石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

深谷市議会議員選挙終了

2003-04-29 | 政治経済
選挙がようやっと終わりました。

そして小島すすむは堂々の第3位!2367票!大勝利!今回はJC活動並に、もしくはそれ以上に熱を入れたのでとても感慨深いです。青年会議所活動と違い結果が第何位という形で如実に現れるため充実感も大きいです。

深谷市議で初めて選挙宣伝カーを使わないこと、スタートの出遅れ、後援会用紙回収の遅滞など様々な不安要因がありました。逆にその危機感がプラスに働いたようです。

終わってから思ったことは、この一連の選挙活動をデジカメで記録してこのHPの「地域レポ」として掲載すればよかったなあ、と。それほどユニークな活動でもあったから。また、なかなか経験できない出来事でもあるし。

今回の大勝利についていろいろな意見を聞きます。なんといっても候補者のがんばりだ、活動員のがんばりだ、候補者の日頃の付合いだ、等等。
でもぼくはこう思いたい。「これは深谷市民が選挙カーに対してNOと結論つけたのだ、またそれを掲げた小島すすむを認めたのだ」と。

立候補届け申請の様子、集計所の様子、またその他活動中の様々な体験についてはまた後日書きましょう。


「俺にも言わせろ!」投稿コラム

2003-04-18 | 雑記
またまたコラムの投稿がありました、ありがたい限りです。今回のはとてもストレートで明るくさわやかなコラムなのでほとんど原文のまま楽しんでいただきます。なお、本人の依頼で作者は匿名です。

新村教コラム補助要員のTです。
今回は最近経験している事で刺激的!!!な事を報告しようと思います。それは深谷青年会議所の創立40周年記念の事業で、ミュージカルの出演者を一般に公募して青年会議所の脚本で公演するのですが、本来ミュージカルとかバンドとかの方面には否定的?(体が受け付けないと言う意味ですけど)な自分が参加するはめになったことなのです。(現在9月の公演に向けて練習中!)
ミュージカルは観客に向かって伝わりやすいように大げさな身振り手振りと滑稽な表情を浮かべ他の演技者と寒気がするような連帯感で奇妙な発声で声を張り上げる。そんなふうに思っていた!(実際予想に近いものがある)しかしその中には見せるといったことに対して本当に細かいテクニックが含まれてたり、なにより携わる人たちの表情が明るく、楽しみながら本気で練習している事が良く分かる。とくに脚本家のE氏の芝居作りに対しての意気込みは接点の少ない自分にも恐ろしいプレッシャーになって伝わってくる。たぶんあんな人が役者馬鹿と言われるのだろう。

そんな環境におかれた自分は後悔と自己嫌悪に陥る!しかし携わった以上、しらんぷりをすることも出来ない!

そこで自分は今まで築き上げてきたチンケなプライドとカチカチに固まったスタイルを崩して、人前で踊り自分に取って滑稽な表情を浮かべることになる。少々の恥じらいを持つことは芝居に取って大きな欠陥になることは容易に予想できるから!でもいっきに自己を組みかえられないから(大げさな言い方)徐々に自分を崩壊させていく作業に移っていく。そこが快感・・・・・・?

いずれにせよ家族には自分が歌って踊る姿は絶対に見せたくない!今までの家族の中での権威が崩れてしまう~  特に子供たちには・・・・
とにかくこの経験は自己確立をしていく上で生涯の中で非常に重要な位置にあるのは間違えない予感を感じている。

結論!皆さんも自分のテリトリーを自分で狭めずに人に誘われたら大きな声で「ハイ喜んで!」と言いましょう。それは自分に本当に不向きだと思っている程度に応じて大きな経験となるのではないでしょうか?例えばスカイダイビングなど・・・・・・



いいですねえ、三十路も半ば過ぎてからこんなにわくわく出来るのって悪くないよね。人間はいくつになっても青春を楽しめるということかな。


小島すすむを応援する理由

2003-04-15 | 政治経済
ぼくは元来選挙は大嫌いです。いや、選挙に票を投じることは国民としての責務だしなんら否定しません。でも、あの怒涛の選挙活動にはどうしてもなじめないのです。そんなぼくも深谷市議会議員選挙においては積極的に「小島すすむ」を応援してきました。

