石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

足元を見る商売

2007-03-28 | 雑記
今日は駅頭ビラ配り。6時半から深谷駅で小島すすむをアピールしてきた。眠いんだけど、早起きすると得した気分になる。

さて、うちのクレーン車の話。いまや珍しくもないがラジコンでクレーン操作できる、そのコントローラが壊れたのでメーカーに問い合わせてみたら新品値段なんと14万8千円!!

ちょっと待ってくれ!ラジコンシステムを導入するってんじゃないんだよ、単なるコントローラだよ!プラスチック製の単純そうな造りのあれが、どうやったらそんな値段になるの?ラジコンオタクなら作れちゃいそうなちゃちいやつなのに・・・

特殊なものだからクレーン本体を買ってしまえば周辺アイテムが独占性を持つのはわかる、それにしたって足元を見るのにも程があるだろ!
頭来たから買ってやんない。といって、困るのはうちなんだけどね。まあ、困るといっても本体のレバー操作すりゃいい話で、贅沢なこともいってらんないか。

どなたかラジコンに詳しいオタクの人、作ってくれませんか?


永世王将誕生によせて

2007-03-21 | 将棋
ついに羽生善治が永世王将という偉業を達成した(王将というタイトルを10期獲った)。すでに達成済みの永世王位、永世棋聖、名誉王座、永世棋王につづき永世5冠ということになる。このまま永世7冠も夢じゃない(あと2つは名人と竜王)、まったく凄い男だ。化け物と呼ばれても反論できんだろ。

相も変わらず飽きもせず将棋をやっている。努力の甲斐なく半端なく弱いと時々書いているが、実際にはほんのわずかずつは進歩しているんだと思う(思いたい)。

「弱い」というのは、将棋の世界を知れば知るほどその宇宙のような壮大さを感じ直しているということで、多少強くなっても世界が広がってけば相対的に己の小ささを感じてしまうわけだ。

将棋クラブやインターネットで以前ほどは指さなくなったが、指すとそれなりの手ごたえは感じるようになった。
将棋というのはまるっきり数学で、数学の得手不得手が大きく影響すると思っていたが、どうもそうじゃない。もちろん、プロになるようなのは飛びぬけたセンスが必要だが、ある程度まで強くなるのは手筋を覚えているかどうかによるようだ。

手筋とは「こう指したらこう指す」みたいなお約束事で、単純に何種類とはいえない。細かく選別したら数千に上るかも。それを実戦や詰将棋や棋譜集などで覚えていくわけだ。だからドカタのオヤジが強くても不思議ではない、IQではないのだ。

最近は「指す」より「見る」がメイン。日曜日のNHK将棋トーナメントは欠かさない。なんか、思いっきりジジイだなあ・・・
(ちなみに18日の今期決勝戦は今回王将戦の挑戦者・佐藤康光が優勝)
で、見てて思った。トッププロも実戦での狙いどころは我々へなちょこアマと同じようなものだということ!

いや、誤解を招いたか?手順=方法は全く違うが、目指すところは初心者が学ぶような「王手飛車取りの筋」だったりするのだ。
まだ表現が安易過ぎるか?例えば飛車の頭に歩を打って、その歩を取ったら王手飛車取りだから取れないとか、王手飛車の筋を避けて不本意ながらこう指し進むとか、そんな基本中の基本を軸にして展開している。そういった解説を見るたびにあたりまえのことだけど、ああ、こいつらも我々と同じゲームをしてるんだと認識できる。

まあ、それが見通せなくて王手飛車を食らうわけだが。その見通しを経験で補っていくのだろう。だから牛歩のようなスピードでもやってれば進歩するのだと、多少勇気を持てた。松井やイチローが今でも素振りをやるように、結局何事も基本が大切なのだ。まあその基本に忠実ってのが意外と難しかったりするんだけどね。


感受性

2007-03-20 | 地域・暮らし
先日中学校の卒業式にPTA役員として出席した。3年前にも一度小学校の役員として出たが、小学校の卒業式とはだいぶ違う。
一番わかりやすい違いは卒業生が大勢泣くこと。小学校でも多少泣いているが、12歳と15歳で感受性の違いがこれほど違うのだなと、実感できる瞬間だ。

言うまでもないが、子供たちを巡る環境は悪化の一途をたどっている。深谷市においてもそれは否定できない。南中でも様々な問題があり、楽観できない状況である。そんな深刻な状況下ではあるが、卒業式に出ると少しだけ安心する。涙を流すこども達を見ると無性に共感が沸いてくる、こっちまで泣きそうになる。一人一人が愛しくなる、応援したくなる。ちなみにわが子はまだ1年生で関係ないんだけど。

