石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

人類は月に行ってない?

2003-09-25 | 科学
アメリカのアポロ計画が嘘っぱちであるという話を聞いたことはあるだろうか。ここ数年で急速に広まってネット上でも結構話題になった。
曰く「月は空気がないのに米国旗がはためいてる」とか「コーラ瓶が落ちている画像が映った」とか「影の映り方が不自然」とか、その他にもいくつかの疑問を呈しており、嘘工作をしたのは当時の冷戦でソ連に一歩秀でるためにそして米国とNASAの威信を保つために地球上のスタジオで撮影したのだと。

最初この話に出会ったとき、嘘とか本当とかの事実関係は知らないけど、大体なんでそんな大それた嘘をつく必要性があるのかと逆に疑問に思った。第一そんなもの後々簡単にばれそうだしね。まあ、そんなことがはやるくらい世間は平和に満ちていると考えたほうがよさそうだ。

考えて見れば、アポロ11号が本当だろうが嘘だろうが、21世紀を迎えた今現在の科学技術が火星探査という新たな方向性を向いており、40年近く前の月着陸のことを議論するのはもうすでに歴史的事実の研究、つまりヒトラーは実は自害せずに南米に逃げ出したとかそういうレベルの話題なんじゃないか?地球天文分野ではなく歴史分野?

「月探査情報ステーション」というサイトに上に挙げた疑問への答えがすべて載っているが、こうして答えを晒されるとどうってことないつまらない話題な気がしてきた。


西小運動会2003

2003-09-24 | 教育
今日は先週土曜日の小学校運動会が雨で延びてその延期開催日。でも相変わらず空模様が怪しげ、結局PTAや父兄参加競技はカットされて子供の競技だけを大急ぎで午前中だけで行った。今年はなにやっても天気に祟られてるようだ。

それにしても、昔みたいに騎馬戦とか棒倒しとか復活させる方法はないかなあ?PTAに関わっているとき何度か校長などに話したんだけど、児童の安全第一主義の昨今に現実的ではないという返答、けがしてもいいからやっちゃいましょうよ!とは言えなかった。教育長とかもっと上の人に言うべきかな?今の世の中では無理か。

棒倒しも騎馬戦も当然体の大きい子が有利だけど、小さければ小さいなりに頭を使ってチームワークを使って戦略を練ったりしてそれなりの面白さがあるのに、あれを経験せずに少年時代が終わってしまうなんてかわいそうだなあ。


コペンハーゲン解釈(量子論2)

2003-09-22 | 科学
量子論については前回光(光子)の話をしたが、あれが序章で本当はそこから様々な紆余曲折を経てここに来る。でも面倒なので思い切りはしょることにする。

既出かもしれないが、20世紀の物理を支える2大理論が『相対性理論』と『量子論』、量子論は相対論に比べて知名度が低い。量子論はアインシュタインのように一人のカリスマが作ったのではなく何人かの学者が少しづつ発展させてきたということと理屈がわかりづらいことがその原因だろう。

でも半導体や超伝導など、量子論のほうが生活に密着している。半導体のおかげで我々の生活は飛躍的な進歩を遂げた。ただし半導体の名前は知っててもその理屈を知る人は少ない。これは実は難しいというレベルでなく、専門家にも何でそうなるのかわからないからだ。“何でそうなるのか詳細はわからないがとにかくそうなる″という量子論の解釈を「コペンハーゲン解釈」といって、信じられないがこれが現在最も主流の解釈だそうだ。

詳細を省いているので何かいてるかわからないかもしれないが、とにかく学校で習った物理とはまったく違うある種SFチックな色合いを持っている。物理の教科書にあった原子核と電子の模型図はまったくの嘘ということになる。一部を紹介すると
*電子は普段様々な位置にいる状態が重ね合わせになっているが、我々が電子を観測したとたんに位置が1箇所に決まる(波の収縮)

ちんぷんかんぷん?電子は単なる粒でなく波の性質と粒の性質をあわせ持っていることからこんなことになる(このことは様々な実験結果からそう結論付けるしかないという)。これは「電子などミクロの世界は我々の知っている物理法則とはまったく違うルールに支配されている」ということ。

お馴染みのアインシュタインは上の説に反対した。上の説では電子の位置は確率に支配されることになる(確率解釈)が、物理は決定論でなくてはならないと唱えた。確率解釈というのは「どこかに決まっているが確率的にしか知ることが出来ない」のではなく「本当に決まってない」のだ。この説を認めると我々が今まで積み上げてきた物理化学は根底から崩れる大どんでん返しなのだ。

アインシュタインとコペンハーゲン支持者との論争は長年にわたって続いたが結論は出なかった。コペンハーゲン解釈は「よくわからない」ことを真理だとしているんだから覆すのは難しいだろう。ましてやミクロの世界だから具体的な証拠も出しづらい。

