石匠風間ブログ!

読書、音楽、雑学

会津藩に学ぶ

2003-10-30 | 歴史
先日NHKの『そのとき歴史が動いた』で白虎隊をやった。
白虎隊についてはぼくはそれほど興味はなく知識も歴史の授業程度しかなかった。番組で解説を漫画家の黒金ヒロシがやっていて、その解説を聞いて目からうろこが落ちた。

つまり、ぼくは今まで白虎隊及び会津藩について「世の中の流れを読めなかった柔軟性のない人達」くらいに思っていたのだ。そ~じゃない!会津藩と藩主松平容保は幕府の意に従い京都守護職を受けることが新政府に逆らうことになりゆくゆくは破滅へとつながっていることをわかったうえであえて選んだのだ。己の発展よりも親分たる幕府への仁義を貫く選択をしたのだ。

会津藩の生き様は現代の日本人には微塵も残っていない精神美=大和魂を語っていると思った。西部邁曰く「人間には時には命を投げ打っても守らなければならないものがある」。残念ながらぼくも含めて現代人に潔い死に様は期待できない、いざというときは保身のために思い切り情けない姿を露呈するだろう。

だがしかし、先の大戦を顧みれば明白だ、日本人は教育によってはいざというときに命を投げうっても大儀を守ろうとする精神性を持つことが出来る民族だ。そう信じたい。


量子コンピュータ(量子論5)

2003-10-27 | 科学
量子論の実用面で最先端の話題といえば量子コンピュータと量子暗号が挙げられる。

現在のコンピュータはあらゆる情報を二進数の数字に置き換えて計算・処理している、「0」か「1」かがすべての世界。これに対して量子コンピュータは量子論の重ね合わせの原理を用いることで従来のコンピュータには出来ない「並行処理」が行える。従来のが0か1の二種類で判断するのに対し、量子コンピュータは0と1が重ね合わさった状態(0と1の中間の状態、0.5ではないよ)を無数に用意しそれぞれに情報を持たせて計算することで膨大な量の計算を可能にする。

この概念を考えた物理学者ドイチェは「量子コンピュータが並行処理を行えるのは、同時並行して存在する複数の世界で計算が実施されるから。つまり量子コンピュータが完成すれば多世界解釈の正しさが証明される」と述べている。まあ、この概念には反論も多いそうなので鵜呑みできないし、第一量子コンピュータはまだアイデアとごく基本の部品ができただけで完成にはまだ相当の時間がかかるそうだから。

とにかくこの量子コンピュータの高い能力のひとつに「素因数分解」を高速で行えるというものがある。例えば851を素因数分解すると23×37になる。23と37をかけると851になることは誰でもすぐに計算できるが851を素因数分解するには1から851までの数で一つ一つ割っていくよりも早い方法がないとされている。
ところで、現代において最も解読が難しい暗号に「公開鍵方式」がある、公開鍵と呼ばれる素数によって解読できる仕組みで、この素数が何かを調べるには大きな桁の数を素因数分解しなくてはならない。スーパーコンピュータで何千年もかかるので他者が暗号を解読するのは事実上不可能とされている。

だが並行処理が可能な量子コンピュータなら素因数分解を一瞬で行えるので現在のセキュリティシステムが無力化してしまう。そして逆に量子論を用いた量子暗号によってもっと厳重なセキュリティが実現する。
量子暗号はミクロの世界の物質が「観測されると状態が変わってしまう」事を利用したもので、送られる情報を重ね合わせの状態にしたもの。これを盗み見ると重ね合わせの状態が解消されてしまうため誰かが盗み見た痕跡が残りこれを確実にチェックできる。この暗号は量子コンピュータよりも一足早く実用段階の研究に入っている。

5回に渡っていろいろ書いてきたけど、ざっとこんなとこかな。量子論自体を理解するのは大変なことというより素人には不可能に近いけど、最先端の物理学はこんな不可思議なことになっているというのはお分かりいただけたと思う。

最後に物理学者ファインマンの言葉で閉めよう。
「量子論を利用できる人はたくさんいるが、量子論を理解している人は一人もいないだろう」


量子宇宙論へ(量子論4)

2003-10-24 | 科学
ここまで様々な話を載せてきたが、量子論というジャンルがかなり混沌とした未整理なモノであることを感じられたと思う。逆に言えばかっちりと固定されてないことでいろいろな可能性やらを内包した発展性の高いこれからの分野であることも言える。事実原子の中における電子の様子を考えることから出発した量子論は今や量子力学、量子化学、物性物理学、原子核物理学、素粒子物理学などあらたな分野を生み出し発展させた。

