のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

気疲れの日

2019年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 真夏日になった地域もあったようで、異様に暑い一日でした。半日仕事をしましたが、汗びっしょりになりました。

 午後からは先週富士山で亡くなった真庭君の葬儀に行ってきました。

 年が明けて半分近くになりますが、今年になってから8件目の葬式の御呼ばれ。上は70歳、下は33歳。私より年下の葬儀は2件目ですが、やけに若い人ばかり亡くなったような気がしてなりません。

 真庭君の子供も小学生くらいのイメージしかなかったのですが、しばらく見ないうちに急に成人になってました。

 久々に顔を合わせる山岳会のベテランたちも随分年寄りになった感じがしましたが、私もこちらの思惑とは異なり老けたのだと思います。

 ほぼ20年に一度事故を出しているので、次にやらかすのは・・と予想していた会員はやたら元気で、かくいう私もかつてはその事故予備軍の筆頭に名を連ねていましたが、おおよそ予想もしないところで事故が起きるようです。

 滑落する現場を見た人がいないので、どういう状態で亡くなったのかは定かではありませんが、標高や気象を考慮すると、アイスバーンで転んでそのまま氷の上を滑り落ちたのだろうと推測されます。

 登山と言うよりもスノーボードと言うなじみのない道具での事故だったので、何となく想定が付きにくく違和感ばかり残りました。

 勝手が違う、違和感と言えば葬儀が天理教でした。一礼、四拍手、二礼、四拍手、一礼。神道の二回より拍手の数が多いので隣の人の動作を見ながら、向こうもこっちを横目で見るのでしたが、終わってから”四回柏手しかな?” と指折りする。

 山仲間なので骨を拾ってやろうと沼田の焼き場まで同行しましたが、数年前に90代の重鎮が亡くなった時や、二十数年前の事故の時と同じ3番の窯。なんだか山岳会御用達みたいです。

 明るいうちに戻ってきたので、地区の配り物をしました。

 若山牧水の会の短歌の募集のパンフレットを配りましたが、今年のテーマは「自由」。これは「無題」を意味するのか?フリーダムな自由なのか?そこんとこがあいまいで、どっちなんだ?と首をかしげてますが、無題と言うのも有り難いようで意外と手ごわい。

 何より手ごわいのは参加費1000円です。

コメント (2)
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