石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

『クラウドからAIへ』小林雅一

2014-10-29 | 読書

内容(「BOOK」データベースより)
しゃべるスマホ、自動運転車、ビッグデータの解析―。共通するキーテクノロジーは、AI=人工知能。人間が機械に合わせる時代から、機械が人間に合わせる時代への移行は、ビジネスにどのようなインパクトを与えるのか?クラウド以上の変化を生む、AIの未来を読み解く。



とても読みやすく冷静に著述され理解しやすいこの本は、実はとても深刻な内容な気がする。以前似たような本を読んでブログにしている。

『2045問題~コンピュータが人類を超える日』松田卓也

重複する部分も多いのだけど、明らかな違いがある。それは「いずれ近い将来コンピュータが人類を凌駕する」という視点で書かれた『2045問題』に対し、本著では「もうかなりの分野で凌駕されてしまっている!」という厳然たる事実を訴えている点。

グーグルやアップル、フェイスブックなど超大手企業はこぞってAI開発に全力を注いでいるんだって。

たとえば、すでに為替相場では大手の証券会社がAIを導入し取引を全面的に任せている社もあるのだとか。AIは様々な要因から売り買いのタイミング・取引量を決定し、コンマ数秒で注文を出すという。

ここで言う「様々な要因」とは以前の新聞情報とか会社発表のようなものに限らず、ネット上にある大量の情報、つまりビッグデータのこと。瞬時にビッグデータを分析しそれを矢のような早さで意思決定に結ぶのだとすれば、そりゃ人間はかなわない。

また、自動運転車はすでに実験段階を終えてあとは交通法規の整備を待つばかりだというではないか。医療現場でも様々な雑務をコンピュータに任せているし、もちろん製造工場は言うまでもないがほぼ無人。

ふーむ、知らないうちにAIはものすごい速度で我々の生活に社会にはびこっているわけだ。この勢いで進化が進んだらどうなっちゃうのか?

「文明の始まりから21世紀初頭までに生産された情報量は約5エクサバイト(10の18乗バイト)だが、これと同じ情報量が現代社会ではたった2日で生産される」らしいから、そんなのは人間では到底捌けないしね。

労働が機械で代替され、芸術や音楽など文化的な生産も、環境保護も、宇宙開発も、もうありとあらゆる活動が機械のほうが優れてしまった場合、人間の存在価値ってなんなの?


名君か迷君か

2014-10-26 | 歴史
最近また『逆説の日本史』など読んで歴史モードに頭が変わりつつあるのだけれど、一言に「歴史」と言っても古代と近代ではまるっきり違うじゃないすか。
正直言うと古代史>戦国史>維新史あたりが好きで、平安期とか江戸期は退屈なイメージでした。

ところが今回の逆説の日本史15巻は非常に興味深い内容でした。
というのも世間一般のイメージと真逆な説を展開しているから。

著者井沢元彦によると、「生類憐れみの令」でお馴染み徳川綱吉や賄賂政治の田沼意次が名君で、「享保の改革」の8代吉宗や「寛政の改革」松平定信がバカ殿だというのだからたまげるでしょ。

吉宗と言ったら「暴れん坊将軍」で世間的には正義の味方という印象が強いはず、大河ドラマにもなったし、ぼくもそう思ってた。実際正史には「徳川中興の祖」と呼ばれ名君のひとりに数えられている(ウィキペディア)

まあ、吉宗の良い面も挙げていて、例えば「目安箱」によって庶民の意見を吸い上げるというかつてない試みや「大岡越前」などの人材登用において政治の刷新を計ったことなど。

しかしながら、吉宗は経済面であまりに無知であったと。加えて当時奨励されていた朱子学の影響で商業蔑視のような施策が結果庶民を苦しめることに。

簡単に言うと、当時貨幣経済が定着しつつあったところに未だに「米本位制」を守り続けたこと。現代は「金本位制」で「金」を基準に相場を動かしている、これを米だとどうなるか?ということ。

