石匠風間ブログ!

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しつこいけれど郵政民営化

2005-08-31 | 政治経済
こんな記事を見つけた。あるいは一面的な捉え方かもしれないけど郵政事業の問題を判りやすく書いている。


小泉内閣の使命は郵政三事業の民営化である。貯金を集めたり、簡保に入るよう勧めたり、外で一生懸命働く郵便局を父親、そして父親のすねをかじって生活する特殊法人をどら息子と仮定しよう。どら息子(特殊法人)といっても、昔からどら息子だった訳ではない。戦後、息子には「経済大国」という大学入試を目指して頑張っていた。息子は父親に、「お父さん、経済大国という名の大学に合格する為には高速道路や住宅が必要」と言い、父親も息子の趣旨を理解し、公共事業(道路建設や住宅建設)という名の勉強道具の購入に必要なお金を息子に与えた。息子は勉強道具を買って一生懸命勉強し、父親の期待に応えてついに経済大国という大学入試に現役合格した。

しかし、大学に合格した途端、この息子は勉強しなくなり、遊びほうけるようになった。父親から貸し与えられていたクレジットカードで無駄遣いするようになったのだ。しかも父親から与えられたクレジットカードは1つではない。国債、地方債、財投債などいくつものカードをバンバン使っていたのである。湯水の如く金を使うこのバカ息子を見ていた悪友たち(抵抗勢力)が、「お前、羽振りがいいな。そんなに金があるのなら俺んところの選挙区にダムを作れ」と言い、別の悪友は「俺の選挙区には新幹線を作れ」と言い出した。バカ息子は悪友(抵抗勢力)にもジャブジャブ金を使った。

小泉氏は、このどら息子に「無駄遣いするな」と口で言っても聞かないことを知っている。ならば実力行使しかない。実力行使とはこのクレジットカード(財政投融資)を取り上げることである。悪友(抵抗勢力)は当然反発する。何故なら抵抗勢力はどら息子の金があってはじめて豪遊できるからである。

郵便局(父親)が特殊法人(どら息子)に資金を渡す"財政投融資(注意1)"を廃止しなければ、特殊法人(どら息子)は国民が預けたお金を勝手気ままに使ってしまう。長崎の諫早干拓に関して、ムツゴロウを殺して有明海苔を不作にしろと誰が頼んだか。誰も利用しない佐賀空港や静岡空港を作れと誰が言ったか。北方領土にムネオハウスが必要と誰が言ったか。誰も言ってはいない。郵政が民営化されれば、特殊法人への天下りも、無駄な公共事業も、700兆円を超える膨大な赤字も、日本のあらゆる諸問題は一気に解決する。これが小泉氏が言う"郵政民営化は改革の本丸"なのである。(注意1:財投は郵貯貸し出し方式から債権方式に移行しているが、事実上財投は存在していると言って差し支えない)



最後の「諸問題一気に解決」というのはいささか大げさな気もする。「解決の糸口を見つけられる」くらいでは。
槍玉に上がる財政投融資が日本的システムの最たるもので、これを廃止してもしかして予想以上の混乱を招くこともあろう。けれど、今までのシステムがだめだとはっきりしている以上トライする価値はある。

後世において小泉純一郎はどのような評価をされているのだろう?


駒沢苫小牧の事件

2005-08-28 | 社会・出来事
第5回をむかえた「深谷西小パパさん会 学校で親子キャンプ」も無事に終わった。
これが終わると夏も終わりだなと、つくづく感じ入る。相変わらずのキャンプファイアー、肝試しと、マンネリ化した企画ながら、これはこれでよいのかなと思える地味だけどよい企画です。

駒苫の暴力事件が取りざたされている。最初校長の記者会見を聞いた限りでは「バカな親がいるもんだ」くらいに指導者側を是としたが、その後被害生徒の親がインタビューに応じ聞いてみると、どうも違う。
30分近くうじうじと殴ったりけったりを続け「この高校に入れなくしてやろうか」などの脅迫行為に及んだというのは、これはもう常軌を逸している。