断っておきますが、小島さんから報酬を受けたことはないし仕事上の便宜を図ってもらうこともないです(以前『いくらもらってんの?』と聞かれたことがあって)。
小島進はとりたてて天才政治家ではないし、人間的にもみなと同じように長所も短所もある42歳です。でも強いて違いをあげるなら、底知れないほどの行動力を持ってます。「なんだ、そんなことか」と思うかもしれないけど、現代において人間の行動力はとても貴重な財産です。頭で考えることはみんなする、みんな様々な知識を持ってるし知識を生かしてこうしたらいいのじゃないかと企画立案までは結構誰でもするのです。そこから行動実践に移すことの間には深~い溝があって、なかなか実行できないものです。結果がどうなるか、成功するか失敗するか、失敗したらどう取り繕うかなんて考え始めると実行に移せなくなるのでしょう。ぼくはまさに典型的なこのパターンの人間です。

小島進は結果を深く考えず『とりあえずやってみよう、間違いがあったらそのとき考えよう』と、大げさに言うとそんなタイプの人間です。周りの人間は振り回されて苦労することもあるんですが。そんな人間を市政の一端に加えておくことは誇れる郷土つくり・明るい豊かなまちつくりには有効であると思うわけです。気に入らないことを気に入らない、裸の王様を見て「王様は裸だ!」といえる市議がいるべきだと考えてます。

「でもひとり期待できる議員がいたってそれで市政ががらっと変わるわけじゃあるまい」とよく言われます。そのとおりでしょう。小島進に出来ることは一般人には見えないくらい小さなことなのかもしれない。大きなことであっても目につきにくい抽象的な物事かもしれない。もっと言えばぼくたちが選挙活動に時間を費やすのは無駄なことなのかもしれない。

でも、それでも、たとえ無駄でもぼくたちは諦めてはいけない、地方選でも国会議員選挙でも同じです。選挙じゃなくても生活でも社会でも教育でも文化でも、ぼくたちはとりあえずは諦めてはいけないと思うのです。

こんな風に書いているとまるで小島進は何もしてこなかったかと思われそうだけど、たとえば議員1年目に深谷城址公園の敷石がこぶだし加工のため子供や老人に歩きにくいことを議会で発言してくれた。このことが8年経ってようやく公園敷石前面改修という形になっています。ほかにも深谷市は東部に比べ西部に公園がないことを指摘し2年後くらいに西部公園の施工計画が始まる予定まで漕ぎ着けました。それらすべてが小島の功績だとは言わないまでも市議としてすべきことをしっかりしてきたと思います。


ヴァン・ヘイレンのブートビデオGET!

2003-04-14 | 音楽
嵐のようなわくわく市もようやく終わりました。予想以上の集客もあり天気もよくて成功といっても決して言いすぎじゃないでしょう。今は心地よく疲れてます。

前置きとは違って今回はマニア向け話題です。前回のコラムで書いた「ヴァン・ヘイレン」ですが、Win-MX(ファイル共有ソフト)によってデイブ・リー・ロス時代の貴重なライブ映像をゲットしました。デイブ・リー・ロスというのはヴァン・ヘイレンというバンドの初代ボーカルでぼくくらいから上の世代にとってはイコールヴァン・ヘイレンと言えましょう。『JUMP』の大ヒットによってソロボーカルとなってバンドを辞めてしまうのですが、それまでのライブ映像がほとんど世に出ていないのです。その後のは結構あるのだけれど、ぼくとしては昔からそれが見たくて仕方なかった。

1983年のUSフェスティバルにおいて1ステージ2億円というギネスブックに載った破格のギャラで出演したときの模様です。デイブもエディ(ギター)も若い若い!走る走る!走りながらギターソロをつるつると弾く様は圧巻です。何よりも古いアルバムの地味な曲も演奏しているのが感動ものです。

そのエディを見て前回コラムの「うまいこととよさとは違う」という発言が生まれたのですが、誤解されちゃ困るけどそこらのギタリストよりは比べ物にならないくらいうまいのです。ただ20年前のギターテクニックを今聴いて「すごい!」と思わせるのは容易ではないということです。
でもエディのギターはやっぱり違う、独特のリズム感がそう思わせるのかもしれない。ああ、やっぱりうまく説明できない、とにかくすごいとしかいえないことが口惜しいコラムでした。


