石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

女流作家

2006-09-30 | 読書
最近恩田陸にはまっていることはこないだ書いた。もう初夏から続けて何冊も読み続けている、やめられないとまらない。
単純に面白いからはまるのだけど、女性作家をここまで読むのは初めてだ。最初名前からして男だと思ってたから、何の偏見もなくはいっていったのもよかったか。
ミステリー、ホラー、SF、青春群像、人間模様。作品ごとに様々な展開を見せてくれる。まあジャンルにかかわらず、うまい、読ませる。先が気になるようにうま~く読者を誘導する。ストーリーがつるつると小気味よく展開する中でしょっちゅう横道にそれたような雑学的話題に満ち溢れてるのも魅力。そしてそれを際立たせるのがもちろん文章力だよね。

正直な話、ぼくは何かにつけて強い偏見を持っている。たとえば、女流作家の描く男性はどこか不自然だと思っている。人間を描くのがとてもうまい作家でも女性が男性を描くと、、、残念ながらちょっと違う。男はそんなときにそんな風に思わない、みたいな場面がどこかにあって、イライラする。

どうでもいいようなことだけど、なんか歳を重ねるごとに気になってくるのだ。わかりやすくざっくり話すと、「そんなこまっかいこと男は気にしねーだろ!?」みたいな。「そんな細やかな事象を心に留めておく男がどれだけいるんだよ!?」みたいな。そういう場面があってしらけるのだ。

だったら読むな、と言われそうだけど、面白くてやめられないんだよなあ。


生きる

2006-09-24 | 政治経済
先般、友人が来春の地方選・市議会議員選への出馬を表明した。トップページにリンクが張ってある「きんとう旅館」の若旦那石川克正くん。石川くんとは青年会議所や岬塾など多方面で関わりあっており、微力ながらもぼくもアシストは惜しまないつもりだ。

元来彼はまちづくり・地域活性化に並々ならぬ情熱を持っていて、独自のヴィジョンも確立しているから立つべくして立ったとも言えよう。
だがしかし、選挙に出るという決心は現実にはそんな簡単なものじゃない。特に現在の選挙システムに起因しているが、選挙活動は周りの人間にばく大な負荷を強いることが多い。家族間・近隣にとどまらず人間関係にも多大な影響を及ぼすし、公人としての責務を背負うのは昔と比べてはるかにストイックな人生を想定しなくてはならないだろう。
つまり、選挙に出るということはそれら諸々に対する毅然とした覚悟を持つということだ。容易じゃない。

ぼくはここ数年小島すすむの応援をしてきたから、候補者のご家族にかかる負担を考えると余計な心配をしてしまう。まあ、彼のことだから強い熱意を持ってきっちりインスパイアしているだろうけど。

以前も書いたが、映画『男はつらいよ』で、「人間は何のために生きてるのか」という甥みつおの質問に対し寅さんは
「ああ、生きてて良かったって思う瞬間が幾度かあるじゃんか、そのために生きてるんじゃねーか」と答える。

いかにも寅さんらしい明快な答えだが、ぼくはこのせりふが大好きだ。人によって価値観によって捕らえ方は違うだろうが、ぼくの場合は体の力を抜いて自然体で生きればいいんだなと、リラックスさせられる。

何が言いたいかというと、斯様にぼくという人間は(悪く言えば)上昇志向の欠けた部分があるので選挙に出るなんて発想は思いもよらないのだ。そして人間は己にない部分を持つひとに尊敬の念を持つ。ぼくには考えられないようなはじけんばかりのエネルギーに魅せられることになる。
ま、これもバランスだろう。

「生き方」としてどちらが良いとか悪いとかはないと思う。いや、人によってはぼくの人生は無意味と判断するかもしれない。

岬先生に教わった「知行合一」。知っていることは行わなければ知らないのと同じだ、という意味。考えてるだけ言っているだけでなく行え!という陽明学的なアプローチだが、その言葉にはぼくも納得している。
要はいかなる形で具現化するかだろう。もしかしたらそれは目立たない行いになるやも知れない。で、間違えちゃいけないのは「目立つこと」が目的じゃないこと。
行いを為して結果的に目立つ人と目立たない人とが出てくる、目立つから価値が高いなんてはずはない。

なので、理解されようがされまいがぼくはぼくの道を行く。
と、気持ちを整理するために書いたコラムでしたww 石川くんの出馬を聞いて、何故かぼく自身が混乱してしまったので。

誤解しないでね、小島すすむと石川克正の応援は全力でするということだよ。


ジャック・バウアーは忙しい

2006-09-20 | テレビ・映画・芸能
アメリカのTVドラマ『24(twentyfour)』を見終わった。最近では同作品のシーズン5のDVDのコマーシャルがやっているがまあ、よくある冒険活劇だ。
題名どおり24時間の話で、1話1時間、24話まである。夜中0時から次の日の0時まで休まず眠らず動き続ける。このドラマの実験的な部分はリアルタイムにあわせてストーリーが進行すること。つまり、あいだのCMの時間を忠実にドラマ内の時間と合わせる。放映中やたらとデジタル時計が写って、話の終わりは必ず59分59秒→00分00秒ってなる。

舞台はカリフォルニア州、初の黒人大統領候補の暗殺計画をつかんだCTU(テロ対策ユニット)とそこのチーフ、ジャック・バウアーが主人公。
金もあり周到な計画を用意したテロリスト犯を相手に休む暇がない、見てるほうがどっと疲れる。

