のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

大志は一生

2009年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 紀元前200年位前、万里の長城を作った秦の始皇帝が死ぬと中国各地に新しい国を作ろうという胎動が始まります。項羽と劉邦の時代の幕開けです。

 項羽の部下であったが、自分の価値を認められてくれないので後に劉邦につき、「その武勇においては韓信にはかなわない」と劉邦に言われた「またくぐりの韓信」と呼ばれる武人がいます。

 背中に佐々木小次郎もぶったまげるような長刀を背負い街を歩いていると、お定まりの町のチンピラに因縁を吹っかけられます。「お前さんずいぶん立派な刀を背負っているけど、使えるのかね。本当に使えるのならその長剣で俺を切ってみろ。できなければ俺の股をくぐれ。」

 武人韓信はそこまで言われて、黙っているわけ…と思いきや、あっさりとそのチンピラのまたの下をくぐって見物人たちのあざける中で「恥は一時 大志は一生」と臆せずに立ち去っていきます。

 天下を取ろうという大志があるのに、こんなところでくだらないチンピラと揉め事を起こし命を粗末にしたくない。と耐え忍ぶわけです。

 理不尽なアクシデントはつき物です。言いたいことは山ほどあるけれど、言わずに腹にしまっておくのも男の美学、それと言葉がわからないから。

 とは言え、いつの世もいろいろ気に触ることはあるのですが、いちいち腹を立てていたら胃に潰瘍ができます。耐えて何ぼの人生よ!

 またくぐりの韓信のごとく大志は一生と、つまらぬ言いがかりなどに振り回されないよう心がけてなければなりません。

 耐えつづけているうちに「ところで私の大志とは何だったのだろう?」とわけがわからなくなってきますが、ホント、どこにあるのだろう?

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不毛地帯

2009年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 フジテレビが力を込めて製作した連続ドラマ「不毛地帯」が今日から放送されました。
 山崎豊子作品は取材力のすごさに感心しながら大方読んでいますが、「不毛地帯」は経済小説としても傑作です。
 20代の頃はソビエト抑留日本人について興味を持つきっかけになった小説ですが、人生後半に来て、経済小説としての面白さがわかるようになり読み直した小説です。

 「不毛地帯」は山崎豊子さんの原作も何回も読み直していますし、仲代達矢さん主演の映画も見ていますが、唐沢寿明さんが主演と言うのは意外でした。
 唐沢さんと言えば同じ山崎豊子作品の「白い巨塔」で主役を張った俳優さんですが、そのイメージが強くて「不毛地帯」の泥臭さと違う感じがしていましたが、俳優さんとはすごいものです。

 「不毛地帯」の主役壱岐正のモデルは元伊藤忠副社長の瀬島龍三さんといわれています。実は、学生時代のバイト先で、瀬島氏とは数回お目にかかったことがあります。物腰の柔らかいご老人で、およそこの人が大東亜戦争の鍵を握る人物におは思えない紳士でした。
 戦争に関しても丸紅問題に関しても、墓の中まで持っていってしまった事実が多いことと察していますが、影で昭和を動かした人物であることは事実です。

 山崎豊子作品には「二つの祖国」で実名で瀬島さんが出ていますし、「沈まぬ太陽」でも瀬島さんらしき登場人物が出てきます。

 「不毛地帯」で隠岐正のライバルとして登場する鮫島は、元日商岩井副社長の海部八郎さんと言われています。海部八郎といえばダグラス・グラマン事件での国会での証人喚問で、宣誓書に署名するときに手が震えてなかなか字がかけなかった映像が今でも流れることがあります。

 今年はNHKが「白洲次郎」や司馬遼太郎の「坂の上の雲」を取り上げたり、フジが「不毛地帯」や「沈まぬ太陽」などを映像化したり、何か時代の変わる季節を暗示しているような作品が多い感じがします。
 なぜこの時代に「不毛地帯」とその意図を考えて見るのも面白いかと思います。

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地球は青かった

2009年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

Gaga3  1961年4月12日、A-1ロケットによって打ち上げられた人工衛星ヴォストーク1号に乗って人類初の宇宙飛行を成し遂げたユーリ・アレクセイビッチ・ガガーリン(Юрий Алексеевич Гагарин, 1934年3月9日 - 1968年3月27日)

