても楽しかったので急遽記事にしました。

なんでこんな楽しいものみんなやらないかなあ?と、不思議でしょうがないw

将棋知らない人でも大丈夫、本間先生は日本将棋連盟公式指導員ですから!
少しでも興味があったらどなたでもぜひご連絡ください、老若男女問わず!
あ、若い女性だと露骨に喜ぶかもw


『アバター』を2年ぶりに見た

2012-02-19 | テレビ・映画・芸能
二年ぶりに映画『アバター』をテレビで見た。別に3Dじゃなくても遜色ない、むしろ3Dって邪魔なんじゃ?と思うくらい映画の完成度高いし、未だに面白かった。

そして「映像的に『もののけ姫』っぽいなあ」と感じた。2年前に映画館で見た時の記事を確認してみたら

『アバター』をやっと観た 2010.3.29

なんだ、おんなじコト言ってるじゃんwすっかり忘れてた。
けれど、これは「影響」っていうレベルじゃなく「パクリ」と言っても過言ではないかも。

例えば、森の中の光る草木、そして足を踏み入れるとより強く発光する、あるいは森の精霊と呼ばれる小さな生き物が徘徊しているのは「シシ神の森」とそっくり。

ただ、パクる事自体を悪いこととは思わない、迷惑をかけず著作者が怒らなきゃいいものはどんどん真似すればいいとさえ思う。

しかし『もののけ姫』も『アバター』も見終わったあとに考えさせられる映画だなあ。この2つを比較検討するとより想像が膨らんでくるし。<文明対自然>の対立構図の中で「どう生きるべきか」を問う両作。

『もののけ姫』で主人公アシタカは最後文明の側に帰り、サンは自然の側に残る。互いに愛情を抱きながら情に流されず大人の選択をする。
これが『アバター』では主人公ジェイクは地球人類=文明を捨てナヴィ(現地人)=自然の側に残る結末。ナヴィには愛しあう女性がいるし、ナヴィ族の英雄としての地位も約束されているから心情としては素直な選択。
まあ、事情も違うしどちらが良い悪いという問題ではないが。

2年前の記事で「ジェームス・キャメロンが『もののけ姫』を実写映画化したら面白そう」と書いたが、今回認識を改めた。
物語的な痛快さはアバターのほうが抜きん出てるだろう、興行的成功を目指すならスッキリ痛快を目指すのは道理。
けど、もののけ姫は痛快さを犠牲にして深みを獲得しているのかな。だから、そういう意味では制作側の根本思想がまるっきり違う。

なんて、屁理屈を並べ立てたところで本作の魅力は微塵も減衰しない。「面白い」ことは「良きこと」なのだ。
2014年に『アバター2』、翌年『アバター3』の公開が予定されてるそうだ。続編というと駄作が多いわけで、なにぶん本作の感動を損なわないよう期待したい。


お墓も色々

2012-02-16 | 雑記
本来「石匠風間ブログ」なので、お墓のことを記事にするのが本道なのだった。そういうわけで、たまには。

0594b9554842566e5349-1024.jpg
ネットで拾ってきたお墓の画像。
旦那に先立たれた奥様が作ったのだとか。

故人への万感の想いがこもったお墓なんだろうけど。これを代々使い続ける一族としては、どうなのだろう?
あるいは金持ちで夫婦だけのお墓かな。それにしたって子孫は墓参りに来るだろうしね。

まあ、自分でお金出して作るものだから誰に気兼ねする必要もないのだけれど。

それにしても・・・ねえw


訃報によせて

2012-02-13 | 音楽
9608b82d.jpg
ホイットニー・ヒューストンが死んだ。
なんと48歳!死因は明らかにされていない。

我々世代にはマドンナやマライア・キャリーと並び「歌姫」と称されるに相応しい人気実力の持ち主だった。
薬物依存などで最悪のコンディションであることは時々紹介されていたが、それにしてもあまりに早すぎる幕切れ。

先月には「事故破産寸前」というニュースもあった。

2001年8月に、6枚のアルバムで1億ドル(約76億円)という音楽史上最高額の契約をアリスタと結んだことで有名だが、この金もすべて使ってしまったようだ。金銭的にはかなり厳しいらしく、わずかなお金さえも友達から借りている状態らしい。


どうやったら10年で76億も使えるのか想像もできないが、考えようによっちゃあかっこよく潔い人生か。太く短く・・・

昔からミュージシャンにはこの手の破滅型人格が少なくない。そしてその短い生涯が彼らを伝説として装飾する。幕末の志士もそうだけど短命のほうが英雄として祀られ、長生きするとろくな事を言われないってのは定跡化している。

この「英雄」が必要とされているのも事実。我々常識的一般人はいつの時代でも非常識で特殊な人を追い求める、崇め奉る、「理想」として確立する。

だからって坂本龍馬になりたいか?ジミヘンになりたいか?ホイットニーに生まれたいか?
大抵の人はNOと答えるだろう、ぼくもいやだ。

何の才能もなく平凡で退屈な人生をだらだらと生きていく、それでいいって。


将棋と読書と

2012-02-10 | 将棋
Iphone画像 010

たまにコメントしてくれる「蹴るん」さんが、こんな新聞記事を持ってきてくれた。
「興味あるだろ?」って。

ありすぎですw
どストライクです!けるんさん!

