石匠風間ブログ!

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卒業式祝辞

2015-03-20 | 教育
卒業式シーズンですね、うちも長女が高校卒業でした。
というわけで、6年前中学のPTA会長祝辞を引っ張りだしてみました。

ご卒業おめでとうございます。
これからみなさんは新たな世界へと踏み出します、大人へと一歩近づくわけです。
新しい環境で新しく人と出会い今までにない経験をすることになります。そこでみなさんに伝えておきたいことがあります。難しいことでも目新しくもありません。

それは「人間は卑怯な行いをしていたら幸せになれない」ということ。卑怯な人間は他人に信頼されません、信頼されない人間に幸せは訪れないという単純なことです。皆さんの中ではそんなことは小学校で教わったという人もいるかもしれません。何でそんな当たり前なことを言うかというと大人に近づくにつれ忘れてしまうからです。

確かに世の中は理不尽です。ずるいこと汚いことをして金持ちになる人もいます、けれど金持ちになっても幸せにはなれません、断言できます。そして大抵悪い人間はそしりを受け糾弾され落ちぶれていきます。今までの歴史が証明しています。

もしかしたら「正しいことをしているのに認められない」なんて場面に出くわすかもしれません。でも世の中は必ず見ています。心ある人が必ず公正な判断をしているし信頼できる人間にのみ救いの手を差し伸べます。信頼される人間はおのずと助けられるようになっています、だからお金を溜め込むよりも信頼を得ることのほうが価値が高いのです。故に卑怯を憎み行わないことこそ幸せに通ずる道となるのです。

ただし問題が二つあります、どこからが卑怯でどこからが卑怯じゃないか?これは簡単に線引きできません、正しいか卑怯かという判断は個人の価値観によってまったく違う結論が出たりするからです。その「どこからが正しいか」の判断基準つまりものさしを形作り確固たるものにする必要があります、それはいろいろな人と出会い付き合っていく中で、人間関係の中で育んでいくしかありません。

それから、人間は基本的に弱いものです。たとえ清く正しく生きたいと思ってもわが身かわいさからずるい行動に出たり欲望を満たすために卑怯なことを言ったりしてしまうものです。完璧な人はいないので誰でもそういう経験を持っています。大事なことは自分の弱さを見極め受け止めることだと思います。卑怯なことをして他人を傷つけてしまったら謝るのは当然のこと、さらに今後間違った方向に行かぬよう反省するしかありません。

西郷隆盛が遺した言葉があります。
「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」
現代風に言えば「人を責めるな、尽くしたりない私が悪い」ってことです。ずいぶん自虐的に聞こえるかもしれませんがそんな風に思えれば逆に気分が楽になれる面もあります。他人を憎むのは実は結構しんどいのでこんな言葉を心の片隅にでも置いておけばいくらかでも楽しい人生になると思います。
大変雑駁な話になりましたが、以上を卒業生みなさんへの餞として申し上げ挨拶に代えさていただきます。

う~ん、悪くないんじゃないか?ちと長いがw


埼玉私学保連2013研修会

2013-09-18 | 教育
8/29(木)にラフレさいたまで開催されました。
今回は担当だったので、しかも講演会のあと謝辞を喋らなきゃいけなくて寝てる暇はありませんでした。

というかね・・・全然期待してなかったからか、講演会、無茶苦茶面白かったんですけどw

講師は「寺脇研」先生。

寺脇 研(てらわき けん、1952年7月13日 - )は元文部省官僚。映画評論家。京都造形芸術大学芸術学部マンガ学科教授。コリア国際学園理事。官僚時代にはゆとり教育の主導を担った。福岡県福岡市出身。



テーマは「21世紀を生き抜く」、現代の高校生をめぐる環境が我々とどれだけ違うか?違いを踏まえてどういう教育が理想か。みたいな話でした。

よく以前のゆとり教育を揶揄する話で「円周率を3.14から3にしてしまった」というのがあるでしょ。ぼくもそれ聞いた時「なんてバカなことするんだ!」って息巻いたものだ、でもそうじゃなくて。

「円周率が3だったら正六角形、4だったら正方形になることは図を見れば一目瞭然。ならば3と4の間に円の円周率?があることを間隔でつかめる。さらにはそこから円と正六角形の隙間にできる面積を考えたりしながら3.1だとどうなのか3.2ではどうかを試してみること」
つまり、ただ頭ごなしに3.14と覚えてしまうより自分の頭で円周率を導き出す、そういう教育が必要でしょ、というわけ。

実際の教育現場ではこれがうまく行かなかったのかもしれないが、主張はよくわかる。暗記力がすべての現代日本教育を想像性豊かなものに変えようということでしょう。受験のための教育から本当に身になる学問ってことかな。

