石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

今年も祭りが終わった

2006-07-30 | 地域・暮らし
まあ、嫌いだ何だとぶつくさ言ってても参加しちゃうとそれなりに楽しめるんだよね。
土曜日は駅前に深谷市の様々な自治会・団体が集まるから1日でいろんな人と話をする。年に一回このときしか顔を合わせない人もいるし、そういう意味では不可欠なイベントだな。

今年は大きなトラブルも無く、成功裏に終えることができたみたい。あとは東大沼に貸したぼくのギターアンプが無事に帰ってくればいいのだけど。
でも、他の事でもそうだけど、終わっちゃうと妙にさびしいんだよね。

始まるときのわくわく感と終わったときの寂寥感。
人生はおしなべてこれの繰り返しだよなあ、そしてこれは性質の悪いことに何度繰り返しても学習しない、始まるときは無駄にわくわくし終わるとわかっているのに寂しい。それでもやめらんない。

ところで前回書いたように「祭り」というのは人間にとってちょっと特別な存在であるように感じる。なにかすごく原始的な本能に起因しているような・・・
大げさに言うと、こういうことをするために人間というのは生きているのかもしれない。だからどれほど文明が発展しようとも「祭り」は進化しない、弥生時代人と同じことを永遠と繰り返す。なんだか不思議な心持になった。

あれ?だけどお祭りにまったく触れずに生きる人々は?ぼくは横浜で暮らしてたときはほぼ祭りとの関わりは皆無だったけど特段不自然ではなかったなあ?代替する事象があるのかな?よくわかんない。まあどーでもいいや。


今年も祭りが始まった

2006-07-28 | 地域・暮らし
7月最後の週末は深谷祭り。今年は市町合併で旧花園町あたりからもお囃子参加するらしい、ますます発展・盛況となる深谷祭り、喜ばしいことじゃないか。

コミュニティがあると何らかの祭りが発生する、それはどんな人種でもどんな国にでも起こる。太古の時代からある。きっと「祭り」は人間にとって不可欠な存在なのだろう。でも昨今では地域密着性が薄くなったことで、住民の結びつきがもろくなり、祭りが存続できないといった現状があって、町の概念そのものが崩壊しつつある。家庭も地域も国も、みなカオスへと向かう。

深谷祭りは減衰しつつあった中心7町の八坂祭りを深谷市全域に広げ行政のバックアップを実現化し、ある意味「市」としてのアイデンティティを確立せんがための前向きな挑戦であったと思う。まだまだ課題は多いけど、ベーシックで有意義な試みであったと思う。

夕張ショックを例に出すまでもなく、地域は破綻壊滅に向かっている。そこを「祭り」という手法を用いて土壇場でこらえたという感じかな。もちろんそれで解決はしない、地域経済は今後予断を許さない状況へと向かうだろう。経済再生の独自戦略を打ち出さなくてはだめになる。
それでも祭りによって多少なりとも繋がりを強めた地域はつながりのない地域よりタフだろうと想像できる。ベースが違うんじゃないかなあ。だから大いに深谷祭りを評価したい。

と、最大限の賛辞を送りながらもぼく個人はお祭りが嫌いなのであった(^^;


八木橋おやじバンド大会

2006-07-24 | 音楽
昨日、遂に本番!おやじバンド大会に出演してきました。機材のセッティング、リハーサルなどのため朝8:30の集合。
集合場所熊谷寺に行くともうほかのバンドはそろっていてぼくらが最後だった。

ぼくたちカザマロックスはギター×1、ベース×1、ドラム×1&ボーカル×1という極めてシンプルなバンドなのでさほどセッティングというほどのものはないけど、ぼくがわがままで、自分のアンプを持ち込んだりしたから多少の設営にはなったか。

おやじバンド8組の中でうちらだけ浮いてたような気もした、というのも他のバンド意外とおとなしめというか、アダルトな雰囲気の人たちばかりだったから、いい歳こいてハードロックって場違いかなあ?とリハーサルしながら不安になった。

10:30ころ「もう開演待ちのお客が行列作ってるよ!」ってんで、驚いて見に行ったら、、、
驚いた!これはバンド演奏を聴くための列なのか?って疑問になるほど年齢層が高い!
気分は老人ホームの慰問。

ますます自分たちの演奏が場違いな気がしてきて、こりゃあお呼びでなかったかなあ?とさらに不安になった。

スケジュールどおり3バンド目、1:30ころ出番が回ってきた、ケーブルをつないで軽くチューニングを確認して相互の準備を確認して、いよいよ音を出す。
この瞬間!心臓が飛び出しそうな、ぴんと張り詰めた一瞬!そう、この瞬間のためにやってるんだ。

