のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

その翌日

2024年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 もともと我々中学の同窓会の始まりは、高校3年の時に心臓病で亡くなった同級生のお墓参りから始まったことでした。7月7日が命日なので、この日に集まってはかまいりしていたのがじゃ、学年全員で同窓会しようか?」と始まった年がたまたまうるう年だったので、4年に一度の開催になりました。

 命日にはちょっと早いのですが、集まった同級生と雨の中を墓参に行ってきました。昨夜の同窓会には来られなかったけれど、今日は参加できるはらからもいました。

 鬼籍に入った第一号の同級生は子供のころから心室に穴が開いている病気を持っており、過激な運動などできない子でした。私は幼稚園から一緒でしたが、この子を産んだ母親も同じ病気を持っていて、出産して間もなく亡くなっていました。命がけで残した命だったんですね。幼稚園に上がるころには新しいお母さんが来ていましたが、継母とのトラブルもなく育っていた子でした。

 高校2年の夏休みに大英断で心臓の手術をして、予定では9月半ばには退院できるという話でしたが、病院から出ることもできず翌年の7月7日に亡くなりました。いまは。親も亡くなり、腹違いの弟もこちらから出て行って家も取り壊して更地になっています。この7年ほどは地元の同級生が当番で彼岸やお盆などに墓掃除に行っていますが、墓参りに来る人もいなくなってしまいました。

 いよいよ自分たちが墓に入る年齢になってきて、「そろそろこの墓参もやめねぇか?」と言う話も出ましたが、女性陣が猛反対でした。とはいえ、墓掃除などの作業に行くのは男たちで、女どもは指令を出してふんずり返っているだけなんですが、まぁ、それで保たれている「和」ってものがあります。「てめぇが死んでも墓参りなんざいなけぇからな!」「何いっぱしのことほざいてやがるんだ!あたしたちゃ100まで生きるんだから、おめぇらより先に死ぬもんか!」確かにねぇ。

 なんとなく感じるんですよ。こうして集まっては墓参していることが自分たちの誇りになっていることを。大したこっちゃないけれど、まぁ、いい仲間なんじゃないですか?

 そして、今日は鬼滅の刃の日。昨夜の同窓会の食事に出ていた小魚を猫様への手土産に同級生宅にテレビを観に行ってきました。いよいよ残すところあと一回ですね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 同窓会 | トップ | 蒸し暑かった »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事