石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

ブログの昨今

2013-07-29 | 雑記
ぼくはブログを書くのと同じくらい人のブログを読むのが好きです。

今やツイッターやフェイスブックなどSNS全盛であり、「今時ブログかい?」みたいな声も聞かれるなか、読書と同様いやそれ以上の時間を割いてブログを読んで書いています。

面白いブログを発見するためにこそツイッターをやめないでいるとも言えるかも。

ただし、ブログに限らないけど、ネットのものってすぐ興味持つのだけどあっという間に飽きるんだよねw
去年隅々まで読んでいたブログを今年全く開いてないなんて状況も。

あ、このブログは飽きる以前の問題でして、同じ土俵では語れませんが(笑)

人気ブログのありがちな特徴として「過激な表現」というのがあるのでしょ、特に偉い人や有名人を過激に貶すような文章には人が集まってくること多いようで。

これはツイッターなども同様で、フォロワーが多くなっているのは過激系ツイートゆえ、なんて人も珍しくない。

政治家を馬鹿扱いしてて、それをリツイートするぼくも同罪だからそういう人を非難するつもりは毛頭ないのだけど、最近その傾向が極めて顕著であまり良い感じはしない。

政治家の政策を非難するのはアリだけど、人格やら容姿などをあげつらうってのはどうなの?ってこと。まあ人気ブログはちゃんと内容が濃くて、何を否定しているかという記事の本旨がしっかりしてるのだけどね。それでも「死ね!」とか大の大人が平気で使うのは読むに耐えないものがある。

無論本気で「死ね」と言ってるわけじゃないのはわかるのだけど、記事を装飾する単語の一つとしてそれを選択することに以前より嫌悪感が生まれてきた。

時代とともに言葉の使い方は変わっていくものだし、もしかしたら言う方も言われる方もさほど気にしない風潮に向かっているのかもしれない。

けど。
もしそういうのが将来いつでも誰でもどこでも挨拶代わりに使う慣用句になっちゃったら、嫌だなあ。


ネットで拾った画像集

2013-07-26 | 雑記
今回は達人技を中心に。画像をクリックすると大きく見れます。

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まずは流木で作った馬。こんなうまい具合に形のあった流木あるのか?ちょっと怪しいな。

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そして針金細工の盆栽。

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木彫りの枕とたんぽぽ!すごいっ・・・。

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トランプで作ったビル群!思わず飛び込んでみたくなる。

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カフェラテアートっていうのかな、今や3次元の作品もあるのだね。

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そして最後は我が国日本らしさの出た田んぼアート!違う種類の植物を絵の輪郭に植えるんだとか。

器用な人、多いっすね~。


『夢幻花』東野圭吾

2013-07-23 | 読書
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内容紹介
黄色いアサガオだけは追いかけるな―。この世に存在しないはずの花をめぐり、驚愕の真相が明らかになる長編ミステリ。


相変わらずうまい!東野圭吾、たまに読むのだけど、ここまで高い質を保って新作を出し続けるって、一体どんな人なのだろう?

「心に深い楔を穿つ」ってほどではないので読んで数年すると忘れちゃうんだけど、スラスラ読めて先が気になってやめられなくなるのは物語の魅力として充分過ぎる合格点でしょ。

まあ、うるさいことを言えば其処彼処に突っ込みたいところ無くはないのだけど、そこは推理小説、大目に見ます。

今回特筆したいのはストーリーに沿った形で根底に潜む裏テーマ。

ストーリーの流れに上手く合わせるように最後「原発推進」を高々と標榜するのです!その自然さ加減がね、プロフェッショナルだなあ、と。

ぼくも常々思ってた原発観だったのですんなり受け入れられたのかな。逆に言えば反原発の人には反感を抱かせるかもしれない、そこを摩擦を恐れずあえて書く、プロですよ。
(原発の是非についてはまた別の機会に)

今迄東野圭吾にはその物語の軽い質感と作品頻出度から赤川次郎を連想してたんだけど、ちょっとイメージ変わったかな。

とても読みやすいのでオススメです。
ぶっちゃけて言うとセリフの部分だけ読んでけば理解できちゃうかも。

あと、どうしても口に出すと「東野幸治」と間違って言っちゃうんだよなw


深谷で国選投票率が低いわけ

2013-07-20 | 政治経済
参議院議員選挙が公示されました~小島すすむ通信
深谷市長のブログにあった記事。

参議院選と言えば投票率も気に掛かります。
と言うのも、深谷市はここ最近の参議院選挙で、
ずっと投票率が県内ワースト1が続いているからです。



多数ある埼玉県市町村で深谷市がビリってのはねえ、素直に恥ずかしいしナントカならないかなあ。
市内の子どもたちがこの事実を知ったら、少なくとも尊敬はされないでしょう。