そして、理屈だけでなく半導体製品は量子論から発展した物性物理学によって生み出されたといえる。ダイオード、トランジスタ、IC、そしてLSIなど現代のハイテク機器のほとんどが量子論が元となっているわけだ。我々の暮らしを支えているのだ。

さて、理屈のほうに戻ると、空間を量子論に基づいて考える場の量子論は「真空」の概念を大きく変えてしまった。我々は真空を何も存在しない空間だと考えるが、これはすべての状態は不確定であるとする量子論に反する。つまり量子論は「何もない」という状態を許さないのだ。概念的物理的意味での「無・ゼロ」は物理的にありえないということも量子論が明らかにした真実のひとつである。

何もなくないとすると真空には何があるのか?真空では粒子と反粒子が絶えず生成消滅を繰り返していると考えられている。反粒子というのはマイナスのエネルギーを持つ粒子で、実験でその存在が認められているそうだ。で、その粒子と反粒子が生成消滅を繰り返している状態を「真空のゆらぎ」呼び、真空は「有」と「無」のあいだを揺らいでいるのだと。

量子論はもちろんミクロの世界だけにはとどまらない。宇宙の謎にも答えを出そうとしているのだ。
宇宙は140億年前にミクロのサイズで生まれ、ビックバンという大爆発を起こし暴走を続け現在の広大な宇宙になっていると考えるのがビッグバン理論、すべての銀河が地球から遠ざかっていることが観測されたりかつて宇宙が熱かった頃の名残の電波が発見されることでビッグバン理論はほとんどの科学者に信者られている。そしてミクロのサイズの宇宙即ち初期宇宙を説明するには量子論が欠かせないのだそうだ。いうなれば宇宙は無から生まれたことを説明するために量子論が一役買っている、これがビレンケンという学者の「無からの宇宙創生論」、さらにホーキングは虚数の時間に生まれたという「無境界仮説」を唱えた(虚数が絡むとぼくはまったく理解不能)。

こうした理論は「量子宇宙論」と呼ばれ、すべて説明できるわけではないが様々な観測結果を説明できるためにその正当性を高く評価されている。


養老孟司『バカの壁』

2003-10-19 | 読書
を読んだ。とても面白くかつわかりやすく哲学や人間・社会について書いてある本なのですべての人にお勧めしたい。

養老孟司は医学系の学者であり東大の名誉教授でもある、たまに週刊文春のコラムを読むけど、脳医学的アプローチで現代世相を鋭く斬るみたいな一風変わった作家。

その中にこんな記述があった「日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している」、へえ、ぼくだけじゃないんだと素直に驚いた。ぼくもたびたび地球が滅びないかなあとか思った時期があった。結婚して子供が3人も出来てだいぶ違う風に考えるようになった。

希望をもてない、人生に意味を見出せないと考える若者がとても多いそうだ。著者によるとみんなが精一杯働かなくてもよい社会を築こうとがんばり今やそれが半ば実現した、ホームレスになっても餓死することはない、老人の仕事がない、若者も大学で遊んでいられる、主婦の仕事も機器の開発で半減したそういう社会を実現した今、人間一人一人の存在意義が希薄になっているのだそうだ。

読みやすい簡単な単語を使ってその実とても奥深い文章なので、薄い本だけど読み甲斐がありますよ。


投稿コラム「俺にも言わせろ!」

2003-10-07 | 雑記
Tさんからこんな投稿がありました。

「可能性は?」

最近後悔がやけに多くなった!決定事項には必ず分岐点があり方向や目的や結果を求めていくものだが、経験が増すごとにさまざまな可能性が見えてきて結果、当り障りの無い焦点を求めてしまうことが多くなった。
多分それは確立で物事を判断し可能性を求めなくなったからだと思う。可能性を求めると必ず挫折か成功かが結果として出てしまう!であればどちらにもならない「まあまあ」を選択してしまう。

しかし可能性を求めた結果、成功したときの自信や満足感はやはり人として生まれたからには味わいたい満足感でもある。

以前、数ヶ月間放心状態の続いた挫折感を味わったことがある。
昔、自分はバイクのプロレーサーを目指していたことがあったが自分の実力に限界を感じ、諦めた。

その後、自分より実力の無いと思っていたレースの後輩が行方不明になり、あるときTVを見ているとアメリカ選手権の代表として世界グランプリに出場していた!その時、彼は僕がレースを諦めた年齢を遥かに超えていた。

僕は思った!俺に足りなかったものは可能性を求める精神力だと!後輩の晴れ姿をTVで見たとき彼の成功を喜ぶよりも”自分の情けなさ”と忘れていた挫折感が蘇り複雑な心境を味わった!