部活で指導者が生徒に体罰を加えるとマスコミが過剰な反応をして本当はよい教師が失職に追いやられる例も多かった。現在の教育現場における「体罰絶対禁止」は現状としてはどうなのだろう。多くの人は「先生がもっと厳しくすべきだ」「時には体罰が必要だ」という意見ばかり聞く。もちろんケースバイケースで判断も違うし、身内だと理性より感情に走ることもあろう。
でも、相対的判断では「体罰禁止」は行き過ぎた禁止令になっているように思う。それを後押しするマスコミは時流に取り残されているようだ。

さて、この駒苫高校のケースは「指導者による体罰」ではない気がする。もしかしたら変質者による変態行為に近いのじゃないか?
気をつけなくてはいけないのは情報が少ないこと。保護者の意見・校長の意見という二方向から判断するしかない状況で、真実はどうなのかを安易に判定できない。

校長は学校を守るべく、保護者は息子を守るべく動くのだから意見は食い違うのだろう。だが、保護者の意見の後学校が間違いを認めている以上保護者側にアドバンテージを見ることになる。

保護者にしても、間違えばこれから苫小牧で暮らしていきづらい状況に落とし入れられるリスクを背負って糾弾したのだろう。それとも最初から金目当ての行為だったのか?和解が成立したそうだがその背景に金が動いたのかどうか?
真実は闇の中、そして時間とともに忘れ去られる・・・

巻き込まれた生徒達だけが心に傷を残すのみ。


第5回深谷岬塾~知・情・意

2005-08-21 | 雑記
前回、ちゃんと独立した深谷岬塾HPをつくると言っておきながら有言不実行ですみません。。。
というわけで、いい加減な我々深谷の事務局の失礼千万を飲み込んで、またまた岬龍一郎先生が深谷にやってきてくださいました。

今回触れたいのは表題「知・情・意」。人間の3要素をあらわす哲学の用語らしい。「知」とはそのまま知識であり「頭」につながる。「頭が切れる」「頭を悩ます」など戦後日本教育で最優先された事項。
「情」とは心情や情熱、人情などといって使う「心」の部分であり「胸」につながる。「胸のうち」「胸のつかえ」等で、情があるひとには絶大な人気が生まれたりしている。

そして「意」とは「腹」につながる。決断とか志とか覚悟などになる。まさしく「腹を決める」「腹が据わる」「腹を割る」など多くの慣用句を持っている。
岬先生曰く、戦後教育の中で「知」のみが偏重して教えられ知識を過大評価したがために様々なゆがみが生じたと。
今、先生は夏目漱石関連の仕事をしておられ様々な文献に当たって気づいたことに、文章の中に先にあげた「頭の~」という慣用句が殆どない、「腹が~」という表現を使うことは多いらしい。明治日本の、ということはまだ誇り高い民族であった頃の日本人の中には慣用句の使い方にすでに何が大事かをわきまえていた。

つまり、結局人間は「意」なのだとおっしゃる。
古くサムライの時代に「切腹」という儀式が定着した。実際には人間は腹を割いても死なない。確実に死ぬには首筋を切ったほうが手っ取り早い、知らなかったわけではない十分承知の上で「我が腹のうちをとくとごらんあれ」という気概を示す行為であった。

この「意」の要素がままならない偏った人間が「知」を頼りにオウム真理教のような事件を起こしている、
「知」と「情」は時に相反する欲求を生み出す、どちらが正しいというものでもない。そんなとき、「意」がしっかりとぶれないで決まっていれば間違いのないバランスを保てる。いや、間違えたとしてもぶれない志に己を確立できるわけだ。

この哲学概念的なことを教えるのを戦後やめてしまった。損得だけを考えれば理屈にそぐわない部分は排除されていったのだろう。我々はもう気づかなくてはならない。そして次世代に伝えていかなくてはならないし、言葉だけでなく行動で示さなくてはならないだろう。

いや、自分などは志・気概を持った人間には程遠い、口先だけでなく行動で示すとなると実際自信がない。
だからといって背を向けるわけにはいかない、確固とした志を確立すべく行動し考えなくてはならない、目指さねば絶対行き着けないのだから。買わなきゃ当たらぬ宝くじみたいなものか(むちゃくちゃ俗っぽい引合いだが)。