 「地球は青かった」の名言は誰しも知っていることでしょう。実はこの言葉、ガガーリンが地球に戻ってきてからの手記の中に出た言葉で、「青かった」と過去形になっているのはそのためです。

 ヴォストーク1号の打ち上げは失敗したときのことを考慮して極秘に行われ、万が一のときはもみ消す用意がされていました。

 ガガーリンも実は控えの飛行士でした。本来人類初の宇宙飛行に成功するエース飛行士は別にいました。

 控えの二番目が成功した例では、人類初の女性宇宙飛行士となったアンナ・テレシコワも控えの飛行士でした。

Gaga2  テレシコワの有名な言葉「私はカモメ(ヤー・チャイカ)」は無線のコールサインで、ガガーリンのヴォストーク一号は”ヒマラヤスギ”でした。

 人類初の宇宙日宇港を成功させたガガーリンはソビエトの歩く広告塔として世界各地をまわりました。日本にも1962年5月21日に来日しています。

 1968年にミグ戦闘機で飛行中に墜落死していますが、その死を巡ってはさまざまな陰謀説も飛び交っています。

 ガガーリンの銅像はロシア各地にあります。イルクーツクで見たことがありますが、首から上だけのさらし首のような銅像でした。

 ガガーリンの乗った人工衛星”ヴォストーク”は「東」意味する言葉です。ウラジオストクもウラジ・ヴォストーク、東方を征服せよです。

Gaga1  写真の時計は1991年に宇宙飛行30周年を記念して作られた腕時計で、ソビエト崩壊直後に出かけたイルクーツクで買いました。手巻きの機械式腕時計です。

 元軍人らしい男が道端で勲章などと一緒に売っていました。このときは勲章や階級証やオイルライターなども買ってきましたが、マニアの友人が持っていってしまい、この時計だけが残っています。

 ガガーリンの宇宙飛行が西側諸国に与えた衝撃は大きく、これを気にアポロ計画が持ち上がるなど米ソの宇宙を巡っての競争が始まります。どちらも旧ドイツのミサイル技術が基礎でしたが。ガガーリンのヴォストークを打ち上げたA-1型ロケットも大陸間弾道弾がベースです。

 今や米ソ(ロシア)が共同で宇宙に出ているご時世、宇宙ステーションの”ミール”は「平和」を意味しています。

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年波

2009年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

トルコとアルメニアが国交樹立。
 隣同士の国なのに、第一次世界大戦のオスマントルコによるアルメニア人大量虐殺以来敵対してきた国どうし。
 隣の国と仲がよければ国境なんか生まれないというけど、隣の国と揉め事があって当たり前。
 したたかになろう日本!

 体育の日を絡めた連休なので各地で体育祭などのイベントが開催されています。
 私は秋の薬師祭に伴う道普請で、朝から道路清掃。先だっての台風の影響もあり、水路や側溝に例年より多くの枯れ葉や木の枝がつまっていました。

 沼田の体育祭に顔を出したら知り合いの日比カップルの息子さんに会いました。もくもくと裏方の仕事をしていました。子供の頃のイメージしかありませんでしたが、礼儀正しい青年に育っていました。もう20歳になったのだそうで、世々様の子供は成長が早い。お父さんは70歳を過ぎているはずですが、「今日は父も競技に参加するので心配ですよ。」と気にかけていました。父親だって、息子が裏方スタッフとして参加していれば、黙って見ているわけにもいきません。

 一方、日露カップルの友人は子供幼稚園の運動会に参加。父兄によるリレーに出場し、転倒して腕を骨折。手術するかどうか微妙な状態です。
 国際カップルの場合お父さんが高齢のケースが多いので無理をさせないよう配慮が欲しいのですが、妻や子供のために無理してもがんばらねばならないので辛い立場です。

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鳩と梟

2009年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 鳩と鷹ではなく、フクロウの話です。

 フクロウがハトに会い、「フクロウさんどこに行くんだね」と訊かれました。「東のほうの村に引っ越すんだよ」とフクロウが答えると、「どうしてそんなほうに引っ越すのだね」とハトは訊きました。