ってことでこの記事を喧伝したりしたけれど、参院選が公示されてのち街の様子を観ててこりゃ仕方ないかなって気にもなった。だって全然選挙の空気伝わってこないから。
テレビ観てないと選挙中なのを忘れてしまうほど。

実際7人の候補者の姿、ほとんど観てない気がする。来てるのかもしれないけど、どう考えても貴重な活動期間を県南に向けたほうが票につながる、合理的ってことでしょ。

政党の街宣車は走ってるけど、やっつけ仕事な感じ。
自然と関心は薄まるし投票率も下がっていく、投票率の低い地域には候補者も足が向かなくなるだろうし悪循環だ。

同じ埼玉県でも県南と県北は別地域というイメージが強い、南は半分東京みたいな所、こちらは利根川超えたらすぐ群馬、太田市や伊勢崎市といったそれなりの都市が便利だしね、そりゃ違うわけだ。

選挙区の地域割りに問題があるのでしょうか?

というか、「今さら何言ってんだ。それで長年にわたり揉めてるんじゃないか。」ってことか?区割りってそんな難しいこと?


グレン・グールド

2013-07-17 | 音楽
グレン・ハーバート・グールド(1932年9月25日 - 1982年10月4日)は、カナダのピアニスト。
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マタイ受難曲や無伴奏チェロ組曲に傾倒したあと、最近よく聴いているのがこの人のバッハ。ピアニストの良し悪しってよくわからないのだけれど、聴き始めるとなんとも言えぬ不思議な魅力にとらわれる。

なんだろう、ショパンのような華やかさとは対極にあるのに素朴な味わいが心地良い。無駄を一切加えない小気味良く潔いメロディ。演奏自体は超絶技巧で派手だけど。
バッハが凄いのかグールドが優れているのか?両方かな。

調べてみたら、かなり変わり者だったようだ。

◆1955年にJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」でレコードデビュー。クラシックのレコードとしては記録的なヒットを飛ばし、現在でも売り上げランキングの上位に居座る
◆演奏時、父親が作った異様に低い椅子以外には座らない
◆演奏中・録音中は極端な猫背姿勢。よく鼻歌を歌う、どんなに注意しても終生治らなかった
→グールドのCDには『グールド自身の歌声など一部ノイズがございます。御了承下さい』と注意書き
◆演奏中に空いた腕で指揮をする
◆独自の拘りゆえバーンスタイン等超一流の巨匠とのトラブルが絶えなかった。
◆バッハを好んで演奏した一方、モーツァルトに対しては「夭逝したのでなく死ぬのが遅すぎた」と揶揄
◆ショパンやリストにも否定的見解
◆ロックなどは完全否定→ビートルズを「ナンセンス」と言い切る
◆夏目漱石の『草枕』の愛読しておりいつも枕元においていた。ラジオで朗読したことも
◆NASAが1977年に打ち上げた惑星探査機ボイジャーには、異星人への地球人からの挨拶としてグールドが演奏したバッハの『平均律クラヴィーア曲集』が積み込まれた。

グールドは自閉症あるいはアスペルガー症候群とよく似る性癖を示す、高度な精神活動を行う高知能者ギフテッドだったのではないかと指摘されている。
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youtubeでたくさん聴けるので当分楽しめそう。


『ハルモニア』篠田節子

2013-07-14 | 読書
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内容(「BOOK」データベースより)
再生か破滅か。神秘の能力を持つ美少女がたどる奇跡の物語。脳に障害をもつ由希が奏でる超人的チェロの調べ。それに魂を吹き込もうとする東野の側で、不可解な現象が相次ぐ。傑作ホラー長篇、直木賞受賞後第一作。

ホラー、なのかな?