まず手近にできることから。そうだ、岬塾HPの設立だ、とはいえ内容が難しいんだよなあ。


選挙追記

2005-08-19 | 政治経済
昨日20クラブの会議で今度の選挙について白熱した議論がありました。
(20クラブというのは「誇れる郷土つくりと若者の政治参加」をテーマに活動する任意団体)

前回のコラムで今度の選挙はどちらに投票するべきか?と悩んでいたぼくにはうってつけの議論で、だいぶはっきりした。

まず、今回の選挙の意味。
今までとはかなり違う選挙であること、これを念頭に置かなければならない。
「小泉首相による小泉首相の為の選挙」なんて揶揄されているが、はっきりいってそのとおりである。というのは、これは衆院選の形を借りた首相公選であることが明白だから。

ならば、候補者の人格とか政策とかは二の次になる。まず小泉純一郎を是とするか否とするか、それがもっとも肝要。そうなると刺客候補の新井悦二氏がでくの坊だとしてもここは我慢して1票入れるべきではないか、新井氏に入れるのではなく郵政民営化&小泉純一郎に入れる票。

「新井氏が受かったら小泉首相の犬になる、ひいては小泉独裁政権になる」と言われたが、強いて言えばそれもアリではないかな。

大きな改革には日本的な話し合い馴れ合い体質は向いていない、織田信長が民主的に政治を行っていたら数々の経済改革はなかったであろう。傑出した人間が独断で政治を行ういわゆるファシズムが嫌いな国民性をこの国の人は持っている。それでも数百年に一度ファシストが歴史舞台に登場し混迷した社会状況を打開し足早に消えていく、改革のなった後は穏やかな民主的政治が長く行われる、それの繰り返しが日本史を形成する。

もしかしたら現状打開にファシストの登場を国民が期待しているのではないか。


郵政民営化選挙

2005-08-16 | 政治経済
今度の衆院選です。
皆さんご存知のとおり埼玉11区の小泉龍二氏は郵政民営化法案に反対です。「私が郵政民営化に反対するわけ」という封書をもらったが、どう悪いのかいまいちわからない。というか、有権者をばかにした文章に思えてきた。そこまでして郵便局を守る大義が何もないのだから。今まで小泉氏に投票してきたが今回はそうもいかないぞ。

自民党は反対者を推薦せず別に候補を立て郵政法案の賛否を直接国民に問う、と、ここまではよい。亀井静香がいうように恐怖政治でもなんでもない、当然の流れだろう。トップの言うことが聞けないのなら当然党を離れるべきだ。

しかし、11区において小泉氏への刺客=対立候補が市長の弟新井悦治氏!まいったなあ、というのが率直な感想です。

新井悦治氏については詳しく知らないけどあまりいい印象は無いから。でも郵政法案と小泉首相ならびに自民党を支持するのならこの人に1票いれるのが筋か。

そんなんでいいのかなあ?特に志もないのに、言われるままにポッと出たら自動的に受かるなんて選挙でいいのか?そう考えると政策よりも人間重視かな?まあ小泉龍二氏の人間性までは知らないが。

これはよく考えないと!


靖国参拝問題の真相

2005-08-13 | 政治経済
このコラムは毎年この時期戦争関連の話題を書いている。よく読むと毎年同じようなことを繰り返している。しつこくても繰り返すべき話題がある。己の使命だと心得ている。

さて、小泉首相、今年の8.15は参拝するのか否か?中国韓国からの干渉に立ち向かうか流されるか?
たとえ中韓の言うことを聞いて参拝をやめてもなんら変わらない、むしろ調子に乗ってもっといろいろ難癖をつけてくるのだと思う。

そもそも靖国参拝が国際問題視されているのは昔からじゃない、吉田茂をはじめ歴代の首相が参拝してきた。田中角栄でさえ参拝している。それで中韓が講義するようなこともなかった。