世の平安のため開拓事業を推奨し増産に継ぐ増産によってあたりまえだがコメの価値が大幅下落!今でいうインフレ状態→当然のように一揆や打ち壊しが多発。
自由相場に任せるのが悪いと、コメ業者の組合による相場を閉鎖し幕府が一元管理しようとする→コメの流通が著しく鈍化、結果やっぱり打ち壊しw

こんなことを繰り返していたのが8代将軍なのだとか。「米将軍」と呼ばれたのはネガティブな意味だったのか。米本位制を吉宗の罪みたいに言うのは無茶だけど他にも緊縮財政を旨とし倹約を推したため町の活気が消えたとか、融通が効かなかったことを指摘。


一方その後の10代将軍治世下における老中・田沼意次は、重商主義政策として株仲間の結成、銅座など専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発、外国貿易の拡大など景気を回復させた。
これが要するに「初期資本主義」化により庶民の生活が金銭中心となり贈収賄が横行→「田沼は悪者」というイメージに繋がったわけだ。

でもいずれ鎖国を解くこと(ロシアとの交易)まで想定していたみたいだから、もうちょっと権勢が維持されたら江戸末期の「黒船騒動」みたいなことは避けられたかもしれないとまで。

残念ながら道半ばにして失脚したのは、士農工商にとらわれない人材登用など反朱子学的政策を保守的幕閣に恨まれてのことなのだとか。

吉宗をバカ殿ってのはちょっと言いすぎだと思うけど、資本経済に肩入れした田沼を悪く言うのは間違ったイメージらしい。これはまだまだ勉強の余地があるなあ。


『小澤征爾さんと、音楽について話をする』小澤征爾×村上春樹

2014-10-23 | 読書

内容紹介
指揮者はタクトを振るように語り、小説家は心の響きを聴くように書きとめる――。 「俺これまで、こういう話をきちんとしたことなかったねえ」。ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第三番、復活のカーネギー・ホール、六〇年代の軌跡、そして次代の演奏家達へ。「良き音楽」を求め耳を澄ませる小説家にマエストロは率直に自らの言葉を語った――。東京・ハワイ・スイスで、村上春樹が問い、書き起こした、一年に及ぶロング・インタビュー。


素直に面白かった。早くも読み返してます。村上春樹の文体は相変わらず淀みなく小気味よく、軽快なリズムで心に沁みる。

正直言うと今まであまりクラシックに馴染んでこなかったぼくにとって<世界のオザワ>は「偉すぎてよく知らない偉人」なのだけど、この人は日本でよりも欧米でのほうが深く理解され愛されてるんじゃないかな。

そもそも指揮者の良し悪しってわかんないんだよなあ、ぼくは(オケにいながらこういうこと言うのも心苦しいが)。
「カラヤンいいなあ」とか思うことはあるけど、具体的に他の指揮者との違いを説明できないし、所詮テレビやPCで聴いてるレベルでは違わないのかもしれないけど。

前半、親交のあったグレン・グールドの話が出てくるとこっちもテンション上がる、だってあのグールドだもんね。彼の部屋まで遊びに行ったとか。

そしてカラヤンとかバーンスタインなど歴史的巨匠との様々なエピソードも興味深い。


後半のスイスで行われている小澤主催の音楽アカデミーの話がこれまた面白い。村上春樹が参加して、生徒たちが格段に成長する様子を描いているのだけど、奏者の端くれとしては羨ましいし憧れるし。

小澤征爾の話す言葉はとても難しい、だって音楽の表現者であって文筆家じゃないから感覚を言葉にするのに長けてるわけじゃなし、それを汲み取ってうまく咀嚼し我々にもわかりやすく補足する村上春樹の技術は超一流だと思う(まあそれでも小澤の意図はわかりづらいのだけど)。