全話見終わるのに2週間くらいかかったのに、ドラマの中では24時間しか経ってないのだ。実際には1週間で2話ずつ収録したらしいが、6話くらいまで同じ服着てるのも大変だったろうなあ。

本当は組織のリーダーだからデスクに座って命令を下していればいいのだろうが、ジャックは違う。っつーかこれはストーリーによるものだが、最初から落ち着く暇はない。毎回ぎりぎりのピンチを迎えてスーパープレイを繰り返して機転を利かせて乗り越える。

こんな疲れるドラマは見たことがない。それなのに、次の話が待ちきれなくなる点もすごい。要するに見始めると中毒症状を起こす。
なんかこの感覚、以前もあったような、、、と、思い返してたら、そう、シドニィ・シェルダンだ。あれも中毒になった。とすると、あれといっしょで忘れちゃうのも早そうだ。

とはいえ、もうすでにシーズン2が見たくて仕方ないのが悔しい。
ちなみに、登場人物中、黒人大統領候補役の俳優がすばらしい。ものすごく味がある。


世界で3人に1人は戦時下に暮らしている!

2006-09-07 | 読書
面白い本を借りた。ジェシカ・ウィリアムズ著『世界を見る目が変わる50の事実』草思社 
表題はその中の一つ。

2002年現在、30カ国が37の武力闘争に関わっておりその地域の合計人口は23億人弱だという。この37の紛争はいずれも1000人以上の犠牲者が出て初めて紛争と認定されており、それより犠牲者の少ないものは含まれていない。

特徴的なのは37の紛争はすべて国家間でなく内戦であること。
しかもやっかいなことに現代の戦争は「第4世代戦争」といって犠牲者が無差別でとらえどころがないという問題を抱えている。

第1世代戦争=規律が行き届いていた。両軍とも整然とした秩序のもとに作戦遂行ができた。
第2世代戦争=19世紀ごろから機関砲・大砲などによって戦場の秩序が弱まった。
第3世代戦争=第2次世界大戦時にドイツ軍が生んだもの。奇襲・陽動作戦が鍵

そして第4世代。もはや国家よりも反逆軍や市民軍の戦いなので、敵として識別しにくい。攻め落とす首都もなく道徳的規律もゆるいし軍服を着ていない。とらえどころがないというのはこのことで、結果として対人地雷など、無差別虐殺の構図が出来上がった。

権力者を消してもすぐ後釜が出てくる、ということは何を持って勝利とするか、ということだ。きりがない、埒が明かないのだ。

なんだか夢も希望も吹き飛んでしまうような話だ。
戦時下に生まれていた可能性が3分の1もあったのかと思うとぞっとする。

表題のほかにも注目すべきコンテンツが満載

*中国では4400万人の女性が行方不明
*世界の人口の70%は電話を使ったことがない
*自動車は毎分2人を殺している
*世界には今も2700万人の奴隷がいる
*死刑執行の81%は3カ国に集中している、中国・アメリカ・イランである

どれもこれも「うそだろ?」って程意外ではない、「さもありなん」みたいな感想であるが、それでも数字として示されるとちょっと衝撃だったりする。


土方歳三は狂人か?

2006-09-03 | 読書
ぼくは新撰組というのが昔から嫌いだった。
それは『竜馬がいく』をバイブルとしていたくらいだから当然の帰結で、その理屈はいくらでも挙げられる。

ところが今回同じ司馬遼太郎の『燃えよ剣』(土方歳三の話)、これに痛く感動してしまった。不覚にも落涙せんばかりだった。
土方歳三に魅了されてしまった。この本だけでなく『新撰組血風録』などの影響もあって、最近ちょっと考え方が変わってきた。

ただしかし、幕末における新撰組が人斬り集団であったことはまぎれもないし、時代に逆行したあるいは乗り遅れた集団である事実も抗いようがないだろう。組員の死因として戦死よりも隊規違反による切腹のほうが多かったというのも、行き過ぎたカルト集団と呼ばれても仕方ない

そしてその異常な集団を作り上げたのは近藤勇ではなく土方だ。近藤は立身出世のみが目標の単純明快な行動原理を持っている。が、土方は生まれついての喧嘩師(と司馬遼は呼ぶが要は殺人嗜好者だろ)、戦って何かを得ることよりも戦うこと自体が目的の男。

まさに異常性格者!
それでも強烈な魅力を持っている。男なら魅了されずにはいられない。坂本竜馬や河井継之輔とは違ったかっこよさ。

大政奉還後もあきらめることなく各地転戦、新撰組古参者が次々といなくなる中、北上し榎本武明らと共に五稜郭を占拠し新国家建設へと向かう。そこで最期を迎えるわけだが、五稜郭のほかの幹部は降伏し捕縛されるも数年で明治政府の要職に取り立てられるなどしている。
8人の幹部で戦死したのは土方だけだという。降伏がわかっていながら死に場所を求めて戦場へ向かったのだ。

幕府が崩壊しようが関係ない、新しい日本といいながら薩長両藩の思惑どおりにことが運ぶ、薩長の野望そこに恭順できないというのが土方の理屈。
彼の中では時代の変遷などどうでもいいのだ。勝ち馬に乗るなんて言葉は彼には思いよりもよらないだろう。
あるいは武士道というのは突き詰めればこういうことなのかな

今まで時代に抗うことを安易にムダもしくは悪と思っていたが、新世界とは抗って生まれることも多いのだろうと思い直した。