またまたT氏から投稿がありました、どうやらコラムの魅力に取り付かれたようだね、しかも回を重ねるごとにうまくなってる!これは「軒先貸して母屋取られる」てなことになりかねない!まあそれも一興!益々のご投稿をお待ち申し上げます。
新村教コラム補助要員YTです。
危険を容認して生きる!!!で書いてみたいと思います~
子供から大人への成長を考えるとやはり経験を重ねること、対処を知ることが重要なことは明らか!しかし今も昔も懸命な師が親を含め大変多い・・・・・・子供が悪戯や興味を持ったことを身体に危険が生じる とか 人に迷惑がかかる とかで自分の経験した範囲内での予想で師であることの権威を発揮し事前に防止しようとする。(当たり前だと思うのだけれど)
そこで子供の自分は思う。行き着く所まで行った事は師であるあなたは経験したことあるの?もし行き着く所まで行ったのならば何故僕は良いも悪いも共感させてもらえないの?と!
やはり子供は無限の可能性を秘めていると思う。身体に危険を及ぼす可能性があったり世間様に迷惑がかかることには最大限の配慮を行うべき!しかし可能性を奪うことはしてはならないと思う。いざと言う時には師である立場の人間がケツを拭いたり諦めなくてはならないのではないのでしょうか?
ついこないだオフロード用のバイクを次女に買え与えた。興味が有るのならやれば良いと思ったから!しかし与えたバイクは子供用のはずなのに恐ろしくパワーがあり自分もそのパワーを使いあぐねてしまうほど!乗り方を教えていても次女が心配になってしまう。使い方を間違えれば大怪我をさせてしまうのではないか?やっぱりやめたほうが良いかなーと!
でも子供は楽しんでいるし今、彼女は貴重な経験を重ねている!親として怪我と経験のどちらを優先させるべきか?僕はその時、極端な話だがいざと言うときは諦めようと思った。(自分も含め周りが心配し何かあれば悲しむことを踏まえて)小さなことでも師であることの権威を乱用してませんか?自分たちは農薬漬けの野菜よりも有機栽培の自然食品を好み、有機野菜が出荷されるまでの過程で淘汰されているのを忘れていませんか?
神奈川(?)で裁判になったブランコで怪我をした自分の子供を設置した行政のせいにするような自己完結の責任を持たないような大人に育てようとしているのではないのですか?
拡大して考えると今の日本や先進諸国でしか通用しない人間を育てようとしているのではないのでしょうか?・・・・・・・・・・なんとなく話がまとまらなくなるので次回にします。
いやいや、とてもまとまってますよ!すごくわかりやすいし。最後の「先進諸国でしか通用しない人間を育てようと・・・」は名文句でしょう!
この調子でどんどん僕の代わりをつとめてくらはい!!