今迄の右肩上がりの経済状況なら「競争原理」が教育の主要獲得目的だったろうが、これからの時代下がっていくGDP、よくても平行線なわけで、そんな状況では競争よりも「共生」が主眼となる、という主張。

これも賛同したい。
争っていては国家の安泰は程遠い。主義主張が違えど国民同士がうまく折り合いをつけて共に発展するような道を模索しなきゃダメだ。

この先生、ネットで検索するとわかるけど、
「売国奴」とか「ゆとり教育の首謀者」とか、かなり口汚く批判されています。
ぼくの乏しい経験からすると、批判のより多い人は本物だと思う、よくも悪くもですが。


PTA存在意義

2013-06-02 | 教育
6/1の本庄一高PTA深谷支部総会、続けて6/2埼私学保連総会。これを経てPTA活動ようやく一息ついたかな。仕方ないけどみんな5月辺りに総会なのでこの時期やたらと出かけることになって辟易。

今年は諸事情により特に盛りだくさんだったか。
「呼ばれるうちが花」
とは言うものの、孤独をこよなく愛する男にはしんどいものがありますな。

まあ、孤独を愛すなんて言いながらも、やっぱり人と話をするのは楽しいのでしょう。というか人と接しなければ生きている意味を疑う方向に行っちゃうから。

それにしたってね、おかげでオーケストラ練習、3週連続で欠席!こうなるとさすがに項垂れますよ・・・


実際、高校のPTAの存在価値って問われたらなんも言えない。社会貢献度がわずかでもあればまだしも、ねえ。役員を暦年務めたって数年経てば誰も覚えちゃいないのに。あまり考えだすと暗澹たる気持ちに陥るのでやめておこう。

もっとポジティブに語るなら。
最近強く思うのだけれど、物事を損得で考えることって幸福から遠のくのじゃないか?と。昨今は何事につけ「メリットは何か?」みたいな損得勘定で意思決定する風潮だけど、そこには近視眼的な幸福しかないのじゃないだろうか。

なんか税理士さんに怒られそうな話だけどね。

日常の微細なことはともかくとして、それなりの決断においては損得を捨てるべきだ。むしろ損だと思われることに大きな得が隠れてはいまいか?

と、こうやって無理矢理な理屈で己を納得させる毎日でした。
はぁ~・・・


PTA会長、ご鞭撻いただく

2013-05-18 | 教育
先般の本庄第一高校PTA総会にて25年度も引き続き会長を引き受けることとなりました、「どんだけ好きなんだよ」と言われるも、なんだかなー・・・と返事に窮する^^;
まあ、暇だからいいんだけどね。

さて、懇親会の席で今度は後援会(OBみたいなもの)と一緒になってそこでも挨拶。

その後後援会の妙齢のご婦人と会話していたら
「会長ね、『自分なんか』みたいなことを挨拶で言ってたけど、みんなが選んだ会長なんだからね、やることやってるから再任されたんだし、ちっとも卑下する必要ないじゃない?」とご鞭撻いただく、というかやり込められたって感じか。

「威張る必要はないけどへりくだる必要もないわよ、堂々としなさい」とね。

ああ、そういえばPTAに限らずオレはいつもそんな挨拶をしているなあ。確かに仕事でもないのに何を自虐に走ってるんだオレは!

ということで、はっきり物を言ってくれたことにとても感謝する次第です。

考えるに不必要に卑下した挨拶ってのは、甘えなのかな。46にもなって甘ったれてちゃねw

「不惑」なんて言葉には生涯縁がないのかもしれない。
と、やはり何気に自虐が出ちゃうのですがw

だからって、早々都合よく改善されるものでもないけど、どうあれ挨拶だけじゃなく生き方も含めて考え直すきっかけをもらったのかなと、前向きに受け止めましょう。


くもん講演会

2012-11-22 | 教育
11/2金曜日、くもん式教室で教育講演会を開催した。
毎年やってるのだけど、くもんの生徒の保護者対象で毎回客が少ないから出席してくれと、かれこれ3回目かな。

“子育て”と言える時期はすでに脱している身としてはいささか対象外な観もあり。
それをなぜわざわざ記事にするかというと、今回存外に面白かったからw

「脳科学と発達心理学から見た子育て」と命名された講演は、脳科学専門の先生が柔く話してくれた。

まず坂本龍馬から話に入る。
「坂本龍馬は明治維新を回天させる稀有な才能を自ずと有していたのか?これは坂本自信の能力というより、勝海舟や桂小五郎や西郷などとの出会い、コミュニケーションの中で生まれ育まれていったと考えられている」
「つまり個人のみの能力はたかが知れてるもので、人との出会いの中でより以上の才能が発揮される」