将棋好きで読書好きときたらこれは外しようのないコンテンツ。
実際内容も興味深い、室内で行うアクティブとは言えない職業、その反動でか旅行ものや冒険物が多い。
人間はこうやってバランスを取ってるのかもしれない。

なかでも
沢木耕太郎の『深夜特急』と村上春樹『1Q84』が挙げられてたのはうれしい。
自分が読んで感動した本を羽生も読んでしかも人に薦めてるのだ!もう感無量。

ちなみに将棋棋士って読書好きそうなイメージありそうだが、案外そうでもない。竜王の渡辺明は「マンガしか読まない」と断言しているし、マンガすら読まないと公言している人も少なくないのだ。

本を読む時間を将棋の勉強にあてたらもうちょっと強かったかなとよく思うのだけど、そんなことはない!と羽生さんがぼくを肯定してくれたようで秘かに嬉しい。

ってか、強い人って無駄に過ごしてても強かったりするんだよなぁ、悔しいけどそれが現実。将棋に限らずね。


書の道

2012-02-07 | 雑記
うちではぼく以外の家族は書道教室へ通っている。
娘への教育が転じてかみさんも熱が入ったみたいで、しょっちゅうなんか書いている。
必然的にぼくも書道に接することが増え、習う気はないんだけど書道ってのもいいなと、その程度に認識していた。

ある日居間の壁に
syodou012.jpg
同じものが2枚貼ってあった。
で、「どちらかが私(かみさん)、どちらかが先生。どっちだかわかる?」

う~む・・・正直、わからん。

と頭を悩ましてたところへ娘が来て
「こんなの一目明らかじゃん!」

え!そうなのかぁ。

ピカソの絵にしても、クラシックの指揮者での違いにしてもだが、芸術ってのは実際わかりづらい。ちょっと特殊なセンスが必要で、それは持って生まれた物なのか鍛錬で備わるのか、いずれにしろ日常では役に立たない部類の異能力。

でもわかりづらいからこそそこに面白みもあるのだろう、微細な違いが理解できるようになったらそれは嬉しいことでしょう。

さて、上記画像、どちらが師範の作かわかりますか?あえて正解は言わずにおきましょう。
(ぼく以外誰でもわかったりしてw)


深谷フラワークイーン選考会

2012-02-04 | 地域・暮らし
深谷商工会議所青年部の事業で深谷フラワークイーンというのがある、今や時代遅れの観もある「ミスコン」である。
今年で20回目だというから大したものだ。

一応執行部ということで最終選考会への列席を許された。
次々に16人の女性が自己PRを繰り広げるわけだが、ピアノやマンドリンを弾く、花を活ける、書道、空手etc.
ん~・・・まあ、経験としてそうはないからね、良いものを見れた、としておこう。

現フラワークイン3人をはじめ選考委員は女性が半数近いので、スケベなオッサンが鼻の下を伸ばして選ぶというミスコンのイメージは払拭された。それなりの公平性、妥当性を持った選考会だったと思う。

気になったのは候補者に市外の女性も数人いた事、深谷市民から選びたいところだろうが、応募が如何に少ないかが窺い知れるってことか。実際イベント事に呼ばれる数も以前に比べ減っているらしいし、魅力あるポジションとは言えないのかも。

そんな中、深谷商工会議所青年部は世相に怯むことなく今後も末永く続けていく所存であるという、「継続こそ力」、きっと将来「続けてよかった」と思われる事業になることを心よりご祈念申し上げます。
Iphone画像 009
あ、こんな写真載せたらマズイか?
怒られたら削除しようw


歴史の真相

2012-02-01 | 歴史
こないだ書いたとおり、ぼくは『逆説の日本史』を長年愛読しているのだけれど、このタイトルでネット検索をすると案外とたくさんの批判・反論などがヒットする。

売れてるからひがまれちゃうんだだなあと、それでもとりあえずいくつか見てみた。「とても語る気になれない」と最初から切り捨ててしまっているものもあるが、意外にもしっかりとロジカルな反論も結構多い。
「ほう、なるほどなあ。井沢もいい加減だなあ」と、批判側に与することもあった。

まあ、事実著者の井沢元彦は作家であり、歴史研究家からすれば売れ線狙いで面白おかしく歴史を歪曲していると捉えられても仕方ないのかも。
例えば占い師がお墓づくりを語ってぼくが不機嫌になるようなものか。

確かに文章を盛り上げるために流れの中で煽るような書き方をしたり、断定的な口調だったりするところはあるね。
そもそも歴史なんていろんな解釈ができるから正解不正解を安直に決めるのは危険なのだろう。
けどそんなことを考えて一般人は読まないからね。司馬遼太郎は小説つまりフィクションと銘打って過去の人物や事象を描いているが、坂本龍馬をはじめ様々な人が司馬的な人物像で現代の我々に染みこんでしまっている。

ただ、実際井沢が間違ってるとしてもだよ、現実問題として歴史学者の書く歴史書がつまらないこと、井沢元彦のが面白いこと、これは動かし用がない。面白い方を手に取るのも仕方ないじゃないか。
つまりだ、井澤の理屈でいうところの卑弥呼が天照大御神と同一だとされてそれが常識になったとして、本当は違うかもしれないけど、それはもうどうしようもない、何が本当かわからない以上我々は面白い方を事実としてしまう。

そんなわけでこれからも読み続けるのでした。ま、用心は必要だけどね。