それからも量子論には様々な疑問反論が寄せられるが、なんだかわからないがそうなるという科学らしくない当初の理屈のまま年々発展している。そしてついにエヴェレットのパラレルワールド論が登場する!これは猛烈にSF的で物理学者がこんな漫画みたいなこと言ってていいのか?と思うくらい。でもここから物理学と天文学や化学さらには哲学などとのジョイントが進み人間の文明は自然界のあらゆる現象を統一的に説明する「大統一理論」へと向かってるそうだから大したもんだ。

長くなったので続きはまたいつか。この話題、書いててつらい。でも書きたいという自己矛盾の坩堝(るつぼ)状態。


ホワイトスネイク

2003-09-21 | 音楽
本日東京国際フォーラムにてホワイトスネイクのライブを見てきた。

ホワイトスネイクというのはイギリスのハードロックバンドで今年で25周年のベテランバンド、ボーカルのデビット・カバーデイルはもう52才、でもこの通称デビカヴァがカリスマ的人気を持っている。その他のメンバーはしょっちゅう入れ替わる、特にギタリストはわりと有名なのをゲットしてライブは一種のギタリストショーでもある。

今回はダグ・アルドリッジとレブ・ビーチというギタリストで、言うまでもなくとてもうまい。ホワイトスネイクの曲というのはハードロックの中でもポップスよりの売れ線狙い的なところはあるものの、デビカヴァの聴く人の頭に突き刺さるようなシャウトと超絶ギタリストがエンターテイメントとしての質の高さを確立している。

まあ、御託はこのくらいにして、なんにせよやっぱりライブはいいや!ってこと。ちなみに客席最初から総立ちな中ぼくだけ座っていた。

あと、ホワイトスネイクのキャラクターTシャツで胸に蛇がとぐろ巻いてるのを買ってきたら奥さんに「気色悪いもの買ってくるな」と散々にいわれた。


昔のトマト

2003-09-19 | 読書
漫画「美味しんぼ」を読んでたら興味深いエピソードがあった。ストーリーは昔ながらの甘く香ばしいトマトを探した先で行き着いたのは「緑健農法」(開発者の名を取って永田農法とも言う)によって作られたトマトで、それは現代のトマトしか食べたものにはまったく別物と思えるほど果物のように甘く林檎のような香りを放つ。

よほど特殊な栽培をしているのかと思いきや、石ころの混ざったやせた土で化学肥料を水に入れて少しずつ与えているだけ。しかも水はできるだけやらない。これは原産地であるアンデス山地の気候を模している。アンデスは寒冷地で雨が少ない。

そうやって育てたトマトの根は毛根が無数生えどっしりと根付く。水を十分与えないので茎や葉に産毛のようなものがたくさん生えそれで空気中の水分を吸収する。この農法によるトマトは普通のトマトの30倍ものビタミンを含むそうだ。
現代農法は高度資本主義社会のなかで収量増加のみを追求したため本来の野菜の味をないがしろにしている。根の吸収能力を超える過度の水分・肥料散布は根腐れを起こしかえって本来の生命力を弱めているのだ。

この話を読んで、これは農業だけでなく教育とか経営とか地域社会とか、その他諸々様々な問題の根幹となってはいまいかと感じた。つまり、手間ひまかけることを必要最小限に抑え本来備わっている能力を引き出してやる。

まあ、難しいことはともかく、楽しておいしいものが手に入るのならこんないいことはない。家庭菜園やりたくなっちゃったなあ。


人生は悲しみに溢れている

2003-09-15 | 地域・暮らし
今日、知人の娘さんが交通事故でなくなってお通夜に出席してきた。享年17歳、あまりに若すぎる。
詳細不明だがバイクの後ろに乗っているときに車に引っ掛けられ運転している男性とともに返らぬ人となったそうだ。

葬祭場は制服姿の高校生が溢れかえってある意味非日常的世界だった。みんな泣き叫ぶ声も憚らない、悲痛な空気・・・。

この文明社会の行き着いた先は交通事故といういつ死んでも逆に殺しても不思議ではない過酷な世界であった。そう、車を運転している以上人を轢く可能性は必ずある。身近な人が亡くなるとそのことが心に染み入る。だからといっていまさら運転しない生活は出来ないけど。車が無けりゃ仕事もままならないのだ。だとすると、最も死に近いバイクという乗り物はどうなのだろう?しかも16歳で免許が取れるということに問題性は無いのか?

自分がバイクに乗らないからそんな発想も出てくるかもしれない。バイクで生計を立ててる人からすればはた迷惑な主張だろう。でも、この世の中にバイクが無かったら事故死する人の数はだいぶ違うのじゃないか。せめてバイク免許を厳しくするとかバイク自体の性能を低く制限するとか、対策は講じられないのか。

ああ、たぶんぼくは今身近な人の娘さんが死んだという現実に冷静な判断力をなくしているのかもしれない。同じ娘を持つ父親としてその悲しみに共鳴して物事を客観視できずにいる。
18年ぶりに優勝したタイガースのことも全然頭に入ってこない。

人生も半ばを過ぎたのだから、今後こんな悲しい場面=年下のものが先に逝くことも多くなっていくのだ。いやだな・・・


ギタリストBEST100

2003-09-07 | 音楽
いささか旧聞ながら、ローリングストーン誌で「世界のギタリストベスト100」が発表された。人気投票らしいがいまいち選出基準がわからない。