取り立てて新しい話ではないけれど、龍馬ファンとしては実に興味深い。人との出会いそしてそれをどう活かすかによっては凡人も龍馬足りうるってわけだ。

短所穴埋め教育と長所伸展教育ってのも言ってた。無論日本は短所穴埋め型、欧米は長所を伸ばすことに力が注がれるのだとか。まあ、これは日本の受験のシステムが複数の教科での総合力に重点されてる以上仕方なくはある。

けれど、なにか一つの「成功体験」を獲得すると、別の分野でも「何をどうやれば成功に近づけるか」を経験的に実践するそうだ。

つまり、イチローが野球だけ天才なのかというとそうではないということ。別のことに相対するときも、もし真剣に取り組むならば自身の成功体験の中から努力の方向・力の入れどころなど、いわば「コツ」を掴んでいるのでうまくいく可能性高いとか。

そう考えると、一点集中で長所を伸ばすほうが合理的ってことか。

あと、「見つめられる」行為の脳科学的効果というのがこれまた興味深かった。
簡単に言うとじっと見つめられてほめられる、あるいは怒られることにより、大脳辺縁系の扁桃体が強く活性化し、ある種の催眠効果があると知られるようになった。

結婚詐欺師はその勝負所で、じっと目を見つめて甘い言葉を吐くのだとかw

先生も1時間では話しきれないと言ってたが、ぼくもこの稿では書ききれん。
また深谷に呼ぶようにくもん関係者に伝えておきました。


埼私学保連

2012-10-29 | 教育
正式名称は「埼玉県私立中学高等学校協会保護者会連合会」という・・・
略した名称でさえ長いという、社会への認知とか考えないのかと。

この書き出しだけで読む気をなくす人も多かろうw

ものすごく簡単に言えば公立学校のPTA連合にあたるかな。違うのは私立なので附属小学校持ってるところもあるし、学校の理事長や校長が編成する「中高協会」の事実上下部組織的な位置づけ。

ぼくは本庄一高のPTA会長の立場で今年度理事として出向している。ぶっちゃけ毎月浦和に行くのがめんどい。そもそも他の理事さん、県南の人が多数だし。

その活動はほぼ「国の助成金の公私間格差是正」という損得勘定丸出し理念に貫かれている。まあ、下心そのままってのはある意味とても正直でむしろ清々しくもあるが。

ありがちな「学園間の交流」とか「子どもたちのよりよい未来づくり」とか、いかにも理想教育者!的なおためごかしよりは腹を割った感じでいいのだけど、これをスローガンにそのままありのまま掲げるってのはどうか?
少しくらい理想ふうな綺麗な言葉で包もうよ・・・とか、ぼくですら思う。

さて、PTAの副会長時代から存在は知ってたが、バカバカしいと思って後ろ向きであったのに、理事会構成員になったので今年は観念して仕方なく関わってみた。



何事もそうだけど外から想像する印象と中に入って感じるのは違うものだ。
この団体が毎年開催してる「私学振興大会」は退屈なことになんら変化ない、しかし、やはり各校の会長さんなどが集うとね、その一人ひとりのエネルギーは半端ないものだ。みんな押し出しが強くて前向きで、個性が遠慮無く発散されている。

いい意味で刺激を受ける集い、というのは悪いもんじゃない。そういうわけで、この団体の活動自体には疑問符を持ったままだが、集まることには以前より前向きに考えるようになった。

いや~、しかし、依然としてその基本理念的部分(公私間格差云々)には乗り切れないんだけど・・・。もろ圧力団体ってことだもんね。いや、反対ではないのだけど。


誤解してたこと

2012-10-23 | 教育
ずっと勘違いしてたこと。

日本と違い、米国では大学に入学するのは楽でその分卒業が大変だ、というふうに認識していたし、そのようにいろんな人に事あるごとに話していた。いつ誰からそんな情報を入れたのか覚えてない。確証もないのにそう信じこんでたのは「アメリカならさもありなん」みたいな安直思考に陥っていたのか。

普通に考えればそんなはずもない、だってそうだったらみんなハーバード大とりあえず入るじゃん・・・

実際は米国の場合、入試それ以前の評価が大きくモノを言うのだとか。高校へ行っていればその期間の学業成績と高校からの信頼(=推薦状など)ということになる。さらには日本以上に「コネ」がでかいのだとか!

