のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

お江戸方面襲撃記

2015年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 たまには都会の毒気を吸わねばと、お江戸方面を散策してきました。

 朝、出発の時点でいきなりトラブル。と言うのは、新幹線の自動改札でチケットと一緒に領収書も自動改札機に入れてしまったらしくゲートが閉まってしまい、係員に「おじさんこっちから入って。」と、チケットにスタンプ押してもらって入れたのですが、正式に通過していないチケットなので磁気に記録が残っていないから到着して出る時にもゲートが閉まって、また係員に「こちらから出てください。」と、いまだに自動改札に対応できていません。

 いきなり新幹線乗り継いで新横浜まで行って、鶴見の総持寺に行ってきました。新横浜の駅を利用したことがなかったので、どうせ行くならと東京発の博多行のぞみに乗って、品川、新横浜と二駅目でしたが、次が名古屋なので乗り越したら大変なことになります。

 総持寺は元々加賀にあった曹洞宗の大本山ですが、明治の時代に横浜に移転しています。今年は総持寺開祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)700回忌、二祖峨山韶磧(がさんじょうせき)の650回忌の年なので、ダミアン記念日の6月6日に加賀の総持寺に行って峨山韶磧ゆかりの峨山道と呼ばれる52kmの山道を一日で歩いてきましたが、その霊験があって翌朝脳梗塞の症状が出てしまいました。

 落とし前どないしてくれんねん。と鶴見の総持寺に来た次第で横浜まで来ましたが、足の指を骨折中なので、アスファルトの道が刺激的過ぎて汗が出ました。

 せっかく総持寺に来たから石原裕次郎のお墓にも行ってきました。石原裕次郎と言われても若い人にはわからないと思いますが、携帯電話のコマーシャルでフテ猫と一緒にブラインドから首が抜けなくなっている濃い顔のおじさんです。

 お墓のそばに白と黒の斑ネコがいました。やっぱ猫と裕ちゃんコンビだったんですね。

 お昼はラーメンと決めていたので、鶴見から京浜東北線で品川まで、そこから山手線でラーメン激戦区の高田馬場に移動。

 土地勘がある場所で気楽でしたが、ラーメン屋の知識もないのでとりあえず目についたところに行くことにしました。下落合になるのか?光麺という店で結構こってりしたラーメン食べてから一度駅に戻り、私が学生だった頃は本屋があったビルにドン・キホーテと言う看板が目に入ったので、デザートはハンバーグだ!と行ってみると、ドンキホーテとびっくりドンキーって別物だったんですね。ハンバーグはなかったけれど、ハロウィングッズが販売されていました。

 その地下にかつておいしいハンバーグの店があったんですが、蒙古タンメン中本が出店していました。で、激辛ラーメン食べてしまったんですが、さすがにこれは重すぎるデザートになってしまいました。

 体調を整えるために少し歩こうかと、学バスに乗って早稲田大学の本部に行きました。

 我々理系には何をやっているのか?どんなキャンパスなのか?全然わからない場所で、在学中に来たことがほぼないキャンパス。一度演劇博物館を見に来たことがあるだけだったと思います。学バスも体育の授業で文学部の体育館を使った時に何回か乗ったことがありましたが、バス代もったいないので歩いていくことの方が多かった。

 大隈講堂なんて革マルのねじろになっていてうかつに近づけない時期もありましたが、アジびらや看板も撤去されずいぶんきれいになった印象です。

 文系学部の連中は理想を語ると言うより、不平不満を愚痴っているようにしか思えない連中ばかりだったので、お前らもっと勉強しろよと冷ややかに見ていましたが、クールにそつなく勉強している慶応との差がこの4年で出ていた感があります。

 法学部の周辺ではそれらしい立て看板がありましたが、早稲田祭も近いのでその隣には「平松愛梨」が来るとか何とかのブースがありました。

 私の時代なら今の季節は実験目白押しでそんなお祭りやっているような気分ではなかったのですが、早稲田祭はパンフレット代と称して入場料金をとる稀有な学祭だったと記憶しています。

 古本屋巡りしながら文系学部とは異なる暗さを醸し出す理工学部のキャンパスに行ってみると、ラウンジでは学生達が自習学習していました。

 今やノートではなくパソコンなんですね。

 コンクリートの強度実験をやっていたので多分2年生でしょう。同じ時期にやった記憶があります。実験棟の機材も昭和の時代からそうそう進化していないみたいで、より厳しい精度を求められる実験には裕福な国立大学の機材を使わねばならないため、これから難民生活が始まる学生たちです。

 平板トランジットで測量の勉強をしている学生。GPSと光波の進化で現場は随分違ってきていますが、ここで基礎を学んでおかなければ元々の理屈がわからない。

 データ取りの時はワイワイ騒ぎながらやっているのですが、家に持ち帰って計算し始めると頭を痛めるんですよ。

 時折人が飛び降りる18階建ての研究棟。

 飛び降りた人が墜落するのはこのあたりですが、かつては機材が置かれていたりもっと狭かった気がします。地面に直接落ちた飛び込みと、途中で機材にぶつかった飛び込みでは随分後が大変だったことでしょう。

 学生達がノートパソコン広げて喧々諤々と論争していました。私たちの時代は関数電卓が最新鋭の兵器でしたが、このコンクリートの床にはチョークで計算式が書き連ねてあって、その上に寝そべりながらあれこれと議論した覚えがあります。

 ちょっと背後からのぞかせてもらったら、バックミンスター・フラーのドーム理論の不当辺三角形の羅列の計算で、この課題やったことがあるぞ?と、学生に見せてもらったら、同じ場所に引っ掛けがありました。出題者の意図が30年近く変わっていない。パソコンで数値入力するだけに慣れてしまっているから気がつかないみたい。

 案外変わっていないもんだなと感心しつつも、大きな変化を発見しました。写真左側の階段を下りてくると頭上のパイプの大きなバルブのハンドルがあります。身長175cm以上の学生は勢いよく階段を下りてくるとこの取っ手の部分に頭をぶつける構造になっています。かつては「頭上注意」の札が下がっていましたが、現在は取っ手の部分にフェルトが巻かれています。これで安心して頭をぶつけられます。よかったよかった。

コメント
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