石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

死と向かい合う

2005-04-28 | 雑記
関係ないけど、今日17号走っていたら中型トラックの横っ腹に『カネタマル食品』と書いてあった。そういう苗字があるかもしれん、カネタさんとタマルさんの共同出資の会社なのかもしれん。それにしても拝金主義丸出しというか、「ナニワ金融道」に出てきそうな社名で驚いた、笑った。周りの目を気にしない関西系の人がやってるのかな?

余談はともかく、兵庫の福知山線の事故で死者が100人を超えた。若い人が多い。10代もかなりいる。電車に乗っていて事故死するというのは相当レアな確率だろう。電車の事故はよくあるが死ぬことは稀だ。

先週、群馬の叔父が亡くなった。心筋梗塞で64歳だった。現代人の感覚ではまだこれからという年齢だけに遺族親族ともに悲しみは深かった。

病気で亡くなるのと事故で死ぬことと、死んでしまえば同じなわけだ。大勢で死ぬのも一人で死ぬのも当人にとっては同じ。違うのは遺された人の感じ方か。 
身内の死と件の鉄道事故を同列に語るのはいささか礼を失するかもしれないが、ぼくの中では両者は同じ重みを持つ。

何が言いたいかというと、犠牲者の親族なら仕方ないがそうでないものは冷静な対応をすべきだと。民放各局のニュースを見ていると毎度のことながら、視聴者を煽る目的の報道に疑問を持つ。

普段は思いもよらないが、実際には死はものすごく身近なところに在る、そんなふうに思い起こす契機となる。
自分の死はどこまで迫っているのだろう?
ぼくはいつまでタバコを吸い続けるのだろう?

下っ腹も見事な放物線を描き、おしっこの切れもめっきり悪くなった今日この頃、ゆっくりとだが着実に忍び寄る【老い】に思いを馳せるのであった。


今年のわくわく市

2005-04-27 | 地域・暮らし
1昨年に引き続き、深谷JCのわくわく市にブース出店しました。
4回目を数えるこの催し、かなり認知されてきたのかなと思えるほど人が出ていた。

売上は仕入れとトントンなので、これで稼ぐ気もないが、しかし、疲れる。毎回ぐったりする。今回は今までよりもスリム化し重い商品は省いて持ち運びの手軽なものに絞ったのだけど、まだ負担がある。

何かもっとうまいやりかた無いかなあ?ちょこっと持ってきてどーんみたいな。

今回は他業種のブースが面白かった。建設の小型ユンボを使ってのUFOキャッチャーとか、折りたたみ椅子の手作り工房とか、風船やビー玉の無料配布もあった。バス屋のミステリーツアーが盛況だったのも意外だった。

これはまだまだ進化の余地があるね。


市政報告会の報告

2005-04-23 | 政治経済
すっかりあったかくなりました、毎日眠い。先日深谷市議会議員【小島すすむ氏】による市政報告会が開かれた。ざっと感想を書こう。

市政報告会という一見堅そうな集まりに一般市民がそれなりに集ってくれるのは、ひとつには小島さんの人徳もあるだろう、また小島さんが現在市議会の議長職にあることに興味を覚える人もいるだろう。でも、地域合併・郵政民営化法案・中国の反日デモ騒動など、多岐にわたって混乱が続く世の中の動きに皆敏感になってきているのかもしれない。

小島さんの話は、いつもどおり肩肘張らずに飾らずに自分の言葉で表現するので、わかりやすいし親近感を呼ぶ。
地域合併のさなかにおける議長職がいかに激務であったかを感じた。要するに他町議員との融和・相互理解に多くの時間をとられる。元々の議員の仕事もあってのことだから、大変だったろう。

4つのまちをひとつにするのは当然ながらスムーズに行かない。それぞれの思惑があり面子がある。そういう場面では合理的思考より小島さんのようなごり押し思想が必要とされるかもしれない。すべての人が納得するなんて土台無理だから。

それにしても、話にこそ出なかったが、政治家というのは怨念のぶつかり合いのような仕事だなあと思った。つまり、結局人間はお金に振り回されて生きている、それが最もわかりやすい世界が政界なのじゃないかと。そんな夢も希望もないことをつくづく感じてしまった。

「いや、金がすべてじゃないよ」なんてせりふはお金持ちしか言わない。

なんか、いやなコラムになってしまったが、市政報告会は埼玉国体の天皇陛下との会話とか、合併裏話とか、すごく面白くて盛り上がりました、誤解の無い様に。


反日

2005-04-19 | 社会・出来事
中国で起こっている反日デモ、正直言って非常に気分が悪い。上品に言えば誠に遺憾である。

これに冷静に対応しなくてはならないのはわかる。国益を考えたらその方がお得だし、国家的威信という面からも大人の対応をすべきだろう。
中国が自国政府への反感をかわすために仮想敵国として反日教育を行っており、その努力が花開いたということだろう。

それにしてもあんなに大勢に嫌われてるのか?デモに参加しない市民でも「参加したい気持ちはある」とかほとんどが言ってるのか?それを黙認しちゃうのか?国として。もう文明国云々のレベルじゃないぞ!