これでは推薦やAO入試が勢いを増す日本と変わらない、いやもっとはっきりしてるか。日本の将来至るであろう状況なのか。

このことをとあるブログで知った。ちょっと長い記事だけど、お暇な人は。

quipped~ リヴァイアサンに斬鉄剣

実際に米国で暮らし大学へ入った人がブログ主だから信憑性は高い。
内容は脳科学者の茂木健一郎を批判する記事なのだけど、その流れで茂木氏が褒め称える米国の教育システムの実態はこんなもんだよ的な展開、文章も面白いしなかなか興味深い。

この記事の要点を本文から抽出引用すると

実際、アメリカの高校に通い一流の大学に進学しようとすればすぐわかることだが、アメリカの大学入試のシステムも日本に負けないくらい没個性だ。基本的にストレートAでないと、超一流大学の狭き門をくぐるのは困難なので、超一流を目指す子供たちは、これでもかと競争しライバルを蹴落とし、すべての教科で一番になろうとする。また、先生たちに良い推薦状を書いてもらう必要があるので、これでもかとゴマをする


ああ、明白になったのは他国の事情なのに、なぜだか虚しさがこみ上げる・・・お国は違えど人のやることは所詮同じか。

ミステリー・サークルがインチキだったことを知ったときくらいのショックはあった。
ただ、ミステリー・サークルと同様何ら生活に支障はないので、程なく忘れてしまうだろうが。


高校のPTAで

2012-01-17 | 教育
また会長やることになってしまった・・・_| ̄|○

最初に言われたときはきっぱり「いやです!」と断ったのにもかかわらず、、、
現会長から「他にいないんだよう~」と泣きが入って、断りようがなくなった。

ついに小・中・高コンプリートかぁ・・・

周りの人からまた「どんだけ好きなんだよ」ってばかにされるのが見えてるなあ、もう否定する元気もない。
小学校や中学校は地元に根付いているのでまだやり甲斐はあったが、本庄一高という他市の学校他の役員も他市の人。
お人好しにもほどがある、実際バカなんだろうなあ。

大体高校ってPTA必要なのか?まずその存在から疑っているぼくがやっていいのか?

なんてことはもうすでに考えてません、本一至上最低の使えないPTA会長を目指そうと決めました。
なんとでも言え!
笑わば笑え!


育児についても

2011-11-01 | 教育
素朴な疑問を続けます。

うちには娘が二人いるが、これがまた面白いほどキャラクターが違う。
よくある話のようだけど、それが性格よりも「生活習慣」に顕著なのだから特筆したい。

長女は自由奔放なキャラ、帰宅するとそのまま寝ちゃって宿題忘れて、なんて毎日。一方二女は帰宅直後に宿題をやっつけることを必ずやる。当然机の上の整理度も天と地w

どちらかというと勉強については放任主義的な家なので、「勉強しなさいっ!」みたいなことはほとんど言ったことがない。にも関わらずこの違いは何だろう?

で、ここまで読むとダメ姉ちゃんとできた妹みたいだが、長女は何かにつけ気にしないという鈍感力を持っている、というか、たとえば朝はひとりで登校している。二女は必ず待ち合わせして数人で登校。友だちに気を使っていることが在り在り。

二女によく言えば協調性に富んでいる?長女によく言えば自主性が高い?
友だちとのトラブルでも二女はとても気にするが長女はあっけらかんとしている。
家の中でも、一番上のお兄ちゃんになんか言われ、歯向かってくのが長女。二女はじっと耐えるw

教育なんて生まれついてのDNAに比べれば大した影響はないのかも。


いずれにしてもこどもを育てるのはなかなか面白い、あと二人くらいいても・・・いや!それは辛かっただろうw


「夜回り先生」講演会

2011-05-27 | 教育
大里PTA連合で先週表題の講演が催された。

ちなみにぼくは南中PTAについては月初に開かれた総会でお役御免になっているのに、ちょうどその時この案内を連絡され
「ああ『夜回り先生』は面白いよきっと」
などと知ったかぶったがために出席者に入れられてしまった。口は災いの元。いやじゃないのだけど。

いや実際夜回り先生こと水谷修の本はとても面白かったし、教育の原点を考えさせられる要素も多かった。
今やテレビでドラマ化されたり本も続編が次々と刊行されているから知名度も高い。

2年前に書いた書評的記事→『夜回り先生』水谷修

ものすごく暑い日だった、にもかかわらず会場の熊谷会館、貧弱な駐車場がために目の前まで来て大渋滞・・・いらぬ苦労をした。
そして講演について。
びっくりするくらい話がうまい。いや、内容ではなくて話し方!講談師のようにあるいは局アナのように、立て板に水を流すかのごとくスラスラと淀みなく流暢。強調したいところは連呼、時にはテンポをずらす、間を開ける。声も聞き取りやすいしどこの舞台俳優だ?という印象。

時々軽いジョークを混ぜ、はたまた深刻な逸話で泣かせ、なんと器用な人だろう、と思った。けれど器用さは時にマイナス要素になるのかもしれない。内容的にイマイチ感が残ったのだから。

本に出てきた逸話もあったし震災で教え子を亡くした話を涙ながらに語るところはもらい涙した。それにも関わらず全体的に平板でのっぺりしたイメージだけが残った。
やはり2年前の記事にも書いたが「行動・実践」の人であって思想の人ではないのだなあ。きっと。しゃべりがうまいので弁論向きだと決められるのは早計だと思う。