MCの紹介コメントは「おじいちゃんがた、少々うるさいのを我慢してください、へヴィメタルですから」
おいおい、へヴィメタではないのよ!まあこのギャラリーにとってはハードロックも経ヴィメタも大差ないか。

で、まあ演奏はそれなりにできたんじゃないかな。結構間違ったけど想定範囲内。3曲演り終えて、プロミュージシャンからコメントをもらう。おそらくおやじバンド相手なのでかなり甘いコメントなのだろう、とてもほめられた。控え室に行ってからも一緒にタバコ吸いながらいろいろ話してくれた。満足マンゾウ

素人の合間にプロの演奏=「ももかん」という美中年ギターデュオ、フォークギター2本で無茶苦茶いい音させてた。思わずCD買っちゃった、もちろんサインしてもらう。素人と玄人との絶対的な違い、それは無駄な音の無さだと思う。当たり前のようだけど難しい、弾くつもりでなくてもかすかに弦に手が当たってしまい無駄な音が出る。当たってもいいように使わない弦を確実にミュート(消音)しなくてはいけない。

あと当たり前なことだけど、やっぱり難しいリズムキープ。気をつけていても1曲通じてキープするのは至難だ。
だから、いつもプロのプレイを間近で聴くと畏敬の念を抱く。

で、最後は全バンドで「Hey Jude」を歌う。お約束だね。そんで審査なのかと思ったら、
「それでは皆さんまた来年お会いしましょ~」
あれ?審査無いんだ。ああ、だからコンテストでなくて大会なんだな。まあいいや、気持ちよかったから。とても楽しい経験をさせてくれたバンドのみんな、八木橋のスタッフ一同様、本当にありがとうございました。CIMG1135.jpg



『愛国心、反対』?

2006-07-16 | 社会・出来事
このコラムの6/17(土)に『「国を愛する」評価』というのを書いたら率直に反対する意見が寄せられた。

というのは嘘で、このコラムに関係なくもっと有名で実力も伴ったネットコラム上で持ち上がった話題だ。
榊原烋一という人の「榊原ストリート」というネットコラムがある。とてもためになるお話が満載、実はしばしばネタをもらっている。
そこ以外にもいくつかネタ元はあるがこの榊原さんの文章はとても鋭くてウィットに富んでいて面白い。さながら現代の吉田兼好と言っても言いすぎじゃない。いささか文章が長くて難しいのでたまにしか覗かないが。

そこで表題の件になる。「むむ?これは見過ごせん!」と、息巻いて読んでみた。
前半は経済問題でそこから展開。うーん、ちょっと尻切れトンボ感もあったけど、要するに
「愛国心という言葉が為政者権力者に利用された過去があるから絶対反対」ってことかな?

いまいち納得いかない。言葉はそれ自体には力はない、それを利用する側の心の問題だし、国を愛するという概念なしに育った我々にはむしろ必要なのではないかなあ。
確かこの榊原さんは御歳80余歳だったかな、そういう意味では「愛国心」という言葉を肌で感じて生きてこられたのだろう。その言葉の陰に多くの犠牲が生み出された歴史があることは事実。とはいっても個人主義に走りすぎた現代に何らかの歯止めを講じないわけには行かないと思う。

国を愛するということは地域を愛する・隣人を愛する・家族を愛すると同じことになると思っている、で、行き着くところは「己を愛する」ともつながると。
問題は言葉ではなくそれを悪用しようとする人をいかに見抜くか、間違った方向性をどのように正すかだ。日本国民が愚民といわれて久しいが、ぼくは最後には信じたい、日本人のDNAには「卑怯を許さない心」つまり純粋な武士道精神が眠っていると

あ、ただ断っておくけど、この人はいわゆるサヨクではない、ほかの文章も読めばわかるがリベラル派ってやつかな、優れたバランス感覚をお持ちだと見受けた。ぼくが右に寄り過ぎてるから時たま異議を唱えたくなるのかもしれない。

それにしても、若干右に傾きつつある昨今の世相において、左と思われかねない文章を堂々と掲げるこの人の志は評価に値すると思う。そして80を超えてこれだけ達者な文章が書ける榊原さんに憧れる。


「健全な肉体に健全な精神が宿る」というのはガセ

2006-07-12 | 雑記
「トリビアの泉」風なこのタイトルは、以前からぼくが考えていたこと。そしてそれをジダンが証明してくれた。
そう!WC決勝戦のジダンのレッドカード!