でも、村上自身が部類の音楽好きだからこそできるのであって、しかも読んでいて思うのは村上春樹は「常軌を逸した」というレベルの音楽マニアだということ。

彼の作品に度々JAZZやクラシックが出てくるのはおなじみだが、世界的オケの歴代指揮者を年代順に知ってたり小澤が録音した曲を年代で記憶して曲調雰囲気まで解説するって尋常じゃない。ボストンフィルとウイーンフィルの性格の違いを微細に論じるに至っては、楽器奏者でもないのに凄い、というか度を超えている。

そういう凄い二人が邂逅したことで生まれた奇跡的な対談集。
音楽界にとって貴重な史料となるのじゃないか。

後半に出てくるジャズピアニスト大西順子との逸話も面白い。


ピダハン族

2014-10-20 | 科学
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NHKでアマゾンの奥地に居住する狩猟民族「ピダハン族」を紹介する番組があった(地球ドラマチック)。

これが驚愕の内容だったのだけど、要約するとピダハン族が伝達に使うピダハン語には数や色を表す言葉がなく過去や未来も表すことが出来ない。人称代名詞も元々無くてポルトガル語から引用してるとか。音の高低で意味を表し口笛などで代用できる。つまり世界で最も単純な言語と言われている。


昔ブッシュマンが注目された時、彼らの「1,2,3、その次はたくさん」っていう単純な数値概念が話題になったがそれと近いかな。

今ピダハン語は言語学的に様々な論争を巻き起こしていて、「言語学の基盤を揺るがしかねない」のだとか。

まあ学問的な詳細はともかく、過去や未来を考慮せず数字を考えないってのは我々の文明からするとかなりかけ離れた世界。母親は己の子供の数を正確に把握せずそれでもちゃんと一人ひとり把握している。

すごいなあ、というか、太古サルから分かれた頃は皆同じだったはずだ。
なんかすごく考えさせられた。


数を数えないということは貨幣経済もなく「富」の概念も薄い。未来を考えないということは将来への不安も持たない。過去から学ばないわけじゃない、動物と同様過去の体験から論理でなく体感で覚えているだろう。でも歴史も数学も科学もないから世界の仕組みもわからないけど、そもそも知りたいと思わないということか。

人間である以上欲望が皆無とは行かないだろうが、我々に比べると非常に少ないのでは。んー。。。もしかして、彼らこそが究極の幸せを生まれ乍らにして手に入れてるのでは?


それはつまり「人間は知れば知るほど不幸になる」なんてことにはならないのか?
そうなると、ぼくは一生懸命不幸になろうと日々歩んでいるのか?

と、結局「無知を知ろうとして」頭を働かせるのも自分なので、これはもう仕方ないね。


『人獣細工』小林泰三

2014-10-17 | 読書

内容(「BOOK」データベースより)
パッチワーク・ガール。そう。わたしは継ぎはぎ娘。その傷痕の下には私のものではない臓器が埋められている。傷痕を見ていると皮膚が透けて、臓器がゆっくりと蠢動し、じゅくじゅくと液体が染み出してくるのが見えてくる。わたしのものではない臓器。人間のものですらない臓器。…第2回日本ホラー小説大賞短編賞をあの名作「玩具修理者」で受賞した著者が、内臓の匂い漂う絶望と恐怖の世界を構築した表題作に、二編を加えた待望の第二作品集。


実を言うと小林泰三を買いだめして積んであります、、、 もう、中毒ですw

そして、大抵期待を裏切らないからすごい!
抜群に面白いのです。なんでこれまで知らずにいたのか恨めしいほどに面白いです。

まあ、グロいホラーなのであまり女性向けではないのでしょう。

小林泰三の作品は「この世は本当に現実なのか?」とか「意識のある自分は一体何者?」みたいな答えのなさそうな哲学命題を、様々な道具立てでカオスへ引きずり込む、みたいな短編3つからなる1冊。

3篇のうち、表題作は気色が悪いというしかない世界、あまり心地良いものではないな。
2つ目「吸血刈り」はホラー風味、地味にじわじわと味わいが広がるような。でもなんか過去にこういうのあったような気も。