篠田節子の作品5つ目かな。相変わらず救いのない怖くて悲しくも美しい物語だこと。たまには肩の力抜いて軽いやつ書けばいいのに、とかおせっかいな感想。

すごく文章がうまくて、でもそれが逆に人物の輪郭を淡くしてしまってるような印象をいつも受ける。いやそうは言っても面白いんだけどね。今ひとつ「どっぷり飲み込まれるような感動」ではないんだなあ。

チェロが主題材であることで買った本なので、諸々の名曲が出てきてそれはそれで満足なんだけど。途中からは無伴奏チェロ組曲が中心に話が進むのも申し分ないしね。

サヴァン症候群が類まれな才能を引き出すってのはさほど珍しくはない。ドラマなどでよくあったような。と思ったらこの話自体ドラマ化されてたw

でもこの本ではそこをよりクローズアップして生々しくおぞましいまでに表現している。

そして、芸術の遥かな高みを求めたその代償は・・・ネタバレはやめますw

ハルモニアーは、ギリシア神話の女神で、調和(ハーモニー)を司る。
物語はこの「ハルモニア」=音楽の神に出会うことを望んだというわけだ。才能のある人も大変だな。

はぁ~、才能なくてよかったわ。


遠くない未来

2013-07-11 | 科学
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上記はグーグルグラス。音声で命令するとレンズ上にモニタ画面が写る新世代の端末。商品としてもうすぐ発売されるんだと。

「ドラゴンボール」のスカウターみたいなものかな、こんなSFチックなものがすでに製品化されている!いずれはコンタクトレンズのなかに機能を入れてしまえるのだとか。グーグルグラスをかけて街を歩くのは勇気がいるけれど、コンタクトなら誰にもわからないじゃないか。

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そしてこれはエモーティブ社のエポック、音声もいらない、直に脳波を読み取って電気信号でコンピュータを動かせるという。
なんと、これでロボットアームを動かすことに成功しているとか!

これらはいずれも『2045年問題』に紹介されてます。

何を言いたいかというと、コンピュータと人間のインターフェイスはすでに入力出力のような動作次元ではなくなっていく、いや、もうすでにまるで「人間の機能の一つ」ってほどにまで進化しているのです。「メガネは顔の一部」ってくらいにPCも体の一部ってこと。

たとえば、ちょっと前に記憶について記事を書いたけど、いずれあんなのはナンセンスってことになろう、だって頭のなかでデータ検索→サーバに接続→瞬時に検索結果表示、なんてことができるのなら記憶力って概念が不要でしょ。

つまり将棋もサーバに接続してれば自在にソフトの手筋を再現できてプロにも勝ってしまうかも、ってレベルでしょ。
PCいじってないで歩きながらでも常にウィキペディア見れるわけだ、超天才やん!なんとも恐ろしい世の中になりそうだ。

で、この話の肝は遠い未来じゃないこと!我々が生存中に起こりうる事態なのです。

前回の記事で「A.Iと人類が争うとは思わない」と書いたのは要するに人間の意識とA.Iが少しずつ融合してしまうと思うからです。コンピュータの中に意識をアップロードする技術については以前書いた通りあと数年で実施段階って言うし!

人間がPCに取り込まれるのか人間がPCを取り込むのか、そこはよくわからないけど、幸福であるならばどっちでもいいかな。

まあ、いささか楽天的過ぎるかもしれないね。
貧富の差があればそこには新技術の恩恵を被れる人とそうでない人が出てきそうだし、全人類の幸福より自国の安泰を第一に考える人のほうが多そうだしね。

なんかね、もうまもなく!ものすごい社会の変化が見られそうで。怖いような期待したいような。


A.Iが人類を支配?

2013-07-08 | 科学
先日ウイル・スミス主演の『アイ・ロボット』をテレビで鑑賞。3度めかな。わりと好きな映画なので観るんだけど、以前とは鑑賞後の感想は180度違うのですよ!

*T.P.ホーガン『未来の二つの顔』
*『2045問題~PCが人類を超える日』
そして*将棋電王戦

これらを踏まえた時、以下のあらすじがナンセンスに感じるのでした。
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Amazonレビュー
ロボットが社会の一部となりつつある2035年を舞台にしたSFアクション。「人間に危害を加えてはいけない」などロボット3原則を守っていた家庭用ロボットが、殺人事件の容疑者となる。“ロボット嫌い”の刑事と、人間に近い感情を持つ最新ロボット「サニー」の攻防とともに、ロボット開発会社にうごめく陰謀や、進化したロボットの恐怖が明らかになっていく。



進化したA.Iが人類を支配するというすごく使い古された題材は、大抵敗勢の人類のなかからヒーローが現れて奇想天外な方法で逆転ってパターンでしょ。


まずね、超進化したA.Iが人類と張り合うってのがおかしい。そんなに優れているのなら同じ土俵で勝負しないやん、そもそも「勝ちたい」とも思わないだろうし支配欲なんて人間特有のものやん。