 「村人がみんな私の泣き声を嫌っているのでね、それなら東の村に行けば気兼ねもなかろうと思って引っ越すのさ」

 フクロウの話を聞いたハトは笑いながら言いました。「おまえさんが鳴き声を変えれば全て解決するのではないかね?鳴き声を変えない限り東の村に行ったところで、こちらと同じようにみんながおまえさんの鳴き声を嫌うに決まっているよ。」

 中国の寓話です。「自分が変わらなければ、相手を変えても同じこと」という教訓を含んだ寓話です。フクロウはあの不気味な鳴き声を変えようにも変えることができませんが、人間には「知恵」がありますので、本性まで変える事はできなくてもおさえる事はできます。

 時として、強情さが功をなすこともありますが、これは目的を明確に持って信念となっている場合のことで、大方の強情はつまらぬわがままに起因しているものではないでしょうか?

 最近、しばしば「こだわりの店」「こだわりの職人」などと「こだわり」と言う言葉を耳にしますが、本来「こだわり」には「執着」や「未練」など、人間として好ましくない意味合いを含んでいるもので、決して前向きな意味合いを持った言葉ではありません。マスメディアが使い方を変えてしまった言葉の一つでしょうが、それ以前の教育を受けたオジサンたちには使い方が難しい言葉になってしまいました。

 「職人気質」「凝っている」「研究熱心」など、思い入れをこめた営みと、失ったものへの未練を捨てきれない「こだわり」が同じ扱いになっているようで、違和感がある表現方法ですが、最近の若者は「こだわり」の使い方が私たちオジサンとは違っています。

 私などもそうでしたが、悪い意味での「こだわり」のようなものが足かせになっていたので、そこに目が行くまでは紆余曲折がありました。自分自身の本性を抑えて妥協している部分も随分ありますが、これもなかなか精神的な体力が必要です。誰しもこうした努力はしていることでしょうから誰も誉めてくれないので、そんなときは「立派な人物だ!」と自分で自分を誉めてやります。

 「理解する」事は「変わる」事で、「変わること」は「成長する」ことと前向きにとられています。パソコンだって基本のOSの部分は変わりませんが、その他のプログラムは変える事ができるように、不都合な部分を修正しながら使いやすく変えていくものです。変な例えですが・・・

 方丈様が法話でおっしゃっていたけど、人間の「徳」は死んでお経を聞きながらもまだ成長するのだそうで「その証拠に死んだ人はみんな<いい人だった>になるだろう」。悪口言って化けて出られたらたまったもんじゃないので、生きている者達が「徳」を発揮しているようにも思えますが。

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ウィルス

2009年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 新型インフルエンザがまた勢力を増してきているようですが、インフルエンザなどウィルスに対して、直接寄生菌に作用する抗生物質は効きません。ウィルスに対しては自分の免疫能力で対応するのが治癒への道。

 そりゃもう自衛隊もびっくりするような防衛能力を人体は備えており、そこには当然「友愛」なんてものは存在していません。ウィルス13億の改革解放でやたら増幅する厄介な侵入者をどうやって収束させるか?入管、警察、公安、自衛隊合同演習のようなドラマも感動的です。

 政治学的見地から免疫学を見ると、日中関係が参考になると思います。ウィルス(中国人)はどこにでもいますが、体力が落ちてくると免疫能力が落ちてウィルスの増殖を許し、それが死につながります。国力の落ちた日本を例えるとわかりやすいと思います。

 好中球と言っても中国よりの細胞ではないのでご安心を。この好中球、マクロファージ、インターフェロン、B細胞、キラーT細胞、抗体などの作用を知っていると、もしインフルエンザになっても、今自分の体内でどんな作用が働いているのか想像できて、療養生活も楽しくなると思います。

 体内にウィルスが入り込むとまず好中球とマクロファージと言う細胞がウィルスを殺しにかかりますが、ウィルスの数が多いと援軍を呼ぶためにマクロファージはインターフェロンという物質を出します。インターフェロンは体にウィルスを排除するよう作用するので、粘液を出したり、ウィルスを吐き出すために咳をするよう作用します。いわばウィルス強制送還。