「ジダンに何があったのか?」というトピックで溢れかえっていたが、ぼくに言わせれば「相手の選手にどんなひどいことを言われようと興味なし」である。
何を言われたかではなく、ジダンのとった行動をもっとシンプルに判断すればいいのにと思ってしまう。

どうも大衆はスーパースターに対し人格者であるかのような幻想を抱いてしまう傾向がある。そんなうまい話はない。天才的な運動神経と尊敬されうる道徳心が必ず比例するはずがないじゃないか!
はっきり言おう。ジネディーヌ・ジダンはサッカーにおいては尊敬に値するプレイヤーだが、人格は破綻しているのだ(と想像できる)。

ここでは「暴力が絶対悪か?」という命題も存在する。そうは思ってない。が、しかし、少なくとも彼の場合は不必要な暴力を公の場でさらしたのだ。そこには議論の余地はないと考える。

フランスのマスコミはジダンを擁護する姿勢で一貫しているそうだ。そういうごまかしが世の中を混沌とさせてるのだと思う。はっきり言えばいいのだ、
「ばっかだなあジダン!それでも尊敬してるよ」と。そう、デタラメ君だから皆に嫌われるかというとそうでもない。むしろ、深く広く愛されるような人物は何かしらの問題を抱えていることが往々にしてあるものだ。

と、ここまで書いてみて、これはかなり多くの人に反感を買う内容だったかなといささか不安になった。でも、間違ってないと思うんだけどなあ。


おやじバンド大会の特賞は

2006-07-08 | 音楽
八木橋おやじバンドのページに書いてあった。

「今回の特別賞として、優秀演奏者の方には、おやじバンドの神様!ベンチャーズのメンバーがあなたの使用楽器にサインをいたします」
んー・・・、正直言って・・・ぼくのギター、エリック・クラプトンモデルなわけだし。っていうか、たとえ無名の楽器を使っていてもベンチャーズのサインはちょっと!

もし仮にぼくが特別賞を取ってさあサインしましょうとなったとき、「いえ、結構です」とか言ったらヒンシュクなんだろうなあ。きっと気の弱いぼくは受けちゃって、しかもうれしそうな顔を見せてあげるんだろうなあ。

クラプトンのサインでなくてもヌーノ・ベッテンコートのだったら超うれぴーのだが。
ヌーノ・ベッテンコートとは、今回演奏するEXTREMEのギタリストでぼくと同い年。信じられないくらいうまい。派手さだけならもっとすごいのいるけど、彼のプレイは渋い!うまく言葉で言い表せないのがもどかしいが、とにかくとんでもなくハイセンスなのだ。

なにもベンチャーズがうまくないといってるんじゃない、ぼくの数百倍うまい。でも、そういう問題じゃあなくて・・・。

取れるはずもない賞について思い悩むのは、とてもまぬけに見えることでしょう。


PRAY TO PEACE

2006-07-04 | 雑記
今日車で信号待ちをしていたら、前の車のお尻に「Pray to peace」というシールが貼ってあった。青いリボンが丸まっているデザインで車名ロゴの上に配置されてすごくきれいだった。

何となく見つめていたら疑問が浮かんだ。「平和を祈る」って・・・何でわざわざそんな文句を車体に貼るの?
平和を祈るっていうのは具体的にどういうことなの?国家間の紛争に対して?身のまわりの争いにNO!と言ってるの?後ろから追突されても争わないよって宣言してるの?
まあ、オヤジ化の象徴だろう、こういうぼやきって。

村上春樹のエッセイに似たようなぼやきがあったなあ。「世界は一家人類は兄弟」とかって歩道橋の側面に張り出しているのはどんな意味があるのか?っつーか無駄だろ?見たいな文章だったかな。

あ!こんなくだらない文章かいてる場合じゃなかった!ギター練習しなきゃ・・・


やばい!指、動かない・・・

2006-07-03 | 音楽
天気予報が見事に外れるのでさすがに頭にくる。真逆の天気じゃん?はずれすぎるのも程があるだろうよ!

というわけで、半年ぶりにギターを引っ張り出しておやじバンド大会課題曲を弾いてみたところ・・・無残な現実を思い知った。去年プライベートライブでの録音を聴いたら、自分とは思えないほど弾けているのに!指がおっつかない、困った。

この半年まったく弾かなかったわけでなくフォークギターでいろんなフレーズを暇つぶしにやっていたのだが、やっぱ意気込みが違うんだなあ、のんびり弾くのに慣れちゃった。あと、座って弾くのに慣れすぎて、ストラップで立って弾くと以上に難しい・・・

賞味3週間!!どうするよしろー?どうなるカザマロックス!?

ちなみに動画サイトでEXTREMEが課題曲を演奏しているのを見まくった。ギタリストのヌーノ・ベッテンコートはぼくと同い年!この違いはなんだろう?同じ人間か?って思うくらいかっこいい。というか、ぼくがかっこ悪い^^;なので、かっこつけてもだめだと、こういうときは逆に考えるんだ!(byジョジョ)いかにかっこ悪く見せるか!それしかない!
ん?論理的に間違ってる気もする。