最後の「本」、これがもうね、凄すぎて読後ため息が出ましたよw何が現実なのかフィクションなのか、自分の存在がバーチャルなのかも!とか想像力が暴走、正気を保つのが困難なほどでした。

もちろんネタバレはしません、もっともぼくの稚拙な筆力では表現できないけど。
こんなおもろい作家がなぜもっと脚光を浴びないのか?あるいは浴び終わった後なのか。


定演2014終了

2014-10-14 | 音楽
深谷シティフィル管弦楽団の演奏会は皆様の温かいご支援のもと、無事恙無く成功裏に終えることが出来ました。
応援くださった各位に海よりも深く感謝申し上げます。

第8回定演ですが自分としては今回が二度目。
ほぼ初心者だった去年よりはだいぶ弾けたと思うのですが、やり終えた直後の心持ちというのはそんなに変わらないものですね。

難しい箇所が案外うまく行った代わりに楽勝と思ってたところでとちったりして。

あと、2曲目あたりで急に客観的に自分の姿を俯瞰しちゃったりして
「おお!なんとまあ、ド素人の自分が舞台でブラームスを弾いてるなんて、これは凄いことじゃないか?」
なんて考え始めたら、楽譜を見失ってどこ弾いてたっけ状態が8小節くらい続いて焦ったりw

くどいくらいに凄い曲だと宣伝してきた「悲愴」も、あまりに必死に取り組んでたので我に返った時には終わってたしなあ・・・

でもホント、冷静に考えるとこんなちっぽけなろくでなしの自分がブラームスやチャイコフスキーを「聴かせる側」にいるのはとんでもないことだと、そう思うのです。

わが町深谷にオーケストラが存在していたこと(2年前に知ったw)、そこに自分がすんなり加われたこと、さらにチェロを弾くなどというだいそれたこと!すべてが奇跡のように感じます。

オーケストラに加入したこの2年弱、色々学びました。
◇チェロが独学では様にならないほど奥深く難しいこと(レッスン継続中)
◇クラシック曲がやたら難しいこと(恣意的に難しく作ってるんじゃないかと)
◇管楽器と弦楽器のバランス問題(音量全然違うし、ニュアンスも違う)
◇弦楽器奏者の少なさ
◇市民オケの一般的な有り様、あるいはジレンマ

特にオーケストラってなかなか個性的なメンツの集まる組織で、まとまって維持すること自体が難儀なのだなと。とても危ういバランスを綱渡り的に進んでいるような。まあどんな組織でも複数人間が集まれば同じことか。

幸い、深フィルは人間関係はシンプルな方だと思います。他所のオケのブログとか読むと深刻な所もあるようで。

ぼくとしてはあまり自我を出さないで、人からでくのぼうと呼ばれるくらいのキャラで波風立てず行きたいですな。とにかく合奏できること、それこそが「至福のとき」なので。


隣国関係

2014-10-11 | 政治経済
韓国との関係が悪化してしばらく経ちますね。

ここへ来て財界から関係改善を望む声が大きくなっていると聞きました。財界が言えば政界も自ずと改善方向へ向くのは摂理です。まあ当然なのだけど、隣同士で喧嘩してちゃデメリットのほうが大きいことは道理。


そもそも韓国、対日強攻策なんてアホな政策で国内をまとめようってのがおかしいのであって。だからといって民主党のように尻尾振って媚びへつらうのは更に悪い対応で、その意味では安倍政権の外交策は評価に値すると思います。経済面はともかく。

慰安婦問題も朝日新聞の誤報事件でケチが付いて、そういうことも対応軟化に影響してくるのかな。

というかね、過去がどうあれ、それは歴史家にでも任せて、まずはアジアである程度まとまっておかないとすぐ近くに我の強い大国がいるのだからゆくゆくはヤバイでしょ、ってことですよ。