 ウィルスにも参政権をなんてのんきなことを言っていると瞬く間にウィルスが増殖し、政権交代イコール「死」を意味します。

 インフルエンザなどウィルスに感染すると熱が出るのも意味があり、熱に弱いウィルスに対してマクロファージは発熱物質を出させます。

 インターフェロンの刺激を受けてヘルパーT細胞が発進。ヘルパーT細胞はマクロファージからウィルスの情報を受け、それを分析し有効な抗体を作る情報分析をする。マクロファージに情報をもらったB細胞がその情報を元にそのウィルスに有効な抗体を作ります。この抗体ができるまで3-4日かります。

 体内に共産党や社民党が多いと法改正が遅れて抗体が間に合わず、命を落とすことになりまねません。

 抗体ができるまでの防衛はキラーTの担当。キラーT細胞はウィルスに犯された細胞を破壊する役割を持っています。

 抗体は見方が攻撃しやすいようにウィルスに目印をつけ、ウィルス同士をくっつけ動けなくなるとキラーT細胞・好中球・B細胞がそれを食べる。ウィルスの増殖よりこれら防衛機関の勢力が勝ると熱を出す必要がなくなり、これが「病気が収まった」の印になります。

 ウィルスに支配された友愛内閣のおかげでこれから国家的インフルエンザになることだと思いますが、世界的にこの危機に直面していると思います。このウィルスが蔓延すると、資源を食い荒らし環境を破壊し最終的に人類滅亡に導くだけですが、細胞たちがどう対処すればよいのか?マクロファージからの指令が待ち望まれます。

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平和賞?

2009年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、ニュースを見ていたら、「たった今入ってきたニュースです。アメリカのオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞しました。」
 ドッキリカメラ?報道ミス?頭をよぎったのはバラエティー番組でした。

 プラハでの核兵器廃絶を宣言したことが評価されたようですが、まだ結果が出ているわけでもない道の途上。これで平和賞を出してよいものだろうか?
 次の大統領選挙はどうなるのだろうか?
 今こんな賞を受賞してしまうと、はたして在任中に有事が起きた場合に軍事的な対処できるのだろうか?
 USAは足かせをつけられた。
 なんてことを考えてしまいました。

 ニクソンの時代、米ソ対立の最中デタントなんていって核兵器を減らす約束事をソビエトと推し進めていたわけですが、ふたを開けてみたらソビエトはちゃっかり核兵器を大量生産していた。なんてこともありました。
 ふたを開けたら核が拡散していた。なんてことにならなければ良いのだけれど。

 ソビエト最後の大統領ゴルバチョフも平和賞を受賞していますが、ロシアでは「ソビエトを崩壊させた男」として人気はさっぱり。何回かロシア大統領選挙にも出ていますが、泡沫候補並の得票でした。

 佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞する前年の1973年、ベトナム戦争停戦に向けての活動で、USAのヘンリー・キッシンジャーとベトナムのレ・ドクトが平和賞に選出されましたが、「まだベトナムに平和が訪れたわけではない」とレ・ドクトが受賞を辞退したことなどを思い出しました。

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嫦娥

2009年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国の伝説で、月に住む嫦娥(じょうが)という伝説の美女がおります。中秋の月餅のパッケージなどに嫦娥はよく描かれています。

 神話の嫦娥は羿(げい)という弓の名手の妻で、夫婦仲が悪くて、夫が仙人からもらった不老不死の薬を勝手に飲んでしまい、月に昇ってしまいます。

 ところが、現在子供たちに伝えられている物語では、夫の身代わりになって月に行くずいぶん内容が違うものとなっています。何しろ中国の御伽噺はリアルで血なまぐさいものが多く、悪人がのさばり裏切り日常ですので、たまには子供たちにファンタジーがあってもよさそうなものです。

 物語にはいくつかのストーリーがありますが、代表的なものには妖怪退治の話があります。

 中国に妖怪が現れ弓の名手の夫はその妖怪を退治することになりました。妻の嫦娥は夫が妖怪退治に使う矢を探すために薬を飲んで中秋の月に向かいました。

 今はNASAのロケットに乗らなければ月にいけませんが、当時の中国では薬を飲めば行けたんですね。そんな甘い考えだからイギリスに売りつけられたアヘンで滅んだんだなどと皮肉を言ってはなりません。

