石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

自衛隊に行ってきた

2006-04-23 | 地域・暮らし
先般の竹島問題は、予想通り穏便に解決?というか、結論の先延ばしに至った。韓国がどういうつもりなのか知らないが、結果的に日本人の中に沸々と湧き上がる攻撃本能を促してしまったのではないだろうか。「調査艇が来たら物理的に排除する」という韓国政府の方針は多くの日本人がカチン!ときたと思うから。

そんな状況でいよいよ自衛隊の存在はいやがおうにも脚光を浴びるんじゃないかな。そしてタイムリーなことにおととい航空自衛隊熊谷基地に行ってきた。3年前から取り組んでいる「基地モニター」というものに選任されたためで、普段住民と関わり合いの少ない自衛隊基地が「どうぞ見てください」とばかりに情報公開して理解を深めよう、溝を埋めようみたいなところかな。

他の施設も含めた自衛隊の普段の活動等を1年間見学し最後にモニターとして意見を述べるみたいな企画。

わりと近くにありながら、自由に出入りのできない場所、熊谷基地に対しては以前から関心はあったので、話があったときには喜んで請けた。
今回は委嘱状授与式で、挨拶に終始していたので特段深い話もなかったが、今後に期待したい。

熊谷基地は航空自衛隊の中でも教育機関としての役割が強く、幹部以外は10代の少年自衛官がほとんどだ。それ故に他の基地に比べ滑走路もないし(空軍なのに)、施設としても小ぢんまりしており近隣住民としては迷惑のかかることが少ない願ったりの基地だろう。

基地内を車で走っていると不思議な感覚に襲われる。あたりまえだけどぼくたちの住む町とは違い派手な宣伝広告もない。それだけで全然違う国に来てしまったかのような気持ちになる。散髪屋でもなんでもあり、基地内部で生活には事欠かないのだけど、生活観は少しも臭わない。
ニュース映像で見る北朝鮮を想像してしまった。

すれ違う少年自衛官たちは一様にみな挨拶をするし、狭い場所では道を譲ってくれる。で、あたりまえなんだけど、びしっとしている。しゃがみこんだりというだれた姿勢の子は独りもいない。皆背筋が伸びている。北朝鮮と違うのは仲間同士だと笑いあっている普通の男の子だということか。機会があるかわからないけど、もしあるのなら彼らとこそお話してみたい。

同じ日の午後中学校へも行って中学生を見てその格差を感じずにはいられない、というか例えば義務教育の一環としてここで1ヶ月の研修をするとか、そういうのいいんじゃないかなあと、そう思った。

ところで、1年間の期間中にはC-1輸送機に載って沖縄基地へ行くってのもあって、これはちょっと楽しみだ。追々ここで報告していく。


久しぶりにPTA

2006-04-21 | 教育
このHPを始めたころに西小学校のPTAに携わっており、コラムや別ページで様々に紹介した。パパさん会という発展も生み、それなりに充足した日々であった。あれから3年、今度は南中学校のPTA役員になることになった。

正直言ってあまり気が進まなかったが、付き合いやらなにやら断われない部分もあり、まあ。。。仕方ないか。

といっても正式に副会長になるのはまだ1週間猶予があるのだが、突然南中地域で悲惨な事件が発生した。ニュースでも取り上げられたのでご存知の方も多いだろう、見晴町公園で南中の卒業生(こないだ卒業したばかり)が同期の男の子に暴行され意識不明の重態。2日経って主犯と共犯の男子が自首し、メディアにおいてはもう忘れ去られようとしている。

在校生ではないとはいえ、先月まで生徒であった子が被害者加害者である以上、PTAでも問題意識はかなり高く、本日緊急理事会が開かれた。
そりゃPTAで丸ごと解決できるとは誰も思ってない。教師がどれだけその生徒たちを把握していたかも疑問だし。けれど、自分たちの地域で起きた憂慮すべき事件に子を持つ親として不安を抱くのは当然だし、それに対応した集まりでもあった。
実際不安を吐き出すというような意見が多く出された。