やはり挫折感を味わうよりも「まあまあ」が良いのかもしれない!しかし挫折感や恥を味わう事の対極に成功の報酬として至高の満足感はどこかにある
のだろうと思っている。それは本気の分だけ挫折感も満足感も大きいのだろう。

だからこそ年齢や経験から来る判断を忘れ何事にもチャレンジしよう~!
多分そこには挫折はあっても後悔は無いはずだから



いつになく内省的な内容で熱くもあり大人っぽくもあり、そして何よりドラマチック!!いやあ、100冊の優れた本よりも一つの貴重な体験こそ宝だね。
次回作を期待しております。


シュレディンガーの猫(量子論3)

2003-10-01 | 科学
さて、シリーズ第3弾は前回までの整理から。電子などミクロの世界では物質は我々の常識とはかけ離れた性質を持っている、電子のダブルスリットの実験などによって粒の性質と波の性質をあわせ持つことがわかった、観察すると粒状だが見ていないときは波のように広がっておりいろいろな場所にある状態が重ねあっているという。

やっぱりうまく説明できないが、科学者にも明快な説明は出来ないのだから仕方ない。とにかく何でそうなるのかわからないが、そうなっているといろいろなことに説明できるそうで、ここから半導体や超伝導などの最新ハイテクが生み出されている。

で、その波を物質波といって、「そういうものがあるらしい」というレベルでの話で観測は出来ない。観測しようとすると粒になってしまうから。量子論の主流を行く『コペンハーゲン学派』はそういった考え方で深く追求することをやめてしまった。

ここにシュレディンガーという学者が登場する。彼が最初に学会に登場するのは「シュレディンガー方程式」、複素数を用いて物質波の広がり方を計算するというもの、これによって量子力学は飛躍的に進歩したのだが、彼自身は量子論に関わったことを後年悔やんでいる。つまりアインシュタインと同じくコペンハーゲン解釈に反旗を翻したのだ。主流量子論に対し彼は有名なパラドックスを唱えた、『シュレディンガーの猫』である。

鉄の箱の中に放射性物質と検出装置それに連動した毒ガス発生機を置く。放射性物質が原子核崩壊を起こすと放射線を出しそれを検出して毒ガスが発生する。この箱の中に猫を入れる。放射線が出れば当然猫は死ぬ、出なければ生きている。外からは箱の中は見れない(猫は生きていても音を立てないものとする)。こうして1時間経った、さて猫の運命は?

猫の生死はふたを開ければすぐにわかる。シュレディンガーが問題にしたのは開ける前の猫の状態をどう考えるかである。1時間以内に原子核崩壊の可能性は50%とする。こういう条件のとき量子論では「原子核が崩壊した状態と崩壊してない状態が重ね合わさっている」と考える。では猫の状態は?これも量子論に基づくとふたを開けるまでは(観測するまでは)死んだ状態と生きた状態が重ね合わさっているという奇妙な結論に至る。

前回も書いたが、誤解しないで欲しいのは猫は生きてるか死んでるかどちらか決まっていてそれを知ることが出来ないのではなく、観測するまで猫の生死は決まっておらずふたを開けたとたんに猫の生死が決まるということ。そんなバカなことがあるかとシュレディンガーやアインシュタインは反論しているわけだ。

さあ、このパラドクスを解く離れ業が『多世界解釈』だ。もととなったのはアメリカの大学院生エヴェレットの論文「パラレルワールド論」。並行宇宙論ともいい、はっきりいって漫画の世界だ、常軌を逸している。

この論によると、世界は可能性の数だけ複数に分かれていく。「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」が並行して存在する。そして我々も「生きている猫を見る我々がいる世界」と「死んでる猫を見る我々がいる世界」に分かれていく。大体これらの前に「実験をした世界」と「実験をしなかった世界」に分かれるし、ああ~、きりがない!

というわけで多世界解釈によって量子論を非常に素直に解釈することが出来るんだって。できるかぁ?詳細は次回、請うご期待。