この映画のように「地球を破壊し続ける人類を管理する」ために反旗を翻すというのはあったとして、武力で戦ったりするかな。もっと合理的で消耗の少ない方法を選ぶと。どんな方法かは我々が考えつかないもの。

だって人間が想像できる範囲だったら超進化とは言えないしね。

だからこの映画のようにマザーコンピュータが「人類を支配します」と断言した時は逆らわずそれに従うほうが人間にとっても地球にとってもより輝かしい未来へと進める、と思うのです。

映画『マトリックス』でも培養カプセルから出ないで夢を見続けてたほうが絶対に良いと思うわけです。エージェント・スミスになんか関わりたくないしねw

こういうの、危険思想かな。

とはいえ、実を言うと将来においてPCが反旗を翻すってのはぼくは無いと思ってます。それについては次回。


『2045問題~コンピュータが人類を超える日』松田卓也

2013-07-05 | 読書
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内容(「BOOK」データベースより)
2045年にコンピュータの能力が人類を超えるという説がある。実際に、近年のコンピュータの進化はその説に沿っており、またいま欧米では人工知能開発に一層の拍車がかかっている。意識を備えたコンピュータが人類を支配するというSF映画の世界が、現実になるかもしれないのだ。コンピュータと人類の未来を展望する。

5月に行われた将棋電王戦、以来しつこいくらいA.I進化の人類への影響を書いてきた。未だに漠然とした不安に苛まれてるからだろうか。

で、ネットに目を向けると同様の観点で論じてる人も少なくないことがわかった。
2013-06-11 日本将棋連盟の“大局観”が楽しみ(Chikirinの日記)
上記は有名人気ブロガーのブログで、ぼくと違ってしっかり関連図書を読み関係者と語り理論武装して書いてるので、説得力が天地の差。

その中で知ったこの本、迷わず飛びついた。自分の想像を確認でき、更には自分の想像を凌駕した驚愕の事実や仮説にも出会えた。

やはり将棋ソフトなどに留まらず、A.Iはあらゆる分野で(芸術でも!)人間を追い越してしまうのだなあ。それも遠くない未来に!

A.Iが人類を超えるのが2045年であるという説が話題になったことで本書が取り上げたわけだが、もっと早くに超える説もあるしもっと遅いという人もいるらしい。

だけど単純に自分の半生でおきた科学技術進歩を顧みても、加速度が付いていることは明らかで、ぼくも2045より早く超えちゃいそうな気がする。何を持って「超えた」と判断するかも微妙だけど。

ぼくが以前述べた「政治すらA.I任せの時代が来るのか」ってのも遡上に上がっている、これは大まじめに米国やEUが開発しているらしい。著者も国家予算配分をコンピュータに任せるべきだとまで述べている。

確かに圧力団体や利権や体面に振り回されずに常に冷静に予算配分できるなら究極の平等と言えるでしょう。しかしねぇ。正義が必ずしも幸福とは限らないわけで。理不尽な政策が結果的に幸福を呼ぶことだってあるんじゃないか。

いや、まあここで幸福に言及すると論点がブレブレになっちゃうんだけどw

たとえコンピュータに興味なくても一読の価値はあると思います。
そしてすっかり魅了されてしまったので、別の記事であらためて書き続けます!


記憶の仕組み

2013-07-02 | 雑記
もうね、うんざりするくらい記憶力弱いです。もともと弱かったら気にしないがここ数年でガクッと落ちた気がするので。

前にこんな記事を書きました。
「名前が出てこない件」よしろコラム2012.11.16

この中で老化による記憶力後退と触れたけど、実はそうじゃないという説があります。糸井重里(だったかな)が書いていたのだけど、ウル覚えだけどw

「記憶が不確かになるのは老化ではない、40歳の人は20歳の人より2倍の記憶をすでに有してるのだから記憶の空き容量が少ないのは当然」

ってな具合だったかな。

随分前に読んだんだときは、深く納得した。確かにそれはあるかも。しょっちゅう読書してネット見て、将棋指してその定跡をさらったり、最近はチェロを懸命に覚えたりオーケストラの曲を覚えたり。これじゃあまり興味のない芸能人の名前なんぞ消えるわなw

しかし、これが本当に興味のないことを忘れてくれるならいいのだけど、覚えなきゃいけないことを忘れるから問題なのであって。

久しぶりに将棋指したら、見事に詰み手筋や定跡忘れてました(笑)
読んだ本も観た映画も片っ端から忘れてる気がするし。

で、変なことばっか無駄に覚えてたりして。
この効率の悪い取捨選択をしてるのは誰かってことですよ!(潜在的オレかw)