 薬を飲んで月に行くことはできても、行ったら最後戻って来ることができないと仙人から聞かされ、夫を月に行かせることはできないので、自分が身代わりに行こうと薬を飲みます。

しかし、月で手に入れた矢を地球に運ばなければなりません。旧暦の8月15日、嫦娥はウサギを連れて月に昇り、手に入れた矢をウサギに託して自らは月に残ることなってしまいました。夫の羿は妻がわが身を犠牲にして届けてくれた矢で妖怪を打ち破ることができました。

 中秋の名月が輝くのは月の宮中から夫を案じた嫦娥が出てきて地球を見下ろしているのだそうです。

 日本から見ると、ウサギは地球に戻ってこないで月に残って餅つきしていますし、中国も相変わらず厚顔無恥な妖怪が暗躍しているように思えてなりませんが、中国の物語としては七夕並みにロマンチックなお話です。

 心優しい美女の行く末は悲劇でなければ物語は面白くないのが皮肉です。

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台風通過

2009年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 昼頃台風が通過しました。ちょうど、沼田市にいたのですが、「なんか晴れてきたな」晴れ間の周囲を分厚い雲が取り囲む光景で、携帯電話で台風の行方を調べていた人が、「沼田を通過って出てるぞ!」「じゃぁ、今のが台風の目ってやつかな?」

 その後、また雨が降り出して、しばらくやや強い風が吹いていましたが、予想していたほど大きな台風ではなく幸いでした。
 川の増水はこれから起きるのでまだ要注意です。

 台風のニュースばかりで中川元財務大臣の訃報に関するニュースが少なく感じましたが、2月17日のコラムでも書いたように、個人的には興味ある人物でした。

 酔っ払って醜態さらそうが「がんばれ!日本一!」と激励してくれる奥さんがいる人だったので、夫として魅力があったんでしょうね。今のご時世、夫が醜態さらそうものならさっさと「実家に帰らせてもらいます。」が当たり前ですから。

 それにしても、マスメディアのイジメ体質と言うべきか、死者に鞭打つことを平然と言ってのける美徳のなさ。天にツバ吐く行為だと思うのだけど・・・
 日本の美徳が・・・・ 

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台風

2009年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 伊勢湾台風に匹敵すると言われている大型台風18号が日本列島縦断しそうなので、我が家の周りでも警戒しています。夕方、消防団長の友人は対策本部を設置し、何かの際に出動できる態勢を整えていました。
 私も家の界隈の側溝など、排水路にごみがつまっていないか見回りをしました。

 「山の手入れをしていないと台風で木がひっくりかえっるんだよなあ」と林業を生業としている先輩が話していましたが、杉林など間伐せずに込み合っていると、根がしっかり張らないので少し強い風が吹いただけでドミノ倒しのように木が倒れるとか。
 木を切り倒すというだけで単純に拒絶反応を示す事象「自然派」が少なくありませんが、人が考えるほど簡単ではないのが現実の世界です。

 日本は世界でも屈指の「自然災害」多発地域ですが、それでも被害が少なく抑えられているのは、災害に対する心構えができていることや、そのためのインフラを手がけているからです。
 日本の道路の水はけの良さなど特筆物ですが、それでも人智を超える猛威をもたらすのが自然の恐ろしさです。

 台風が去るまで警戒を怠らないように。

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ハロウィンと言えば

2009年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、日本でもこの季節になるとハロウィングッズが目に付くようになりました。
 ハロウィンの巨大なお化けカボチャを作りましたが、一番大きいもので20kgほどの大きさになりました。

 1992年だったと思いますが、ハロウィンの晩に日本人留学生が射殺される事件がありました。仮装して間違えて訪問した宅でPlease とFreeze(動くな)を聞き違え、物取りと間違えられて撃たれた事件でした。
 銃社会アメリカの病巣を移すような事件でしたが、アメリカ側の反応は射殺した犯人に対して「無罪」でした。撃たれたほうが悪い。なんとも歯がゆい事件でした。