そんなこといったら、ぼくの隣の席で、自分の子の卒業では泣かなかったのに今回ボロボロ泣いているのは県議会議員候補の小島すすむ氏。苦しい選挙活動の最中だから感じやすくなっていると見た。ここら辺がこの人の魅力だったりするが。

さて、卒業した彼らに大いなる期待を寄せたい。大いに活躍して欲しい。そして、彼らが活躍しやすい世の中を我々が作らなくてはならない。


All Things Must Pass

2007-03-17 | 音楽
またまたまたThe Beatlesの話。
どうも毎年3回くらいはビートルズの話題を載せてる、しかも内容はほぼ代わり映えないのが情けない。

せがれ(中1)が、英語の授業でビートルズの「Help!」をやった際、ちょっと興味が沸いたらしく「CD聴かせてくれ」と言ってきた。
ぼくが聴き始めたのも確か中2くらいかな、さすが親子!なんて思って、喜び勇んでよしろ選曲の『ビートルズ・ベスト』チョイスバイよしろを作ってやった。

Love me doから始まってPlease please meやイエスタデイ、レットイットビーなど名曲郡、そしてストロベリーフィールズやペニーレインなど渋いところも盛り込んで、「ベストオブベスト」な内容になった。ビートルズは1曲が短いので1枚のCDに20曲も入った。

それを聞いたせがれの感想は「よくわかんね」とか「なんか古臭い」。な、な、なにを~~~~!!!
普段オレンジレンジとか、アホみたいな音楽聴いてるくせに!!

頭にきたので「それはおまえの耳がバカなんだよ」と言ってやったら
「なんでだよ?趣味の違いだろ」と、まっとうな反論。

今こうして文章にしてもぼくのほうが分が悪い論議だ。けれど、人間というのは本当のことを言われるほうが癇に障ったりするもので、
「100回繰り返して聴け!そうでなきゃもうCD作ってやんない!」
もう駄々っ子。

なんか、せがれの成長、そして己の老衰をつくづくと感じ入った。


地方の品格

2007-03-14 | 読書
去年読んだ『国家の品格』に書いてあったこと。
著者・藤原正彦は数学者でもある、あるとき天才と呼ばれる世界的な数学者を育んだ土地を訪れて驚いたという。国はインド、決して猛烈な教育タウンなんかじゃない、寒村という名がふさわしい田舎然とした村にもかかわらず目を見張るほど美しい寺院が建っていたという。
その土地周辺からはその他にもあまたの天才が生まれており、「天才を生む土壌の条件」の第一条として「美の存在」を挙げている。

ちなみに第2が「何かに跪く(ひざまずく)心」=宗教のみならずその地の伝統・習慣・個人あるいは大自然などに敬虔であること。
第3に「精神性を尊ぶ風土」=金銭や世俗的なことを低く見て芸術・宗教など直接役に立たないことを重んじる風土。

これは我々が今後の地域を作っていくうえで踏まえるべき重要な教訓が含まれてると思う。いや、無論今から美しい寺を作れってんじゃないよ。やっぱ文化でしょ!

実は来年度深谷商工会議所の事業で、深谷にある遊休施設を利用してなんかやってくれ、と言われている。ぼくの場合は単純直結に「ライブハウス」みたいな発想に落ち着くのだが、「安直に結論出すな」とのことなので、折に触れ考えている。まあ、そこはかとなくね。

そんなさなか、先月深谷で落語を聴く機会があった。立川なんとかっていう本物の真打の落語家さん。PTAの役割で仕方なく足を運んだのだがこれが予想外に面白かった。「古くからある落語には放送禁止用語が多くメディアでは話せないものも多い」のだとか、だから今回面白かったのか、それとも生で味わう臨場感が感動を生むのか。

でもって、落語家を深谷に呼んで月一とかで講演会やったらどうかななんて考えていた。若い世代にはむしろ新鮮なんじゃないかなって。
真打を呼ぶとギャラが高そうだから新米の勉強中なのを呼ぶ、で、深谷演芸場とかってマスコミにも宣伝して、「落語のまち・深谷」みたいな。

けれど、落語のみではいささか文化事業として広がりに欠けるかな。やはりアマチュア音楽家もやらせよう、ロックバンドでもピアニストでもいいし、そんなふうに徒然考えていたけれど、最も重要で深刻な問題は「集客できるか」と「採算ベースに乗るか」ということ。

