ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

太鼓入りの『梅枝・越天楽』(その4)

2008-01-22 01:21:14 | 能楽
昨日は、またしても梅若六郎先生の能の地謡に参加させて頂いておりました。明日(23日)に横浜能楽堂で催されるNHK能楽鑑賞会で上演される六郎師の『安宅 勧進帳・滝流』の申合だったのです。は~~眼福でした~。また注目すべきはツレの「同山」で、東京・大阪。。そして遠く福岡からも参加している混成軍でありながら、あれだけのクオリティで連吟を揃えて謡い、かつダイナミズムまで揃えられるのは ちょっと驚異的。ぬえの同世代の友人が中心になっているだけに、羨ましくもありました。この『安宅』、公演は公開されて明日に上演され、放映はBSハイビジョンでは2月23日午後1時~、教育テレビでは3月8日の午後3時~ となっているようです。ぜひご覧くださいまし~

さて『梅枝』ですが。。前述の通り『梅枝』では『富士太鼓』とは少し背景となる事件の経緯が違っていて、富士は太鼓の役を無理に望んだのではなく、その役を浅間と争った末に正当な判定を受けるために都に上ったのです。しかも富士は見事にその技量によって太鼓の役を射止め、ところが浅間はこの事を恨んで富士を討ってしまった、というのです。このへんの事情はシテの語リの本文に「浅間安からずに思ひ、富士をあやまつて討たせぬ」と説明されています。「あやまって」とは人の命が掛かっているにしては ずいぶん曖昧な表現だとは思いますが、ここだけを読めば、前掲の公演パンフの「浅間を完全な悪者に仕立て、富士の妻の悲劇を強調しています」という解説は当を得ているでしょう。

ところが、今回の上演ではまた少し違う方向に舞台は進んでいったのです。

地謡に座っていた ぬえは、申合からすぐに気づきました。今回おシテは「富士この役を賜るに依って」の一句を謡わなかったのです。最初は「??」と思った ぬえですが、あるいは申合では ふとおシテがその文句を忘れて飛ばしてしまったのかな? とも思いました。ところが本番の舞台で。。やはりおシテはその文句を謡わなかったのです。。しかもその前後の文句は自然に繋げて謡われていました。ぬえの疑問はふくらむばかり。

ところが、その ぬえの疑問が解ける前に、もっと大きな問題が舞台上で起こったのです。いえ、誰かが失敗したとか事故が起こったというワケではありません。それは前シテが中入してからのことで、ワキに問われて間狂言が語り出した富士の物語を聞いていて、ぬえはその内容に驚いたのです。この時のお狂言方のお家に伝わる「語リ」の内容は。。それこそほとんど『富士太鼓』でシテが語る事情とほぼ変わらないものでした。

いわく「萩原院の御時の管弦の催しに浅間が召された。ところが富士は召しもないのに押して都に上り太鼓の役を望んだ。帝は古歌を引き重ねて浅間を太鼓の役に指名したが、浅間は富士の振るまいに怒り、宿所に押し寄せてこれを討ち取った。一方富士の妻子は夫の帰りが遅いことを怪しんで都に上り、はじめて富士の死を知り、都へ上らせたことを嘆いた。そして『せんなき富士の形見の太鼓・鳥烏帽子などを申し受け、それを弄ぶ』などしたが、ついに妻も故人となってしまった。これこそがその妻の旧跡である」

ううう。。この語リには『梅枝』には登場しないながら『富士太鼓』では重要な役の「富士の子」までが登場していて、お狂言はしっかり「浅間が召され、太鼓の役も浅間が賜った」と言っている。。ここまで来ると「あやまって」という『梅枝』の前シテの言葉が空虚に響いてきます。

前シテが語る物語と、間狂言が説明される物語との齟齬。。これは『梅枝』に限ったことではありませんで、ときどき ぬえも気になる事があります。ところが能の中には『鵺』や『船橋』のように、前シテが語る物語だけでは もう一つ事情が飲み込めず、間狂言の語リによってはじめてその事件の全貌が明らかにされる曲もあるのです。だから一概には言いにくいですが、能の成立と間狂言の「語リ」が、まったく一体として構築された能もあれば、なんらかの事情によって間狂言が能とは別途に成立した能もあるのではないか、と想像されるのです。それぞれのお家に伝えられた本文をしっかりと守られて演じられるお狂言方に対して ぬえが異を唱えるつもりは毛頭ありませんが、シテ方やワキ、そして囃子方も含めて、演者同士がもう一度、そのときに演じられる能全体について、戯曲として破綻がないか検討する余地は残されているのではないでしょうか。

そこまで考えた ぬえですが、今回の『梅枝』は。。破綻していなかったのです。。なぜ?