ロシアや中国に飲み込まれちゃうリスクは小国にとって小さくないと思いますから、少なくともEUみたく経済圏だけでも団結を見せるとかしないと将来やばいと思うのです(もちろんヨーロッパでも隣国関係は険悪な所少なくないそうですが)。

もちろんだからといって竹島を譲歩するとかそういう打算的な方向はいけない。ダメなものはダメ、筋は通す、ぶれちゃダメ。

韓国が好きとか嫌いとかは二の次、日韓が喧嘩してりゃロシアや中国はうれしいのだから、そこは国家安泰のために私心を殺し建設的方針をとらないとですよね。

ちなみにぼくは朝鮮人の友だちもいるので対人間としてなんら抵抗無いけど、国家と国民は別物だし。
だけど・・・韓流ドラマだけは見ないでしょうw


あと、朴槿恵大統領は笑うとすごく可愛いと思うのだけれど。
交渉の場でもまずは笑顔で始めればいいのにね。


『ユーミンの罪』酒井順子

2014-10-08 | 読書

内容(「BOOK」データベースより)
ユーミンの歌とは女の業の肯定である。ユーミンとともに駆け抜けた1973年~バブル崩壊。ユーミンが私達に遺した「甘い傷痕」とは?キラキラと輝いたあの時代、世の中に与えた影響を検証する。


よく内容を確かめず「天下のユーミンに反旗を翻した本」なのかと勘違いして読んでしまったw

全く逆、永年のユーミンマニアによるユーミン礼賛の本でした。


とにかく「女性の立場においてユーミンの曲がいかに作用したか」など、「女性」という立ち位置をはっきりさせてるので、いたいけな男の子のぼくとしてはwちょっと入りづらく途中で投げ出しそうになった。

けれど、なかなか鋭い考察が多く、気がつけば夢中に。いつものパターンだけど。
バブル期の以前や以後あるいはバブルまっただ中を背景として、それぞれ時代にマッチした歌詞が共感を生み、ユーミンを行動原理として「おしゃれ」が広まる様子は、確かにそんな風景あったなあと、懐かしさもあって。

というかあらたまって考えてみると、松任谷由実(荒井由実)、学生の頃からさんざん聞いてきたが、ぼくの聞き方はあまり一般的じゃないらしい。

まず、曲名をあまり覚えてない、歌詞もほとんど聴いてない、ぼくにとってはメロディこそが音楽で歌詞なんてどうでもいい、という傾向が強くて。8割がた洋楽を聞いていた自分にとってメロディ重視は当然の流れ。
世の多くのユーミンファンは歌詞に強く共感を抱き惹きこまれていくそうです。

この本で解説してくれるところでは、軽快なメロディに背筋が凍るような歌詞ってパターンが結構あって、「へえ、あの曲、そんな怖いこと歌ってたんだ」という驚きが随所にありました。


今だったらストーカー規制法に引っかかりそうなもろ「女の情念」?みたいなことが度々出てきて、これは男性の聞くものじゃないのかもと思ったけど、ぼくはやっぱりメロディ重視の姿勢は変えられそうもなく、だからって今後も何ら不都合なくユーミンを聴くのでした。

誰が褒めようが貶そうが関係なく、自分のプリミティブな部分で感動できるのだから、理屈はいらないのです。
あれ、何だこの結論wお薦めしようとして書いてたのにw


定演直前!

2014-10-05 | 音楽
さて、今年の深谷フィル定期演奏会、いよいよ今月の12日(日)と間近に迫ってまいりました。今年のはじめころからずーーっと毎週日曜日に合奏練習してきました。なかでもチャイコフスキーの交響曲第6番は「出会えてよかった」至高の名曲です。くどいようですがもういっちょ予習記事をUPします。