ぼくは、学校に責任があるとは思わないし、あるとしても公務員である教師のできることは知れているとも思う。
けれど、本日の会議に見られる先生達の態度というのは、いささか疑問を抱いた。

臨時理事会を開いたのならそれなりの覚悟をもって望んでいるのかと思いきや、プリント文書で済むような話しかしない。というか、ほとんど何も話さなかったに近い。
繰り返すが、ぼくは学校に責任をとれなんて全然思って無いから、「説明責任を果たせ」なんて言うつもりはない。けれど、ちょっと歯切れが悪すぎる。もう少し親身な態度というか、毅然とした有事に望む覚悟みたいなものを見せて欲しかったなあ。なにしろすごく役人っぽいんだもん。

まあそれはともかく、この地域にも今回の件で何らかの問題共有意識みたいなものが生まれたと思う。それをうまい具合に発展させていけばよい地域・住みやすい町へと進化できるんだけど。
微力ながらぼくもその進化を担って行きたいと思っています。


小沢一郎にがっかり

2006-04-14 | 政治経済
先週民主党の党首選挙が大いに盛り上がっていたが、これまでの情けない経緯をふまえて「豪腕」小沢一郎が党首に選ばれた。
確かにここまでの民主党党首のふがいなさを見れば、多少乱暴モノでも実力派を頼りたくなるだろう。

たとえ間違っていようともはっきりと決断していく、嫌われることを厭わない、壊し屋の異名を持つ、そういう一連のキャラクターには、確かに魅力を感じる。もしかしたら強い野党を実現してくれるのかもと期待してしまう。

しかし、そんな期待は党首選任後のインタビューを聴いて打ち砕かれた。

インタビューは外交問題に及んでいて、対中政策について小沢が語った場面。なんでも
「靖国神社からA級戦犯を分祀することで日中関係を回復する」とかなんとかぬかしていた。

はあ~?まだそんなこと言ってんの!野中ヒロムかよ!

前に何度か靖国問題についてここに書いているけど、面倒だけど、もいっかい書くか。
まず、A級戦犯という言葉自体がすでにナンセンスとなりつつある。戦犯を定義した東京裁判のでたらめであることは、国際的に定着しつつある。
そして、分祀。神社ではお寺のようにお墓や骨があるわけではないので、現実にこれは観念上の問題になるのだろうが。靖国神社は元来明治維新のときの戦争犠牲者を奉る目的で作られた。官軍だけでなく幕軍も奉られている。死んで魂となれば敵であろうが罪人であろうが等しく神として崇める、これぞまさに日本的宗教観念だ。

「どのように分祀するのですか」と言う問いに「それはできる時点になったら明かします」とお茶を濁していたが、おそらくもったいつけるほどの斬新なアイデアは無いんだろう。

まあ、細々したことはこの際置いといて、日本人が日本人の先祖を崇め奉ることを何で他国に非難されねばならないのか?
韓国は今でも秀吉の朝鮮出兵について批判していると言うが、文化の違いと言う言葉で片付けられないな。百歩譲って韓国中国の文化として悪い先祖は崇めないという精神を持っているのだとしても、それを押し付けるのは中東に自由を押し付ける米国と同じだ。

さらに、小沢一郎のようにそれに屈してやつらの言うとおりにして、それで関係がよくなるとでも?やつらは増長してもっと無理難題を言ってくる、そんなことはミエミエじゃないか。逆に、もっと強硬な態度でやつらの非難を突っぱねたとして、それで不都合があるのか?よく言われるのが巨大な中国市場をめぐる経済波及効果。国家間の仲が悪くなって商売もしなくなるか?絶対そんなことはない。古今東西、商人は儲かる話に背を向けることはない。日本経済に自力があれば国家間が不仲でも経済は活発に行われる。