うまさと良さ

2003-04-10 | 音楽
ギターがうまいということとうまいギターを聴かせることの間にはとてつもないほどの距離がある。

ギターを弾いてそのサウンドで聞き手に感動を起こすことはギタリストとしての技術とはまた別物だということ。感動するギターサウンドこそが技術だという見解もあるだろうけど。
うまく表現できなくて申し訳ないけど、もっと有体に言うと『ぼくはギターをうまく弾ける自信があるけど、オーディエンスを感動させることにはこれっぽっちの自信もない』ってことかな?逆に下手くそでも人のこころを撃つギターサウンドが存在する。
そんなことを「ヴァン・ヘイレン」を聴きながらふと感じた。あのリズム感のラフさと音質造りのアバウトさをE・クラプトンに下手糞と評価されても致し方ない。そんなギタリストが世界中のギターキッズにとって最高峰だったりするのだから。

もちろんこのことはギターに限った話ではなくあらゆる技術について言えることだとも思う。


生きる

2003-04-08 | 雑記
今日は小学校の入学式、新入生の親としてかつPTA 会長として出席しました。何も考えずに来賓挨拶したら、かなりてこずった!何せ相手はこないだまで幼稚園児だもん。しゃべりながら「あ、ちょっと表現が難しかったかな」なんつって止まっちゃったり口ごもったり言い直したりと散々の挨拶になってしまった!いやあ、思わぬところで醜態さらしたなあ。

式の最中、先生たちを見ながらぼくは中学時代の一場面を思い出していた。
中3の親子面談で先生に将来について聞かれたぼくは「教師になりたい」と答えた。それに対し先生は「教師なんてとてつもない安月給で重労働なんだから、やめといたほうがいいって」といなされてしまった。

その先生は学校でも有名な熱血先生で通っており、その先生に接して教師になりたいという夢を持ったにもかかわらずそんな事言われて、まだ心臓に毛が生えていない頃のぼくはかなりショックだったことを覚えている。

あの時その先生が「大変だけどやりがいがあるよ」とか言ってくれたらまったく違う人生が展開していたかもしれない。どっちにしてもならなかったかもしれない。いずれにせよその後のぼくは将来の希望職種を抱かぬままに大人になっていった。それがよいことか悪いことかはわからない。わからないのだけれど、学校の先生たちを見るといまだになんとも切ない気持ちになる。ぼくの中にいくつかの避けて通った壁があって、これもそのひとつだと思うわけだ。
その一方で「人生どう転んでも何を経験してもしなくてもそれなりにど~にかなる」みたいな哲学も持ってたりもするんだけど。

人生って・・・?なあんてたまには考えるわけです。


桜吹雪

2003-04-04 | 雑記
思わずコラムを書きたくなるくらい桜がきれいだ。今ちょうど現場が唐沢堀の近くなので仕事をしているときにいやがおうにも桜並木が目に飛び込んでくる。
平日でもたくさんの人がお花見がてらの散歩をしている。

ところで、ぼくの行った高校は「市立桜ヶ丘高校」といって名前どおり桜だらけのやまのうえにあった。駅を降りてから桜並木を20分登って到着する。
入学式のときちょうど満開でまさに咲き乱れるという言葉がぴったりの風景だった。15の春のことだ。15歳のぼくはまだ花を愛でるほど豊かな感受性は持ち合わせていなかった。それでもその入学式の桜吹雪は今でも目に焼きついている。学ランの肩に落ちた花びらになんとなく恥ずかしくもうれしくて、心のそこからあふれ出るような明るい希望を抱いたりして。高校生活というのはきっとこの桜吹雪のように美しく華やかなのだろうと、おそらくそんな風に思っていたのかもしれない。もう20年以上昔の話だ。もっとも20年前のぼくにはこのように感情を率直に文章化は出来なかったけれど。

齢を重ねるごとに桜の美しさが増してくる。それはただ単純に美しいということ意外にほんのわずかな間だけ咲き誇る桜の悲哀も含まれているからだろう。