 ハロウィンが何の祭りか大方の日本人は知らないのではないでしょうか?なんだかわからないけれど面白そうだからやってしまうイベント。

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ソフィアの歌

2009年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

五木寛之の小説と言うよりエッセイに「ソフィアの歌」と言うのがあります。五木寛之は最初に読んだ「青春の門」の主人公が卑怯で好きになれなくなったので、嫌いな作家の一人ですが一通り作品は読むようにしています。

 ソフィアの歌とは井上靖の「おろしあ国酔夢譚」のモデルになった漂流民の大黒屋光太夫が、サンクトペテルブルグの大帝エカテリーナ二世に謁見した旅で、大帝エカテリーナ二世の側近のソフィアと言う女性の教えられ持ち帰った歌だといわれています。

 五木寛之はこのソフィアの歌の謎を求めてロシアに旅に出ます。このとき同行した通訳でバリトン歌手の山下健二さんは日本一美しいロシア語喋る人といわれています。山下さんはロシア人と日本人の間に生まれた二世で、別名ニキータ山下さんといいます。

 2000年の3月23日にウラジオストクから帰るときに空港でニキータ山下さんに会いました。二人の日本人と同行しておられたので流暢なロシア語にお目にかかることはできませんでしたが、何回かコンサートにうかがっていることとかNHKのロシア語会話の番組でお目にかかったことなど話しました。

 さて、ソフィアの歌ですが、大黒屋光太夫にこの歌を教えた女性の名がソフィアだったので「ソフィアの歌」と呼ばれており、ロシアでは違う名前の歌です。日本でも別名「コサックの子守唄」と言う名前のほうが知られているかもしれません。

 コサックの子守唄はミハイル・レールモントフの作詞ではないかと言う説もありますが、レールモントフの詩集にはそれらしい詩がありません。ロシアでもいくつか違う歌詞があったり、古くからある歌だったのでしょう。

 大黒屋光太夫とこのソフィアとの間にはロマンスがあったのではないか?など新しい疑問が沸き起こるなど、五木寛之がロシアにのめりこむきっかけになったそうです。

 よほどこのときの思い出が強かったのか、後の映画「大河の一滴」の中では三国連太郎演じる病の床の郵便局長がロシアから日本のオーケストラの入団試験を受けに来たセルゲイ・ナカリャコフ演じるトランペット奏者に、シベリアに抑留されていたときに憶えたというソフィアの歌を歌って聞かせます。

 原作の「大河の一滴」はエッセイですが人生の終わりと向き合う哲学書のようなところがあって、ロシアに関する小説ではありません。

 「人はみな大河の一滴」という普遍のテーマを元に映画のストーリーの概略を五木寛之が作ったようです。そんなこともあって映画では五木寛之の思い入れが深いロシアとの関わりがでて来ます。

 けっこうミーハーなので今年の2月には映画の舞台になった金沢に行ってきたりしちゃいましたが、原作とのかかわりはともかく(三国連太郎の演じる役が原作の大意を示していたように思えます)いい映画です。あの名所旧跡の宝庫の金沢でロケをしながら観光名所がまったく出てこないのも心地よい映画でした。おかげでロケ地の手がかりもつかめず、また寒くなったら映画に出た光景を探しに行ってこようと思っています。

 気になったのはセルゲイ・ナカリャコフがオーディションを受ける場面で伴奏のピアノがハンブルグ型のスタインウェイだったのに、出ているピアノの音がベーゼンドルファーのインペリアルの音だったことが気になりましたが、まあ、細かいことは気にしないで見てください。

 ソフィア(通称ソーニャ)はロシアでも比較的多い名前ですが、ロシア人はこれをギリシアの名前といいます。ギリシアの殉教三姉妹ベーラ(信頼)ナジェージダ(希望)リュボフィ(愛)の母親の名前がソフィア(智慧)です。

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鶏口牛後

2009年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 鶏口となるも牛後となるなかれ 史記・蘇秦伝   大きな集団の尻についているより小さな集団のトップになったほうが良いという意味です。

 日本人の感性からすれば不安定な小さな企業の社長より安定した大企業や公務員のほうが良いのではないか?と牛後鶏口の考え方が一般的でしょう。

 わかりやすく言えば、鶏肉の高級品より安い牛肉のほうがいいに決まっているではないかといったところでしょうが、地鶏が高く評価されたり、牛肉も輸入物が入ってきたり、BSE問題もあって牛後も安泰でもなくなってきたのは世相の現れでしょうか?