輝ける第1位は「ジミ・ヘンドリックス」これは何の異論も無い。カレが今のロックギタースタイルのさきがけであったことは文句のつけようが無い。2位はオールマン・ブラザースバンドの「デュアン・オールマン」。正直言ってよく知らない。ギタリストとして優秀なのかなあ?そのわりに教則本とかに登場したのを見たこと無い。

3位に「B.B.King」4位に「エリック・クラプトン」、ここら辺はギター音楽の開拓者でありいわゆる大御所なのでまあ納得せざるを得ないだろう。5位の「ロバート・ジョンソン」はう~ん?神話的?といった感じだが、デルタブルースの始祖としてクラプトンも崇拝している以上仕方ないか。同じ理由で6位の「チャックベリー」もロックンロールの創始者だがら認める。

以下、7位「スティービー・レイボーン」8位「ライ・クーダ」9位「ジミ・ペイジ」もぞんざいには出来ない、それぞれギターゴッドとして一時代を築いたからよい。
10位の「キース・リチャーズ」には異論を唱えたいが、天下のキース・リチャーズに文句を言える人はいまい。キースであることが価値になってたりするから。
さて、そろそろエディ(ヴァン・ヘイレンのギター)かなと思ったら11位は意外に「カーク・ハメット」。こいつはメタリカのギタリストでそのままずばりメタル系ギタリスト。それはないだろ!こんなやつよりエディが下かい!エディは何位なのかと調べたらなんと70位!!
そ ん な ア ホ な !

日本に比べて欧米で人気無いことはよくあることだが、いくらなんでもこれはいただけない。
さらには現代ロックギタリストの神と称される「スティーブ・ヴァイ」が100位以内にいないではないか!?

もちろんあらゆるジャンルのギタリストであればスティーブ・ヴァイもエディ・ヴァンヘイレンも霞んでしまうのはわかる。でも1位にジミヘン4位にクラプトンとくればこれはもうロック&ポップギタリストランクであることは明らかだ。ジャズ・クラッシックギタリストは少ないし。


光とは何か(量子論1)

2003-09-03 | 科学
今ぼくが熱中していることに「量子論」がある。量子論を簡単に言うと「ミクロの世界における物理観」。このときのミクロとは1mmの1千万分の1以下で原子より小さい世界のこと。誤解されそうだけど原子や電子のように量子という名前の特定の粒子があるわけではない。ひとかたまりとして考えられる小さな単位量が『量子』で、たとえば光のエネルギーの場合は「hv」が量子になる(ここら辺は書いていてよくわからない)。

物理・化学は大嫌いだったのに奇跡的な展開だ。『量子論を楽しむ本』というのを読んでいたく感動した。で、そのことをこのコラムに書こうと何度もチャレンジしているが、書いてる途中で難しくなって(つまりどう表現していいかわからなくなる)いつも消去している。何が面白いかというと今までぼくが習ってきた理科とはだいぶ趣が違い、かなり常識から外れた物理観であること、むしろSF的といえる。こんな漫画みたいな結論にノーベル賞学者が取り組んでいるのかと思うと素直に驚く。だって『多世界解釈』=パラレルワールドもこの分野から生まれたんだから。

だからその一部を断片的に書いていこうと思う。まずは光。
物理の世界では光とは何か?という問を昔から論議してきた。かのニュートンは『光の粒子説』を称え光は極小の粒であるとした。それに反するのが『光の波動説』で、例えば二つの光線をぶつけてもお互いを通り抜けるように進んでいくのは光が波の性質を持っているからだというもの。もし光が粒だったらぶつかって進む向きが変わるはずだと。

この二つの説をめぐりずっと論争が続いていたが19世紀になると光が波である決定的な証拠が示される。それが「ダブルスリットによる実験」による『光の干渉現象』というものだが面倒なので削除。さらにこの頃光は電磁波の一種であることが予想される。つまりガンマ線、赤外線、エックス線や紫外線などと仲間であり、目に見えるものが光(可視光)であるとされた。同じ電磁波の中でこれらは波長の違いによって分類される。これによってますます光が波であると言う意見が強くなった。

ところがアインシュタインがとなえた『光量子仮説』によって「光はエネルギーを持った粒の集まりだ」と主張する。光を粒そのものだとは明言していないのだが。ここんところも難しいので詳細は省くけど、なにしろこの光量子仮説によってアインシュタインはノーベル賞を取る。相対性理論でとったのかと思ってたら結構地味な受賞だったんだね。

結局光は粒だったのかというとそうじゃない。だって光の干渉現象は波じゃなきゃ説明できない。というわけで光は粒であり波であるという不思議な二重性を示すことがわかってきた。

こんな意味不明のこと物理で習わなかったなあ。まあ習っても理解できなかっただろうけど。しかしこんなこと書いてたらますます読者を減らすな。

多世界解釈についてはまた次回ということで。あれ、結局量子論に入れなかった?