これは保科アカデミー管弦楽団の演奏するチャイコフスキー「悲愴」です、最初から最後まで指揮者だけ写している、つまり演奏者目線の動画。これがなかなか趣がありまして。

正直な話、ぼく自身2年近くオケに在籍しながらも指揮者の重要度よく理解してないんですよね。それだけ経験浅く且つ日頃クラシックに接してないということか。


でも、この動画の保科さんってよく知らないのですけど、めちゃくちゃかっこいいことはわかります、惚れそうになりますよ、マジでw
機敏な動きをする老人って案外セクシーかも。


50分近い長い曲なので「聴いてられない」という人はせめて28分30秒あたりからでも聴いてみてください、ぼくの大好きな第三楽章です。


最初は弦が控えめな3連符でスピーディながら静かに始まり、徐々に音量が上がってきます。様々な楽器が紆余曲折を経てだんだんと盛り上げて34分30秒あたりで最初の山場を迎えます。ここからは行進曲のように元気よく進みます。


36分辺りで二度目の山場、ここらあたりで脳内物質どくどく状態ですw演奏しながら失神しそうになりますから。本番は冷静を心がけないと。


37分45秒あたりから第4楽章です、合間を空けずに始まります。繊細で美しくドラマチック、まさに「悲愴」なメロディ。


楽章によって極端に印象が違う交響曲第6番「悲愴」。なんだか人生の様々な面をダイジェストで聴かせてくれてるような感想を懐きます。1曲は一介の人生。


クラシックマニアの中ではチャイコフスキーは俗っぽい作曲家のようなイメージがあるのだとか。あまり評価が高くないような話を読みました。

何と言われようとぼくにとっては偉大なアーティストであります、まあぼく自身が俗物だし、俗物の何が悪い?って話ですよ。


モーツァルトの出身は?

2014-10-02 | 歴史
モーツァルトといえばウィーンで活躍したイメージが強いから、てっきりオーストリア人かと思ってました。

2006年ドイツのテレビ局ZDFが「史上もっとも偉大なドイツ人は誰か」というアンケートにモーツァルトをノミネートしたことに在独オーストリア大使館が抗議したことから議論が巻き起こった。

ザルツブルクに生まれ、後半生ウィーン住まいであったことを現在の国家をあてはめると大使館の主張には理があるが、局側は、当時オーストリアという国家は存在しなかったと一蹴。これに対してオーストリア側は「ではドイツという名の国家も存在しなかったのだから、ゲーテはドイツ人ではない」と反論。


そうです。当時ドイツもオーストリアも国家として存在して無かったのです。

厳密には当時はハプスブルク家を皇帝に戴いて「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」が存続していたが、実態は緩い国家連合と化しており、実際の国家主権はその下に属するザルツブルク大司教領、ウィーンを含むオーストリア大公領、バイエルン、プロイセン、ザクセンなどの大小のドイツ人諸邦が持っていた。


ふーむ、世界史は勉強しなかったので知らなかったが、ずいぶんとややこしい歴史があるのですねヨーロッパ。

モーツァルト自身は手紙の中で再三「れっきとしたドイツ人として」、「ドイツ民族の栄光に寄与できればうれしい」などと繰り返しており、ドイツオペラ宣言まで行っている。


ということは本人の意志を汲んでドイツ人で決まりか?

ただし、ここでいう「ドイツ人」とは、未だ確たる統一国家を持たない18 - 19世紀に掲げられた大ドイツ主義に基づく「ドイツ人」であり、現在の小ドイツ主義をもとにしたドイツ連邦共和国の国民とは異なる。


うわっ、これまたややこしい。。。
どうやらモーツァルトに限らず様々な偉人について出身国論争があるらしいです。

そんな揉め事起きるようじゃ真のEU統合なんて当分無理そうですな。
日本は島国の強み、ずっとひとつでシンプルでいいね。

と思ったけど、これはつまり「渋沢栄一は深谷出身か、いや血洗島出身か」という問題であるかも。渋沢出生当時は深谷村は今より小さく血洗島を含んでなかったわけで、その後の合併で一緒になったのだから。

でもそのことで揉めてるって話は聞いたことないし、日本人はおおらかなのかな(笑)