 牛丼並みもり250円のご時世、スーパーの駐車場の異動販売の焼き鳥屋ならねぎま2本半です。

 鶏口牛後は少なからずも中国人気質を言い表しているような気がします。組織に埋没せず自分のやりたいように行動してしまう人が多いことは事実のようです。中国に進出した日本の企業も人心掌握には苦心しているようです。

 上からの一方的押し付けの専制主義の歴史の中で生き抜いてきた人々に、反発心があるのかどうかはわかりませんが、組織や法は自分達を縛り上げるためのものだと当てにしてはいないようです。家族や人間関係ほどの強い絆や帰属心はもてないのでしょう。

 「三国志演義」「西遊記」「水滸伝」。日本でも人気の中国の長編小説です。関羽張飛諸葛亮ら並み居る英雄を率いる三国志劉備孫悟空猪八戒沙悟浄の三人の従者を従えて旅する高僧玄奘。108人の豪傑を束ねる梁山泊のリーダー水滸伝宋江

 これらのリーダーには共通の特徴がありまして、強力なリーダーシップで部下を率いていくことはせず、むしろ陰に回って個性豊かな周囲の登場人物に自由にやらせて、要所を締める役割に徹しています。野球の監督より、サッカーの監督に近い印象がします。

 中島敦の「わが西遊記」では三人の英雄の三者三様の個性を分析しています。たとえばもののけが出そうな廃寺に一夜の宿をとることになった場合、孫悟空は「妖怪の住処だったら退治してくれる」と戦闘的入っていきますが、猪八戒はいまさらほかを探すのも億劫だからどこでもいいや夕飯食って寝るだけと享楽的。沙悟浄は災難などどこにでも転がっているのだからここがその場所だとしてもそれまでとニヒル。

 三者三様の個性ですが、案外中国の人々の個人個人の中に持っている個性を言い表しているかもしれません。当然これらの個性は人それぞれ持ち合わせているでしょうが、その個性のボリュームの大きさが日本人と違う気がします。というより、日本人が小さすぎる思いがします。

 中国人は1人では龍だが、三人寄れば豚になる。日本人は1人では豚だが三人寄れば龍になるという中国のことわざがありますが、強烈な個性とリーダーシップを取りたがる性分が仲間割れを招くことを自ら揶揄しています。

 誇大妄想のような大言壮語をする中国の人に出会うことは良くあります。とくに、おじさん連中。このままで終わる人材ではないんだぞという気概は感じられますが、現実が現実なので困ってしまいます。前向きに生きていれば良いのですが、卑屈になると魯迅の「阿Q正伝」の阿Qのような人間になってしまいます。

 バブルのころの日本では青年実業家が雨後のタケノコのように現れましたが、中国も今は起業のブームです。人に使われる身でいたくないと言う考えの人が多いので、リヤカー引いての物売りでも大企業の社長と同じ誇りを持っています。

 やはり、乱世を生き残ってきた人々ですから、ちゃっかりしたところがあって、夫婦で役所などに勤めている場合は夫か妻の片方だけがビジネスを始めて、最低限の生活を確保しながら徐々に起動にのったビジネスのほうに移行していく夫婦も多いようです。

 個性は人生にも仕事にも多大な影響をもつものですが、それをどう操るかは度量のみせどころでしょう。

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プラハの春

2009年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 ロシアの友人のおっかさんは1960年代中頃に東ドイツ・チェコスロバキアに派遣されていました。1968年にチェコスロバキアで民主化へ向けて政治改革が始まり、それをブレジネフ政権のソビエトが軍事介入によって押しつぶす「プラハの春」事件が起こります。