1978年に東京裁判によるA級戦犯を合祀する、だがそのあとも大平・中曽根など首相の参拝に中韓はまったく騒いでない。
問題は1985年中曽根首相が「靖国神社公式参拝」といって大々的にぶち上げた。これに反応したのは朝日新聞など左翼系マスコミ、「参拝反対」の大キャンペーンを展開、そのなかで「中国の反発が予想される」と書いた。

中国は期待に答えて「不快感」を表明、それを朝日が大きく取り上げる、すると中国が「参拝反対」の声明を発表。
つまり靖国問題は元々何の問題でもなかったものを朝日新聞によって国際問題に仕立てられたのだ。

まさしく売国奴新聞、己が国を痛めつけて何がうれしいのか?もうアホとしか言いようがない。

何度もここに書いたことだが、たとえA級戦犯だろうが我々の先祖じゃないか、仮に方向性が間違っていたとしてもこの国を守ろうとして尊い犠牲となった英霊じゃないか。もっともA級戦犯というのは戦勝国による一方的なリンチ裁判による判決で信憑性にかけているし、彼らの方向性は敗戦に至ったものの必ずしも全否定できない部分が多いが。

そういう英霊に感謝せずに我々現代日本人はいいのかってこと。

ちなみにA級戦犯だけでなく靖国神社には坂本竜馬や吉田松陰、大村益次郎など維新の志士ほか戊辰戦争の犠牲者などこの国を作ってきたたくさんの功労者が祭られている。日本人なら一度は参拝すべきと思うが、如何。


郵政民営化

2005-08-05 | 政治経済
今最も熱い話題がこれだろう。
正直言って、よくわからん。政治家の説明不足でわからないのか、自ら知ろうとする熱意に欠けているからか?

実は最近地元選出の国会議員から封書で「私が郵政民営化に反対する訳」という資料が送られてきて、いくらか理解できた。
賛成反対はおいといて、地元民に政治の内実を説明しようとする姿勢はえらい!

といっても、当然だけど反対派からの一方的な見解しか知ることはできないが。とにかくそれを読み進めるうちにやっぱよくわかんないなあと感じ、ここに書いた次第。

国会議員からの手紙をものすごく簡略に説明しよう
1.郵政事業を官から民へ変えることにより競争原理が発生し、真っ先に過疎地の郵便局がなくなる、過疎地まで行かなくとも利用頻度の少ない地域は当然ながら不利な状況になる。民営化を先駆けている他国のケースを鑑みるに今の半分くらいまで淘汰されかねない。

2.民営化によって様々な部分でコストが費用化されそれは利用者に降りかかってくる。郵便貯金にしたって銀行預金のようになり口座維持手数料のような展開も考えられる、つまりなにかと高くなるよってこと。

3.官=悪、民=善のようにとらわれがちだが、さにあらず、どんな国でも国が守りながら行われる部分はある、自由競争に任せてよいか悪いかの見極めが重要。「民」とは企業、企業は利益追求を第一とする、ならば弱者への配慮などない事業展開は必然。

まあ覚えてる範囲でこんなとこかな。
いつもどおり有体に思ったことをそのまま口にします。
まず、郵便局が減ることが悪いみたいに言うけど、なんで?不必要なものは排除されるのは当然ではないのか。電気や水や鉄道のようになくなると困るものと違って、郵便局を利用する人が現在どのくらいいるのか?個人的には年賀状くらいしか利用してない。
もし郵便事業従事者への雇用的配慮を言ってるのならナンセンスだ。いま他の業界だってリストラされて無職で困ってる人はたくさんいる、身の回りで徐々に増えてきている。

利用者コストが高くなるってのも「だからなに?」と言いたくなる。未利用者にコストがかかるならともかく利用者にコストがかかる=受益者負担なのだから、不満なら使わなければよい。

とはいっても経済全体あるいは長期的展望での民営化がどのような効果を生み出すのか皆目わからないし安易に賛成とはいえない。そりゃ大仁田議員も悩むだろうさ^^。

でもね、思うのだけれど、世の中ではみなが賛成したすばらしいと思われる方向性が最悪の結果を生むこともあるしその逆もある。だから、わからないのだったらやってみたらどうだろう?と。無責任世代らしい結論かな?