集客や採算を考えずに行うなら、それは行政あたりでやってることと同じだ。そして、これらを考えると行き詰る。実際難しいと思うのだ。
天才を育む文化、その文化を育むべき社会構造がないのだろう。

偉大なバッハ・モーツァルトたちが偉大になれたのは、その類稀なる才能を愛したパトロン=大富豪の存在が大きい。あんな酔狂な金持ちなんていまどきいないから。

ってことは?とどのつまり、天才を生むにはもっと貧富の差を生むことに帰結する?それじゃあ弱ったな・・・


伝わる言葉

2007-03-09 | 雑記
ふう~、、、ようやく申告が終わった・・・。ネットで申告ができるというe-tax(電子申告)にチャレンジしていろいろ不手際もあり、かえって手間がかかってしまった。例年通りにやってればなんてことはないのに、市役所で住基カード作ったり、カードリーダ買ったり、いざ送信となったら国税局サーバが激混みで繋がんなかったり。

そんで苦労してやり遂げた結果は透明性の高い納税額って、、、自分はバカなんじゃないかと、思ってしまった。

ところで、地方統一選挙も迫ってきてそろそろ候補者たちにも深刻みがあらわれてきた。県議選と市議選それぞれに関わって今感じることは、地方合併を経ての選挙には、今までの経験則が通じない部分もあるなと。まあ、基本の部分は不変だろうけど、選挙区の倍増に対して誰も安全と言い切れないんじゃないかな。

地域のボスや大企業の社長が応援すれば受かるという昔の単純な構造も破綻したためか、候補者自身が地域で戸別に訪問する方法が多くなった。要は顔のわからない=得体の知れない候補者に投票するほど有権者も馬鹿でなくなったということか。

何年か前から「これからは本物が選ばれる時代」という言葉をよく聴いたが、政治に関してはどうなのだろう。まずは何が本物かという定義が難しくはあるが、ここ最近はあまりに無能な政治家はそっぽを向かれている傾向はうかがえる。それが行き過ぎた批判や追求になっているパターンもありそうだけど。

非常に高い支持率を維持した小泉純一郎前総理に対しては、評価する人批判する人様々ではある。けれど、総理大臣として高支持率を得たというのは素直に凄いことだと思う。きっとそこには学ぶべきものが在るんじゃないか。

小泉総理といって思いつくのはわかりやすく簡単な「言葉」だろう。ボキャ貧などとも言われたが、小学生でも理解できそうなキャッチーな言葉を力強く言い切る、そこには日本人に多いファジーなニュアンスが少ないのかもしれない。これはもしかして、選挙活動を進める上で取り入れるべきなのではないか。

どんなに立派な志も、いかに誠実な意気込みも、発信し伝わらなくては意味がない。PC上できっちりと申告書を作っても送信できなくては仕方がないのと同じだ。だから、候補者はわかりやすい伝わる言葉を、税務署はもっとわかりやすいマニュアルを作ってくれ!


学級懇談会

2007-03-04 | 地域・暮らし
仕事が暇なこともあり、小学生の娘の学級懇談会に出席してきた。出席して驚いたのはその出席者の数!
開始直後はわずか5人くらい、その後2人くらい増えたけど。ぼくらが子供の頃とはまるっきり違うんだね。今の夫婦共働き状況では致し方ないのかね。

まあ、ぼく自身普段参加してないしカミさんも全出席ではないので、欠席者を非難するつもりはない、人にはそれぞれ事情があるのだろう。
ただ、こうした状況下で教師って辛い仕事だなあと、今更ながらつくづく感じ入った次第で。

ぼくの出たクラスはいじめが少しだけ話題に上がって、お母さんたちの議論が色めきたって、少々怖かった。熱くなった人に持論をぶつけるのは火に油を注ぐ結果にもなるので、ぼくは小ずるく黙秘していた。

いじめ自体はありとあらゆる世界で在るもので、根絶などできない。無理に無くせるものではない。で、場合によっては「いじめ」が子供を大きく成長させてくれることも考えられる。数多く在るコミュニケーションの1形態だと理解している。もちろん生死に関わるような深刻な場合は大人が介入しなくてはならないが、そうでないときはこどもに自己解決させたいと思っている。

ただし、親同士の関係において、いじめられた子の親としては感情的になるのは仕方ない。いじめた側はたとえ詳細がわからなくともいったんは謙虚に受け止め頭を下げるべきだと思う。
ああ、将棋と同じだな、攻撃を受け止め力を貯めこちらの攻撃のチャンスをうかがう。要は大局観を持つということだな。

あれ、もしかしたら何を言ってるのかわからない文章になってしまったか。