 1953年より続いたノボトニー独裁政権が崩れ、68年1月にはノボトニーが退陣し、「人の顔をした社会主義」をスローガンにドゥプチェクが党第一書記に就任し、検閲の廃止、言論の自由、集会の自由、市場経済の導入など謳った「二千語宣言」が発表されます。後にソビエトにとどめを刺したゴルバチョフがやったことが既にここで実験されていました。

 この流れを押さえつけようとブレジネフによってソビエトを筆頭にワルシャワ条約軍が軍が軍事介入、1968年8月20日プラハ市民に向けて銃弾が浴びせられます。ドゥプチェクはモスクワに連れ去られ改革を断念する議定書に調印せざるを得なくなり、69年にフサークが第一書記に就任し民主化への動きは全て止められてしまいます。チェコに再び春が来るのは1989年まで待たなければなりませんでした。

 東京オリンピックで大活躍した女子体操のチャフラフスカがチェコ民主化に向けても活躍したことは広く知られていますが、1980年代になってからも亡命先のUSAから世界に向けて祖国の民主化への道を訴えていたことは記憶に新しいかと思います。

 プラハの情勢が不穏になった頃、赴任先のプラハからモスクワ経由でウラジオストクに戻ってきた某おっかさんいわく「あの事件はソビエトの危機を招くところだった」と今でも言っています。ゴルバチョフのペレストロイカには賛同していながらも、プラハの民主化事件に関しては職務上の任務もあったせいか快く思っていないようです。

 歴史的な事件にリアルタイムで遭遇しているばかりか一枚かんでいるのに、まったく意に介していないどころか「そんなこともあったわねぇ」ととぼけているのは、身についた機密保持の職業意識なのか、本当に気にしていないのかのどちらかでしょう。

 どういういきさつかわかりませんが、プラハではチャフラフスカに会っているようで、本の表紙の裏に書かれたチャフラフスカのサインを持っています。ソビエト時代にこんなもの持ち歩いていて当局に発覚したら大変なことになったでしょうが、当局だったから大丈夫だったようです。

 チャフラフスカに影響されてか娘にはバレエか体操をという親の欲目は、後に娘をスクールに連れて行って2時間少々で破綻することになります。おっかさんいわく、チャフラフスカは理知的で品の良い素敵な女性だったとのこと、「今どうしているのだろう?」と言ってました。現在、チャフラフスカは表にも出てきませんし、あまり幸せな生活していないと聞いています。日本のTV番組の「あの人は今」の類でもコマネチは取り上げられますが、チャフラフスカは見かけません。死んだと言う話も聞いていません。

 私の東京オリンピックの記憶で体操はまったく憶えがなく、マラソンのアベベとチェコスロバキア出身の長距離選手ザトペックは憶えています。もっとも、黒人選手はみんなアベベでしたし、白人選手はザトペックかヘーシングだと思っていただけですが。

 ザトペックも「二千語宣言」に賛同し、共産主義崩壊まで名誉剥奪のままでした。3年前の年末に死亡したと言う記事を見かけたおぼえがあります。阪神の投手でザトペック投法の村山さんも既に彼岸の向こうです。

 時代の流れは面白いものです。

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軍歌

2009年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

10月1日が国慶節の中国。今年は建国60周年で大きな軍事パレードがあるようですが、中国3000年とか4000年の歴史などと言いながら、実は60年の歴史でした。

 軍隊アレルギーの日本では軍事パレードは馴染みがありませんが、かつての共産主義国はこうしたイベントが好きみたいです。

 中国の軍隊は「人民解放軍」。実はこれ、国軍ではありません。中国共産党の軍隊なんです。中国共産党が中国政府ですから、中国の国の軍隊のように思えますが、もし、共産党以外が政権をとったらなら、国軍がないわけです。当然人民解放軍へのシビリアンコントロールはきかない。
 国の制度が違うとは言え、私たちには理解しがたい社会体系です。

 また台風が近づいていますが、今年はまだ日本に上陸した台風がなかったと記憶しています。稲刈りもまだなので、このまま日本に近づかないでどこぞに消えてくれれば良いのですが。

 日本でもおなじみの「カチューシャ」。第二次大戦中、戦意高揚のためにソビエトが作った歌です。軍歌になるのでしょうか?

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