義満というと思い出すのはアニメ『一休さん』のなかのちょっと間抜けな将軍様。がしかし、その実態はとんでもない怪物だった、良くも悪くも。
事実室町時代において一番の安定期が義満時代で、その政治的辣腕によって南北朝を合一させ敵対するライバル大名を見事に退け政権は安定した、当時大名より手ごわかった寺社勢力に対しても強硬姿勢を取りけん制、世が落ち着くと明との勘合貿易の経済効果もあり文化も隆盛しいわゆる北山文化が花開いた。
と、こんな風に教科書のように表記すると立派な将軍のように見えてくるが、その「怪物」たる所以は「天皇になろうとした」ことだろう。もちろん「天皇の座を狙った」なんて記述のある古文書は発見されてないが、数々の状況証拠を残している。
室町幕府が安定すると、征夷大将軍の地位に飽き足らず従一位太政大臣やら准三后やら様々な位を手に入れ公家の中でも偉い位に上り詰めた。義満は元来女癖が悪かったようでやたらと他人の女房に手を出している。皇族・公家に対して出世をちらつかせて妻を差し出させることはあたりまえ、それどころか上皇の后にまで手を出した疑惑がある。後円融上皇が疑惑に激怒し妻を折檻し自殺未遂をした記録が残っている。
また義満は天皇家の行事にわざとぶつけて自分の行事を開いた、公家たちに暗に「どちらに出席するか」を問うているわけだ。これをやると義満に反抗的なものがあぶりだされる、当然反抗的なものを迫害して朝廷をイエスマンだらけに改造。さらには天皇家の祭祀を義満の自邸で開かせるなどやりたい放題。
結局息子の義嗣を天皇にし自ら治天の君(上皇)となる寸前で急死を遂げる。具体的には後小松天皇に強制的に義嗣を養子とさせたうえで天皇を譲位させる、準備は万端に整っていた。その矢先の突然の死、享年51歳。これを井沢元彦は「暗殺と確信する」そうだ。それも資料的証拠はないが「状況証拠」がそろっているという。信長にしろ強すぎる為政者は大抵殺されちゃうのがまた日本らしい、教科書にはそう書いてないけどこれほどの人間なら暗殺されたとしてもちっとも不思議じゃない。
ちなみに当時の後小松天皇の子供の1人が一休さんで、皇族なのに出家させられてたわけだ。後小松は後円融天皇の息子。後円融は義満に妻を寝取られた、しかも激怒して出産を終えたばかりの妻を摂関した、その時の子供が後小松。とすると後小松は本当は義満の子で一休さんは義満の孫であった可能性があるそうだ。なんとも生々しい話だ。