だがしかし、今回のこの騒ぎを制御できない中国共産党は本当はあせっているのかもしれない。あのデモが政府に向けられたとき、もう誰も止められない。そして、10億人が無政府状態になったら近くにいる我々日本も非常に危険な状態になる。

最初から危険極まりない北朝鮮もあるし、いつまでも平和気分ではいられないのだろうな。


ブラック・ジャック

2005-04-12 | 読書
何度か書いたけど、ぼくは手塚治虫の『ブラック・ジャック』をこよなく愛している、子供の頃はバイブルだった。
絶対自分の子供に読ませてやろうと当時の単行本をとっておいた。そしてぼくが感動を覚えた小学高学年になったので読ませてみた。

「まあまあ」というのがせがれの感想。がっくりきた。
おかしい?そんなはずないのに?!感動の坩堝に巻き込まれるはずなのに!

久しぶりに読んでみたら、う~ん、確かに時代とずれてしまったかもしれない。当時《ヒューマン巨編》見たいな売り文句だったが、今読んでみるとこれはヒューマニティというより浪花節だ。ただ、そこには昭和50年代の人間らしさがあふれているが。

現在アニメとしても放映中だが、原作とは一味違うようだ。昨日やっていた話も結末がまったく違っていた。一言で言えば現代風にハートウォーミングに仕立ててある。原作はもっとシビアで冷酷ですらある。

そう、原作を読むと浪花節の部分と別に、今ほど人の死に過敏でない社会を感じる。「少年チャンピオン」という少年誌に連載されていたけれど、よい人だろうが悪い人だろうが子供だろうがよく死ぬ話だ。その死に対し、不必要に泣いたりしない。クールに対応する。ここら辺が当時の小学生を魅了したポイントかもしれない。

ブラック・ジャックに限らず手塚漫画はキャラクターの個性が豊かで、何より表情が生き生きしている。うれしいとき、哀しいときの表情の作り方がとてもうまい。こういうのは時代に合致しないのかもしれない。

そんなことないか、10年20年くらいで人間性がさほど変わるものでもないな。単に自分のせがれが自分と違う感性を持っていたことにショックを受けたのだろう。


まとめて読書日記

2005-04-07 | 読書
ここのところ続けて最近はやりの本を読んでみた。

?リアル鬼ごっこ 山田悠介(著)
スピード感は認めたい、でも、それがすべてかな。入り込ませる魅力はあるのだろうが、決して奇抜な発想ではないし、漫画のほうが面白いものがたくさんある。こういう本が売れてしまうこの国の嗜好を疑う。

?インストール 綿矢 りさ (著)
こちらは同じティーンエイジといえど、さすがに芥川賞作家、文体が稚拙ながらも技術を持っていると感じた。ただ、《感動》には程遠い。いささか偏見もあるけど、女流作家に感動したことないな。
あ、アゴタ・クリストフは女性か、じゃあ一人。  *アゴタ・クリストフ=『悪童日記』等

?電車男 中野一人 著
掲示板サイトの恋愛ネタを本にまとめたので中野一人というのは架空の名前。一応ノンフィクションになるのかな。笑えるせりふが多いのでまあまあか。それにしたって某巨大掲示板をある程度知らないと意味がわかんないだろうな。ストーリー(?)はどうってことない。けど、秋葉系オタッキーが掲示板上でいろんな人からの助言を受け好きな女性をゲットするまでのやりとりにリアリティを感じる。まあ、正直言うとぼくはこれ、フィクションだと思っているが。

こういう一連のニューウェイブ(死語か)に触れて、あらためて村上春樹の偉大さ、司馬遼太郎の奥深さを感じることができるってわけだ。

しかしなんだなあ、司馬遼と読み比べちゃうといかに現代人がふにゃふにゃの精神構造になってしまったかを実感できるなあ。


血洗島の由来

2005-04-05 | 地域・暮らし
昨日は《深谷岬塾》、武士道の岬龍一郎先生をお招きして勉強会を行った。
その中で先生が「深谷にある血洗島という地名について説明できるか」と聞かれた。確かぼくの知る限りでは戦で人を斬った刀を洗ったことに由来しているときいたが、「地が荒いから」という説もあるそうだ。

さっそくネットで検索してみた。
ところが、どの説も上記と同じような説ばかり。戦というけど大体いつのどの戦かがわからない。どのサイトも血洗島の地名の由来よりもそこを出身地とする渋沢栄一のことしか出てない。まあ重要度から言えば当然だけど。

また、京都にも「血洗町」という地名があって、ここは源平合戦の折に討ち取った平家の首を洗ったという伝承があるそうだ。もうひとつ「血洗いの滝」という滝もあり、これはスサノオがヤマタノオロチを斬った刀を洗ったというのが由来になっている。

そういえば深谷には「手計(てばか)」という地名もあって、これにも「昔戦があって手ばかり流れてきた」なんていう話がある。
岬先生に指摘される前からぼくもこれらの地名を気にはなっていた。住む場所がそんな不気味な名前でいいのか?という疑問である。

ところが、深谷育ちの人は意外と気にしないようだ、「何がそんなに気になるの?」的な態度である。
官僚が何も考えずにつけた地名だから深い意味は無いんだよとクールな意見をもらったが、《血》という漢字を名前に使うか普通?よっぽど何かないとつけないだろう。もし無理やりつけられたら住民だって反対するだろうに。

それとも、ぼくの反応がヒステリックで実際どお~ってことないのかなあ。
それか、何か地域的なアンタッチャブルなことに触れてしまったのかも!消されちゃったりして!