というか、すでに日中間には相互依存の経済システムがあると思う。それを思想の違いごときで遮断したら大変なことになる。
いずれにせよ、ぼくが書くまでもなく、小沢一郎の理念を歓迎する国民はいまや少ないと思う。10年前ならまだしも、時代は流れているのだ。そのトレンドの移り変わりを把握できていない小沢はすでに過去の人なのだと思う。

人間的魅力持っているだけに、つくづく残念だ。


2002以来の懸案事項

2006-04-09 | 科学
コラムの古いのを何気に読んでみた。自分で書いておいて言うのもなんだけど、結構面白くて読みふけってしまったりする。
「ミステリーサークル」
初めて間もないころにこんなコラムがあった。ほぼ忘れていたけど、当時はとても興味があったようで、熱く語りかけている(笑)。
当時も様々な説があって「更なる解明を待ちたい」とまとめてあるが、4年たった今どう進展しているのかネットを調べてみた。

結論から言うと、人によるいたずらであったとほぼ位置づけられた模様。
幾つかのなぞについても、ミステリーサークルをつくるグループが一つ一つ言及しているようで、あの馬鹿でかい図形を正確に作ることについてはCADを使えば造作もないことらしい。

堅いサイト曰く
「悪戯であると世間が認識するにしたがってミステリー・サークルの発生が減少、現在ではほぼ終息してしまっていることも、愉快犯による仕業であったことを裏付けている。」

また
「規定時間内に独創的なミステリー・サークルを作るコンテストも行なわれている。」
「農場の持ち主が宣伝を目的に、サークルの作成を依頼していたことも少なくなかったと述べている。」

ふーむ。。。ここまで言われるともう反論の余地はなさそうだ。
けれど、ネット上ではいろんなひとがいまだに異星人説みたいなのを支持しており、そっちを読むと現在も年々出現数は増えているって、どっちなんだか。

どっちにしても、だ。みなの話題に上がらなくなったこの現象はその時点で終わっているのだろう。なんだかなあ、こんな結末・・・。


勇敢と卑怯のハザマ

2006-04-04 | 歴史
『わしも恐ろしかった。逃げようと思った。だが武士の恥ということが頭にひらめいたので、腹をすえ卑怯な心をぐっと抑えた。
 それはほんの一瞬の差で決まったことで、場合によってはわしも逃げ出していたかも知れぬ』

上記は山吉新八という上杉米沢藩士で、場面は忠臣蔵の舞台となった赤穂浪士の吉良邸討ち入りの夜である。彼は常に複数の浪士を相手に奮闘したがやられてしまう。深手を負いながらも生き残り、当夜のことを語った記録から抜粋した。
映画などとは違って現実には討ち入りにいたって吉良の家来はほとんど逃げてしまったそうで、彼や前回書いた清水一学などは稀なケース。清水一学は無残な最期を遂げたが山吉は九死に一生を得たわけだ。語った言葉は本音中の本音だろう。

ちなみになぜ米沢藩士が吉良の護衛をしていたか?吉良上野介の実子が上杉家に養子入りしており、米沢藩から実父を心配して応援部隊を送ってあった。その一人が山吉新八。助っ人なのにたいしたもんだ、自分の殿様じゃないんだから逃げたっていいようなものを。

この逸話はまたしても池波正太郎の短編で、上記の話を池波は「どんな英雄豪傑にも胆力の一枚下には人並みな弱さが渦を巻いているものではなかろうか」とまとめている。なるほど、と妙に感心してしまった。

そして思い出したのが、小学生のころ全校集会で校長が話していたこと。
ボクシングの世界ヘビー級王者モハメッド・アリは、チャンピオンになった後も試合の直前にトイレにこもって「怖い~怖い~!」と泣き叫んだと言われている!トレーナーたちになだめすかされてやっとのことでリングに上がったという!

ことの虚実は確かめようもないが、先の池波の言葉はまさしく言いえて妙だろう。勇気を持つと言うことはもしかしたらほんのちょっとしたことなのかもしれない。そう思うと少しだけ楽になる。